Neetel Inside ニートノベル
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炎上作番デスマチセブン
第四話 現場は燃えているか

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 海上は確かに魔王であった。
 赤坂にとって予想外だったのは、海上がバラモスでしかなく、さらに知らないうちに彼がバシルーラでどこかへ吹き飛ばされていたことだ。

 正直言って、海上がいなくなったことはどうでもよかった。舞浜とのうざったいやり取りを聞かなくてすむし、会話するたびにイライラとするあの顔と口調のコンビネーションを味わなくてもすむと思うとチョップで数十メートルの滝を両断できてしまえるほど幸せな気分だが、残念ながら問題はそんなところにはない。海上がサブリーダに就任したことで鎮火に向かうと見ていたプロジェクトに、新たな燃料が投下されたのだ。
「こまります!突然そんなことを言われても!」
 甲本が食堂を出る前に何とか我に帰った赤坂は、眉間をしわくちゃにして不満を漏らす。
「いや、お前が困ろうが関係ないから。じゃあな」
「できませんよ!私リーダー経験なんてないんです。現状の開発業務に加えてチームをまとめるなんて不可能です」
 引き止める赤坂の声を適当に聞き流していた甲本がぴたりと足を止め、赤坂のほうにゆっくり振り返ると、深く嘆息した。
「あのな赤坂。そんなもん誰もがいつか通る道なんだよ。お前にとっちゃ今がそれだったってだけの話だ」
 甲本の哀れむような目といい加減な発言に、赤坂は憤慨した。
「ふざけないでください。サブリーダが二人もぶっ飛んだプロジェクトに未経験の人材を投げ込むなんてどうかしてます。もう一度よく考え直してください」
「お前、俺をなめてるのか」
 甲本の表情が、哀れみから怒りへと一変する。阿修羅のような気迫に、赤坂は一瞬たじろいだ。
「上層部の決定事項だと言っただろうが。お前以上に悩んでいるやつなんていないとでも思っているのか?ふざけているのはお前だ」
 言っていることは正論であったので、赤坂は納得しかけたが、すぐに気付いた。
「論点をすり替えないでください。誰が決定したかなんて関係ありません。私は今この状況が異常であると言っているんです」
 気迫で負けぬよう、甲本を睨み返す。すると甲本は、意外なことを言った。
「じゃあ、お前はどうすれば良いと思う?」
「えっ……」
「この状況を理解した上で、お前はどうするのが最善かといってるんだよ」
(正気かこいつ)
 試しているのか、はたまた本当に現行案以上の策がないのかはわからないが、甲本はなんと赤坂に意見を求めてきた。
「どうなんだよ。打開策もないまま反論か」
「そ、それは……」
 赤坂は顔を引きつらせて後ずさる。甲本の発言自体は、赤坂には正論に聞こえるのだ。窮地に追い込まれ、必死に代替案を練ろうとするも、冷静さを失った現状でまともな案が浮かぶはずもなく、ただ顔から噴出す汗の量を増やすだけだった。
 思わず甲本を睨みつけた目をそらすと、ハイヒールから伸びる白い脚線が視界に混入してきた。目を上げると、心配そうな顔をした依代がそこにいた。
 とんでもない醜態を晒してしまっている、と赤坂は依代からも目を背けようとしたが、とあることに気付いて甲本の方に振り向いた。
「そ、そうですよ。依代さんがやれば良いじゃないですか。依代さんほどの方なら絶対うまくいきますよ」
 赤坂の提案に甲本は、やはりそうきたか、というような表情を見せた。口には笑みすら浮かべている。
「あいつはな、ダメなんだよ」
「ど、どういうことですか!?」
「ダメなもんはダメなんだよ。とにかくそれ以外の案がないなら俺は帰るから。さっさと作業に入れよ」
 赤坂は驚愕した。自分が言った最良と思える案を、それまで表面上は正論を返していた人間が、理由もなく否定したのだ。瞳に光を失った赤坂を気遣う様子もなく、甲本は早足で食堂から立ち去った。
「あの、赤坂さん、大丈夫?」
 いつまでも立ち尽くしている訳にはいかない。甲本が去ったあとも呆然としている赤坂に、依代はたまらず声をかけた。それに反応して赤坂は依代の方へ油の切れたロボットのようにぎこちなく振り向く。
「は、はは、わたし、どうすればいいんでしょう」
 顔を引きつらせながら言う赤坂を見て、依代は頬に手をあて困ったようなそぶりをする。
「そうねぇ」
 数拍置いた後、依代は言った。
「まあ、やるしかないんじゃないかな、てへ」
 舌を出しておどけて見せた依代だったが、赤坂はその声を聞いた後、ビターンと顔面から床に倒れ伏した。

     


     

 すずめが電線の上で鳴く声が聞こえなくなり、最近新設された保育園から園児たちの脳神経を揺さぶる甲高い声が響き渡る。アパートの裏側ではマンションが新築されるのか、建設機械が重低音を響かせて安眠を妨害してくる。
 睡眠によいとは決していえない環境の中、埠頭佳那恵はノースリーブのシャツにパンツ一枚の格好でへそを出しながら熟睡していた。もはや隕石が落ちようと彼女のすこやかな眠りが妨げられることはあるまいと思われたが、意外にも彼女を覚醒させたのは、この時間にセットされたアラームの電子音であった。
 ぴぴぴぴぴ、と単調で不快な音を出し続けるアラームを止め、埠頭はガバチョと起き上がる。
(そういえば、今日こそちゃんと会社へ行こうと決心したんだった)
 明日から本気を出す、と聞くと笑い話にしか聞こえないが、彼女自身一度決断したことは必ずやり遂げる性格を持っていたし、今までそうしてきたからこそ今の自分があると思っていた。ただそこにいたるまでの時間に難があるだけだから長い目で見てほしい、というのは結婚する気がない娘に対して親が口やかましく言うときの言い訳に似ている。
「よし!」
 カーテンを開け、声を出して半覚醒状態の頭を奮い立たせる。今日が新しいスタートだ、と何度したかわからぬ決意を胸に、埠頭はりんごが二つ入るほどの口を開いて大あくびをし、へその辺りをかきながら、とりあえず歯を磨くことにした。
 埠頭佳那恵は、自分でも不真面目な社会人だと思っている。
 まともに会社へ出社したことなどほとんどないし、会社に来てもいろいろ理由をひねり出して定時前に帰ってしまうような人間だった。同一プロジェクトに居る誰もが、彼女が懲戒処分対象にならないことを不思議がっていた。
 それ以上に不思議に思われていたことは、彼女がよく炎上プロジェクトに放り込まれること、そしてそのプロジェクトがいつの間にか炎上していないことになっていたということだった。

 金髪をなびかせて埠頭が職場入口のドアを開けた時、中から流れてくる空気の中にただならないにおいを感じ取り、動きを止めた。
「どうかされましたか?」
 後ろに並んでいた男が、動かなくなった埠頭を心配そうに見つめながら言った。確かに傍から見れば怪しい動きだったので、埠頭は申し訳なさそうに詫びを入れて中に入る。すると、詫びを入れたときに埠頭の顔を見た男が、何かに気付いたように話し始めた。
「あ、埠頭さんじゃないですか。お久しぶりですね。お休みされていたみたいですけど、お体の調子でも崩されたんですか?」
(チッ、うっせーな)
 どこかの五輪選手のような悪態を胸中で呟きつつ、埠頭はスマイルで応対した。
「いえいえ、実家のリンゴ園が異常気象で大変だっていうもんですから手伝いに行ってたんですよホホホ」
「アッハッハーそうでしたかー」
 自席へ向かう途中でアハハオホホと愛想笑いを浮かべる。埠頭が現場で一番苦手な人間がこの男だった。他愛のなさそうな言動で核心をついてくるようないやらしい人物だと、埠頭は思っている。
「しかし農家のお手伝いとなると、相当な重労働でしょうなあ」
「いえいえ、小さい頃からやっていましたから、なれたものですよ」
「そうですかー。そんなパワフルな埠頭さんなら、お仕事いっぱいお願いしちゃおうかな!」
「ウフフ、おてやわらかにおねがいしますね」
「ハハハ、ご謙遜を」
 会議にでも向かうのか、分厚い資料を持った男は空いている手を振りながら別れを告げる。
「それじゃ、次回のご冗談も大いに期待しておりますので!」
 去り行く岡野の後姿を見ながら、埠頭は岡野に悟られないように顔を伏せて舌打ちした。あの男と話すと内面を見透かされているような気がしていつも不快な気分になる。
(朝からいやな感じ。最悪の再スタートだわ)
 時刻はすでに正午を回っていた。

     

(夢かなこれ)
 赤坂未尽は混乱していた。
 強制的に現場の管理者へと昇格させられた赤坂は、いつまでも泣き言を言っていても仕方がないと、海上の保持していたプロジェクト管理資料の一つ目のファイルを開いたところで、一度ファイルを閉じた。
(真っ赤だった。おかしいな、そんなはずは)
 改めて資料のファイルを開きなおしてみるが、当然のようにスケジュール遅延を示す目に痛い赤色が網膜に焼き付けられたので、赤坂は一度椅子の背もたれに体を預けて片手で顔を隠した。
 深く深呼吸をして椅子の背もたれから離れ、もう一度画面を凝視するが、表示されている事実が夢オチで完結するようなことにはならない。
 赤坂が開いた進捗管理表のファイルでは、依代と埠頭を除く全員が、作業が予定より遅れていることを示している。
「どうしたの赤坂さん。すごい顔しているけど」
 依代は赤坂の異変に気付いて声をかけた。いつの間にか半目で口をあんぐりあけていた赤坂は、取り乱している自分に気付いて慌てて姿勢を正すが、顔から滴り落ちる脂汗が止まらない。
「ちょ、ちょっとこれを見てもらえますか」
 赤坂が指でモニタを指し示すと、依代がモニュッとモニタが見える位置へ顔を寄せる。
「ブフォ、依代さん顔近い」
 依代の髪が赤坂の頬にかかるくらい顔を寄せてきたので、赤坂はたまらず噴出した。
「だってこのモニタ、視野角狭いからこのくらい寄らないと見えないんだもん、どれどれ」
 依代は激しく赤い画面を見ると、画面とは対照的に顔色を青くする。
「うわー大変なことになってるわね。ウフフ」
「いやウフフじゃなくて。どうなってるんでしょうこれ」
「どうなってるもなにも、そうなってるんじゃない?」
 依代が他人事のように答えるので、赤坂は少しいらだった。時々人を試すかのような言い方をするのは嫌いだった。
 いつまでも目をそらしているわけにもいかないので、赤坂は進捗管理表の細部に目を通し始める。一番作業が遅れているのが上中里で、次いで海上、舞浜となっている。そして進捗管理表を見る中で一番仰天したのが、見たことも聞いたこともない案件に自分がアサインされており、『昨日から作業に着手していることになっている』ことだった。
「あの、依代さん。この『特定顧客一覧操作時のパフォーマンス改善』って、いったいなんでしょう」
「ああ、あの件のことね。クリック時に表示されるのが異常に遅いから何とかしてってものだけど、それがどうかしたの?」
 キーボードをカタカタ打ちながら顔だけこちらに向けて会話するという器用なことをやってのける依代に感嘆の言葉をかける暇もなく、赤坂は低い声で呻く。
「いや、なぜか私が昨日から着手していることになってるんですけど」
「あれっ、おかしいな」
 依代はキーボードを打つ手を止め、マウスでグループウェアを開き、メールボックスをチェックする。
「ほんとうだ、赤坂さんのアドレスがCCに入ってないねえ」
「いや入ってないというか、そうじゃなくて。この件について誰からも何も聞いていないんです」
 狼狽する赤坂の様子を気にする素振りもなく、依代はニコニコと笑っている。
「ウフフ、そんなのよくあることよ。今メールを転送するね」
(いや、よくあっちゃダメだと思う)
 依代からの転送メールが届き、赤坂は案件の詳細を把握するためメールに目を通した。なんでも一ヶ月前の改修以降、特定操作をすると異常にレスポンスが悪くなるため、改善してほしいという依頼からくる改修案件のようだ。具体的な対応策はすでに決定しているのか、メールに対策内容が全て書かれてある。赤坂自身が行う作業は、レスポンスが悪くなっていたときの数千件のデータを用意することと、改善前と改善後の動作確認をした後テストチームへデータを引き渡すことだった。以前に行った作業と似たようなものだから、作業自体はそれほど難しいことではない。
(ことが全てうまく運べばの話だけどね)
 赤坂は、自身の作業の遅れと状況については把握できた。遅れてはいるが、スケジュール自体は余裕を持って組まれていたため取り戻すことは可能だ。問題は、今日からこなさなければならなくなった、メンバのスケジュールへの介入である。舞浜は二日、海上は三日遅れている。舞浜はフォローしてなんとか追いつかせるにしても、海上は居なくなってしまったので追いつかせるも何も、別の人間に作業を振りなおすしかない。
 そして一番の問題点は、上中里であった。彼女はいつも定時ごろに帰っているにもかかわらず、五日も作業が遅れている。別工程からの作業が滞っていて先に進めないのか、作業中に別件でバグが発生してそれの対応待ちなのか、理由はよくわからないし、海上の管理資料からその件についてを読み取ることはできないため、一度上中里自身に確認する必要がある。
(これほど頭が重いと思ったことは、いままでないわ)
 頭を抱えていると、依代が心配そうに「頭痛いの?大丈夫?」と言って赤坂の肩に手を乗せ心配してくれたが、赤坂にはその気遣いに対応できる気力はない。
 時刻は正午を回っている。結局、資料に目を通しただけで午前の作業時間が終わってしまった。
 そこへ、一人の若い男の明朗快活な声が、赤坂らの耳に飛び込んでくる。
「それじゃ、次回のご冗談も大いに期待しておりますので!」
 なにごとかと、赤坂が重い首を持ち上げて周囲を見回すと、そこに男の姿はなく、かわりにビジネスカジュアルを曲解した華美な服装の金髪女がそこに立っていた。端整な顔立ちに、モデルのような体系と脚線美はこの現場にひどく不釣合いだったため、イライラとしていた赤坂はなにか嫌味でも言ってやろうかと思ったが、初めて見る人なのでやめておいた。
「おはようございます。もしかして、新しく入った方ですか?」
 想像と異なる丁寧な口調に赤坂は面食らうが、慌てて立ち上がる。
「は、はい。赤坂といいます。よろしくお願いします!」
 金髪女は「赤坂……?」と一瞬訝しげな表情をしたが、すぐににこやかな笑顔へ表情を変え、赤坂に挨拶をした。
「はじめまして、埠頭です。よろしくね!」
 バチン。
 赤坂の脳内で、何かが弾けた音がした。
「なん……だと……?埠頭……?」

     


     

 赤坂がぬらりと埠頭の首筋に手を伸ばすと同時に、依代の手刀が赤坂の首筋に放たれ、赤坂は数分間気を失った。
「よい子はまねしないでね!」
「誰に言ってんですか」


 昼食をとる余裕もなく、赤坂はモニタとにらめっこをしていた。
 周りには誰もいない。赤坂を除くメンバ全員が昼食をとるため離席している。この異常事態にのんきなもんだと思ったが、よく考えたら自分でさえ昨日までこの状況を知らなかったのだ。
(上中里さんは一度ヒアリングする必要があるけど、この辺は思い切って依代さんにフォローを任しちゃおう)
 一番まずい状況にあったのが上中里が抱えている案件であったため、まずはそれを優先的に対応する。メンバの中で一番信頼できて、なおかつ作業量に余裕がある依代であれば適任だろう、と赤坂は考える。
(残りは海上さんの分と舞浜さんか……。海上さんの分は私が引き取らざるを得ないとして、舞浜のアホをどうするかよね)
 頭をかきながら管理資料に目を通していると、赤坂はあることに気づいた。進捗管理表に埠頭の名前がないのだ。
(そういえばそうでした。彼女はどの程度働けるのかしら)
以前、依代から埠頭の名前を聞いたときに確認したことがあった。彼女は突発的に休むことが多いため、日をまたぐ作業を振られることが少ないらしい。なんだそりゃ、とそのことを聞いたときは思ったものだが、状況がガラリと変わった現在、当時とは異なる感想を赤坂は抱く。
 赤坂が海上の持っていた資料を漁っていた際、現場にいる各人のスキルシートを発掘することに成功していた。どうやら甲本から受け取っていたものらしい。
 目を通すといろいろな発見があったのだが、一番目を引いたのは埠頭のものだ。経験している言語やDBの種類が尋常ではない多さで、中でもWindowsアプリケーションの開発経験は群を抜いていた。生年月日を見ると同い年のはずなのだが、何をどうすればこのような経歴になるのか赤坂には全くわからない。そもそも彼女は会社にこない人間ではなかったのか。
(ともかく、これを使わない手はないよね)
 博打のような采配だと赤坂は思ったが、なんにせよ方針を決めて動かないと仕方がない。舞浜のフォローは、とりあえず埠頭に頼むことにする。問題があったらまたその時考えよう。また、埠頭自身への作業は、自分にふられているパフォーマンス改善の作業を渡すことにする。この案件自体は短期間で終わるものだから、海上の作業案件を渡すよりはリスクが低いだろう。今日まで会社に来なかった人間に、いきなり海上の抱えていた膨大な量の工数を任せることなどできない。
 スケジュール遅延の対応策については目処が立ったが、新規案件の量も依然課題として残っていた。海上サブリーダ就任時に「なんとかする」と豪語していた案件量であったが、全くなんとかなっていなかった。それどころか、少し増えているんじゃないだろうか。
「ウボァー。もうやだ」
 思わず声に出してしまう。海上パルプンテが虚しくあたりにこだまする程度の予想はしていたが、まさか魔物を呼び寄せてしまうとは思っていなかったのだ。
 作業量とメンバの数を比較し計算してみるが、どうしても二人分のマンパワーが足りない。埠頭が能力通り力を発揮して、作業量が計算できれば、とも思うが、それでもひとり分足りないし、そもそもまだ信頼するに足りない埠頭を戦力として考慮できない。赤坂は、与えられたコマだけで勝負出来そうにない現状に歯噛みする。
(やむを得ない。あんまりこういう事はしたくないけど)
 赤坂は二つ折りの携帯電話をジャキンと開き、電話帳の「糞虫」フォルダからとある番号へ電話をかける。
「もしもし、甲本課長でしょうか」

     

 赤坂は、やはり頭を抱えていた。
「ごめん上中里さん、今のところもう一度聞いてもいいかな」
 眉間をつまんで、心の奥底から沸き上がってこようとしている怒りのオーラ力をなんとか押さえ込み、当の上中里とは目を合わせずに尋ねる。
「はい、定時になりましたので、その日は帰宅いたしました」
 聞き間違いではなかった。これほど短い文章を聞き間違うはずはないのだが、「定位置担いましたので、孫悟空はキー、タクアン頂きました」という聞き間違いであって欲しかった。赤坂は自分でも何を考えているのかわからなかったが、とにかく頭がどうにかなりそうな状態だった。
「な、なんでその日の作業が終わってないのに帰っちゃうのかな」
「なんで、とはどういう事でしょう。作業指示以外は承っていませんので、定時後会社規定に基づいて帰宅したまでです。上長の指示なく会社に留まって残業時間を計上しろとおっしゃるのですか?」
(ああ、いたよ。こんなところにもモンスターが)
 今後の方針を大まかに決めた赤坂だが、今日中に解決すべき問題はまだ残っていた。このような状況に陥ってしまった原因を探ることである。
 赤坂が管理業務を任されてから今まで疑問に思ってきたことの一つに、プロジェクトメンバに危機意識がなさすぎるということがあった。依代はともかく、誰がどう見ても予定より進捗状況が芳しくない舞浜や上中里が、ニヤニヤしながらネットサーフィンしていたり紅茶をすすって優雅に微笑んでいる様というのは、かなり違和感がある。
 そこで一度メンバと面談をして、認識の齟齬を解消しようと目論んだ赤坂だったが、一人目の上中里から早くも全てを投げ出したい気分になっていた。
 しかし、弱音を吐くのはもうちょっと後にしようと考え直し、食堂のテーブルに投げ出していた両手を膝の上に静かに置き直した。
「あのね、上中里さん」
「なんでしょう」
 ため息を吐いたととられないように、慎重に呼吸して間をとった。現状で彼女へストレスを与えることになんの意味もない。
「別にあなたを怒らせようと思って言ってるんじゃないんです。現状を認識した上で、どうしていけばいいかを一緒に考えたいと思ってる。そのためにはあなたの協力が必要なのよ」
「えっ」
 上中里は、キョトンとした表情で赤坂を見る。もしかしたらこういうことを言われたのは初めてなのかもしれない、と赤坂は思う。この線で攻めれば、落とせるかもしれない。
「だからその、えーと、誰かが傷ついたときには慰め合い、誰かが成功を収めたときにはそれを共に喜び、プロジェクト完遂のためみんなで手を取り合って、この苦難を歓喜に変えてしまおうではありませんか!」
 何故か途中から演説を始めてしまい、我に帰った赤坂は顔を赤くした。目だけで周りを見ると、離れた席で打ち合わせをしていたらしき人々が何人かこちらを見ている。
(なんという辱め、死にたい!)
 天井を見ながら自殺方法を考えていた赤坂がふと視界をおろすと、そこには手を組んで目を潤ませ、口をへの字につぐんでいる上中里の姿があった。
「感動致しましたっ。これほどまでの扇情的なリーダーシップを発揮された方などまったく存じ上げません。どうかこの私目のことは雌豚とでも糞虫とでもお呼びになっていただき、世の終焉まで酷使してくださいませっ」
「いやちょっとおちついて。何言ってんのかわかんないから」
 目に星を浮かべて鼻息をフゴフゴいわせている上中里に、赤坂は危機感を抱く。
「と、とにかく、これから帰るときは私に言ってから帰るようにしてね。作業自体は引き続きやってもらうけど、わからない部分があれば依代さんにきいて。私でもいいけどね。必要であれば残業もしてもらいます、というか今の状態であればそうしないと取り戻せないんだけども」
「はい、わかりましたわお姉さま!」
 妙なキーワードが出てきたので、赤坂は顔をしかめた。
「お、お姉さまはやめてよ。あと、社内では雌豚とかいう不穏当な言動は謹んでください」
「もちろんですわお姉さま。お姉さまのためであれば不当な言葉狩りに屈して辛酸を舐め泥水を啜り恥辱に塗れた拷問で精神を蝕まれることなど問題になりません。必要とあれば最高時速で新大阪東京間を結ぶ新幹線を子犬を救うために生身で止めてみせましょう!」
「それをやめろって言ってんのよ。最後のは何だ、テリーマンかお前は」
 不気味な言動を製造し続ける上中里の口に歯止めをかけようと、赤坂は上中里の両頬を引っ張ってやった。いはいいはい、と言いながらにやけ続ける上中里を心底気持ち悪く思うが、今の彼女の表情が本物なのであれば、彼女の向いている方向もきっと同じなのだろうと思い、少し安心する。
 一緒に考えたいと言った割には、一方的に指示をして話が終わった。
(彼女が望んだことなんだから、いいよね)
 自分の望んだ着地点とは、少しずれていることが気になった。

「いやー、さすが大抜擢の管理職様は、やることが違いますなあ」
 舞浜佐波雄は、食堂の椅子に座るや否や、赤坂に絡み始めた。
「管理職じゃないですよ、手当とかないですし。サブリーダーがどういう立場かっていうのはたぶん海上さんから聞いてると思うんですけど」
「手当てとかんなもんはね、下から見りゃ関係ねえんですわー。なんにしろ上役から命令されることには変わりませんからなー」
 いつもと違ってやけに絡んでくるなと思ったが、赤坂はそれについては言及しない。
「そうですか、わたしになにか不手際があったようなら、言ってくださればできるだけ改善しますけども」
「いやいや、ご立派ですよ。あんたはよくやってるさ」
 なんでいちいちガンダムの台本みたいな喋り方をするんだろう、と思ったところで、赤坂は気がついた。要するにこいつは、真面目に喋れないのだ。理由はわからないが、舞浜の発言殆どから『台詞臭』が感じられる。こういう人間に話をあわせようとすれば、実のない話に面談時間の半分以上を費やしてしまうに違いない。赤坂は舞浜の発言にある『セリフ』をノイズとして認識し、文意だけ汲みとることにする。
「まあそのことは置いておくとして、これを見てください」
 赤坂は進捗管理表を取り出して、テーブルの上に広げた。
「うひょー、赤い彗星がこんなにいたら連邦は塵ひとつ残さず消滅するな」
「他の人のことはどうでもいいんですよ。ここ見てもらうとわかるとおり、舞浜さんの作業は二日分遅れてるんです」
 心臓から『ドキリ』という言葉が飛び出さんばかりに表情を一変させた舞浜は、脂汗をダラダラ流しながら目をそらした。
(よかった、自覚はあったんだな。まあそれでも芳しい状況ではないけど)
 舞浜のことだから、工数を意識せずに作業していた、なんてことを言い出すことかもしれないと最悪のシナリオを想定していたが、どうやらそういった事態は避けられたらしい。
「どうしておくれてるんです?どっかで躓いているとか」
「いやまあ、その、先方が仕様を固めんのに手間取っててさ」
 動揺しているのか、舞浜が普通に会話している。
「そうなんですか?そういうことならこちらからさっさとしてもらうようにプレッシャーかけますから、あとで連絡先教えてください。でもそれは正当な遅延理由のはずなんですけど、リスケされなかったんですか?」
 リスケというのは、リスケジュールの略で、作業遅延や優先度の高い作業の割り込みにより変更の生じた予定を調整することである。正当な理由があるにも関わらずリスケされていない現状に、赤坂は不思議そうな顔をする。
「い、いや、仕様はもう届いてるんだよ。半日位遅れてたかな?」
「え?じゃあ残りの1日プラス半日分の遅れはどうされたんですか?」
「あ、ああ。遅れてきた仕様が最初に聞いてたもんとだいぶ違っててね。しかもアホみたいに複雑で、デバッグに苦労しているといいますか」
 ははーん、と赤坂は思った。要するに舞浜は、実装方法がわかっていないのだ。
 この場合、原因さえわかれば対応することはそれほど難しくはない。しかも今回の場合、赤坂が決めた方針と原因の解決方法が同一解を示している。
「だいたいわかりました」
「えっ、まじで」
 舞浜がいつもの調子を取り戻したかのように大げさな仕草で驚いてみせたが、赤坂は構わず続ける。
「舞浜さんの下に、埠頭さんをつけたいと思います。彼女はプログラミングに関しては腕が立つので、ある程度任せても大丈夫だと思います。でも基本的にこれは舞浜さんの作業なんで、彼女に投げっぱなしにするとかはやめてくださいね。ロジックは自分で説明出来る程度の理解をしておいてください」
「えっ」
「えっ」
 舞浜が驚いたので、赤坂が思わずオウム返しをする。
「どうしました?埠頭さんが下だとまずいですか?」
「いや、そうじゃないけどさ」
「え?じゃあなんです?」
 舞浜は突然、自分の髪の毛をくるくるしながらモジモジしだしたので、赤坂は単純に気持ち悪いと思った。
「あいつさ、なんか……怖くね?」
「さて、面談は以上です。作業に戻ってください。あと定時前には私に進捗報告をするようにしてくださいね。メールでなく口頭で。必要であれば残業をしていただきますので」
「お、おい。これ結構重要なことだって!」
「わかりましたよ。本人にはそれとなく言っときますから。早く作業に戻ってください」
「ほ、ほんとうだからな!たのむよまじで。あいつフラニーをやった時のカテジナより迫力あるんだからな」
 赤坂がハイハイわかりましたといい加減に相槌を打つと、舞浜は恨めしそうに赤坂を見ながら食堂を後にした。
(残るはあの金髪の悪魔ね)

     


     

 今日中にメンバ全員との面談を終わらせて、明日の朝会で今後の方針を説明し、無いに等しいプロジェクトの士気を高める、というのが、赤坂未尽が立てた計画である。
 舞浜の後に面談を行った依代には、上中里へのフォローや、今後多少無理してもらうかもしれないことを告げ、了承を得ることができたから、きっとその後の埠頭との面談も問題なく終わるものだろうと、赤坂は考えていた。
「これってさ、海上さんの分をあたしが引き取った方が良くない?なんでツッキーが抱える必要があんの」
 埠頭はテーブルに広げられた進捗管理表を眺めながら、赤坂の作業割に疑問符を呈した。
「え、ツッキーってわたしのこと?」
 赤坂が本筋とは離れた部分に反応する。
「そうだけど、気に入らない?御大将とかの方がいいかな」
「私はギム・ギンガナムか。まあなんでもいいわ」
 赤坂は意図的に会話を脱線させていた。海上の作業の件で真意を埠頭に悟らせないようにするためである。
「その件については依代さんとも話してるから心配ないよ。かわりと言ってはなんだけど、今途中までやってる私の作業を引きとってもらうから」
 赤坂はそう言うと、依代から転送されたメール内容を出力した紙を埠頭が見やすいようにテーブルへ置く。
「このパフォーマンス改善案件はプログラム修正もなくてインデックスを追加するだけだから簡単だよ。ただデータを用意してテストをするのが面倒だけど。わからないところがあれば私か依代さんにきいてね」
「ふーん、なるほど。了解」
 資料に目を通して簡単な説明をしただけだったが、埠頭はある程度理解した様子で、フムフムと頷いている。
「けどさー。まじであたしが舞浜の相手すんのー?あいつの相手するのすごい疲れるんだけど」
 埠頭が赤坂の方針に対して苦言を呈してくるが、言い分は最もなことだと赤坂は思う。
「私が課長と顧客との折衝の二重苦の中戦っていることを思い出しながら、もう一度その件について考えてみてください」
 赤坂が『相対的に見ればお前の悩みなど小さなもんだ』などという意図の発言をするものだから、埠頭も売り言葉に買い言葉で乱暴な発言をしてしまう。
「あたしだって、日々睡眠欲やら勤労意欲減退による眠気やら食後突如襲い来る瞼が上から下に下がって意識が飛びそうになる現象やらの三重苦と戦ってんのよ」
「それ原因一つだし。どんだけ眠いのよ……ああ、そうだ」
「なに、まだなんかあんの」
 埠頭がいつもけだるそうにしている半目をさらに細くした。
「明日からちゃんと朝から来てくださいね。朝会しますから」
「ええー」
「ええー、じゃないですよ。さっき『心を入れ替えてこれからはちゃんと会社にくる』って言ってたじゃないですか。なんだったんですあの決意表明は」
「朝から来るとは言ってない!」
「偉そうに言うな!」

 面談を終え、なんとか今後の目処もたったところで、赤坂はようやく自分の作業にとりかかる。自分の作業といっても、今日からとりかかるのはもともと海上が抱えていたものである。
スケジュールは3日遅れていたが、ボリュームとしてはそれほど大きなものではなく、作業完了日までまだ時間があったので、多少頑張れば取り戻せる、と赤坂は考えていた。
 実際、作業はトントン拍子で進み、一日目でほぼすべての修正作業が終わった。
(複雑なケースのデバッグは全部終わったから、明日残りを全部やればオッケーだね)
 一息ついたところで、コーヒーカップを手にとる。ホットで入れたはずのコーヒーは、既に冷たくなっていた。
「おつかれさま。今日は一日大変だったわね」
 依代の声に、赤坂は肩をすくめた。
「今なら落雷が真横に落ちても驚かない自信がありますよ私は」
「うふふ。死んじゃったら驚けないけどね。ところで、時間は大丈夫?」
 依代の言葉に赤坂はハッとして、PCの時刻をみる。
「アーッ、まっずーい!私帰りますね!」
 走っても終電に間に合うかどうか瀬戸際の時間だったため、赤坂は大急ぎで帰り支度をし、嵐のようにビルを飛び出した。

 終電にはなんとか間に合い、日付が変わって三十分ほどした後、赤坂は帰宅した。浴室でシャワーを浴びながら、一日のことを振り返る。
(いろいろあったなあ。びっくりするくらい、濃い一日だった)
 赤坂は、これまでにない特別な経験をした、と思う。この現場に入ってから毎日そんな事だらけのような気がするが、今回起きたことはこれまでのものを遥かに上回る爆発力があったと思う。
(こんなスリル、頻繁に味わいたくないけどね)
 浴室から出てふと携帯電話を見ると、依代からメールが届いていた。

title:今日は大変だったね
本文:あれだけ無茶を言われたのによくがんばったね。私もできるだけサポートするから、いっしょに頑張ろう!

 メールの本文ですべてが報われたような気がした。赤坂は嬉しすぎて、「一生ついていきます」という文章の後に常軌を逸した量のハートマークをつけてしまったが、ハートマークが百個を超えたところで我に帰った。
(こんだけハート入れたら、変な子だと思われちゃうわよね)
 トランス状態からもとに戻った赤坂は、ハートマークを二十個くらいに減らしてから、メールを送信した。

 翌日、赤坂はいつも以上に上機嫌で出社した。睡眠時間が短かったのにもかかわらず、とても寝覚めが良かった。この調子ならうちのプロジェクトも余裕で完遂よね、というようなことを本気で考えているような心理状態だったから、鼻歌を口ずさみながらエレベータに乗り込んでいたし、それを見た周りの人が変な目で見てこようと全く気にならなかった。
 作業場のドアを開けると、既に出社していた依代の周りに人だかりが出来ている。自分の席の前にまで多くの人がいたため、人ごみをかき分けて自席にたどり着くと、深刻そうな依代の顔が視界に入ってきた。
「どうしました?すごい人がいますけど」
「ああ、赤坂さん。実はね」
依代が振り返らず、キーボードを操作しながら、告げた。
「うちの担当している箇所で障害が起こっています。過負荷でDBが落ちちゃったみたい」
「ええっ!」
 赤坂は生まれて初めて、驚いた拍子にカバンをおとすという漫画のような貴重な体験をした。


つづく

       

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Neetsha