Neetel Inside 文芸新都
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COLLAPSERS
五、雨を見たかい

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 ゴールデンウィークが過ぎ、春の暖かさもようやく安定してきた。
 雲は多いが、その隙間を縫うように太陽は顔を出している。
 新入生が入ったからか、バドミントン部も本格的に活動をし始めた。とはいっても「本格的」の示す指標が他の部と比べて天と地ほどの差があり、今日は三人だけしか活動していなかった。
 北市と木下はコートの中で打ち合っていた。久しくラケットを握ったせいか動きはぎこちなく、たまに空振ったりしていた。
 丹下はその横で黙々と素振りをしていた。振り抜く瞬間に、振り切れないでいた過去の失敗や過ちを断ち切るかのように。「お母さん!」と呼んだら知らない人だったことや、学校で糞をもらして、そのせいでいじめられたこと。しばらく経って腹いせに他の人をいじめたら、その人はもう学校に来なくなったこと。なりたくないと思っていた奴に、自分はなってしまったこと――
 彼は気付いたら声を上げていた。それは最初は小さなものだったが、ひとつひとつ素振りをするごとにだんだん大きくなり、ついには叫んでいた。彼ははじめこそ羞恥心を持っていたものの、しまいには自分の感情に身を任せていた。
 木下は呆然としてその様子を見ていた。北市は「ものすごいやる気だ。来週の練習試合に出してみても良いかな?」と感心していた。



 一方、部室では谷川と篠原がポテトチップスをつまみながらおしゃべりをしていた。
「この畳のシミは何なんですか? 誰かジュースをこぼしたとか」
「ああ、これは西口が吐いたんだ。あいつはよくどこでも吐くからな……教室でも、職員室でも。体育館でも五、六回くらい吐いたかな。学校にあまりこないのが唯一の救いだが。今日も来てないしな……」
「うへえ」篠原はシミから避けるように移動した。
「まあ吐いたのは半年くらい前だから、そんなに気にしなくていいよ……俺はもう慣れてるし」
「大丈夫なんですかね? この部活」
「何が」
「いやだって、みんな言ってることが何かおかしいですし。北市先輩とか、西口先輩とか」
「そのうち慣れるだろう」
「いや、そういう問題じゃなくて……なんかみんな、病んでるというか後ろ向きというか。普通じゃない感じがするんですけど」
「そうか? まあ、普通の人から見たら異常に見えるのかもな……俺は異常だから普通に見えるけど」
 谷川はそう答えた。二人はお互いの間に何か越えることのできない壁があるように感じた。
「ところで」篠原は言った。「先輩は部活に行かないんですか?」
「そう言うお前はどうなんだ」
「面倒くさいからいいです」
「そこだけは、俺も同感だな……」



 ポテトチップスが無くなり話の種も尽きたので、篠原はマンガを読み始め、谷川はイヤホンをつけて音楽を聴き始めた。
 日は傾いてきたが、外はまだ明るい。誰もいない教室にも、部活動生たちが汗を流す体育館にも、そしてこの部室にも焦げくさい匂いとともに西日が入り込んでくる。グラウンドで活動する人たちにとっては邪魔でしかない西日の眩しさに、篠原は妙な懐かしさと少しの背徳を感じていた。
 部室の上からぽつりと音がした。その音はたちまち四方八方に広がり、二人のいる空間を包み込んだ――天気雨だ。
「アァァイワナノオゥッ、ハヴユゥエヴァアシィンザルェイィン」谷川が急に歌いだしたので、篠原は驚いて彼の方を見た。
 極限まで引き締めた喉の奥から搾り出したような、しわがれた声だった。
「クァミンダウゥン、オンサアァニデェイ」
「先輩? 何ですか、それ」
「ん、ああ、これはクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『雨を見たかい』だ。天気雨の歌。多分お前もCMかなんかで聞いたことがあるだろう……」
 谷川はそう言ってイヤホンを篠原の方に向けた。篠原はそれを耳につけて聴いてみた。
「あ、これ、車か何かのCMで流れてたやつですね」
「だろ? 俺はこの歌が好きなんだ……」
 イヤホンの奥からは、哀愁を帯びたしわがれ声が聴こえる。篠原はイヤホンを外して言った。
「それにしても、歌うまいですね」
「ああ、まあ俺は軽音楽部にも入ってるからな。ヴォーカルをやってる」
「え、そうなんですか。部長なのに?」
「部長といっても、形だけだからな……実際は幽霊部員みたいなもんだ。軽音の方を主にやって、暇なときにバド部の部長をやってるって感じ」
 谷川は言った。
(つくづくこの部には幽霊が多いな。西口先輩の言ってた「みんな幽霊だ」ってのも、あながち間違いじゃないのかもしれない。自分も幽霊になってしまうのだろうか? それともただ気付いてないだけ――)
 篠原はそう思って、やめた。西口の言葉を本気にした自分を恥じながら。
 雨はいつの間にか止んでいた。



 部活が終わり、丹下と篠原の二人は一緒に帰ることにした。
「なあ」篠原は尋ねた。「部活面白かった?」
「ん、結構楽しかったよ」
「そうか。俺は何もしないのが一番楽しいんやけどな」
「その気持ちは分かる。何もしたくなかったら何もしないのが一番やから」
「やったらお前は、何かしたかったから練習しよったんやろうな」
 篠原は言った。丹下は言われて初めて気付いた。
(自分は何がしたくて練習をしていたのだろうか? 後悔や不満、怒りをぶつけるため。何にぶつける? いや、誰にぶつける? 相手がいなくちゃいけない。この心に渦巻く負の感情を誰かにぶつけないといけない。篠原とか身近な人じゃ駄目だ。ぶつけても後腐れのない、赤の他人が必要だ――)
 彼はこのような結論に達した。そして自分の目標ができたことに素直に喜びを感じていた。
 また雨が降り出してきた。しかし、彼はもうそんなことに気に留めることはなかった。


 

       

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