Neetel Inside 文芸新都
表紙

アンダンテ&スタッカート
第四話「来訪と電話」

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 それは日常に割って入るように僕の目の前に現れた。
 やけにぐっすりと眠りに着くことができたからか、その突然のけたたましく何度も鳴り響くそのチャイムを聞いても僕は不快感をさほど感じることはなかった。睡眠のよく取れている人間は意外と精神的に余裕がでるのかもしれない。
 僕はやけにすっきりとした頭を視界で周囲を確認した後にベッドから降りて玄関へと向かった。昨日冷蔵庫から出しておきながら、一度も手をつけることのなかったビールが寂しげに部屋の中央に置かれている机の上に、どっかりと腰を落ち着けている。このビール缶には悪いことをしたなと思いつつ、急かすように鳴り響くチャイムへと意識を戻した。
「そんなに鳴らさなくても聞こえているよ」
 鳴りやまないチャイムにそう返答を返してから僕はノブを回し、ゆっくりと押し開ける。こういう変な客の際はまず覗き戸から様子を確認するべきなのだろうが、どうにも僕にはこれが“そういった類の客”ではないように思えたのだ。勿論これは僕の感覚的なものであり、ではそれを理論的に説明してみせろと言われれば僕は口を噤み、その場に立ち尽くすだろう。
 結局は自分の命なのだ。不用心で死ぬのならそれもまた運命なのだろう。
 扉を開けた先に立っていたのは、何の変哲もない女性だった。いや、特徴を挙げろと言われたならば挙げることのできる部分は幾つだってある。赤みのかかったショートボブにくりりとした丸い瞳。柔らかそうな印象を感じる、良い具合についた肉。存在を強く主張している胸。身長はそれほど低くはなく、これで肉を削いで不健康的なまでの痩せかたをしたならばどこぞの雑誌に載っていてもおかしくはないかもしれない。
 僕が彼女を何の変哲もない、と称したのは、僕が考えていた客人が遥かに現実離れしていたからかもしれない。ここ最近の死神といい、少し妄想癖がついているのかもしれないと僕は顔を渋らせた。
「……どなたさまですか?」
 そして目の前でじいと僕を睨みつける彼女に対し、やっと言葉を投げかけた。
「同窓会にいたのに、貴方は全く私のことを覚えていないのね」
 彼女は不機嫌そうにそう呟き、そしてまあいいわとその呟きを自己完結に終わらせると僕を押しのけて部屋へとあがりこんでいく。
「突然来てそれは、流石に人として失礼ではないかな?」
 彼女は何も言わない。そして名乗らない。同窓会の参加者というからには多分彼女は僕と同じクラスであり、そして彼女の方が僕を覚えているとするとそれなりに仲は悪くはなかった子なのかもしれない。
 全くここまで高校時代の記憶がないと一種の病気なのではないかとさえ思う。三年前という膨大な中のごくわずかな時間で僕はどれだけのものを失っているのだろうか。いやはや、それを生きてきた内でというワードにカテゴライズした場合、最早把握することすら面倒な数になりそうだ。
 ずかずかと人の部屋へと前進していく彼女の小さな背中を眺めながら僕はそんなことをぼんやりと考えてみる。今彼女を背中から抱きしめてみたらどんな反応をするだろうか。意外と良い反応をしてくれるような気がしたが、所詮は“気がした”程度の考えだ。実際は悲鳴を出されて終わりだろう。
 彼女は周囲を見回した後に、一言「……いない」と呟いた。
「……君は人の家に突然上がりこんで何をするつもりなんだい?」
 暫く味気ない男一人のワンルームの真ん中で部屋を物色していた彼女に、僕はそう問いかける。
「私が突然抱いてとでも言うような風景に見えるかしら?」
 彼女は無表情のままそう言う。
「そんな美味しい出来事が待っているような状況でないことくらいは分かるさ」
 僕に嫌悪感を抱いているかのような視線を投げかける彼女に対して僕はそう返答すると、溜息混じりに薬缶に水を入れて火にかけ、そして棚からティーカップを二つとパックを二つ、そして傍にスティックタイプの砂糖を添える。
「とりあえず、お茶でもどうだろうか。君の口からはっきりと状況説明が欲しいんだ」
 暫く彼女は警戒を覚えた時の毛を逆立てる猫のような視線でこちらを見つめていたが、やがて敵意はないと見たのだろうか、無言のままテーブルの前に正座で落ちついたのだった。

   ―アンダンテ&スタッカート―
   ―第四話―

 紅茶の香りが部屋中に手足を伸ばす頃には彼女もすっかり落ちついていて、先程のイメージはどこえやらというおとなしげな少女へと姿を変えていた。
 彼女は紅茶を啜りながら時々こちらをちらりちらりと盗み見てはまたティーカップに口をつけていた。はじめからこういった姿で来ていたならば印象は変わっていたかもしれない。
「それで、君がここに来た理由は?」
「……美紀です。木崎美紀」
 彼女は紅茶を置くと視線を落としながら、静かに言う。木崎、というところで僕はやっと記憶に積っていた埃を振り落とすことができた。
 三島奈々子とよく一緒にいた少女の名が確か、その名前だった。
「ああ、三島と仲の良かったあの木崎さんか」
 忘れたのね、と彼女は言っていたが、別段木崎美紀と実のある会話をした覚えはない気がするのだが。いや、もしかしたら忘却の彼方にごっそりとその記憶を置いているだけで、案外探してみれば出てくるのかもしれない。
「その奈々子……三島さんについてなんです」
 彼女は空になったカップを置くとまた両手を膝の上に乗せる。やれやれ、やっと本題へと入れるかと僕は安堵を胸に抱いた。
「同窓会から彼女、行方が分からなくなっているんです」
「やけについ最近だが……連絡もつかないのかい?」
 木崎は頷く。ということは彼女は僕と別れてからすぐに消えたということだろうか。いや、同窓会の日からということは自然とそういう結論に至るだろう。
「携帯も何度電話をかけても受け取る気配がないんです。もしも落としたのならもしかしたら誰かが反応することがあるかもしれない。けどそれすらなくて……」
 それは不思議な状況だ。と僕は腕を組む。いや、しかし携帯が反応しているのならばその場所を突き止めるのは容易かもしれない。その可能性を心中に収めつつ、僕は口を開いた。
「GPS機能がついてる携帯なら……」
 その言葉で、彼女の表情がすうと晴れた。僕は気にせずに続ける。
「それで、その行方不明になる前に帰路を共にしていた僕の下にいるのかもしれない。もしくは酔った勢いでそういった行為に及んでいるかもしれない。そういうわけで君はここを訪れた。それでいいかな?」
 頷く。
 まったく、そんな考えで突然やってきて扉を開けられて部屋で上がりこまれたのか。僕としては非常にいい迷惑なのだが……。
 彼女は僕の言葉を聞いてすっかり安心したのか、表情を緩ませてテーブルに身体を預けている。その仕草だけ見ていれば十分に可愛いと思えるのだが、いかんせん出会い方が悪かった。彼女に好意はおろか、興味の念ですら抱ける自信がなかった。
 彼女は少し“異常”だ。そんなことを現実へと吐き出せばまた、面倒なことが起こる気がするので喉元にとどめておくが。
「とりあえずうちにはいないよ。あの後はすぐに彼女は帰宅したとばかり思っていたからね」
 そう言うと彼女は立ちあがり、そして僕に手を伸ばす。ああ、言いたいことは分かるが、そんなことに付き合うほど僕はこの事象に興味が起こらない。
「せめて、携帯を見つけるところまでは助けてくれません?」
「謹んで遠慮させていただこうか」

   ―――――

 彼女が不満そうな顔で部屋を出ていって、やっと世界はまたゆるやかに流れ始めた。踏まれて無残な姿となった掛け布団を直し、空となったティーカップを丁寧にお湯で洗うと乾燥機に叩きこんだ。あとは何か片付けるべきことはあるだろうかと周囲を見渡してみる。どうやらこれ以上荒らされた点はないようだ。
 そうして一人頷いた時だった。
 がこん、とポストに物が入る音がした。
 その音が、何を示しているのか、何故だか僕にはすぐに分かった。
 スタッカートだ。
 跳ねる記号のついた表記が、またしても僕のこの世界に姿を現したのだ。
 僕はゆっくりとした足取りで玄関へと向かうと、恐る恐るポストを覗き込む。
 そこには、あの時と同じ手紙が一つ、無造作に入っていた。勿論また前回と同じ封筒で、あり、その手紙からはまるでそれが当たり前であるかのように桃の香りがしていた。
ああ、また君かと僕は微笑み、そして封筒の縁を破いて中身を覗き込んでみる。
――手紙。
 丁寧に記されたその“彼女のものではない”コンピュータで打ち込まれたかのように正確な筆記体。
――貴方は関わらなくてはならない。
 それは一体、僕に何をさせようというのだろうか。少なくとも彼女ではない何か(僕自身が彼女と思いこんでいるだけでけして彼女ではありえないだろう)は僕に“何か”をさせたがっている。
 そしてこの一連の状況をはっきりと把握しているうえでの発言であり、それはきっとあの時三島奈々子の言わんとしていたナニカを確実に掌握している人物だ。ソレは僕をゆるりと手招きし、そして深い深い深淵へと引きずり込もうとしている。
「さて、どうしたものか」
 僕はその手紙を丁寧に畳み、封筒に入れると一通目を放り込んであるキッチンの上から二番目の棚(偶然何も使っていない場所であった為ここを使用している)へと丁寧に仕舞いこむと引き出しを閉じる。
 途端に僕の周囲はやけにざわめきを覚え始める。いや、単に僕自身が今の状況を把握しきれない為に起きた一種の混乱状態がそうさせているのかもしれない。全く、僕はどうやら落ちついているような“素振り”を見せながらも、内心は大分麻痺しているようだ。
 僕はここでやっと自分がまだ寝間着であり、髭はおろか顔すら洗っていない状態であることに気づく。なるほど、落ちつかない原因の一つはこれか、と僕はなんとなく鼻で笑ってみた。しかし感覚が落ちつく気配はなかった。

 寝起きから随分とスッキリしていた意識だが、身の回りを整えてみると意外とそれは“つもり”であったということが分かった。冷たい水を浴びた後の視界は寝起きよりも遥かに広がったし、麻痺していた感覚がほぐれてきたからなのか、そういえば結局僕は紅茶を飲んだだけではないかと空腹に気づく事も出来た。
 トーストを二枚焼いて、それにバターを塗りたくってさくり、さくり、と香ばしい音を孤独の空間に響かせながら僕はこの日初めての食事を採った。なんだか二枚では足りないような感覚もあるが、それも“本日”二杯目の紅茶を飲んでみると案外落ちついた。
 さて、僕の周りには色々と整理しなくてはならない出来事が山積みのようだ。だがそれのどれを手にしてもその積み上げられた山は崩れてしまいそうなのだ。まるで穴だらけになったジェンガのように、それはとても不安定に思えた。そしてこれが崩れてしまうと大分厄介だという感覚も僕の中にあった。
「さて、留まるが吉か、動くが吉か……」
 僕は剃ったばかりのするりとした肌触りのよい顎を撫でながら考える。感覚を整理するにはまだ時間が必要、というよりも出来事が必要そうだ。事件が起きて欲しいと思うつもりもなければ、巻き込まれたいという願望もないのだが、こればかりはどうも“起こってもらわないと困る”タイプのもののようだ。
 暫くベッドに腰かけていたが、しかし事というものが起きる気配は全くもって感じられない。さて、僕はこの“ジェンガ”をあえて崩すという方向を選ばざるを得ないのかもしれない。そんな思考が生まれ始める。
 その時だった。枕元に無造作に置かれていた携帯が呼び鈴を鳴らし、バイブレーションで己が存在を誇張し始める。
 僕は手を伸ばして携帯を手にすると通話ボタンを一度だけ押し、そして口を噤んだまま耳に当て、相手の言葉を待つ。
『――明良か?』
「やあ、ユキヒト」
 甲高い声がいつもより低いところからして、彼もまた知っている人物なのだろう。
「かけてきた理由は大体分かっているよ」
『……三島のことなんだが、お前何か知っているのか?』
 僕は首を振る。最も、それが彼に見えているかと言えば「見えるわけがない」わけなのだが。
「ついさっき僕の家に乗り込んできた子がいたからね。その子に色々聞かせてもらった」
『誰だ?』
「木崎美紀さん……だったかな?」
 ああ、と彼は一度納得と溜息の入り混じった声を漏らした。その様子だと、彼女が失踪した際に彼女が最も早く動くだろうと感づいていたようである。
「今から会って話せないかな?」
『ああ、大丈夫だ。というか俺もそのつもりでお前に電話をかけたからな』
 どうやら考えていることは同じ様であったし、互いに整理をすべき立ち位置にいる存在ではあるのだろう。
 同窓会を開いた主催者と、三島奈々子と帰路を共にした参加者。そしてその彼女を探す木崎美紀。
ぐらりと不安定になっていたジェンガ台に、棒が一本挿しこまれた。先程まで倒れそうであったその思考がたった一人の電話によってここまで安定することになろうとは……。
「なら僕は支度をしてから家を出るよ。駅前のカフェで良いかい? それなら三十分もあれば到着する」
 それでいい。ユキヒトはそう言うと軽い挨拶の後、通話を切った。
 特に準備をするべきこともないのだが、大分安定した思考で物事を考える時間が欲しかった。実質のところこの我が家から駅まで十分もかからないし、荷物といっても支度は済ませてあるわけで、あとは鍵と携帯と財布をポケットに忍ばせ、軽いジャケットを羽織ればいつでも出かけることはできる。
 僕は冷蔵庫からコーラのボトルを取り出しキャップを開けると、それをそのまま思い切り煽る。
 突然の刺激は視界をすっきりとさせることに一役買ってくれた。
時間はまだ数分ある。
 さて、まずはこの脳裏にちらつく白髪でハンサムな死神の処理について考えるとしようか。

   つづく

       

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Neetsha