Neetel Inside 文芸新都
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クロヒツジ
Rpund1 「黒羊」

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   Round 1「黒羊」

 俺、真下順一郎(ましもじゅんいちろう)が四課(マル暴)の刑事になって十年、今までこんな事件を受け持った事はなかった。
 単なる極道同士の抗争ならそれこそ、傷害事件の証拠を立てる事ができずとも、今取調室の机にどかっと脚を下しているチンピラを決闘罪か、もしくはあのド派手なアロハシャツの中に仕込んでるであろうチャカなり短刀を理由にでもして銃刀法違反で引っ張る事もできたのだろうが。
 本来ならここで俺がボールペンを走らせている被害届も供述調書、つまりは被害者ではなく被疑者のものであって欲しい物なのだが、そうもできないのはあまり声を大にして言えない理由がある。
 それは、この篠田(しのだ)というチンピラが新都会系鬼凡組という主に経済系の凌ぎで活動している極道の息がかかってる人間である事に起因する。
 とはいえ篠田は正確には鬼凡組の構成員ではなく、ただのチンピラだ。
 警察官、ましてや刑事四課に所属する刑事ならばこの極道の構成員候補の若造が怪しいと思えばなおさら否応なしに逮捕に持ち込まねばならないが、俺と鬼凡組の若頭との間に協力関係があるからだ。
 俺がそれなりに成果を出し、三十二歳にして警部補の地位まで行く事が出来たのも、若頭が邪魔だと思う人物の排除のために横流ししてくれる裏の取れた情報による物だ。つまりは、ギブアンドテイク。若頭は邪魔者がいなくなり、俺は成果を上げる事ができて順調に出世してきちんとした飯が食えると、そういった関係だ。
 この篠田という男は、若頭傘下の者が目を掛けている構成員未満、つまりはまだただの一般人。その立場を利用したかったのだろう、有末が持ちかけてきたのは鬼凡組に関わる者を次々と襲っている人物の排除だった。
 黒羊(くろひつじ)。
 それが鬼凡組の連中の間で囁かれている犯人の通称だった。
 それで今、この篠田という男の被害届を受理している所なのだが、その話を聞いていると奇妙さを感じてしまう。
 とはいえ、若頭の有末が持ち込んできたこの事件が何故奇異なのかと言えば、その黒羊と言われている奴は極道とは何ら関わりの無い一般人なのにも関わらず、鬼凡組の人間を次々と襲っているという事だけでは無かった。
「で、その襲ってきた男ってのはどんな奴だったんだ?」
 俺が聞くと、ギプスで固められた鼻をふがふが言わせて、篠田が喋った。
「高校生のガキだったぜ。学ランを着てたから間違いねェ。頭がこんなでかい感じの奴だった」
 篠田がパンチパーマに丸めた頭の上を、両手で雲を描くかのように広げる。
「冗談のつもりか? 今時、そんなもじゃもじゃ頭してる奴が高校生なんかしてる訳ないだろ」
「嘘じゃねェよ。あんな目立つ頭、忘れられるはずがねェ」
「それにもう一つ気になる事がある。お前、本当に高校生にやられたのか?」
「……コスプレ野郎にやられたと言いたいのかよ。ありゃ間違いなく高校生だァ」
「高校生が極道を辻斬りねぇ……」
 歯が何本か抜けて強面の顔を醜悪にさせた篠田が自信満々に言い放つのに、俺は「いまいち信じられん」と呟きつつ被害届に筆を走らせ、締めの言葉を書き終えて篠田に見せる。
「この内容で間違いないな。じゃあ、そこに住所と職業と名前を書いてくれ。職業は無職で良いからな」
「刑事さん、ちょっと待てよ。俺はヤクザっていうちゃんとした仕事してるぜ。ウィキペディアにだって職業欄にヤクザが項目に入ってんだぜ?」
「馬鹿野郎、司法書類の上じゃヤクザは無職で書くんだよ。それにお前は鬼凡組の構成員じゃないだろうが。お前、何かそれ以外の仕事はやってんのか」
「やってない」
「じゃあ、無職じゃねぇか」
 ぶちぶちと文句を言う篠田を半ば強引に捲し立て、署名指印させる。
「今日はこれで終わりだ。ほら、さっさと帰んな」
「一時間もこんな書類書くのに付き合わされて、そりゃ無いんじゃねェの?」
「馬鹿野郎、本当に刑事事件になったら一時間程度じゃ済まないんだ。俺もこんな成果になりそうもない紙っきれなんか書きたかないさ。本来なら、少年課の仕事なのを俺が書いてやってんだ。わかったら、さっさと帰れ」



 篠田の話によると、その勝負は一瞬だったらしい。
 喧嘩をふっかけた篠田は即座に鼻っ柱に拳を受け、次の瞬間には根を上げて懇願していたそうだ。「許してくれ、俺が悪かった」と。
 涙を流し、情けない声を上げているのを屈辱に思うよりも先に、喧嘩をふっかけた相手が悪かったと後悔していたらしい。
 篠田が一心に額を舗装されたアスファルトに擦りつけている相手というのは、篠田よりも五から七歳は年下。ひょろい、細身で眼鏡かけたガキという話だった。
 その容姿は、一見すれば『奇妙』の一語が浮かぶような物だったらしい。
 ブロッコリーが学制服を着ている――
 そう形容できるような少年の容姿からは、服の上からは隆々とした筋肉が浮かんでいるような感じもなく、実に大人しいという言葉が似つかわしい風貌だったそうだ。
 ただし、その頭に被さった、黒い羊毛のような雑木林を除いては。
 アフロヘアに眼鏡、そして学制服。これほど珍妙な者を見た覚えは篠田には無かったらしい。だからこそ、彼に視線が行ったのだろう。
 パチンコにつぎ込む金さえも無かったらしく、篠田がそこいらにいる子供から巻き上げようと考え、丁度目に彼についたのが運の尽きだったという所か。
 財布を出すように脅したが、その時ガキは薄く笑みを返すだけだったという。
 それは嘲る物でも無ければ、恐怖から助けを乞う物でも無く、ただ自信に満ちた不敵な笑みを返してきたのだという。
 その見下した態度に苛立ちを覚え、篠田は彼に殴りかかった。
 しかし、その瞬間には勝負が終わった。
 その時に受けたパンチはどのような物であったかを覚えていないらしい。
 「ただ俺が言える事は」と、篠田が声高らかに言ったのは拳が「速い」ということ。そして「恐ろしく威力がある」
 この篠田という男、喧嘩の腕にまるで覚えが無いという訳では無かった。
 新都会系鬼凡組の鉄砲玉。つまるところ、極道の武闘派の派閥に顔出しして抗争に参加した経験もあると篠田は自称している。真偽の程は定かではないが、どちらにせよ、そのガキのパンチを見切る事ができなかったという事だけは確かだ。
 いや、正確にはそれがパンチであったかどうかさえもわからなかったらしい。
 鼻に衝撃が走った瞬間には、鳴った風切り音とわずかに右拳を戻す動作が見えた事から判断しても、ぶらりと下げていたはずの右手で何かしらの攻撃を受けた、とだけしかわからなかったのだそうだ。
 それは喰らった篠田が、「見事」としか言い及ぶ事ができない程の技だったという事なのだ。
 石のような硬い何かが鼻っ柱にぶつかったかと思うと、気が付けば視線はネオン街の華やかな明かりに照らされた夜空を仰いでいた。
 つまりは一撃。
 しかも鞘から引き抜かれた刀が一瞬で敵を斬り伏すが如く、一撃で技が放たれ篠田は倒された。
 篠田が今までに味わった事無く、感動さえ覚える程のその攻撃、まさに「一撃必殺」「瞬速の居合い」等々の言葉を俺が脳裏に浮かばせていたのは言うまでもない。
 手品の類でも無ければ、小手先の技術でした物でも無い。
 それは洗練された技なのだろう。
 その時、篠田はその技の正体を知りたいと思い、ガキに言ったそうだ。「ただのガキじゃねえな。さっきのは一体何だ? どこの格闘技だ?」
 ブロッコリー頭は、篠田の問いに不敵な笑みを返したらしい。
「格闘技? ルールに縛られてやってる連中と一緒にされたくないね。俺のは本物だよ」
「本物?」
「殺るか殺られるか、ルール無く全てが許される。そういう理念の下じゃなけりゃ、戦う事に価値は無いんだよ。あんた、手を出す相手を間違えたな」
 確かにな、そのガキの言う通りだ。
 ガキに手を出す程度の身の程知らずじゃ、本当に”やってる”奴に敵うはずもない。
 呆れてしまう話だが、篠田はその時こう返したそうだ。
「じゃあ、おぼえていろよ。今度はお前を殺してやる」
 篠田は大マジに言ったらしいが、当の言われた方は、篠田の啖呵を冗談を言われたと思ったか一笑に伏したそうだ。
「あんたじゃ俺は殺れないよ。それより――」
 その後に続く言葉は逆にガキから篠田への質問だったらしい。それに答えられなかった篠田は、ガキの蹴りを一撃喰らった。それもかなり速い蹴りで、篠田は顎をかすめ取られたらしい。
 正確に脳を揺らすのを狙ったのだろう。相当な手練れという所だろうか。
 物の見事に篠田は失神して、アスファルトをベッドにして一夜を明かしたという事らしい。
 そして今、俺にその話をしていたという訳なのだが、はてさて、なかなか面倒くさくも面白いことになってきたじゃないか。
 俺もその黒羊と呼ばれているガキに興味が湧いてくるってもんだ。
 そう思わせてくれたのは、黒羊が篠田にした質問の中身だ。
「関東喧嘩最強の男、剛田ってのを知らないか?」
 

       

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