「……?」
しかし、いつまで経っても女の背中には何の痛みも訪れなかった。
女は、一瞬の痛みも感じることなく溶かされてしまったのだろうかと思ったが、その手に残る確かな温もりを感じてその判断を否定する。
手の感覚は、ある。
嗅覚も視覚も触覚もあるあるある。
ならば何が起きているのか。
試しとばかりに薄目を開けてみるが、目の前には依然として死に体の男が横たわっていた。かろうじて上下する胸を見て、死んではいないのだけは確認した。
女はもし、ここが天国だというのだったらひどい冗談もあるものだと思っていた。
「抱き合っている最中に邪魔でしたか?」
背後から聞こえてきた新たな声にビクリと肩を震わせた女は、声に反応するようにして今の状況を見直し瞬間沸騰湯沸かし器でも使ったかというくらい瞬時に頬を朱に染め、もはや虫の息だった男の体を突き飛ばす。
「ゴフッ」
突き飛ばされた男は、それが止めだといわんばかりに盛大に吐血する。
「あらら、困ったものですね。『ヒール』」
女の背後からあきれたような声でそう聞こえたかと思うと、倒れていた男と女の体が暖かい光に包まれた。
するとどうだろうか、決して軽症とはいえなかった二人の傷が見る見るうちにふさがっていくのだ。
「詠唱なし?! いや、高速詠唱?!」
何とか息を吹き返した男は地面で寝転んだまま、女の影で見えない奥の声の主に問いかける。
「そんなに珍しいものでもありませんよ」
きわめて平坦な声だった。あまりに普通に答える声を不思議に思い振り向くと、そこで始めて女は気づく。いったい何が起こっているのかをだ。
「嘘……」
なんと女の後ろにいた男は、大きな剣を片手で持ち、盾にするようにして自分達を守っていたのだった。
しかも、涼しげな顔で。
「見たところ、ここに来るのは少し早過ぎるようにお見受けしますね」
にこやかな声でそう言われてしまい、二人とも言葉をなくして地面とにらめっこをするしかなかった。
「あ、いや、責めている訳じゃないんですよ。よくある事です」
そんな男の言葉に二人はまったく救われた気がしなかったが、それでも何とか自分達を励まそうとあたふたとする男を見ているとどうしても笑いがこみ上げてきた。
「な、なんですか。笑うとは」
「い、いえすいません」
クククと笑いをかみ殺しながら答えた女は、改めて男を見た。
小さな背中に大きな剣、使い込まれたのだろう小さな傷がいくつもついたプレートメイル。
そして、長い耳に黒い肌。
「ダ、ダークエルフ?」
「あぁ、皆さん私を見るといつもそんな反応ですね」
少しうんざりとした様子で答えた男は、剣を持っていない方の手でエルフ特有の長い耳を照れ隠しのように弄る。
「ま、長話は良いんです。そんな事よりお二人に質問があるのですが」
「あ、俺もあります」
ここで倒れていた男が声を上げた。
「何でしょうか? できれば手短にお願いいたしますね」
「あ、はい。いやね、何で俺たちを助けてくれたんですか?」
口元の血をぬぐいながら、その疑問を口に出した。
「あぁ、それは都合が良い質問だ」
ダークエルフの嬉しそうな声に二人は首をかしげた。