Neetel Inside ニートノベル
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 吸血鬼ハンターの日常


 狩人の朝は遅い。
 獲物である吸血鬼が夜行性であるため、基本的に狩りは夜に行われる。故に狩人は昼夜が逆転した生活になりやすい。ユウもその例に漏れず、起床が遅かった。
 目を覚ますと間髪いれずに上体を起こす。寝ぼけ眼で時計の方を見やると、短針が二の文字のやや下を指していた。
 ベッドから完全に起き上がると、洗面台へ。鏡には昨夜狩りをした時と同じ格好の自分が映っている。帰宅してすぐに眠りこんでしまったのだ。ユウは衣服と装備を全て脱ぎ捨てると、戦闘時と睡眠時にかいた汗の臭気を纏いながらバスルームへ入った。
 レバーを回すと、頭上にセットされていたシャワーヘッドから冷水が頭上に降りかかる。ユウはそれを避けることなく全身で受け止めた。細身ながら引き締まった筋肉質な身体がみるみる内に濡れていく。冷水が降りかかるたびに身体が、そして筋肉が小刻みに震える。僅かに残っていた眠気が急速に冷めていくのを感じ、ユウは大きく目を開いた。
 冷水は次第に温水へと変わり、それと同時に身体の震えも収まる。シャワーが適温になったことでユウの表情が少し緩んだ。
 右手で脂ぎった黒髪をかき上げると腕に張り付いた水にバスルームのライトが反射し、三角筋と上腕二頭筋――よく鍛えられ小山のように隆起している――が艶やかに光った。
 次いで左腕を上方に動かし、両手で髪に指を通していく。男性にしては長い頭髪に無骨な指が沈み、真黒な海を泳いでいく。
 髪をかく手が後頭部まで動くたびに、鎧のように鍛え上げられた背筋が露わになる。胸部、背部、腕部、腹部、脚部……人外の怪物を狩るために鍛え上げ我が物にした鋼のような筋肉の隆起を伝い、温水が滝のように下へと流れていく。
 一通り全身を濡らして温めた後、シャンプーがユウの太くて癖の少ない頭髪を覆い始めた。黒かった頭部が白い泡で覆われていく――――


 身体を洗い終えてバスルームを出たユウは、全裸のままリビングのソファに座り込んだ。テーブルの上の携帯電話に手を伸ばし、着信の確認をする。電話もメールもない。つまりは仕事はないということ。
 ユウは自分の部屋を見回す。リビングには今座っているソファとテーブル、壁に掛けた時計と小さなテレビだけ。
 仕事がないと途端に手持無沙汰になってしまうのがユウだった。彼は仕事に生きている、つまり吸血鬼を殺すためにだけに生きているのだ。仕事が今の人生の全てであり、他には何も求めない。
 だからユウはいつも休みの過ごし方に困るのだった。
 身体を休める必要最低限の時間があれば、残りの時間は全て仕事に当ててもいいという考えだが、常に狩りの獲物がいるわけではない。吸血鬼の数は決して多いわけではない。もしも毎日仕事をしなければならないほど吸血鬼が跋扈しているのなら、この世界はとうの昔に滅茶苦茶になっていただろう。
 だからこうして暇を持て余す休日が必ずあるのだ。むしろまっとうな社会人よりも休日は多いかもしれない。
 こういうときユウはまず最初にテレビを点ける。そして適当に色々なチャンネルを見てみるのだが、面白みを感じることができずにすぐに消してしまう。 
 家の中にいても仕方がない。
 ユウは衣服を着ると、すぐに仕事が入っても対応できるようにいつもの黒コートを羽織り、外に出た。
 向かった先は近所の喫茶店だった。薄暗い店内には物静かなクラシック音楽が流れてる。客入りは多いが、そのほとんどが高齢者だった。
 ユウが店の扉をくぐると「いらっしゃいませ」とマスターの低い声で迎えられた。痩せた初老の男だ。物腰の柔らかそうな顔つきをしている。
 新聞を手に取り、カウンター席に。ここ最近、ユウはこの喫茶店で暇をつぶすのが習慣になっていた。いつもと同じ席に座り、いつもと同じコーヒーを啜りながら新聞や本を読む。
 普段は一、二時間ほど何かを読みながら静かに過ごしているのだが、今日は少し違った。
「兄ちゃん、最近よく見るね」
 一席分離れた場所に座っていた男がユウに声をかけてきた。洒落た喫茶店の雰囲気に合わない寄れたジャケットを羽織った中年男性。年齢は四十代あたりか。
 ユウは言葉を返さず、顔を男の方へと向ける。
「そんな恐い顔するなって。別に喧嘩売ってるわけじゃないんだから」
 へらへらと笑いながら、男は席を詰めてユウの隣へ移動してきた。
 何やらうっとうしい奴に絡まれたな。ユウは自分も隣へ移動してまた一席分間を空けてやろうと思ったが最初から一番隅に座っていてこれ以上逃げる場所がないので、静かにため息をついた。
 話していれば楽しいかどうかはともかく暇つぶしにはなるだろう。ユウは観念して男の言葉に答えた。
「俺に何の用だ?」
「これといって用があるわけじゃねえんだけどな。ほら、ここの客ってじいさんばあさんばかりだろ? おいマスター、そんな嫌そうな顔するなって。悪く言ってるわけじゃねえよ。で、ここで若者を見るのは珍しいからな。ついつい声をかけちゃったってことだよ」
 話に応じないほうがよかったか……と早くもユウは後悔し始める。マスターの表情がこの男の面倒くささを語っている。
「兄ちゃん、平日の昼間に来ることが多いよな。仕事は何してるの?」
「あんたには関係ないと思うが」
「いいじゃないの、それくらいさ」
 吸血鬼ハンターとは口が裂けても言えない。かといってうまい嘘も思いつかない。それに言葉を濁してもこの男は引き下がらないだろう。
「夜の仕事だよ」とだけ、ユウは答える。
「へェ! ホストか何かかね。どおりで!」
 何か合点がいったようで、男は手をぽんと叩いた。
「どういうことだ」
「いや、兄ちゃんのその格好に納得いったのさ」
 男はユウの黒コートを指さした。
「俺はあんまり詳しくないからよく分からんが、やっぱりホストっていうのはそういう漫画やアニメみたいな服着てカッコつけなきゃいけないんだなあ。大変だね、兄ちゃんも」
「……いや、そもそもホストではないんだが」
「あれェ、そうなの? じゃあなんでそんなコート着てるんだい。何かのコスプレ? それともちゅーに病ってやつかい? あれ、ちゅーに病であってたっけマスター?」
 マスターは「私に聞かれましても……」と首を横に振る。
「これはコスプレでもよくわからん病気でもない」
「ああ、そうなの。でもそのコート、趣味悪いぞ」
「…………」
「あれ、怒った?」
「怒ってはいないし、好んで着ているわけじゃない。これは仕事着のようなものだ」
「これがァ? こんな服を着てする仕事なんてホスト以外にあるのかい」
「そもそもホストはお客さんのようなマトリックスっぽい格好はしないのでは? 私もホストという仕事には詳しくないですが」
 マスターが口を挟む。
「とにかく、ホストから離れたらどうだ」
 ユウはうんざりしながら言う。この時点で彼の脳内は男との会話に応じたことへの後悔で埋め尽くされていた。
「しかし、そんな格好をしなきゃいけない仕事なんてないだろう兄ちゃん。素直に自分の趣味だって認めなよ」
「趣味じゃないと言ってるだろう。これには防刃機能があってそれで――」
 ここまで言ってユウは自分の失態に気づく。ここまで言ったらより仕事のことについてしつこく聞かれてしまう。防刃機能のあるコートを着なければいけない仕事など素人には思いつかない。男の好奇心を刺激するに違いない。
「なあ、兄ちゃん」
 さて、どうするか。相手の返答に備えてユウは思考を巡らせ始め――
「そういう“設定”なのかい?」
「…………」
「やっぱ兄ちゃんはちゅーに病ってやつだろう。こじらせ過ぎじゃないか。もう大人なんだから――」
「マスター、勘定を」
 男の言葉をさえぎるようにして、ユウは立ち上がった。
「あれ、怒った?」
「怒ってはいない。でもあんたとの会話には飽きたよ」
 レジで会計を素早く済ませるとユウは足早に扉へと向かっていく。
「おい兄ちゃん、待ってくれって」
 ユウは男の言葉を無視し、扉に手をかけた。
「おいおい無視かい。やっぱ怒ってるじゃん」
「怒ってないと言ってるだろう」
 強い語調でそう言い残すと、ユウは店の外へ出ていった。扉についた鈴がからんからんと音をたてた。
「面白い兄ちゃんだったな。また話したいもんだ」
「もう二度と来てくれませんよ、彼。あなたのせいでね。……常連だったのに」
 店長のため息が店内を漂った。

       

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