Neetel Inside ニートノベル
表紙

ナイト・ワーカー
第五夜 復讐の果てに②

見開き   最大化      

「まるでニートだ」
 黒皮のソファに腰かけ、ナイフの手入れをしながらユウはつぶやいた。
「もう一カ月近く仕事をしていない」
 テーブルの上には九本の銀製ナイフ。ユウが今手に持っている一本を合わせた十本が彼の仕事道具だ。自分の命を預ける物であるが故、その手入れは欠かさない。とはいえ今日で二回目の手入れであり、今行っているのは暇つぶしのようなものだった。
「平和ってことだよ。いいことじゃないの」
 ソファから少し離れたところから、凛とした女性の声。
「このまま一生吸血鬼が出てこなければいいんだけどねぇ。その方が私は楽でいいよ」
 ユウの上司にあたる吸血鬼ハンター、葉子だ。吸血鬼と人間の混血、ダンピールであり吸血鬼狩りのスペシャリストである。が、そうとは思えぬだらけた姿勢で椅子に座り、ノートパソコンのディスプレイを見つめている。彼女もやることがないようでネットサーフィンをして暇をつぶしていた。
「そうなったら俺は死ぬしかないじゃないか」
 ユウは手に持っていたナイフをテーブルに置き、また別のナイフを手に取る。
「仕事をくれ」
「言えば出てくるようなもんじゃないんだよ」
 そう言って葉子は大きなため息をついた。ユウは仕事に……吸血鬼を殺すことにしか生きる意味を感じられない。葉子は彼の中の歪みを憂う。どうにかならないものか、と。
「これ以上暇が続くと頭がおかしくなりそうだ」
「あんたは頭がおかしくなった方が幸せになれるかもよ」
「どういうことだ」
 ユウは作業を止め、葉子の方へと顔を向ける。
「別に。お姉さんの独り言」
 葉子はユウの顔も見ずに答えた。
「近いうちに仕事が回ってくる可能性はあるよ。一応ね」
「ほう」
「別の地区で吸血鬼が出たみたい。あそこは狩人が一人だけだからもしやられたりしたらこっちに声がかかってくるかも知れないよ」
「助っ人か」
「あっちもプロだからしくじることは――」
 葉子の言葉をさえぎるように、卓上にある電話が鳴った。葉子はすぐに受話器を取る。ユウと話している時よりも引き締まった声での応答。仕事の話のようだった。
 通話を終え、受話器を静かに置く。同時に「やれやれ」とため息交じりにつぶやいた。
「仕事だよ。まさか本当にしくじるとはね」



 夜の海は真っ暗だった。月明かりと海岸線の電灯の光で人の顔の判別程度なら可能だが、足元がはっきりと見えず歩くのに慎重になる。
「足元に気をつけて。流木やゴミに躓くかもしれないから」
 白いパーカーを着た男が自分の前方を歩く女性に注意をかける。
「大丈夫だよ。ほら、もっと海の方に行こうよ」
 女性は軽快な足取りで波打ち際まで近づいた。こんな暗いのによくそんなに早く歩けるな、とパーカーの男は彼女を見て思う。彼自身は足元に不安を感じて早歩きするのが精いっぱいだった。
 少し遅れてパーカーの男も波打ち際へ。女性は既に靴を脱いで膝から下を水に浸からせていた。押し寄せる小波が膝よりも上を駆け抜けるようにして濡らす。
「スカートが濡れないように気を付けなよ、美菜子」
「平気。浩介もこっちにおいでよ」
「ちょっと待ってて」
 パーカーの男――浩介はジーンズの裾を膝のあたりまでまくると、靴を脱いで彼女――美菜子の元へ。
 季節は初秋。冷たい海水に浩介の身体が軽く震える。
「寒くない?」
「ちょっと寒いかも」
 浩介の問いに美菜子は笑いながら答える。
 静かな海だった。聞こえるのは波の音と時おり海岸線を走り抜けていく自動車の音。そして二人の声だけ。この浜辺には他に誰もいない。
 浩介は何も言わず美菜子に手を伸ばす。彼女も無言でそれを握り返した。
 ロマンティックだな、と浩介は思う。ずっと朝までこうしていたい。
 しばらく沈黙が続いたが、美菜子が小さな笑い声でその静寂は破れた。良い雰囲気だったのに一体どうしたのかと思い、浩介は美菜子の顔を見やる。
「ごめんね浩介」
 何度も笑い声を上げながら、美菜子は言った。
「静かな時間が続くとなんだか笑いがこみあげてきちゃって」
「なんとなく分かるかも」
「でしょ」
 美菜子が身体を浩介の方へと向ける。二人は向かい合わせになり、そして見つめあう。
「こうして笑っちゃうのは浩介といるのが楽しいからだね」
 満面の笑みを浮かべて美菜子は言った。
 ――――――――
 ――――
 ――
 美菜子の笑顔が薄れていき、茶色の壁が浩介の視界に現れた。
 ぼうっとしながらその壁を見つめる。次第に意識がはっきりしていき夢を見ていたのだ、と気付く。
 浩介は身体を起こして周囲を見回す。木製の薄い壁で仕切られた小さな個室。黒く薄いマットレスにデスクトップパソコン。ネットカフェの座敷席だ。あの後、浩介はここで日光を避けながら休息をとったのだ。
 気だるい身体を動かして個室を出ると、トイレで顔を洗う。眠りから覚めた頭で昨夜のことをゆっくりと思い出す。
 ナイフを避けた後、すぐに拳を顔面に叩きこんだことで狩人は倒れ、戦闘は終了した。
 浩介は自分を吸血鬼にした“親”から事前に吸血鬼ハンターについての忠告を受けていた。そのため、実際に対峙した際も何とか冷静に対処することができたのだ。
 しかし、狩人は一人だけではない。また新手が浩介を殺しにくることは間違いないだろう。次も昨夜のように倒せるとは限らない。相手は人外狩りのプロフェッショナル、むしろ殺される可能性の方が高いと言える。
 浩介は自分の意思で人間をやめたのだ。死ぬのは、殺されるのは構わない。そういった覚悟はしている。だがそれは復讐を遂げた後に、だ。
 奴らを殺すまで、絶対に死ぬわけにはいかない。この復讐心が、唯一の原動力であり今の浩介の全てだった。
 僅かな手荷物をまとめ、浩介はネットカフェを出る。
 日は沈み、空には一面の黒とその中に点在する数多の星が世界を包み込むようにして広がっている。
「さあ、俺の時間だ」
 燃えるように熱く夜空よりも黒い感情が浩介の足を動かした。



 薄汚れた水色の外装をした四階建てのマンション。その入口に浩介は立っていた。並んだ郵便受けの中から目当ての名字を確認する。三○三号室、三原。事前に調べた情報通りだった。 浩介はゆっくりと階段を上っていく。虫が群がる電灯の光が一面を真っ白に照らしていて眩しいほどだった。
 太陽光ではないが微妙な不快感を覚え、自分の身体が化け物として変質を続けていることを改めて実感する。
 四階に差し掛かるというところで扉を開閉する音が浩介の耳に届いた。無意識のうちに歩みが早くなる。
 廊下に出ると、十数メートル離れたところに扉に施錠をしている男が見えた。浩介の視線がその男の顔へと向けられる。
 全身の毛穴が開かれる感覚。男の顔を認識した瞬間、浩介は顔は紅潮して全身に力がみなぎってくるのを感じ取った。
 奴だ。……奴だッ!
 施錠を終えた男――三原は棒立ちしている浩介を不審げに見ながら階段の方へと近づいてくる。そしてすれ違う瞬間に、三原もこちらの正体に気付いた。
「お前……」
 まさか自分の目の前に現れるとは思っていなかったのだろう。三原は数歩後ずさり、浩介かた距離をとった。
「どうしてここが分かった!?」
「調べればそれくらい分かるよ」
 浩介は興奮する自分を押さえながら静かに言った。
「問題はどうしてこの場所が分かったのかじゃなくて、どうしてこの場所に来たかだろう?」
 浩介は一歩踏み出し、距離を詰める。それに反応し、三原も一歩下がった。
 俺におびえている……? 浩介は三原の表情を見ながらまた一歩前に出る。顔を少しひきつらせながら三原もまた同様に一歩下がった。彼の眼球がきょろきょろと動き、浩介を観察しているようだった。
 三原が自分におびえていることに高揚感を覚え、浩介はさらに距離を詰めようとする。しかし三原は後ろにまだ逃げるスペースが残っているにも関わらず後退するのを止めた。
「お前、俺にボコボコにされたのを忘れたか?」
 そう言って三原は浩介に殴りかかった。先ほどの視線の動きは浩介が何か武器になるものを持っているかを探るためだったのだろう。確かに浩介は何も武装していない。
 浩介は自分の顔面に飛んできた拳を表情を変えることなく左手で受け止める。そしてそのまま三原の拳を握りしめた。万力のように拳を締めあげられ、三原の表情が痛みに歪む。
「覚えてるよ」
 空いた右手で三原の手首を掴む。
「あの夜のことは全部覚えてる。だからこうしてお前を殺しに来たんだろうが……ッ」
 左手を捻り、後ろに引く。浩介の視界を赤い飛沫が埋め尽くす。耳には断末魔の叫びが濁流のように流れ込む。
 左手の触覚に伝わる肉と骨を引きちぎった感触が浩介にえも言えぬ充足感を与えた。



 事を終えて冷静になった浩介は、自分の身体を見て「まいったな……」とつぶやいた。パーカーは返り血で真っ赤になって元の白い布地がほとんど残っていなかった。もうこれは着れないだろう。
 視線を自分の衣服から床へ移す。足元には血だまり、そこに浸かっているのは達磨のようになった三原とその胴からもがれた四肢。
 浩介の動悸が激しくなる。最初は凄惨な死体のグロテスクさに気分が悪くなったのかと思ったが、そうではなかった。その視線は死体ではなく血に注がれている。少しして鮮血に魅せられているのだと自覚した。
 当たり前だ、浩介は吸血鬼なのだから。闇夜の眷属にとって血は極上の美酒、それを目の当たりにして飲みたいという欲求が出てくるのは必然と言えた。
 昨夜殺したときはその欲求も弱かったが、日が経つことでそれは気付かぬふりをできないほどに膨れ上がった。
 飲みたい……。
 浩介は無意識のうちに身体を屈めて顔を血だまりに近付けていた。長い舌が血だまりに伸びる。が、階段から響く足音で浩介は我に返った。慌てて立ち上がり、階段の方へと振り返る。
 現れたのは警官だった。浩介とそのそばに広がる惨劇の跡を見て驚愕の声を上げる。
「う、動くな!」
 警官は声を震わせながら拳銃を取り出そうとホルスターに手をかけた。だが、その時すでに浩介はこの場かた逃げるための行動を開始していた。
 即座に跳躍し、廊下からマンションの外へと飛び出す。三階という高さだったが、吸血鬼にはその程度の高さは問題にならない。着地と同時に大きな衝撃が浩介の両足を襲ったが、それなりの痛みを感じるだけで足そのものにダメージはなかった。
 この時点で余裕を持って逃げるだけの距離を稼ぐことができたが、冷静さを欠いた浩介は必要以上の力を振り絞ってその場から走り去る。
 一般人に見られることを考慮していなかったのだ。気をつけるのは吸血鬼ハンターだけでいいいと、そう思っていた。
 恐らく三原を叫び声を聞いたマンションの住人が警察に通報したのだろう。浩介は殺すことに夢中になりすぎた。
 体力の限界が来て、浩介は転ぶようにしてその場で仰向けになる。無我夢中で逃げた先は見知らぬ路地だった。人気はなく、すぐそばで自動販売機が周囲を照らしている。
 ゆっくりと呼吸を整え、気持ちを落ち着ける。徐々に体力が回復して冷静に思考できるようになる。
 警官に見られたのはまずかった。が、今どうこう考えたところでどうしようもない。それに殺すべき人間はあと一人だけ。自分が犯した殺人で大騒ぎになることは間違いないが、あと一人殺すだけなら何とかなる。
 だから大丈夫だ、と浩介は自分に言い聞かせる。それに警官に見られたこと以上に大きな問題があった。
 喉の渇き。血を飲みたいという欲求だ。
 浩介は吸血鬼になったとき、血を飲むことだけは絶対にしないと決めていた。復讐のための力を手に入れるために吸血鬼となったが、化け物にはなりたくなかったのだ。だから、血を吸うことなく復讐を遂げ、そのまま自殺するつもりだった。
 だが、自制が困難になるほど血に対する欲求は膨れ上がっていた。今この時点でも浩介は喉が渇いて仕方がなかった。
 起き上がると財布を取り出して自販機でジュースを購入。あっという間に飲み干す。
 血を飲んだら俺はきっと完全に怪物になり下がってしまう。それだけは絶対に嫌だ。少しでいいから人間らしさを残して全てを終えたい。それが浩介の悲願。
「血を飲んでたまるか……」
 意思を強く持つために思いを口にしながら、浩介はまた自販機に手を伸ばす。

       

表紙

山田一人 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha