Neetel Inside ニートノベル
表紙

僕の妻はラブドール
第2話 愛の表現は人それぞれ

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 三月も半ばを過ぎ、次第に気温も上がり始めてきていた。そろそろ春眠暁を覚えずという寝坊の言い訳が活躍する季節であり、そんな春うららかな季節が僕は一年の中で一番好きだったりする。まあ、ニートである僕にはそんな言い訳も季節もあまり関係ないのだが。
 隣に目をやると僕の腕の中で妻の美雪さんが規則正しい寝息を立てていた。どうやら美雪さんは早くも春眠暁を覚えずのようだった。
 そんな美雪さんの可愛らしい寝顔を見ながらこれからの季節について想像するとつい頬が緩んでしまう。春といえばお花見だ。満開の桜の木の下で美雪さんが点ててくれた御茶を啜るのもよし、みたらし団子をあーんしてもらって、うふふ、口元にタレが付いていますよ、ペロリ。なんて周囲の人間が嫉妬の炎で桜の木を燃やすほどバカップルするのも悪くないな。
 そんなことを考えながらカーテンを開くと、春のうららかな陽気が部屋に差し込んで――こなかった。どんより曇天の鬱々たる空気が外に広がっていた。しかも雪まで降っていやがる。はあ、なんだが一気に気分が落ちてきたぞ。
「まあ、雪が降っていますね」
 窓の外の様子を陰鬱な表情で眺めていると、美雪さんの声が聞こえてきた。振り向くと、美雪さんはベッドの中で目をキラキラと輝かせていた。
「はい。でも……」
 実は今日から僕は就職活動をする予定だったのだ。社会の歯車となるべく、資本主義の豚となるべく、そして美雪さんを僕の手で守り抜くべくために。
 まず今日は就職活動の第一歩として、求人フリーペーパを置いているコンビニに行こうと思っていたのだ。しかし、この天気ではとてもじゃないが外になど出る気がしない。いきなり出鼻をくじかれてしまったというわけだ。
「あまり焦らなくてもよろしいんですよ……」
 はぁと嘆息して、窓の外の天気を憎々しげな目で眺めていると、美雪さんは僕の頬に柔らかく温かな手をそっと添えてきた。
「無理をして風邪を引かれては大変ですし、今日はお部屋でゆっくり過ごしましょう」
「美雪さん……」
 美雪さんが僕の妻になってからまだ数日しか経っていない。それなのに、美雪さんはこんな頼りないニートの僕を心配して、いつも笑顔で支えてくれている。僕は、そんな美雪さんのことを愛おしく感じつつも逆に申し訳ないという気持ちにもなっていた。
「私のためにあまり無茶はしないでください……」
「はい……」
 僕はそっと美雪さんの肩を抱き寄せた。
 ――という、キャッキャウフフでペロペロもみもみな妄想が、僕の脳内で絶賛繰り広げられ中だったのです。
 僕の妻、美雪さんは人形、つまりダッチワイフなのです。つまり、今までのやりとりは全て僕の妄想なんです。ドュフフ、サーセンです。
 大きく欠伸をし、一度のびをしてから僕は美雪さんを抱きかかえてベットから起き上がった。今日も僕の前頭葉は絶好調だなー。

「コタツはいいですねー」
 ベッドから起き上がった僕たちはコタツを囲み温かいお茶を啜りあっていた。
 しかし、先日我が家に嫁いだばかりの美雪さんは、湯のみなどの日用品を持ってきていなかったので、僕の湯のみにストローを二本入れて、いわゆるカップル飲みをすることにしたのだ。
 入れたてのお茶をジュルジュルとストローで吸い上げる。ストローで直に口内に運搬されたお茶は、フーフーして温度を調整できないのでかなり熱い。美雪さんは猫舌なのか、照れているのか分からないが、ただ微笑みながら僕を眺めているだけだった。僕としては後者の方が嬉しい。まったく美雪さんは照れ屋さんなんだから。
 ちなみに今現在も運命の赤い糸ごっこ中だったりする。前回も説明したのだが、運命の赤い糸ごっことは、赤い糸で僕をぐるぐると亀甲縛りにして、美雪さんが「女王様とお呼び、この汚らわしい豚が!」と言いながら僕の顔を足蹴にするお遊びである。とても気分がハイになるので読者の皆様にも一度試していただきたい所存でございます。
 本日もそんな素敵で自堕落に人生を無駄使いして過ごしていた。
 部屋にはいつの間にか西日が差し、部屋に備え付けられている時計を見ると午後四時を回っていた。うーん、何時に起きたのか記憶にないがもう夕方か。
 外では学校帰りの小学生たちの「くらえー!」「やったなー!」などという賑やかな声が聞こえてきていた。どうやら久しぶりに積もった雪で雪合戦でもしているようだ。
 僕も昔は妹と雪合戦をよくしたものだ。五歳年下の妹だから、いつも手加減をしてあげて、一方的に僕が雪を投げつけられるだっけだったのだが。それでも楽しかった思い出として記憶に残っているのは、妹が可愛かったからなのか、僕がその当時からマゾだったからなのか、真偽は定かではない。
 そうだ、今度美雪さんと愛の雪合戦をしてみるのもいいなぁ。「美雪さんいきますよぉー。そぉれ」「うふふ、冷たいですぅ」「あはは、もう一丁。そぉれ」「きゃぁ、冷たいですぅ」「まだまだ、そぉれ」「いやーん、冷たいですぅ」……だめだ。何をどう想像しても、立ち尽くしている美雪さんに一方的に雪玉を投げつけるイメージしか湧いてこない。雪合戦は却下だ。
 なんて栓ないことを妄想していると、扉をノックする音が部屋に響いた。
 僕は現在、仕様がない状況下にあるため「どうぞー」と一つ返事で応対すると妹が入ってきた。
「……ドブ、これ」
 数瞬の間をあけて、怪訝な表情をした妹が僕に薄い冊子を差し出してきた。見るとそれは求人フリーペーパーの冊子であった。
「おお、ありがとう。持ってきてくれたんだな。悪いけど、テーブルの上に置いといてくれ」
 実は先程、駄目元で妹に求人フーリーペーパーを持ってきてくれるようメールで頼んでみたのだ。まさか本当に持ってきてくれるとは露ほども思っていなかったのだが。先日のホワイトデーのプレゼントで僕を見直してくれたのかな?
 妹は僕の指示通り、無言でテーブルに冊子を置いた。そして、チラチラと哀れむような、いや蔑むような目で僕を見てきた。なんだ、今日はなにも悪いことはしていないはずなのだが。
「ところでさぁ……」
 じーっと僕の体を見渡して口を開く妹。
「……なにしてんのアンタ」
「なにって言われても……、別になにも」
 特におかしなことはしていないはずだ。僕と美雪さんは先程から運命の赤い糸ごっこをしてるだけだしなぁ。妹の気に障るようなことはしていないはずだ。
「ところでさ、そろそろ運命の赤い糸ごっこやめようと思ってるんだけど、見ての通り手首縛られちゃってるからさ、解いてくれないか?」
 どうやって縛ったものか自分でも些か疑問ではあるのだが、気がついたら僕は赤い糸で亀甲縛りにされていたのだ。まあ、これも美雪さんとの運命の赤い糸の結びが強固なものである証拠なのだろう。強固すぎて、結ぶどころか縛られているのだが。
 しかし、妹は黙って僕を見下ろしているだけだった。
「なー、早く解いてくれよー」
「一生そうしてろ、ゲスが」
 冷たい目で一瞥すると、妹は部屋から出て行ってしまった。なんだアイツ感じ悪いな。
 確かに、大好きな兄が見知らぬ素敵な女性に奪われて、嫉妬してしまう気持ちも分からなくはないのだが、しかしあの態度は良くないだろ。今度一度ギャフンと言っておかないと。いやガツンとか。
「あー、あと、来週お姉ちゃん帰ってくるから、そのキモイのどうにかしときなよ」
 と、出て行ったはずの妹がもう一度部屋に入ってきて一言言い捨てて行った。
 今キモイのと言ったか? 俺のことか美雪さんのことか? 後者だったら許さないぞ。
 さて、このままだと、せっかく妹が持ってきた求人フリーペーパーが読めないからな、やむを得ないが運命の赤い糸を切るか。すいません、美雪さん。決してアナタとの縁を断ち切るとかそういう意味ではありませんので、怒らないでくださいね。ぎゃあ! 僕の顔を踏む足を強めないでください! だがそれが良い!
 はぁ、と嘆息してから、しょうがないので思いっきり力を込めて運命の赤い糸をブチブチと千切っていった。
 しかし、妹のヤツお姉ちゃんと言ったか? うーむ。正直あんまりあの人のこと好きじゃないんだよなぁ。というか苦手なんだよな。僕はどちらかと言えば妹萌えなのである。姉萌えではないのだ。うん、そういう問題ではないのだが。

 翌日、早速コンビニに、履歴書に貼るための写真を撮りに出かけた。本当なら美雪さんと狭い個室に入ってキャッキャウフフしながら撮影したいところだったが、そんな写真を履歴書に貼り付けて面接に行ったら、面接官があまりのバカップルぶりに嫉妬して僕を不採用にしかねないから、今回は大人しく一人で撮影することにした。
 写真を撮り終え、特に用事はなかったので(というか極力外に出たくない)、真っ直ぐ帰宅することにした。家の前で自転車から降りて、庭先の納屋にしまおうと自転車を押していくと、なにやら庭先から男の子の元気な声が聞こえてきた。
 なんだ? 人様の家に不法侵入してきた非常識なクソガキか? まったく、最近の子供は本当親の教育が行き届いてないな。僕がこらしめてやるか。
 足音を消して、そーっと陰から庭の様子を覗いてみると。――そこにはとても凄惨な光景が広がっていた。
「ぎゃははは! 死ねー!」
 庭では一人の幼い男の子が――――美雪さんを標的に雪合戦を繰り広げていた。
 当然美雪さんは一方的に雪玉を投げつけられているだけだ。
「なにをするだァァァァァァァァァァ――!」
 僕は自転車を放り投げ、庭にいるクソガキに向かって飛び掛っていこうとした。
「あらぁ、帰ってきてたのね!」
 しかし、後ろから聞こえてきた声にピタリと動きを止め、ゆっくりと振り返った。
「き、貴様は……!」
 見ると、見知らぬ女性が僕をキラキラとした瞳で見つめていた。
「久しぶり、こーちゃん!」
 そして、見知らぬ女性にいきなり抱きつかれた。なんだ、何が起きているんだ。というかこーちゃんって誰だ?
 鳥肌が、とても嫌な予感の襲来を告げている気がした。ぞわぞわ。
 ん? なんだか背中に熱視線を感じるのも気のせいか? あ、み、美雪さん? いや、これは違うんです、誤解です! なにが誤解なのか自分でも分からないが、本当に嫌な予感しかしてこない。

       

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