Neetel Inside ニートノベル
表紙

短編(フジサワ)
孤独

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孤独


 アダルトビデオってやっぱ嘘臭いわ、と友里子は思いながら、それでもリモコンの停止
ボタンは押さずに、薄ぼんやりとした表情でテレビの桃色動画を眺めていた。節電のため
部屋の電気は消していたが、いや待て一番節電すべきはこの面白くもない映像垂れ流して
るテレビじゃないか? でも、まあ、いいか。関西でそんな必死にならんでもなー、とゆ
るく葛藤してしまうくらい、この深夜に貴重な睡眠時間を削ってまで観る必要性の感じら
れない内容ではあった。
 これがもし、友里子自身で購入した代物であったなら、とっくに停止ボタンを押してプ
レーヤーからディスクを外してパッケージにはめ込み、中古ビデオ屋へ持っていくため紙
袋にでも入れて日頃持ち歩くバッグの中に詰めていただろう。そこまで三分でやる、と友
里子は確信する。
 大体、ヴァギナが美味しいわけがないのだ。それをこの男優はうまい、うまいよと大げ
さに語る。それは女優に対してだろうか、それとも観ている視聴者に対してなのか。うま
いわけあるかと思う。そんなことは一度も言われたことがない。
 良い面を見せるのは大事だと思う。性交経験のない男子がもし初っ端からヴァギナを不
味そうに舐めるビデオを観てしまったら、性への憧れが相当揺らぐだろうことは友里子に
も容易に想像できた。ただ嘘は嘘だ。その夢はハリボテだと思う。それとも世界の何処か
にいるのか、ヴァギナの美味い女性が。いやおらんやろと漠然と思う。
 友里子は欠伸を噛み殺さず、歯磨き粉の匂いがする息を吐き出した。きちんと磨いたは
ずなのに、口臭を消し切れていないように思えた。


 友里子の職場には喫煙所がない。しかしそれではさすがに喫煙者が不憫であるというこ
とで、裏口の不燃物置き場にワックスの空き缶が簡易灰皿として設置されている。友里子
は仕事中一本だけ吸うために毎日裏口に出てくるが、この扱いはぞんざいだと毎回思う。
 アダルトビデオを返すため、友里子は高口という同じ課の後輩を誘って裏口へ向かった。
 高口は中肉中背を体現しているかのような、実に平均的な男性だった。黒縁眼鏡がなか
なか似合う、というより一体化している。たまに眼鏡を外されると冗談ではなく誰だか分
からなくなることがあるくらいに。
 こんな子が。友里子は思う。こんな子がどうして自分にアダルトビデオを貸したがるの
か。同じ男にならともかく、なぜ年上の独り身女に。
 どうっすか、面白かったっすか、と煙を口から吐き出す拍子に話す。その効率の良さは
見習うべきかもしれないと思う。吸って吐いてしゃべるより、吸って吐きながらしゃべる
方が無駄がないに違いない。高口はこの職場で数少ない関東の出身で、スマートに感じら
れるのはその印象もあるのかもしれない。
「基本的に、いつも面白くはないよ。社会勉強って感じ」
「マジっすか、勉強になるんですか?」
「なるよー。なんていうの、男性の性的嗜好が見えてくるというか。テクニック的なもん
はどうでもええけども」
 それ学び取ったとこで試す相手いないしな、と思ってしまうのは悲しいだろうか、いや
そうでもないと打ち消してしまうあたり、友里子は自分の衰えを実感せざるを得なかった。
昔の自分はもうちょっと貪欲であったように思えてならなかったのだ。ビデオソフト入り
の黒い袋を差し出しながら寂しさを感じる自分がおかしかった。
 そうかーと間抜けそうな声でつぶやきながら、高口は袋を受け取り、そして新たな袋を
友里子に差し出した。
 ああ、またか。またこの奇妙なやり取りは続くのか。


 アダルトビデオにも色々あるなあ、と友里子は暗い部屋で独りごちる。今日のビデオに
出てくる女優は、昨日と比べて随分幼い雰囲気があった。それでも眉間の小さな皺とか身
体の緩さなどから、どうやらそれなりに年齢を重ねてる人だと類推された。世の中は虚構
だよ男性諸君、とほくそ笑みながらも、なんで自分が笑顔になったのかが分からなかった。
 友里子も最初は、この女優がどういう経緯で道を踏み外したのか、それとも自ら望んだ
のか。芸能事務所のスカウトマンにはそれ専用のがいると聞くしな、どちらにしても見え
難い世界だし、そもそもそんな見たくもないな、と相も変わらずもうろうとした思考を取
りとめなく泳がせていたが、やがて飽き、最終的にはただ目で映像を追っているだけにな
っていた。
 たかぐっちゃんはなにがしたいのだろうか。あたしにこれを見せて、そんでどうゆうレ
スポンスを期待しているのだろうか。理由は一応想像出来ていた。しかしそれはいくらな
んでもおこがましいだろう自分、と遠慮深く確信に至る道を強引に閉ざしたままでいた。
 もう三四になるのだ。高口とは年が離れすぎている。
 何より、友里子はもうこれ以上日々の睡眠時間を削りたくはなかった。これさえなけれ
ばもう二時間多く眠れるのにと思うと、胸の中に憤りのようなものが押し寄せてくるのだ
った。


 裏口で先に高口を待っていた。友里子は慎重に周囲を見渡す。他には誰もいない。さす
がに職場でアダルトなパッケージを片手に喫煙している女、と知られてしまうと、最悪辞
めることさえ考えなければならなくなる、という恐怖からだった。
 はやいっすね先輩、と高口が呑気そうな声と態度で現れた。本題に入る前に、友里子は
煙草を終わらせてしまおうと急いで吸った。午前中のうちに一本使ってしまったのはあま
り歓迎すべき出来事ではないが、午後になってしまうとエネルギー切れを起こして、人と
面と向かって話すのさえしんどくなりそうなのだった。
「あんな、たかぐっちゃん、これだけ言わして。迷惑なのよ」
 友里子はあえて、パッケージを裸のまま高口に渡した。
「これ観るために睡眠時間削んの、しんどい。たかぐっちゃん若いし分からんかもしれん
けどあたしくらいになるとある程度寝とかんとしんどくなんのよ」
 そうっすか、じゃあやめます、と高口は関東人らしいあっさりさで言ったので、友里子
は拍子抜けしてしまった。あまり響かない子なのかな、と一瞬思った。高口は唇をつぐん
で、そして小さな声で言った。
「正直、俺もしんどいです。どうしていいのかわかんないんす」
 元々高口はシャイな方だ、と友里子も感じ取っていた。それは友里子でなくとも同じ課
の人間であれば、皆分かっていた。高口は分かりやすい男だった。
 そんな男にしては勇気のある行動だったのだ。ここ最近の友里子に対する一連の行動は。
 言いたいことをはっきり言えないからしんどいんだ。でも、一言言うだけの方が、毎日
毎日アダルトビデオを貸すよりはるかに楽ではないか。なのに、なにを間違ってこんな回
り回って目的地から遠ざかるような行動を取り続けているのか。
 可愛いっちゃ可愛い、と友里子は思う。しかし目に余る未熟さは罪だとも思う。
「今日、昼飯どこで食べる? 食堂?」
 高口は頷いた。訊くまでもなく、高口が一食五百円の食堂で、大概誰とも会話すること
なく昼食を摂取しているのは知っていた。高口から人に話しかけるようなことは基本的に
ないようだった。
「そしたら今日は外に行こうよ。美味い中華屋知ってるから。おっちゃんおばちゃん、仲
悪いけどな」
 友里子も独りで食べに行くことが多いので、孤独には変わらなかった。

       

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