殺伐JAPAN

殺伐JAPAN


 さつばつ【殺伐】:(平気で人を殺傷するように)気風が荒荒しいこと。
(出典:岩波国語辞典 第五版)


※ ※ ※ ※


 選考試合を楽々くぐり抜け、俺は殺伐オリンピック代表の座をつかみ取った。
 嬉しいかと訊かれれば、そりゃ、嬉しいですと答えるさ。だって金になるのだもの。他
の代表選手の中には金より名誉を尊んでるのもいるみたいだけど、そんなのは知ったこっ
ちゃない。俺は金がもらえればいい。金だけあればいい。メダルは要らない。金が欲しい
です。
 そもそもなんだ殺伐オリンピックって。まるで意味が分からない。辞書を引いて調べて
みたけれど分からない。気風の荒荒しさを競うのか。世界各国の強豪殺伐マン達が。そん
なものに名誉があるか馬鹿も休み休み言えと言いたくなるが言わない。金が欲しいんです。
 競技の内容は、日本代表に選ばれてるし当然分かっている。でもなんでこんなこと競う
のかがさっぱり理解出来ない。一番大事な根っこの部分だと思うが本当にさっぱりだ。で
も金がもらえるからいいの。おかしくても黙ってるの。私は貝になるの。
 殺伐オリンピックの日本代表選考は、とにかく金がかかっていた。
 まず、ウルトラマンのミニチュアセットを巨大化させたような偽物の街を作った。この
時点でどれほどの金が天下り団体に落ちていったのか想像もつかない。
 そしてそこに参加希望者をまとめて放り込む。希望者は大抵金も学歴も職歴もない底辺。
そして俺もその中の一人だった。
 ランダム配置後、街に鳴り響いたアナウンスがルールを伝えた。それは極めて単純明快
だった。分りやすすぎて心の中の俺は笑い転げていた。
「手を出したら負け」
 それだけだった。本当にそれだけ。俺には街が希望に包まれて見えたんだ。
 後で調べたら、殺伐というのはどうも心と心のぶつかり合いというニュアンスであるら
しい。なんとなく、冷戦のイメージが浮かぶ。要は相手に自分をぶん殴らせれば勝ちとい
う、それだけのゲームだった。そしてこれ以上なく俺に向いたルールだった。
 俺は生まれた瞬間から人に殴られるのが得意な人間であった。母親の膣から抜け出たほ
んの5秒後、とり上げた助産師の熱い往復ビンタを食らった時点で運命は決まっていたの
かもしれない。助産師は俺の命を助けようとしてくれていた、のではない。単に俺のこと
がムカついたから叩いたのだ。余程のどや顔だったのだろう。
 そんな助産師のお陰か、俺には相手をキレさせるツボが分かる特技が身に付いていた。
相手の姿を見ただけで、どこをどう弄れば怒りが爆発するか把握出来る。小学生の時分馬
鹿であったので、そこに在ると分かっているのに敢えて地雷を踏みに行って何度も酷い目
にあったものだった。懐かしき記憶。子供の喧嘩による骨折の回数としては、おそらくギ
ネス級だったろう。あの数々の痛みは忘れようにも忘れられない。女子のパンツが透けて
見える能力を与えて欲しかったと選考試合に参加する前までは思っていた。今はあの時の
助産師をハグしたい気持で胸が一杯だった。相当な高齢であったのでもう彼岸へ旅立たれ
ているかもしれない。また逢おう。
 閑話休題。俺は特技を駆使して道行く選手達に殴られまくり、たくさんのライバルを脱
落させた。試合終了を迎えたときには、もしかしてパッキャオのワンツーを何度となく喰
らったのではないだろうかと錯覚しそうなほど顔面が腫れていたが、即日で2,000万
円が入金されたのでどうでもよくなった。


 殺伐オリンピック自体は嘘故障でバックれてやろうかと思っている。殺伐オリンピック
規約を読んだ限り、欠場したからといって選考試合の賞金を返還する義務はないようだっ
た。
 なにせ今度は世界が相手だ。俺の特技が日本人以外に通用するかは未知数だし、よしん
ば通用したとしても外国勢のパワーの前には俺の身体など豆腐のようなもの。事切れた状
態で首にメダルが掛けられる、なんて漫画の最終話みたいな展開は御免被る。2,000
万もあれば暫くは遊んで暮らせる。それでいいじゃあないか。金メダルとれば5億円らし
いけどそれは高望みが過ぎるというものだ。命あっての物種とも云うしなあ。
 明日、殺伐オリンピック日本代表――マスコミは殺伐JAPANと名付けた――は記念
すべき、ではない第一回大会の開催国リビアへと旅立つことになっている。気が早いこと
に、羽田空港では既に300人を超えるキチガイどもが殺伐JAPANのお見送りのため
集結しているのだという。羽田空港も前日からの泊り込みを容認。「お前ら揃いも揃って
おめでたい頭してんな!」と笑顔で言い放ちたくなってしまう。これは言ってしまっても
いいかもしれない。どうせ欠場するのだし。
 リビアなんて空港に着いた途端に銃撃を受けそうな国に行きたくはないが仕方がない。
ズル休みをする時は直前の申告が一番良い。直前の練習合宿中に故障した、ということに
してもらわないと、日本国民全体が俺を嫌ってしまいかねない。日本は馬鹿な国になって
るから今。
 それはいいとして、ここ最近はマスコミが煽ってるせいもあり無駄に有名になってしま
い、芸能人でもないただのクソ人間なのにサングラスと帽子がなければスーパーにも行け
ないような状況になっていた。2,000万円のお陰で毎日798円の特上寿司パックが
食えるのは有難い限りだが少し欝陶しい。
 俺は今日も自らを加工し、あのバンドの新譜と牛乳を買いに部屋を出たけれど、部屋の
ドアを開けてすぐに子猫を踏みそうになって着地位置を急に修正したら足を挫いた。
 普通こんな時だと猫は足早に去って行くものだが、その子猫は身じろぎもせずにちょこ
んと座り込んでいた。そのまま待っていろ、と思った。牛乳を買ってきてやるからな。あ
のバンドの新譜は日本に戻ってきてからでいいや。
 猫が嫌いな奴なんているだろうか。猫アレルギー以外で。
 昔から何故か猫には好かれる。近づいて逃げられたためしがない。猫が好む匂いでもす
るのだろうか。あるいは哀れみだろうか。どうでもいい。明日からは暫く陰鬱な中東リビ
アで命の心配をしながら過ごさなければならないのだから、今日くらいは癒されたいと思
うのだ。
 部屋に上げてやろう。ある意味女よりも良い。
 子猫は、よほど腹が空いていたのだろう。牛乳をペロペロ舐めている。それに飽きたら
ず鼻まで突っ込んで白く染めている。良かった、見つけてやれて。俺がたまたま踏みかけ
なければ、この猫は明日には鳥の餌になっていたかもしれない。
 俺だから助けてやれたのだ。俺だから。
 それにしても、この心の晴れやかなことはなんだろう。生き物を助けるというのはこん
なに良い気分になれるものなのか。知らなかった。今までは助ける余裕など持てなかった
から。


 最後の一撃。耐えろ。踏ん張れ。
 死ぬな、俺。
 ――火花が散った。意識が遠のく。
 が、なんとか、立っている。生きている。
 勝った。優勝だ。バチバチッ、という音が鼓膜に障る。拍手や歓声だろうが、もうまと
もには聞こえてこない。
 5億だ。
 もう人に殴られることはない。小学生の時分のようにわざと相手に殴らせるような真似
は、もうしない。
 日本では毎年何十万頭と言われる猫が保健所で殺処分されている。
 俺は人間はそんなに好きではないので助けない。猫が好きなのでこれから救っていこう
と思う。全てを救えるわけではもちろんないけれど。
 痛めつけられる苦しみは、少しは知っているつもりだからな。