Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 まず、せっかく姉ちゃんからの年に一度あるかないかの好意に甘えてクーラーをつけて。
 しっかり覚えておいた11桁の番号を押したところで、少し息を吸う。
 エアコンのフィルターを掃除してないせいか、少し湿っぽいというかカビっぽい味。
 最近は毎夜味わうその感触にちょっと顔をしかめて、覚悟を決めた。
 よし、行こう。
 いつもの僕なら一晩はベッドの上で考え込むところだけど、今日はそんなのなしだ。
 きっと今電話をかけなければ、言いたいことは僕の体から零れていってしまうだろう。
 電話番号と一緒にちゃんと覚えているうちに、ちゃんとやってやる。
 ただ通話ボタンを押すだけのことにそんな大げさな覚悟を決めて、ようやく僕の親指に力が篭る。
 携帯を耳に当てて、17コール。
『……はいもしもし?』
 3週間ぶりに僕と今西は繋がった。
「もしもしー」
『うぇ!? え、え、戸田くん?』
 電話越しの今西の声はいつもと違っていて少し新鮮。
「いえす」
『なんでケー番知ってんの!? てかこれ携帯からでしょ? 持ってないんじゃなかったの?』
「あ、携帯はちょっと借りた」
 けど、大切なのはそっちじゃない。
「――で、番号は不破から聞いた」
 名前を出すかちょっと悩んだけど、多分そこまで仲が悪かったことはないだろうということで出してみる。
 あとは今西がどう反応するかだ。
 もし万が一不破の名前ですら嫌がるようだったら、この後の話は相当難しくなる。
 どきどきしながら耳に携帯を押し当てて待つ。
 最初に聞こえてきたのは、微かに息を吐く音。
『……戸田くん、ともちゃんと仲良かったんだ』
「え?」
 反応はまあ悪くない、けど最初にそこに言及されるとは思ってなかった。
「いやまあ、クラスの女子だと仲いいほうになるけど」
『ふーん』
「でも別にそういう仲とかじゃないし」
『へー』
 あれ、なんで言い訳してるみたいになってるんだ。
「いやあのね、僕がしたいのはそんな話じゃなくて」
『まだ他に女の子いるの?』
 だから違……わないなのか。
「うん、女の子の話」
『え、マジで』
 電話口の今西が虚を突かれたような声を出す。
 さあ、ここからだ。
「韮瀬環奈、って言うんだけどさ」
 とだけ言って、再び反応を待つ。
 ここでその話を拒絶されたら、もう僕にできることは多分ない。
 だから、祈ろう。
 僕の思ったとおりに事が運びますように。
 たった3ヶ月の時間で僕が学んだ、今西奈美という女の子のこと。
 そこから僕の導き出した答えが、100点満点の正解でありますように。
 祈りを籠めた左手に力が入る。
 少しずつ涼しくなっているはずの部屋の中、温まっていく体。
 携帯を押し付けられた耳が特に熱い。
 全てがゆっくり流れているような気がして、今西がずっと黙り込んでいるのか、それとも僕が長く感じているだけなのかが分からない。
 そして、10秒とも10分とも思えるような沈黙の果てに。
『やっぱり、ぜんぶ聞いたの?』
 ぼそりと呟かれた声は、今までになく小さかった。
「……うん」
 そこは認めなくちゃいけない。この後の話をするために。僕と今西が友達であるために。
『そっか』
 返ってきた声も、やっぱり小さい。
「けど、今したい話はそのことじゃない」
 いや、いつだってしたくなんかない。
 僕は今西が落ち込むのを見たくないから。
『……じゃあ何?』
「手伝ってほしいことがあるんだ」
『自由研究?』
 なんでこの話の流れでそれが出てくるんだよ。
「韮瀬を家から引きずり出してほしい」
『え?』
 驚く今西に、僕は不破から聞いた『すべて』の外側の話をする。もちろん、韮瀬との仲を疑われたのが僕だって事は伏せて。
「――ってことで、今韮瀬は部活サボり中らしい」
『で、あたしにどうにかしてほしいと』
「そういうこと」
『無理』
 やっぱりそう言うよな。
 けど、そこで引き下がる気は全くない!
「頼む」
『だから無理だってば。あたしじゃ何も出来ない』
「いや、僕は今西しかできないと思ってる」
『……なんで?』
 よくぞ聞いてくれた。
「今韮瀬が話を聞いてくれそうなのは、今西くらいだから」
 不破や小峰や他の卓球部の面々が言って駄目なら、他の誰かが韮瀬の本当の気持ちを聞くなんて多分不可能だ。
 例えば僕が聞いたところで、相手にもされないだろう。
 だけど、今西なら。
 不破は立ち直ったなんていっていたけど、きっと韮瀬は今西のことを心配し続けていて、今西もたぶん韮瀬のことを嫌ったり拒んだりはしていない。
 だから、もしかしたらだけど今西になら話をしてくれるかもしれない。
 というか、僕は今西と韮瀬の関係をもう一度昔みたいに戻してほしい。
 これはそのための大きなチャンスに違いない。今ふたりが話せば、きっと何かが変わってくれる。
 そんな可能性に賭けて今僕は電話をしている。
 はっきり言って無茶苦茶な、僕の頭の中の思いつき。
 けどやらずにはいられない。思いついてしまったらもう止まらない。
『嘘。環奈ならもっと他にいい人いっぱいいる』
「いないから言ってるんだよ」
『いるって』
「いないんだって!」
 思わず声を荒げてしまった。
 今西が気分を悪くしたらどうしよう、と冷や汗が流れる。
『てゆーか戸田くんが行けばいいじゃん』
「……それじゃ駄目なんだ」
『なんで。心配してるってことは仲いいんでしょ』
「っ、あのな、今僕がしたいのはそういう話じゃ――」
『わかってる』
 また強くなりそうな僕の声を鎮めたのは、突き刺さるような今西の一言。
『戸田くんはさ、あたしと環奈に話をしてほしいんだよね。それも、ただ環奈に何があったか聞くだけじゃなくて、もっと昔の話まで』
 今までに聞いたことのない重くて冷たい口調で、今西は僕に言葉を次々と投げてくる。
『なんとなくその気持ちは伝わってきて、戸田くんがあたしたちのこと心配してくれてるのもわかってさ。でも無理。無理なの』
 そこで、言葉は溶けた。
『環奈が許してくれてたらって考えたこともあったけどさ、そんなん都合よすぎるじゃん!』
 今までの冷たさから一転して、じわりじわりと隠しきれない何かが今西から漏れ出てきて、それが声に熱さを与えている。
『もしそうじゃなかったらって思うとさ、怖いの。環奈はまだ怒ってて、あたしが話しかけに言ったらも一度怒ってくるんじゃないかって』
 少しずつ、呂律が怪しくなってくる。鼻をすする音が聞こえた。
『そしたらあたし、もうどうしたらいいかわかんないじゃない……』
 そこまで言って、今西は喋らなくなった。
 電話口からはもう何も聞こえないけれど、気配だけは伝わってくる。
 まるで今西の滴が電話を伝って僕の頬を濡らしているかのような、悲しくて怖くてどうしようもない何かが。
 その力に圧倒されて、僕も何も言うことができない。
 けど。
 僕の中で何かが暴れている。
 渦を巻いてお腹の辺りからずるずると上がってきているそいつはやがて喉に達し、口に達し、僕の声を支配する。
「今西」
 まずは、それだけ。
『……なに?』
 今西の返事までは少し間があって、その隙にようやく頭に上ってきたそいつが僕に煮えたぎった感情をぶつけてくる。
 そして僕はそいつの正体を理解した。
 今僕の全身を支配しているのは、単なる身勝手な怒り。
 僕からしてみれば今西の言ってることは要らない心配で、でも今西はそれに囚われて一歩も動けていない。
 ただの石ころを巨大な壁だと言っているようなものなのに。
 そんなもの、あの馬鹿でかい今西が越えられないはずがないのに。
 つまり、僕の電話している今西は蟻のような大きさに違いない。
 でもそれは僕の知ってる今西じゃないから、もう一度大きくしてやる。
 なんせあいつは、僕が倒すべき、越えるべき目標なのだ。
 勝手に縮んでんじゃねー!
「デートしようぜ」
『は?』
 間抜けな今西の答え。まあ当たり前か。
「僕も一緒について行くから、韮瀬の家まで行こう」
『うぇ、え、ちょ、何言って』
「日時はそっちで決めていいから」
『まって落ち着いて戸田くん』
 やなこった。
「集合場所は……学校でいい?」
『よくない! てゆーか行かない!』
「じゃあ僕から今西の家行って引きずり出すから」
『あたしん家知ってるの!?』
「いや、知らないけど。不破にでも聞く」
『やめてー!』
「やめてほしかったら韮瀬ん家まで来ること」
『それもう選択肢ないじゃん!』
「当然」
 元から逃げ道なんて用意していない。ただただ追い詰めるだけだ。
 今西、お前が僕によくやる方法だよ。
『やだ! 絶対行かない!』
「その場合は家のチャイム鳴らしてデートですってお家の人にご挨拶する」
『はあぁぁー!?』
 冗談抜きでそうするつもりだ。手段は選ばない。
「さあ、どうする」
『だから、行きたくないって――』
「今西」
 少し声が小さい。今が攻め時だ。
「絶対に、悪いようにはならない。僕を信じろ」
 明確な根拠があるわけではないけれど、びしっと言い切る。
『……ホントに?』
「ああ、保障する」
『駄目だったら?』
「その時は、一生奴隷になってもいい」
 再びためらいなく言い切った。
 もう後のことなんて気にしない。僕の目の前にあるのは明るい未来だけだ。
 さあ今西よ僕の前に折れろ。倒れる。騙されろ。
『……なら、付き合ったげる』
 電話口からその声が聞こえてきた瞬間、思わず飛び上がりそうになった。
 辛うじてガッツポーズに抑えたけれど、今なら昇竜拳だって撃てる。撃ったら倒れそうだけど。
「よし、じゃあいつにする?」
 全力で声を普通に装いながら、最後の確認。
『んー、月曜の1時』
「1時? 1時な! 絶対忘れんなよ!」
『わかってるって』
 月曜はいつも通り俊の家でスマブラの予定だったけど、もうそんなのどうでもいい。
 頭と心のカレンダーに、『決戦の日』と深く刻み込んだ。

       

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