Neetel Inside ニートノベル
表紙

越えられない彼女
番外編:ちっちゃいものクラブ

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 今時これはないかな、とも思った。
 イタズラだと思われるかな、という心配もした。
 けれどこれ以上の手段が思いつかなくて、わたし、苗木和子は今ここ――昇降口にいる。
 朝7時半、用務員さんが校舎の鍵を開けた直後。
 学校にいるのは先生と朝練をやってる人たちだけで、昇降口にいるのはわたし一人、のはずだ。
 なのに、わたしは動けない。もし誰かがいきなり登校してきたら、そう考えると足がすくむ。
 気がついたら昇降口の時計は7時33分になっていた。
 こんなことを考えているうちに3分が経過している、という事実が焦りを更に強くしていく。
 その圧力に背中を押されるような形で、私は靴を脱いだ。
 いつもと同じように上履きに履き替えて、靴を自分の下駄箱にしまう。
 わたしは何もする気がないよ、ちょっと朝早く登校しちゃっただけだよ、とわたしを見ている人にアピールするように。
 実際にはそんな人はいない、先に目的を達成してしまったほうがいい。
 頭では分かっているのに体がそうしてくれない。まだ『いつも通り』は続く。
 すたすたと階段に向けて歩き始める。誰がどこからどう見ても普通に見えるように。
 そうやって外見も内面も平静を取り繕いながら、わたしの心は真っ二つに分かれて戦っている。
 片方はこのまま教室に向かいたがって、もう片方は目的のために足を止めることを望んで。
 時計は7時34分。秒針が1つ進むごとに、私の足も少しゆっくり一歩を踏み出す。
 いっぽ、にほ、さんぽ。
 時間にすればほんの3秒。それだけの間に、心同士は幾度となくぶつかり合う。
 そして、4歩目を踏み出そうという直前で決着はついた。
 次の一歩は、階段に向けてではなく直角に曲がって。
 今日の目的地、2年3組の下駄箱へ。
 また頭をもたげる心の弱い部分をどうにかこうにか抑えつけて、もう一歩。
 たったそれだけで、わたしの体は目的地に辿り着く。
 別に変わったところはない、なんてことはない下駄箱。入っているのはわたしと同じ、緑の線が入った上履き。
 そこに今から手紙を放り込む。
 言うまでもなく、ラブレターってやつだ。
 行為そのものは1秒もかからないはずなのに、手が震える。鼓動が早まる。
 本当に誰も見ていないか確認しようとして、それも不自然かなと慌てて考え直す。
 けど手紙を入れる時点で不自然以外の何者でもない、ということに気付いて慌てて左右を確認して。
 誰もいなかったのになぜかもう一度確認してから、ようやく鞄を開ける。
 折れ曲がったりしないようにきちんとファイルに入れておいた便箋を取り出して、一旦深呼吸。
 世界中がふわふわとして、なんだか現実感がない。
 心臓にあわせて早くなる指先の血の流れまでが感じ取れる。周りの音が遠いようで近いような不思議な感覚。
 覚悟は決まらなかったけどもうどうにでもなれ、と目を瞑って手紙を下駄箱の中へ。
 1秒間そのまま硬直して、はっと目を開ける。
 妙にはっきりとした視界の中、わたしの書いたラブレターが下駄箱の上靴の上、ちゃんと置かれているのを確認して。
 それが限界だった。
 昇降口から全力で走って逃げ出して、階段を駆け上って、トイレに隠れる。
 教室に何食わぬ顔でいるなんて器用な真似はできそうになかった。
 駆け込んで鏡に映った自分の顔はやっぱり真っ赤。
 個室に飛び込んで鍵をかけてトイレに座りこむ。
 鞄を膝の上に置いて、そこに顔を埋めた。
 鼻の頭にジッパーの感触があって冷たい。
 けど、わたしの顔を、そして頭を冷やす助けにはなりそうもなかった。


 朝練が終わって帰ってきたら、ラブレターがあった。
 は? と口から出かけたのをギリで抑えて、それを見てみる。
 『守口くんへ』と書かれた緑色の便箋が、靴の上に置いてあった。
 思わず周りを見てしまったけど、幸い誰もオレのことは気付いていない。
 オレは咄嗟にマッハで鞄のチャックを少しだけ開けて、便箋を突っ込んだ。
 そして靴を床に叩きつけて素早く履いて、階段へダッシュをかける。
 ここで誰が一番最初に上がりきるかの戦いになるんだけど、今のオレはそれどころじゃなかった。
 やっぱどう考えてもこれ、ラブレター、だよな。
 え、マジ?
 マジで?


 わたしは一体いつ大きくなれるんだろうか。
 最近、ふとそう思うことがある。
 3月生まれのわたしは、小学校の頃からだいたいいつも背の順では一番前。
 ちっちゃくて髪型がおかっぱだから、座敷童子なんて呼ばれてたりもする。
 伸び盛りのはずなのに身長がぐーっと伸びたりもしない。周りのみんなは普通に大きくなってるのに。
 お母さんは「そのうち大きくなるから」と言い続けてきたけど、わたしはもうその言葉を信じていない。
 腰に手を当ててみんなが「前ならえ」するまで待ってるのにもすっかり慣れちゃってて、でもそれがちょっぴり嫌で。
 だから、守口くんが羨ましかった。
 小学校の3年から卒業までずっと一緒で、わたしと同じようにずっと一番前にいて、いつも楽しそうに笑ってた。
 背が小さいことでからかわれても普通にしていられるのが、とっても素敵だって思った。
 それがいつから「好き」に変わったのかは覚えていないけど、卒業アルバムに一言書いてもらいに行ったときにはもう好きだった。
 女子にはもうみんな書いてもらったアルバムのページを持って、男子にも書いてもらううちのひとりとしてたまたま、みたいな感じで。
 それなのに何度も意味もなく周りをうろちょろしちゃったりして、最終的に書いてはもらえたけど直接声はかけられなかった。
 今思い出すと情けなくなるけど、よく考えたら中学校に上がって、2年になった今朝とやっていることは大して変わっていない。
 身体と一緒で、心だってそう簡単に成長はしてくれないのかな。
 だったら、わたしは一体いつこのダメな心を直せるんだろう。
 最初は直接言おうとしていたのに、怖くて結局手紙にしてしまった。それでもまだ足りなくて自分の名前だって書いていない。
 ただ伝えたいことがあるので来てくださいという明らかにラブレターで、でもまだ言い訳のきく文面。
 いきなり告白するんじゃ、断られたときのことが怖いから。
 名前を書いたんじゃ、それを見て来ないかもしれないから。
 来なかったんならイタズラだと思われちゃったんだと無理やり納得できる、予防線がいっぱいの手紙。
 それを一番いいやり方だと思ってるから、わたしは大きくなれないのかもしれない。
 もっと勇気が欲しい。ここぞって時に頑張れる力が欲しい。
 ラブレターを出すっていう、わたしにしてはとんでもない決心も、わたしの力じゃない。
 2年生になって、クラス替えがあって、別々のクラスになっちゃったから。
 教室で隣になったことはないけど、体育館や色んなところで隣にいて、こっそり眺めていた姿がちょっと離れちゃって。
 気がついたらその「ちょっと」に耐えられなくなって、手紙を書いていた。
 たぶん、今年も同じクラスだったら何もせずに終わってしまったんだろう。
 何かの助けがなくても、先へ進めるようになりたい。
 そう願ってみるけど、神様だってわたしの願いを聞き届けてはくれないだろう。
 自分の力だけじゃ振り絞ったって逆さにしたってちっとも出てこない勇気を、どうにか出そうと頑張って時間だけが過ぎていく。
 「これから」なんて言わないから。
 今日わたしが告白する分を、誰かください。

 
 いやなくね?
 ぶっちゃけなくね?
 ザビエルの授業をガン無視しながらオレは超高速で頭を働かせる。
 便箋は1時間目にこっそり開けてみたところ、『お話があります。放課後に会議室に来てくれませんか?』と書いてあった。
 ガチでラブレターぽいわけなんだけど、正直ねーだろこれ。イタズラ臭すぎるわ。
 いやでもガチだったとして。
 ちらっと斜め前に視線をやってみる。
 一応、オレにも好きな奴ってのはいるわけでして。
 で、そいつ――不破知代は斜め前にいるわけなんだけど。
 1年の終わりから席近くて、ちょっと急接近? てかまあ仲良くなってたりするわけで。
 まさか万が一、あんじゃね?
 不破から来てるパターン、あんじゃね?


 うちの学校の校舎は二棟あって、片方は立て直されて新しいけどもう片方はボロっちい。
 わたしの所属する手芸部は、悲しいことにそのボロっちいほうの被服室が活動場所なんだけど。
 だけど、そのおかげで私はひとついいことを知っていた。
 3階にある被服室のお隣。
 『会議室』と書かれたプレートが斜めにぶら下がっているその部屋は、放課後はまず誰もいないし通らない。
 今日は手芸部もない日だし、出入りも含めて誰かに見られることはまずない最高の場所だ。
 意を決してガタガタとその扉を開けて、入って、すぐ閉めて。
 まずは鞄を床に置いて、扉の前で大きく深呼吸。
 ……ダメだ。こんなことで落ち着けるわけがない。
 既に脚が少し震えてるし、心臓は掃除をしている間からずっとフル稼働している。
 今日の掃除の時間は信じられないほど早く終わってしまった。何をしたかの記憶が全くない。
 頭の中はずっとぐちゃぐちゃ。守口くんに来てほしいのかほしくないかがよく分からなくなってしまいそう。
 「いっそ掃除の時間が永遠に続けばいいのに」なんて訳の分からないことを考えたりもした。
 それにもし永遠に続くのなら昨日がいい、日曜日だし。一日中ラブレターを書いているだけだったけど。
 じゃなくて!
 現実逃避をやめて、もう一度身だしなみを確認する。朝死ぬほどやったけど、念のため。
 ――うん。大丈夫。きっと大丈夫。
 気にしだしたらどこまでも気になっちゃうから、そうなる前に自分で止めなくちゃ。
 もうわたしにできることはない。後は守口くんを待つだけ。
 脚はまだ震えているけど、そう決意して気合を入れる。
 ぐっと拳を握って、
「あ」
 そこで大切なことに気付いた。
 わたしはどこにいるべきなんだろう。
 扉の前に立っているのは明らかにおかしい。待ち伏せしてるみたいだし。
 じゃあどこかに座って待つべき?
 部屋の中には長机が二列になって並んでいて、椅子が机ごとに三脚ずつあるから座る場所には困らない。
 でもどこに座ったらいいんだろう。
 入口の近くに座るのは誰か通りがかって見られたら変に思われるかもだし、けど見えないところにいたら守口くんにも気付かれないかもだし。
 ただでさえイタズラみたいなことしてるんだから、ちゃんと見える位置にいたほうがいいのかもしれない。
 あ、じゃあただ廊下を歩いているだけじゃ見えなくて、でも覗き込んだら見えるみたいな。
 これは名案だと思って鞄を持ち上げて、でもまた下ろす。
 それ、どこ?
 外から見ないとそんなこと分からないし、でも今外出て守口くんと鉢合わせとかしちゃったら絶対大変なことになる。
 もう中から考えていい位置を探すしかない。
 えっと、ちょっと廊下側のところにいれば扉からは死角になるはず。それも真ん中辺り。うん、完璧。
 今度こそ鞄を持ち上げて、教室の真ん中辺りの長机に鞄を置いてパイプ椅子をそっと引き出す。
 音を立てないように椅子に座ったら、ちょっとだけ気が緩んだ。
 あとどれくらい待つのかは分からないけど、できるだけリラックスしておきたい。
 いざ向かい合ったらガチガチになっちゃうわたしは簡単に想像できるから、そんなことがないように――――
 いきなり足元でがたん、と音がして。
 びくってなって音のしたほうを見てみると、守口くんがいた。
 …………え?
 

 ずっと考えて、オレは凄いことを発見した。
 今日の放課後も部活は当然のようにある。つまり、オレが遅れたら怒られるってことは他の奴らも当然遅れたら怒られるってことだ。
 もしドッキリだったとして、こんなこと一人でやるわけがない。あの手紙は明らかに女子の字だったし。
 じゃあ当然オレの友達が何人かでやるわけで――どうせ牧橋か坂口かそのへんだろうけど――そいつらも部活に遅れる危険を冒すわけだ。
 もしオレなら昼休みに呼び出す。で、オレがそうするなら大体あいつらもそうする。
 よってこの手紙は本物!
 実際、卓球部はそこまで厳しくないって話だし。
 もしかすると、不破の可能性もあるかもしれない。
 いや実際そう都合よく行かないとは思ってっけどさ。思ってっけど。
 ちょっと覗くぐらいなら全然アリだろ。うんアリだ。
 ということで、会議室前までやってきたところで、オレの脳に電流が走った。
 この推理にはひとつ例外が存在する。そう、筒井だ。
 あいつは外見がどう見ても運動部だけど手芸部。
 放課後に何の制限もないし、女子に手紙を書いてもらうにも都合がいい。
 しまった。オレとしたことがそんなヤバイ見落としをしていたなんて。
 ここにきて状況は一気に怪しくなった。牧橋とかなら既に突撃してることだろう。まああいつにラブレターとか届くわけないけど。
 まあとりあえず中をこっそり覗いてみる。
 ……なんか誰もいないっぽい?
 いや待てよ。これはアレだろ。やっぱりドッキリで筒井が隠れてるとかそういう系だろ。ほらやっぱオレの推理当たってる。
 だとすっとあいつが隠れそうなのは掃除ロッカーかベランダか、あ、あと窓からだと見えないところかもしんねーな。
 けどロッカーとベランダは無理としても、柱なら簡単に確認できる。
 教室の下にある小さな引き戸。伊達にチビやってるわけじゃない、オレならこっから余裕で首突っ込んで覗ける。
 早速鞄を置いて、扉を音がしないようにそっと開ける。
 そのままいたなら驚かせてやろうと一気に首を突っ込んで中を見ると、椅子に座った女子がひとりいた。
 ちょっと驚いて音を立ててしまって、そいつが気付く。
 二秒ほど見つめ合って、
「きゃ、へぁ!?」
 奇声を上げながら、その女子――苗木は、椅子から立ち上がろうとして派手にひっくり返った。


 一応、色んなパターンを想定していたつもりではいた。
 だけど一体どうして、守口くんが下から出てくるだなんて思いつけただろうか。
 不意打ちすぎて何がなんだか分からなくて、変な声出ちゃった。
 しかも慌てて立ち上がろうとしてバランスを崩して、机の脚に頭をぶつけた。
 そこまで痛くはないけど、それどころじゃない。
「ちょ、ごめん、大丈夫!?」
 守口くんがヘビみたいににゅるっと下の戸から入ってくる。
 そしてそのままこっちへ来て、わたしを心配そうに見てきた。
「だ、だいじょびゅっ」
 噛んだ……。
「あーほんとごめんな。まさか苗木いるとか思ってなかった」
 申し訳なさそうな笑顔の守口くん。
 それがわたしに向けられてるって事実は嬉しいんだけど、それ以上に色々と恥ずかしくてたまらない。
 どうしよう。
 守口くん、来ちゃった。
 いやどうしようも何も告白しかないんだけど、そういう雰囲気みたいなの全くないしいきなり入っちゃっていいのかな、ってあれ?
 なぜか守口くんはぐるっと部屋を見渡すと、私を素通りして掃除ロッカーのほうへ歩いていく。
 そして、
「オラ出て来いよ筒井!」
 掃除ロッカーを勢いよく開けた。
 え、え、え?
 何それつまりそこに筒井くんいたってこと、
「あれ?」
 じゃないっぽいけど……。
「じゃこっちパターン?」
 今度は窓を開けてベランダを覗き込んでみている。何してるんだろう。
 ベランダを何度も見直してからこっちに視線を戻して、
「あれ書いたの苗木?」
 いきなり本題をぶつけられて、びっくりしてしまう。
「え、ぁ、そうだけど……」
 し、舌がまだうまく回らない。しかも声ちっちゃい!
「で、筒井はいない?」
「い、いないです」
 喋りながら、ちょっとずつ気持ちを落ち着けようとしてみる。けど駄目だ。心臓が大変。
 でもなんでさっきからなんで筒井くんのことを気にしてるんだろう。
「じゃあ外で見てるパターン?」
「えっ!?」
 弾かれたように後ろを振り返る。誰もいない、よね?
「それってもしかしてこのこと教えたとか、」
 みんなでずっとわたしが待ってるの見ててとか、そういう、
「い、いやそういうんじゃねーから! 泣かないで!」
「え」
 もしかして私、涙目なってた?
 慌てて目元を拭って、あぁでもこれで泣いちゃったみたいな感じに、でもどうしたら、
 やっぱりというかなんというかテンパっていると、守口くんが更に慌てた顔で
「ちょ、ちょい待って。つまりアレ? これ、誰かが苗木に書いてもらったとかそういうのじゃない系?」
 がくんと大きく頷く。
「……マジ?」
 守口くんはすごくびっくりした顔をした。
 や、やっぱりイタズラだと思われてた?


「……マジ?」
 ちょっと意味が分からないってか、え?
 苗木いたし完璧筒井だと思ってたのに、これ明らか違うじゃん。
 なんかまた苗木は涙目になってるし。
 でも待てよ、それってつまり、マジかよ。
 いやでもそれしかないよな。
「で、話って何?」
 考えたときには既に言っていた。
 今までも赤かった苗木の顔が更に赤くなった。


 頭が真っ白、なんてものじゃなかった。
 手紙に書いてあったんだからそう聞かれるのは当然で、でも真正面からそんなこと言われたら、あぁー!
 感じる全部がぐらっぐらで、立ってるのかすら自信がなくなるようなパニックがわたしを襲ってる。
 何か言わないといけないのに、何を言えばいいのか、ていうか本当に何か言うんだっけ、あれ?
「お、おい大丈夫かよ苗木」
 何がなんだか分からなくなっていた私の中で、守口くんに声をかけられたとたんに何かがぱちんとはじけた。
 一気に落ち着いて、ようやくまともに考えられるようになって、でもやっぱりなんて言ったらいいのか分からない。
 もうここまで来ちゃったら告白するしかないんだけど、でもいきなり言うのはおかしいよね。
「え、えっとっ」
「ほんと大丈夫? 椅子とか座る?」
「あ、は、はい……」
 タイミングよく言われて、なんか思わず頷いてしまった。
 守口くんが椅子を引いてくれたからそこに座って、守口くんは向こうの列の長机のほうから椅子を引き出してそっちに座る。
「とりあえず一旦落ち着いてみ」
「よ、よろこんで」
 反射的に返事をすると守口くんが吹きだした。
「ちょ、苗木、『よろこんで』って何?」
 ……なんだろう?
 何か考えたわけじゃなくて、でも何かちゃんと答えようとしたらこうなっちゃった。
「あーマジヤバいわ、『よろこんで』流行るわ」
 なんかツボに入っちゃったみたいでまだ守口くんは笑っている。ウケた、のかな?
 じゃあ。
 今が、チャンスなのかもしれない。
 笑っている顔を見ていたら少し元気になって、なんだかいける気もしてきた。
 わたしの心が戦いを始める前に、椅子の向きをずらして守口くんと向かい合う。
 手は膝の上、背筋を伸ばして、
「守口くん!」
「ん、お、何?」
 いきなり声の調子が強くなった私に、驚いたように守口くんがわたしのほうを向く。
「お話があります!」
 今度こそ後戻りができないところに行くんだ。
「いやさすがに話ないっつったらオレ怒るよ」
 ……そうだけど!
 めげない! しょげない! 泣いちゃだめ!
「わたし、」
 座ってるのにまだ足が震えてて、握ってる手には汗がじっとりしてて、他にも色んなところが暴走中で!
 でも、視線だけは、逸らさずに、まっすぐ!
「守口くんが、好きです!」


 世界がぶっ飛んだ。
 そりゃこれはもう告白しかない、って状況だったのにオレはとんでもなく驚いた。
 苗木は相変わらず真っ赤な顔に涙目で、じーっとこっちを見てきている。
 やっべえ、どうしたらいいのかわかんねぇ。
 顔はまあ悪くねーかな、みたいな感じだし正直身長も今西みてーなクソでかいヤツよりは小さいほうがいい。特にオレより小さいのはなおいい。
 でも正直苗木とかクラスずっと一緒だっただけでまともに話したこともないし、つーかオレ好きになる理由が分からん。
 けどなんかそれ聞くのってめっちゃハズくね?
 ……うーん。
 告られたのはヤバイ、マジヤバイ。けど苗木、ってのは。
 これがもしチカとか鈴木とか普通に絡むあたりなら割とOKしちゃうかもしれないんだけど。いやチカは無理かも。
 今まで絡んだことないヤツだと、本当に付き合っていいのかがよく分からねー。
 正直苗木あんま明るい印象ないし。
 あと、もうひとつ。
 今日こそ違ったけど、オレと不破はせっきんちゅー、みてーな? まだ可能性はアリアリじゃね?
 オレ、そこ諦めちゃっていいの?


 ぐつぐつと心臓が煮えてる気がしてきた。少なくとも脳みそはそうなってる。
 絶対にこんな予定じゃなくって、でもどうするつもりだった? って聞かれたらなんにも思い出せない。
 それどころか何をしたらいいのかすらわかんなくなって、ただじっと椅子に座って守口くんを見続けるしかできない。
 あんまり見たことのない真剣に考えてる顔。いつもならどきどきするかもしれないけど、今日は少しきゅっとする。
 さっき使い切ったはずの勇気がほんのちょっぴり補充されるような感覚と、残り全部を埋めてる不安。
 心は戦う気なんか失せて、守口くんを待っている。
 頭や手みたいな身体の先端だけが熱くて、真ん中は冷たくて、まばたきすら忘れてしまいそうで、時間が流れていることが信じられなくて、
「あーっと、さ」
 でもそんなの、守口くんが口を開いた瞬間に全部消えていった。
 身体中が一気に元通り動き始めて、なのに心臓の周りだけが不安をぎゅっと固めてすっごく重い。
「正直オレコクられんのとか初めてだからなんつったらいいのかわかんねーんだけど、」
 いつもみたいな笑顔で守口くんは話す。
 だけど、
 わたしは、
 いつだって、
 そのえがおを、
 ながめてたから――――
「友達から始めましょう、みたいな?」
 ――――わかってしまった。
 今の森口君の笑顔は。
 男子に無茶ぶりされてるときの、八重先生に指されたときの、野球部だからって坊主にしてきてみんなにイジられてるときの、
 どうしようって、困ってるときの笑顔。
「ほらアレじゃん、オレと苗木ってなんだかんだクラス一緒だったけど話すこととかそんななかったし、」
 じわっと、身体の中で何かが融けてく。
「だからほらさ、付き合うじゃなくて友達から、みたいな。あ、でも別に今まで友達じゃなかった的なイミじゃなく」
 喋り終えてわたしを見た守口くんの笑顔は、変わらない。
 ……今のわたしはどんな顔をしてるんだろう。
 不思議だけど、涙が出てこない。悲しい、って感じもしない。
 ただ、胸にあった塊が、どろりとお腹のほうへ降りてきている。
 それが色んなものをみんな連れて行ってしまって、だからわたしは抜け殻みたいになってるんじゃないのかな。
「守口くん」
「お、おぅ」
「てことは、ダメ、でいいんだよね」
 ぽろぽろと口から言葉が出てくる。わたしがわたしじゃないみたいに。
「…………ごめん!」
 がばっと椅子から立ち上がって、高校野球みたいに頭を下げる守口くん。
「ううん、別に大丈夫だから」
 ほんと?
「でも最後に、」
 今しゃべってるのは、だれ?
「握手して、もらえますか?」
 すっと、身体が立ち上がる。手が持ち上がる。
「え、ああ、うん」
 守口くんがごしごしと手をズボンで拭う。
 そういえばわたしもさっきまで手汗が、と思ったときには、守口くんの手に包まれていた。
 あちこち固くて、わたしより少し大きな手。
「俺達友達だからな!」
 開いているもう片方の手で、親指を立ててくれた。
 そのときの笑顔は、さっきまでとは違う、いつもみたいな笑顔。
 それを見た途端、手のひらからあったかい何かが流れ込んでくるのを感じた。
「えっ、と」
 そっと、守口くんの手から力が緩められて、どちらともなしに腕を下ろす。
 でもそれはまだじんわりと、じんわりと、身体中に染み渡っていく。お腹の辺りに溜まったどろどろにも。
「じゃあ、オレ部活あるから」
 でもわたしの中の変化は守口くんには見えなくて、だから無言に耐え切れなくなったみたいに守口くんは一歩扉のほうへ踏み出す。
「あ、うん」
 わたしもこくんと頷いてしまって、それを見た守口くんは安心したように扉を開けて、
「ごめん!」
 最後にもう一度頭を下げてくれた。
「ううん、わたしこそごめんなさい」
 今度はわたしも頭を下げて。
「……じゃ苗木、またな」
 扉が閉まった。
 そして、守口くんにしてはゆっくりな足音が消えていって。
 その頃には、わたしの中のどろどろはもう一度そのあったかさで融かされてしまっていて、
 それが限界だった。
 鞄を引き寄せて、朝と同じように膝の上に置いて顔を埋めて。
 お腹のほうから上ってくるものを、誰にも見せないように隠した。
 鼻の頭にジッパーの感触があって冷たい。
 でも少しずつ、少しずつ、その周りも濡れて冷たくなっていった。

       

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Neetsha