Neetel Inside ニートノベル
表紙

越えられない彼女
トラ・トラ・トラへの道

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「はい、隣がいない奴はいないなー」
 妹尾先生が、貸切バスのタラップに脚をかけながら聞いてくる。
「せんせー、守口いないです」
 筒井がわざとらしく手を挙げて、守口(うちのクラス最小の男)の不在を告げる。
「いやいるから! まず隣じゃねえから!」
「ああごめん小さくて見えなかったわ」
「てめぇ!」
「はいはい、いないんだな」
 周りがいつものやり取りで笑っている中、妹尾先生はスルーしてバスを降りて、先生達と一言二言話すとバスに戻ってくる。
「よし、全員椅子に座れー。出発するぞー」
「シートベルトしなくてもいいよなこれ?」
 隣の金田が、肘で脇腹を突っついて聞いてくる。
「普通こういうバスだとしねーだろ」
「マジで? 俺小学校の修学旅行ん時させられたわ」
 ガクンと衝撃が来て、バスが動きだす。
 そういえば、今西は何をしているんだろう。
 校外学習に行かない生徒は学校待機で勉強、だったっけ?
 僕達が遊びに行くんだから、遊ばせてくれたっていいだろうに。
 校舎の方を振り返ってみる。1組のバスしか見えないけれど、
「いってきまーす」
 保健室に向けて、呟いてみる。
 もちろん返事はなくて、バスは校門を抜けていく。
 
「茶碗蒸し」
「し? じゃあ、醤油」
「ゆ、ゆ? ゆから始まる食べ物とかねーだろ」
「いやいや普通にあるから! 早く考えろよ!」
「ほらあれ、お風呂に浮かべるやつ!」
「環奈ヒント禁止!」
「いいじゃないこいつ馬鹿なんだから!」
 その一言に、周りから笑いが起こる。
 けど、当の牧橋は懸命に考えていて、馬鹿にされたのにも気づいていないようだ。
 バスレクの一環として企画された、『班別対抗しりとり大会』。
 第1回戦の今回は『食べ物の名前』という縛りで、バスの座席の順にしりとりをしていく。ただし、解答時間は一人当たり15秒。
 バスは左が女子、右が男子の座席で1班から順に並んでいて、女子からスタート。
 無事女子ゾーンを通過して、男子ゾーンに入って2人目、僕らの班である2班の牧橋が引っかかった。
 班員が一人でもアウトになればその班は全員失格、ゲームに参加できなくなる。まだ僕と金田は何もしてないのに。
「あと5秒。4、3、2――――」
「あーヤバイヤバイヤバイ!」
「牧橋急げー!」
「分かってる! えーっと、あ、あった! ユンケル! ユンケル!」
「――――1、0」
「セーフだろ! これセーフだろ!」
 どや顔でこちらを振り返る牧橋。けど、
「ユンケルは駄目だろ……」
 さすがに栄養ドリンクを食べ物とは呼べない。
「いけるいける」
「いけねーよ馬鹿!」
「お前夕飯にユンケル出てきて『これ食べなさい』なんて言われたらキツイだろ!」
「そうだよ馬鹿!」
「馬鹿!」
「馬鹿牧橋!」
 男子から集中砲火を浴びる牧橋。つーか単なる悪口のほうが多いぞ。
「あー分かった! チョビ、お前どう思う!」
「えっ?」
 なるほど、本ばっか読んでるチョビ(『なんかちょび髭似合いそう』って言われたからチョビらしい)なら、公正な判断を下してくれるだろう。牧橋もたまには頭を使うな。
「えっと。栄養ドリンクを食べる、ってのは、聞いたことないから、」
うーん、チョビの喋り方は声が小さくてボソボソしていて、この騒ぎの中だと聞き取りにくい。
「ほらやっぱり食べ物じゃないじゃんバーカ!」
「バーカ!」
 最後までチョビの話を聞かずに、筒井や松田がはやし立てだす。
 チョビは口をもごもごさせて、言葉を尻すぼみにしてしまった。
「いやいや待てよ!じゃあ醤油ってのもおかしくね?」
「醤油は普通に豆腐とかにかけて食うだろ」
「えーだって豆腐、あー、湯豆腐! 湯豆腐あるじゃん! これでいいじゃん! レク係、これでいいだろ?」
「アウト」
 レク係の安河内さんが両手でバツを作って失格を示す。おっぱい大きい。思わず一瞬凝視した。
「えー、なんでなんで!」
「15秒どころかもう2分ぐらい経ってるし」
「いいじゃん思いついたんだからさー」
「ダーメ。2班は失格ね。じゃ、雪野から再開」
「勘弁してくれよー!」
「おい牧橋、俺と戸田何もしてないんだけど!」
 本当だよ。
 ここからしばらくは、周りを見るだけの少し退屈な時間。
 今西も、保健室でいつもこんな時間を過ごしてるんだろうか。
 ふと、そんな疑問が浮かんだ。
 『計画』を遂行して、帰ったら聞いてみよう。

     

「おー、すげー!」
「何これ全部バラ? バラ?」
「当たり前でしょ」
辺り一面に広がる赤、赤、赤。そして、濃密なバラの匂い。
 昼飯まで、僕らはこのバラ園で時間を潰す予定になっている。
 金田も牧橋も、ここに来るまでは不満たらたらだったけど、どうやら問題なさそうだ。
 咲き乱れるバラの中には道が続いていて、あちこちに解説の札が立てられている。
「やべーよ、これフランス産のバラだって。めちゃくちゃ高そう」
「へー、フランスのバラにも棘あるんだな……」
 こいつらアホだ。
「男子馬鹿しかいないわねこの班……」
「環奈聞こえる聞こえる」
「気にしなくていいわよそんなこと。どうせ馬鹿だし」
「僕まで一緒にするなよ」
 思わず振り向いてしまった。言われようがあんまりすぎる。
「うーん、まあ確かに戸田くんはそこまで馬鹿じゃないかもね」
「なんだよ、そのそこまでって」
「えー、まあ、ねー」
「「ねー」」
 女子3人で顔を見合わせて、くすくす笑う。
 なんか無性に悔しい。そこまで馬鹿な事した覚えもないんだけど。
 見ると、既に金田と牧橋は2人でだいぶ先まで行ってしまっている。追いかけるのは面倒臭い、けど女子と一緒ってのもちょっとアレだ。どうしよう。
「てかさー、戸田くんいつも保健室に行ってるけど何の病気なの?」
 迷っていると、韮瀬が話題を振ってきた。
「病気ってわけじゃないっぽいんだけど。少し運動するとなんか気持ち悪くなる」
 流されて、女子3人と歩くことになる。
「えー、何それ大丈夫?」
「ある日突然死んだりとかするかも。大変」
 不破と小峰がまた2人で顔を見合わせて笑う。こいつら本当に仲いいな。
「ないない。だったらもう病院とかにいるって」
「でも病気じゃないんでしょ?」
「うん。病院で調べてもらったけど特に何もないらしい」
「じゃあなんなんだろ」
「改造されてるとか」
「じゃあ戸田くん変身とかするんだ! すごい、いつも弟見てるよそんなの」
「正義の味方、戸田マン! みたいな?」
 僕をダシに訳分からないことを言いながら、不破と小峰がきゃっきゃしている。
「……この班の女子は馬鹿ばっかだな」
「ウチまで一緒にしないでよ」
 どっかで見たようなやり取りを、僕と韮瀬で交わす。
「つーか韮瀬静かじゃん。どったの」
「別にウチうるさいわけじゃないし。友代と綾が話してたからいいかなって」
「えー、普段から絶対うるさいと思うけど」
「男子から見たらでしょ。みんなちゃんとしてないんだもん」
「いいじゃんそんなの」
 そりゃまあ、給食当番サボったりなんてのは困るかもしれないけど他にはそんなに困るようなことはしてないはずだ。
「駄目。そういうの許せないのウチ」
「ふーん……」
 そんなことやってても疲れるだけだと思うんだけどな。
 気がつけば不破たちは少し後ろにいて、女子3人と歩いていたはずが僕と韮瀬だけになっている。
 どちらともなく少し距離を取って、会話が途切れた。
「戸田くん好きな人とかいる?」
「は?」
 いきなり、強烈なパスが投げ込まれた。
「え、何その反応。やっぱりいるの? 誰? 小学校の人? それとも中学?」
 いきなり韮瀬のテンションが上がった。少し距離を詰めて、目を輝かせる。
「ないない。そもそもいなかったから」
 うんまあ、嘘なんだけど、さ。
「えー絶対いたでしょ。小学校の人なら話しちゃいなよどうせ知らないんだから」
 できるか。
「だからいなかったって」
 表情に出ないように気をつけて、嘘をつく。
 僕の好きな人。野口香枝。元クラスメイト。赤が好き。自由帳に書いてる絵はちょっと下手。私立を受けたけど、算数が駄目だったらしい。今は、向こうの中学校に通ってるはずだ。
 卒業式の全日の夜は、告白しようかなんて一晩中考えていた。
 結局することはなくて、今ではどんな声だったかが少しだけ曖昧になってきている。
「じゃあさ、中学で気になる人とかいる?」
 「え。んーと、」今西?
 ……いやいやいやいや。
 名前は出さないほうがいいっぽいし、ってか待て。何でナチュラルに気になることになっているんだ。
 確かに気になることは幾つかあるけど、それは今聞かれてる意味じゃないだろうし。
「いない、かなやっぱり」
「えー、嘘でしょ今の!」
 凄く楽しそうだこいつ。目の輝きがさっきより増してる。
「だれだれだれ!? えっと、佐奈? それとも優とか?」
「ごめん、誰だかわかんね」
「えー、まだ全員の名前覚えてないの?高沢佐奈と、古津優。分かるでしょ」
 えーっと。
 高沢佐奈と、古津優。記憶が正しければ、水泳部とテニス部だっけ?
 確かに両方ともかわいい部類の人間だと思う。思うけども。
「別に好きではない」
「えー! じゃあ誰よ!」
「だからいないって」
「じゃあ気になりそうな人誰かひとり言って!」
 なんじゃそりゃ。
「訳分からないって」
「いいじゃん! ウチ口堅いから!」
 絶対嘘だ。これは何が何でも聞きだしたいって顔に決まってる。
 となると、誤魔化すのもめんどくさいしどうするか。
 ――――そうだ。
 なら逆に、韮瀬をからかってやろう。
「じゃあ、韮瀬で」
「ふぁい!?」
 韮瀬が固まる。おお、びっくりしてるびっくりしてる。
「いやだから、韮瀬――」
「おーいお前らおせーよ!」
 牧橋が走ってきた。慌てて口をつぐむ。
「どんだけ歩くの遅いんだよ。俺たちもう見終わっちまったぞ」
「いやお前らが走ったからだろそれ」
「うっせ。ニラも早くしろよ」
「え、あ、うん」
 牧橋の声に、韮瀬はびくっとして頷く。
「んだよ、今日はおとなしいじゃん。いつもならウッサイワネーとか言い出すのに」
「ウッサイワネー」
「それそれ。あー、ニラ死ねばいいのにー」
「ウチが死ぬぐらいならあんた死んだほうがいいから絶対」
「いや絶対ニラが死んだほうがいいから。ニラレバかなんかになって」
「じゃああんたは牧橋の丸焼きになって死ね!」
「なんだよそれ!」
「あーじゃあユンケルね。ユンケルユンケル」
「うっせー!」
 ああ、本格的に韮瀬と牧橋が言い争いに突入していく。
 ってか韮瀬、うるさいわけじゃないだなんてやっぱ嘘じゃないか。

     

「……よし」
 全員がアスレチックに向かったのを見て、背を向けて歩きだす。
 いよいよ『計画』実行のときだ。
 えーっと、時間は
「戸田くん、どこ行くの?」
 ビクッとして立ち止まる。
 振り返ると、韮瀬がこっちへ近づいてきていた。
「ん、ああ、僕あんま運動とかできないから。アスレチックより野鳥のほう行ってみようかと思って」
「ふーん……まあ、ならしょうがないか。見逃してあげる」
「おお、サンキュな」
「ちゃんと帰ってきてねー!」
「はーい!」
 大きく返事をして、余計なことを言われないうちに離れて歩いていく。韮瀬そういうの厳しいからな、お咎めなしは助かった。
 仕切りなおし。
 昼ご飯を食べ終わって、アスレチックに到着して、今が1時12分。全体の集合が2時30分で、余裕は1時間18分。
 往復するには十分な時間だと思うけど、思っていた以上に『計画』は押している。
 大体の原因は韮瀬と牧橋が喧嘩したまま昼ご飯を食べたせいだ。
 金田は牧橋につくし、不破と小峰は当然韮瀬。
 結果、僕だけが止めに入ってどうにか状況を冷戦までこぎつけた。
 そんなことをしていたら、食べているのは僕達だけになって、時間も1時を回ってしまった。
 しょうがないので、少し急ぎ足で進むことにする。
 道はよく分からないから、予め渡されていたパンフレットの地図を……あれ?
 ポケットを探る。ない。
 慌ててリュックを下ろし、時間がもったいないので歩きながら中身を漁って、
「あ」
 そうだ。
 昼ご飯は、なんかでっかいレストランで食べることになっていた。
 そこへ行くときに、金田に渡してそのままだ。
 一瞬足を止める。戻るべきか、否か。
「――そんな時間はないな」
 地図はそこそこ頭に入ってる。このまま、行こう。

 なんて考えたのが馬鹿だった!
「あれ……?」
 どこをどう間違えたか、気がつけばレストランの見えるところまで来ていた。
 こっちのほうに来るようなルートではなかったはずなのに。
 とりあえず引き返して、いや待てよ。
 確か、あそこにはパンフレットもいっぱい置いてあったはず。
 時計を見る。あと59分。ちょっと急いだほうがいいな。
 小走りでレストランへ。店の前のラックからパンフレットを一部抜き出して、
「おお戸田、ここで何してるんだ」
 妹尾先生の声。くそ、なんでこのタイミングで!
「先生こそ何してるんですか」
 レストランの前のパラソル席で、黄色い液体の入ったコップを片手にくつろいでいる。
 仕事しろ。ここでの仕事が何かは分からないけど。
「ああいや、写真撮ろうと思ったんだがこの通り、歳だろ。日差しも強いしちょっと休憩だ」
 日差しはきついでしょう、ハゲてますもんね。
 口から出かけた。
「で、戸田はひとりで何やってるんだ」
「いやまあ、ちょっとパンフレットを取りに」
「なんだ、失くしたのか。でもなんとかなるだろう、各班に2部ずつ渡したんだから」
「2部とも失くしちゃいまして」
「なんだと! まあ、タダだからいいんだけどな」
 笑う妹尾先生。こっちは急いでるのに暢気に笑いやがって、腹が立つ。
「じゃ、そろそろ行くんで」
「おう、気をつけてな」
 慌ててパンフレットを広げながら、妹尾先生から離れる。
 地図で確認してみると、思ったより目的地とここは近い。これは幸いだ。
 えーっと、ここからならまたあのバラの中を通っていったほうが早いのか。
 分かれ道を左に曲がって、ピンク色のバラの咲く道へ。
 さっき、韮瀬と牧橋が一番激しく言い争っていた辺りだ。
 というか、牧橋は女子に、韮瀬は男子に不満をぶつけていたが正しい。
 そのせいで周りがヒートアップしていったんだ。
 唯一、僕だけが小学校時代の話まで持ち出した言い争いの中で冷静でいられたけど。
 ピンク色のバラとワインのような濃い赤のバラの境目で、道が分かれている。
 ここからはまだ通ったことのない道だ。ワイン色のバラのほうへ。
 ピンクのバラより強い匂いが、僕を包む。
 うちの生徒達は大抵アスレチックに行ってしまっていて、知り合いとは誰ともすれ違わない。幸運な事態だ。
 このバラの一帯も抜けて、バラ園の入り口に戻ってくる。
 この辺にはいくつもガラス張りの建物があって、温室栽培のバラが沢山咲いているみたいだ。
 僕たちは見に行かなかったけど、白と赤がメインだった外のバラ園に比べてこっちのバラは色がいっぱいある。
 パンフレットによれば青いバラもあるらしいけど、それはどうでもいい。
 僕が目指すのは、この温室を抜けた先。
「――あった!」
 この公園で一番大きいおみやげ屋だ。
 ドアを押して、ちょっと冷房のかかった店内へ。
 バラクッキーとか面白そうなお菓子が売っているけど、そっちはスルーしてアクセサリー類のほうへと向かう。
 変身もののヒーローのベルトやなんかが売られている棚(なんでこういう店には大抵置いてあるんだろう?)の隣に、お目当てのものはあった。
 バラをデフォルメした、かわいいキャラクターのストラップ。
 この公園のマスコットだとかで、パンフレットにも大きく書いてある。
 今西からのお願いは、どこで情報を仕入れたのか分からないけど『このマスコットのストラップを買ってきてくれ』というものだった。
 別にそれそのものは大した問題じゃない。けど、問題はものキャラクターの外見だ。
 女の子向けアニメの小動物キャラみたいなデザインのこれを、あいつらの前で買うのにはいくらなんでも抵抗がある。
 姉ちゃんの為だとか言い訳することはできるけど、金田なんかはそれで誤魔化せる相手ではない。
 それで当分からかわれるのはごめんだ。
 だから、今回の『計画』を立てた。
 まあ、実際は『あいつらがアスレチックで遊んでいる間にバレないように買ってくる』ってだけの、計画と呼べるか怪しい代物ではあるけれど。
 いくつもの色のストラップがぶら下がっている中から、黄色をひとつ外す。今西の好きな色だ。
 ないとは思うけど、誰か着たら困るので慌ててレジへ。
 2つあるレジは、両方埋まっていた。とりあえず近いほうへ。
箱を二つ抱えた前のおじさんが支払いを済ませている間に、財布からお金を出しておく。
 おじさんがいなくなると同時に、ストラップとお金を素早く置いた。
 レジ打ちのおばさんは、ストラップとお金を見ると何も言わずにストラップを袋に入れて、口をテープで留めると渡してくれる。
 無愛想だけど、帰りが心配な僕にはその速度が逆にありがたい。
「ありがとうございましたー」
 おばさんのやる気のなさそうな声は、折り返し地点の合図。
 袋をリュックにしまって、時計を見る。あと47分。
 2時30分までにアスレチックについて、それから班全員で集合場所まで帰らなくちゃいけないと考えるとだいぶ時間をロスしてしまっている。
 集合場所はこのおみやげ屋のすぐ近くだから、このまま待っていられれば一番いいんだけど。
 地図を広げて最短ルートを確認しながら、おみやげ屋を飛び出す。
 バラ園を斜めに突っ切って、アスレチックを目指すのが一番早そうだ。
 林立するガラスの温室の間を抜けて、今度は行きと同じ入り口からバラ園に入る。
 韮瀬と話している途中で通り過ぎた道を曲がって、あとはまっすぐ歩けば大丈夫だ。
 今度は白いバラの中を進んでいく。そういえば、大体バラ園を歩きつくしたことになるな……お。
 前から、緑のジャージの一団が歩いてくる。あのダサい色は、うちの学校のだ。
 よく見ると、後ろにも何グループか緑のジャージが見える。
 もうみんな引き上げてきてるってことか?
 あと31分。確かに、ちょっと集合には危ない時間だ。
 少し急ぎ足になる。すれ違うジャージはどんどん増えていく。
 そして、バラ園を抜ける辺りでピタリと途切れた。
 まずい。
 時計は2時9分。残り21分、戻れるか怪しい時間だ。アスレチックへとさらに急ぐ。
「戸田ー! 遅えぞー!」
 金田の声。見ると、班の奴らがみんなでこっちへ走ってきていた。
「野鳥見に行ってたんじゃねえのかよ!」
「いや、その、帰り道で迷っちゃって」
「はあ? 馬鹿じゃねーの?」
「そんなんどうでもいいでしょ!ほら急いで!」
 韮瀬の一声。金田はムッとした顔で、韮瀬に従って歩きだした。
 今来た道を、みんなで急いで戻っていく。
「間に合わない! みんな、走って!」
 バラ園をほぼ抜けた辺りで、韮瀬が叫んだ。あと4分。正真正銘、ギリギリだ。
 温室の間を、金田を先頭にして走って……ってそっち違う!
「金田こっち!」
「え、なんつった聞こえねえ!」
 早く行きすぎだ!
「こっち、だってば!」
 一旦立ち止まって思いっきり叫ぶ。
 ……う。
 まずい。気持ち悪くなってきた。
「マジかよ!」
 金田が慌ててターンしてくるのを見て、もう一度走りだす。
 けど速度が出ない。むしろ昼ご飯出てきそう。
 視界がぐらぐらする。まっすぐ走れてる、よな?
 バスが見えてきた。よし間に合った、速度落と、あれ?
 足元がおぼつかない。止まろうとするけど、重心が定まらない。体が勝手に前へと出ていく。
「おい戸田、大丈夫か!」
 妹尾先生がバスから慌てて降りてくる。
「大丈夫で、」
 このぐらいのことには慣れてますから。
 そう言おうとしたけど、吐きそうだったのでストップ。
 手すりを持ってバスに乗り込もうとしたけど、バランスがうまく取れなくて車体に思いっきり体をぶつけた。
「馬鹿、無理するな!」
 妹尾先生が肩を支えてくれる。頭が安定して、少し吐き気がおさまった。
「立てるか?」
「あー、大丈夫です」
 支えてもらいながらバスのタラップを登っていく。
「金田、お前奥いってやれ」
「あ、はい」
 走り終えたばっかりで息の荒い金田。わざわざそんなことしなくてもいいのに。
 あーでもやっぱ体動かなさそうだからそうしてもらおう。
 椅子に倒れるようにして座る。吐き気はおさまらないけど、寝れば大丈夫。すぐ直る。
 っと、その前に。
 リュックが、今西へのおみやげが潰れないように降ろしてっと。
 上にあげるだけの気力はないので、抱えたまま目を閉じる。おやすみなさい。

     

「おーい」
 身体ががくがく揺れる。なんだなんだ?
「おい、起きろ戸田」
「ん、ああ……」
 なんだ妹尾先生か。目覚めてすぐに見たい顔じゃないな。
「もう学校着いてるぞ」
「え?」
 思わず時計を見る。4時7分。1時間以上寝てたことになるのか。
「お前、すごいぐっすり寝てたな。気分はもう大丈夫か?」
「あ、もう大丈夫です」
 今回のは結構ひどかったけど、寝ればやっぱり綺麗に治るもんだ。
「ならよかったが、無理はするなよ? ほら、降りるぞ」
「はーい」
 膝に抱えていたリュックを持ち上げて、既にみんな降りてしまっているバスから外へ出た。
 みんなが班毎に並んでいる中の、韮瀬が先頭に立っているところの最後尾に慌てて並ぶ。
「よし、帰りの学活始めるぞ。まあ、特に連絡することはないんだけどな。ゆっくり寝て、ちゃんと来週学校来いよー」
「先生、俺気分が悪くなるので月曜は欠席します」
「はいはい、病気は計画的にな」
 筒井をナチュラルにスルーする妹尾先生。伊達に年は食っていない。
「じゃあ、終わりにしよう。気をつけー、さようなら」
『さよならー』
 みんな申し訳程度に頭を下げて、三々五々解散していく。
 さて、僕も帰るか。
 ……。
 …………。
 ………………。
 いや、まさかね。
 いくらなんでも、今西がこんな時間まで残ってるなんてことあるわけない、よね?
 まさかと思いつつも、僕の足はみんなとは逆に校舎の方へ向いていく。
 2年生と3年生は普通に部活やってるから、保健室は開いてるはず。
 外の窓から、中を覗き込む――いない。
 けど、この窓からじゃカーテンの問題で死角が結構ある。腰が痛いって言って寝てたときがあったし、いないかどうかは分からない。
 あ、でも待てよ。
 見えにくいけど、机の下を覗き込んでみる。
 今西はいつもあそこに鞄を置いているはずだから、いるなら鞄があるはずだけど、あ。
 田原先生が僕に気づいた。耳障りな金属が擦れあう音と共に、窓が開く。
「奈美ちゃんならもう帰ったわよ」
「あ、そうですか」
 見抜かれてる。当たり前か。
「でも待って。奈美ちゃんから『戸田くんが渡したいものがあるって言うはずだから受け取っておいてください』って聞いてるんだけど」
「え、あー……」
 背中に背負っている、今日の戦利品。
 今西がなんの疑いもなく、僕はこれを手に入れてしかもここに来ると思っているのがありがたくて、なんかくすぐったい。
 だから、
「すいません、それは直接渡します」
「あら、そう」
 誰かに渡してもらうなんて、できるものか。
 これは、必ず僕から手渡してやる。
 
「遅い!」
 開口一番、そう言われた。
 給食を持っていくときも焦らして焦らして、放課後保健室へと飛んでいったらこの様だ。
 他に人がいるので、カーテンの裏で小声で言い合いを始める。
 カーテンの中に入ると怒られるけど、壁とカーテンの間の狭い隙間のここならいいはずだ。
「遅いってなんだよ! まずはお礼だろ!」
「お礼なら給食持ってきてもらったときに言ったでしょ!」
「あ、まあ……いやそれでも!」
「じゃあありがと! これでいいでしょ!」
「それはなんか違うだろ! やらないぞ!」
「うー」
 今西は不満そうな顔でこっちを見下ろしてくる。
「ほらほら、もっとちゃんと言わないとやらないぞー」
 鞄からちょっと潰れた袋を取り出して、見せびらか
「しぇいっ!」
 素早く、長い手が伸びてくる。やると思った!
 避けて袋を後ろ手に隠す。
「よこせー」
「お礼言えー」
 狭い隙間の中で、僕の前に陣取る今西。細長いとはいえ、でかいとプレッシャーがある。
 僕はカーテンを背にしていて逃げ場がない。怒られるから派手に暴れられないし。
「逃げられないぞー」
 手がわきわきと動いている。気持ちわるっ。
「うりゃ」
 左手が背後へと伸びてくる。即座に袋を左手に持ち替えて、回避。
 で、今度は右手が伸びてくる、と。
 両サイドから今西の手が来ているせいで、左右に移動できない。
 しょうがないので、体をずりずりと下にやっていく。
「よーこーせー」
今西はどんどん前のめりになっていく。背中では手と手が懸命なバトルを繰り広げていて、
 ゴン、という音が響いた。
 背中に回されていた手が引き抜かれる。
「いっつぅぅぅ」
 おでこにその手を当てながら、今西がその場に座り込んだ。狭い狭い。
 ――ああ、ベッドか。
 前のめりになりすぎたせいで、カーテンの向こう側にあるベッドにおでこをぶつけたっぽい。
「大丈夫?」
「駄目……めっちゃ痛いしなんか血も出てる……」
「血!?」
「ほら見てよ」
 ぱっとおでこから手が離れる。そこには真っ赤な血が――どこにも見当たらない。
「そりゃっ!」
 あ。
 おでこに気をとられた隙に、今西が手を伸ばして袋を掴み取っていた。
「へへー、あたしの勝ち」
 反応できないうちに、今西は立ち上がると袋を僕と同じように後ろ手に隠す。
「ありがとねー戸田くん、引っかかってくれてー」
「え、ちょっと」
「これでお礼言ったからいいよねー」
 勝ち誇った顔の今西。すっげー悔しい。
 取り戻そうとして背中に手を伸ばす。
「甘いな!」
 袋を持った今西の手が上へと伸びる。
「届かないだろー」
「うっ」
手を伸ばしてみる。けど、今西の言うとおり袋には届かない。反則的な身長と手の長さだ。
 負けた……。
「覚えてろよ今西!」
「いいだろう、何度でもかかってきなさい。あたしは越えられないけど」
「数学で越えてやるよ!」
「いやそこは別で。もっとこう、身長的な」
「無理に決まってるだろ!」
「牛乳飲めば?」
「それでも、えっとどんだけ違う?」
「あたし今169.1だけど」
「でかっ!」
「でしょー。あたしはあらゆる意味で越えられないの」
 満足げに胸を張る今西。
 くそ、今日は僕の負けだけど、越えてやる。
 こういう騙しあいも、成績も、できれば身長も!

       

表紙

暇゙人 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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