Neetel Inside ニートノベル
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「あ、熱をはからなきゃ…」
ベッドに入ったら安心したのか一気に睡魔が襲ってきた。
薬は病院で注射されてきたので、根本の治療は白血球に任せるしかない。
けれど熱があまりにも高い場合には、と、解熱剤を処方された。
39度を超える場合は飲んでくださいと言われている。
病院で測ったときには38度前後だった。
そのときから実感としてあまり変わっていないけれど、一応念のためと思って薬箱から体温計を取り出した。

その瞬間一気に嫌なことを思い出してしまった。
体温計を買ってきたのは別れた彼氏だった。
冬に私が少し風邪を引いたときに勝手に買ってきたのだ。
そのことでくだらない喧嘩をした。
「ちょ、風邪っていっても大したことないって。いきなりこんなに大量の薬とか栄養剤とか…体温計とか、いらないし。」
1歳上の別れた彼氏は、システム会社のSEだった。給料は正直私と大して変わらない。
薬に栄養剤に体温計に、どう考えても5000円近く掛かっていた。
思いやりはありがたいけれど、彼だって一人暮らしで生活が楽なわけではない。
ちょっと咳が出る程度の症状でそこまでしてもらうのは気が引けた。
それに、恩着せがましいと言うか押し付けがましいというか、そんなふうに感じてちょっと引いてしまった。
ところが、彼はそれを聞いて激昂したのだった。
「俺がやりたいからやったのにどうしてそういう言い方するんだよ!大体、今はただ咳が出ているだけとかかもしれないけど、弱ったままで外に出たらインフルエンザを拾ってくる可能性だってあるだろ!社会人として自己管理もできないとかありえないし。きぃちゃんはそんな責任感のない奴じゃないだろ?」
正論だけど押し付けがましいんだよ!と言いたいのをグッとこらえた。
独善的な思考なのだ。この人は。
自分の善が受け入れられないことを極度に嫌う。
「……うん、私の言い方が悪かったね。ごめん。」
彼はそれを聞いて気を良くしたのか、
「俺も怒鳴って悪かったな。それより見てよコレ。この体温計、基礎体温も測れるしそれを記録できるんだぜ」
と鼻歌交じりに説明書を読みはじめた。
いや、基礎体温とか…ちょっとキモいんだけど。
本当はいろいろ言いたかったけど、何も言えなかった。
自分の好意は絶対の善と信じている。
そんな人に、それが迷惑になることもあるということをどう伝えれば良いんだろう。
正直なことを言えば、もうその時には別れるような気はしていた。

今思えば、失恋ジフテリアがその時にでも発症してくれればそれを理由に別れられたのにと思う。
大学病院で聞いたところでは、失恋の定義は「精神的・肉体的に繋がりのある男女の関係が精神的にも肉体的にも別れること」なのだという。
肉体的繋がりは、具体的なセックスの他に、スキンシップなどでも良いらしく、数値として測定可能なんだそうだけど、精神的繋がりについては数値化出来ていないと言っていた。
基本的には、セックス、スキンシップが1ヶ月以上無い男女において、精神的繋がりも切れた場合に特定の物質が分泌されるというメカニズムなんだそうだ。

前に風邪を引いてこの体温計を買ってきた時は、ちょうどその直前まで彼が一ヶ月間出張で新潟に行っていたので肉体的繋がりは無くなっていた。精神的にも、私の気持ちは大分離れていたのに。
あの時に発症してれば、それを理由に別れられたのに。
でもその当時はまだ彼のことが好きではあったんだと思う。
独善的なところはキライでキモイと思うことさえあったけれど、やっぱり風邪を引いたときに側に誰かがいてくれるのはとても安心できた。
あれ。でもそれって、彼でなくても良かったのかもしれない。
たったそれだけの安心のために、嫌いな部分やキモイ部分を見ないようにしていたんだな。
結局彼のことが好きなんじゃなくて、自分のことを安心させたかっただけだったんだ。

体温計一つで嫌なことを思い出しすぎてそのまま薬箱に戻した。
そんなに熱が高いようにも思えないからとりあえずこのままで、寝ることにする。

       

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