~~ぼくはお嬢さんじゃない!~~
この宿屋は一階が酒場になっている。
だからぼくは、階段をおりて両開きの扉を開けるだけで酒場に来ることができたのだった。
カウンターの席が空いているのでそこに座る。
「いらっしゃい。何にするね」
「えっと…エールありますか」
「あいよ」
硬貨ひとつと引き換えに親父さんがエールのジョッキを渡してくれた。
それは思ったより重く、ぼくはそれを一旦テーブルに置いた。
「おいおい、情けねえなあ、お嬢ちゃん」
と、となりから声がかけられた。
みると座っていたのは、さっきの男の人だった。
「ええと……ギルダー、さん?」
「おう。トレジャーハンターのギルダーてな俺のことよ。
この界隈じゃ知らぬものとてない男だぜ」「酒癖の悪さでだろ~?」「うっせえ!!」
うしろのテーブル席からヤジが飛ぶ。ギルダーさんはつばを飛ばして怒鳴り返した。
しかし、すぐに笑い顔になってぼくに向き直る。
「聞いたぜお前のことはよ。
俺のこと医者まで運んで、つか仲間に運ばせて、その後道の真ん中で猫と大喧嘩してたんだって? こいつあ傑作だ」
「う、………」
周りのみんなが爆笑する。顔が熱い。ああしまった、来なけりゃよかった。
まさかあれが、こんなに噂になってるなんて。
とにかくこんな状況じゃ、お酒を飲むどころの話じゃない。ぼくは席を立った。
するとギルダーさんはなおも笑いながらぼくの前に回りこんだ。
「おいおい気を悪くすんなよ。せっかく俺様が誘ってやってんだからさ。酒場ははじめてなんだろ? おごってやるよ、お嬢ちゃん」
またしてもまわりが爆笑した。
ぼくは正直むっとした。
「あなたはなにかカンチガイをしていませんか。
あなたに誘われて嬉しいわけがない。ぼくは男です。酒場もはじめてじゃないし、おごってもらうほど困ってません。むしろそのエールは差し上げます。そもそもぼくは、別にお酒は好きでもなんでもないですから!」
「なるほど」
そういうとギルダーさんは、ぼくを見下ろしにやりと笑った――
「飲めないのか。やっぱりあんたはお嬢ちゃんだな」
「何だって?!」
さすがにぼくもかちんときた。
この人はケンカを売っているのだ。
「冗談じゃない!
ぼくだってお酒くらい飲めるよ!!」
「おお、じゃやってみろや」
ぼくは自分のジョッキを手に取った。重いけど、そんなの無視して一気に傾け飲みほす。
身体がかっと熱くなる。周りから歓声が上がる。
「いいねえ!」「何だよやるじゃねーか!」「ギルダーよりいい飲みっぷりじゃん」
「はあ~~?? たかがエール一杯飲んだくれぇで何が飲んだだ! そんなん今のうちだけだ!
酒ってのはなあ、こーやって飲むんだよ!!」
ギルダーさんは隣のお客さんのジョッキをひったくり、自分の分とあわせてふたつ飲み干した。
「そ、そのくらいぼくだって!」
おやじさんは心得ているのだろう、だまってぼくにジョッキをふたつ差し出す。
ぼくはそれらをひとつずつ、両手に持って一杯、また一杯と飲み干した。
熱い。ちょっとめまいがする。でも負けていられない。
だってギルダーさんはまた飲んだ。
ほかのお客さんがジョッキをもって集まってきた。ぼくたちは交互にそれを受け取り、喉に流し込む。
まわりのひとが何を言ってるのかイマイチわからなくなってきた。目が回る。
ギルダーさんが何しているのかよくわからないけれど、ぼくより飲んでいることは確かだ。
負けてたまるか。ぼくはお嬢ちゃんなんかじゃない。
もうわけがわからないけど、このくらいなら領主館で飲んだ(はず)。それで生きてるんだもの、余裕で大丈夫なはず。
誰かが差し出してくれた椅子にどかっと腰を落とす。ジョッキを取ろうとしたら倒してしまった。手を差し出し、他の人に渡してもらう。冷たいジョッキの感触を確かめ、ぼくはあてずっぽうにジョッキを持ち上げ傾ける。
冷たい、顔の表面が。そして服が。結構こぼしてしまった。
だめだ、この程度じゃやめられない。この程度じゃまだぼくは………
「おい! 何してるんだ!!」
そのとき聞き覚えのある声が響いた。
同時に目の前でなんかがふっとんだ。
「こいつは……田舎から出てきたばっかりの、世間知らずのお人よしなんだ!!
それを挑発して飲ませるなんざ、酒飲みとして最低だろうが!!
てめえらもてめえらだ。恥を知れ!!」
再び何かが派手に吹っ飛ぶ音。遠く悲鳴が上がってる。
「ロビン待って、それより!」
リアナの声がした。どうしたんだろう、すごく切羽詰ったカンジで……
~~そしてまた“食って”しまった~~
――気がつくとぼくは柔らかな感触の中にいた。
目を開ける。
見覚えがある。どうやらここは、さっきのお医者様の家、そこにあったベッドの上、のようだ。
かすかな頭痛。でも大丈夫。身体を起こす。
「あ、クレフ! 気がついたのね」
するとリアナの声がした。ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。
ふわりといい香り。ぼくは顔を上げる。
『っあ――……水くれや、姉ちゃん』
しかし口から出たのはそんな言葉だった。
そう、ぼくの中にはいつのまにかギルダーさんが、いた。
『ぷはー、生き返った』
ギルダーさんはうまそうに水を飲み干し口元をふいた。
ロビンはものすごい目つきで言う。
「むしろてめえはそのままあの世にいってこい。」
「ロビンってば……」
リアナがなだめようとするけどロビンは聞いてない。
「クレフ、お前もお前だ!
なんだってこんな野郎の挑発に乗ったりしたんだ!!
アリスだって中にいるんだろう。それを考えたのか?!」
「………あ………」
忘れていた。正直、忘れていた。
なんてことだ。いくら頭に来たからって、アリスはすっかり眠っていたからって。
しかし、とうのアリスは叫んだ。
『待って、クレフのせいじゃない!
それ、あたしのせい……
お酒飲みに行きたいから、ていうからひとりで行かせた……
クレフは落ち込んでたのに。
あたしの判断ミスだわ。へたしたらクレフが死んでたかもしれない。本当にごめんなさい!』
「アリス………」
涙交じりのアリスの言葉に、ロビンは鎮火した。
「ごめん。それ言うなら俺も悪かった。
あんな落ち込んでたのに、ほっといて俺ひとりで温泉入ってるなんて、薄情すぎた」
「わたしもよ。治療担当なのに、クレフの気持ちをケアしてあげられなかった。ごめんなさい」
『我輩もニャ。すまんだニャ………』
『なあおい。やけに湿っぽくなってっけど、死んだとかって何のことだよ。
俺様は生きてるぜ~。もう元気ビンビン』
「元気なのはクレフだよ!
その身体はクレフのもんだ。お前はもう死んでるんだ!!」
と、ロビンが立ち上がって、ベッドの周りを囲むカーテンを開けた。
隣のベッドがあらわになる。
そこに安置されていたのは、まだぬくもりの残るギルダーさんの遺体だった。
『お、おいおい。
冗談よせよ。……ちょっとまて、そうだ、俺はまだ酔っ払ってるんだ。
じゃなくちゃ俺がもうひとりいるなんてわけはないもんなあ。
あ! ひょっとして双子の弟?! ひゃっほう。こんなイケメン世界に二人も要らないぜ。こいつが死んでよかったよかった。いやあ俺はいつもツイてる。さすがは俺様オンリーワンだな』
一瞬の沈黙のあとギルダーさんはまくし立てた。
「そう思うなら鏡見てみろ」
ロビンが壁を指差した。しかしギルダーさんはのたまう。
『めんどくせ。男が自分を確認したきゃ』
そしてぼくの手はズボンのベルトに――
『バカ!!!!!!』
そのときアリスの魂が、ギルダーさんの魂を力いっぱいぶん殴った(グーでだ)。
『変態!! スケベ!! 何考えてるのよ!!』
その衝撃はすさまじく、器であるぼくにもショックが来る。
「ア、アリス、ごめん、そのへんで……」
『仕方ないわね。
近寄らないでよアンタは。近寄ったら問答無用で消し炭にしてやるから!!』
『わかったよ!!
ったく軽い冗談だっつーに。お前みたいな凶暴な女、こっちから………
ていうかどうなってんだよ!! なんつかなかにお嬢ちゃんがふたりもいるわ、ていうかカラダは貧弱になるわ、しかも目の前に俺がいるわ!!』
「結論から言おう。あんたは死んでる。死んでそいつに取り付いてるんだ!!」
ロビンがきっぱりと言い切ると、ギルダーさんはひざからくずおれた。