Neetel Inside ニートノベル
表紙

彼女は彼女で彼女でなく
彼女は伊紙で姉妹である

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 新神伊紙。それはお隣さんの長女である。
 生まれるべき性別を間違ってしまったらしく、おしとやかさを代償に豪快さを手に入れた22歳。絶賛彼氏募集中らしいが、集まるのは舎弟だという。
 高校の時はとある組をまとめていたらしい。本人曰くまとめさせられていた。しかし、まとまってしまったのだから結果としてリーダーだったのだ。大学に入ってからはもちろん引退しているらしいけれど。今でもその手っぽいの方々が新神さんちを訪ねてくるのを知っている。ああ、怖い怖い。
 常に木刀を装備していたのだが、警察に職務質問にあってからは竹刀になった。それもどうかと思う。文句を言おうものなら言葉よりグーが速く飛んでくるので言わない。肉体言語が彼女の母国語らしい。早急に日本語を学んでください。
 そんな番長が耳元で怒鳴っていては、起きるどころか再び布団にもぐりたくなるのもまた必然と言うものだろう。
「さっさと起きろ! 学校休みだからってチンタラしてんじゃねーぞ、オラァ!」
 布団越しに足で小突いてくる。いや、踏んでくる。
 それでも起きないことに苛立ちが極まったのか、伊紙さんは俺の布団を脱がしにかかった。
「ちょ、止めてください。けだものー!」
 声だけを聞いた段階ではもしかしたら伊紙さんの真似をした鏡かとも思ったけれど、この怪力は間違いなく本物の伊紙さんである。
 俺は必死で布団をつかむ。が、腕力で勝てるはずがなかった。確認しておくと俺は男で伊紙さんは女である。
 女がか弱いという定説は、しかし定説であって、例外はこんな風に偏在しているのだった。何も俺の知りうる範囲でなくてもいいのになぁ。
「いい加減観念しろ!」
 布団を取り去り、俺はノーガード状態になる。ノーガードと言っても流石に寝巻は着てるけど。
 俺はまるで襲われた少女のように「きゃあ」と叫ぶ。

「ていうかなんで伊紙さんが俺の部屋にいるんですか!」

 あまりにも突拍子もない出来事にうっかり忘れていた。本来は一番初めに言うべき質問。なぜ、どうして、ここにいるのだ。
 新神さんはお隣さんであり、玄関から入る以外にわが家への侵入方法は無い。強いて言えば窓から窓へ――と言いたいが、そんなに家と家が近い訳ではない。うちは新神さんの家の方に花壇があるのだ。
 であるからして、こんなとある方々ならば跳んで喜びそうなシチュエーションは日常茶飯事なものではなく、むしろ初めてのこと。
 俺の質問に対し、伊紙さんは「ああ゛?」とカツアゲするヤンキーのような声を出した。っていうか元ヤンキーなのか。本家本元である。
「お前の母さんから頼まれたんだよ! 聞いてんだろ?」
「え? そんなこといってたっけ? ……ああそういえばんなこともあったような」
「忘れてんじゃねぇよ!」
 ベッドにかかっていた伊紙さんの右足が今度は俺の腹に乗っかる。そして体重がかかる。ああ、痛い痛い、内臓がつぶれる!
 寝ぼけてたからうっかり忘れていたけれど、父さんと母さんは旅行に行った。なぜ俺を残していくんだ、おい。
 俺は頑張って思い出す。そうだ、昨日のことだ。ろくでもない記憶が呼びだされる。
「お隣さんのお姉さんに頼んでおいたから、誰か一人でもゲットしちゃいなさいっ!」
 昨日の夜の母さんのセリフ。そこへ「おいおい」と制止がかかる。
「母さん、誰か一人でもというか一人だけじゃないと。二股はよくないよ。というわけで、我が息子よ。グッドラックだ」
 思い出していくうちにイラッとしてきた。
 どうしてこうもうちの両親はアホなんだろう。だから俺は高校二年生だと言うのにはしゃげない。俺までアホになったら我が家はアホの巣窟になってしまう。万年春の家だ。ただし頭が。
 夫婦そろって俺に向けて親指をぐっと立てて「「がんばれ!」」と言った時にはその指をへし折ってやろうかと思った。
 お前らは知らないのだ。この姉妹の本当の姿を。
「ぼさっとすんな! 朝飯が冷めんだろーが!」
「あれ、伊紙さん作ってくれたんですか?」
「アタシが作るわけねーだろ! 僻美だよ、僻美」
「ですよねー」
「『ですよねー』って何だ! ムカツク!」
「げふあ」
 見てくれよ、父さん母さん。自分の息子が足蹴にされてるんだぜ? 新神組の組長さんに好き放題蹂躙されてるんだぜ? これでも置いておいてよかったと言えるか? もし言えるなら俺は家出します。
 早くしないと伊紙さんが怒りの頂点を超えてスーパーなんとか人になりそうだったので、部屋を出て階段を下り、リビングへと向かう。

「お、おはよう。お兄ちゃ、ん」
「おはようさん」
 俺がリビングに入ると、僻美が声をかけてきた。こちらも鏡の真似でなくオリジナルの方である。
 僻美は、新神三姉妹のなかで最もまともな人類。父さんと母さんがアホだったばかりにまともになった俺のように、二人の姉がアレだからまともに育ったのだ。しかし、その二人のエキセントリックな個性の為に本人はちょっと謙虚である。はっきり言ってしまえば卑屈である。ただ、日常生活において実害は無いので三姉妹の中における唯一のオアシスとも言えるだろう。
 見た目も弱気なお嬢様のようで、多分この三姉妹のなかではこいつが一番好かれると思う。というか他の二人は容姿以外好かれる要素が無い。こんなこと口で言おうものなら伊紙さんに100コンボくらい食らいそうだからしないけど。
「おはよーう!」
 さて、その好かれる要素の希薄なもう一人だろうヤツが声をかけてきた。消去法で言ってまずアイツなのだが、声は全くの別人だ。声に忠実に推理するなら俺をこの悪魔の巣窟に放置して遊びに行った人なのだが、そうでないとすればやっぱりアイツだ。
 声のする方、すなわちソファー側を見ると予想通りだった。
「母さんの真似をするな!」
「あら、返事もちゃんとできないの? お母さん悲しいわぁ」
「お前は母さんじゃねーだろう! 朝っぱらからツッコませんな!」
「ふん、さーちゃんのばか」
 つーん、とあからさまに拗ねた顔をして、鏡はテレビの方に顔を向けた。つうかさーちゃんとか呼ぶんじゃねぇ。
 鏡をよく見ると、何やら食っている。ポッキーだ。
「おい、鏡朝っぱらからお菓子なんか食うなよ」
 しかし、俺の声が聞こえていないのか聞こえないふりをしているのか、鏡はテレビの方を向いたままだ。
「……ったく」
 つい溜息を吐く。
「あ。ご、ご飯ね。今持ってくるからちょっと待って、て」
 俺がテーブルの椅子に座ると、僻美があわててキッチンの方へ走っていった。本当にいい子だなぁ。
 キッチンからお盆に載せて運び込まれてきたのはご飯に味噌汁にハムエッグ、それに水の入ったコップだった。
 思わずカタカタと手が震えだす。
「な、なにどうした、の?」
 すごい、すごすぎる。
 感極まって泣きそうになっている俺に、何かしでかしてしまったのではないか僻美は慌てふためく。
「あ、いやそうじゃないんだ。なぁ、お前らは毎日こんなのを食べてるのか?」
「え。う、うん。朝はこんな感じだよ。ご、ごめんね。夜はもっといっぱい作るから、ね」
 俺は思わず身を乗り出す。その際、テーブルに勢いよく手をついたために少し味噌汁が揺れた。
「夜はこれ以上のものがでてくるのか! くそ、なんてこった!」
 だん、とグーにした手をテーブルに叩きつける。
「新神家は、毎度こんなにおいしそうなものを食べているなんて! まさか俺の身近に格差が潜んでいようとはッ!」
「だ、大体の家はこんな感じじゃないのか、な?」
「何! ということは、に、日本はもうすでにこんなに富める国になっていたと言うのか?! 何故、何故うちだけ物資の補給が遅れているッ。あんまりだ!」
 俺は椅子から立ち上がり、頭を両手で抱えてフローリングの床の上でのたうちまわった。
 だってそうだろう? なんでこんなメシが食えるんだ?
 うちの朝食は毎度味気ないカンパン。夕食はカップラーメン。しかも絶対シーフードだ。たまにカップ焼きそばだったりして、その度に俺は小躍りしたものだ。
 確かに学校に行けば学食なるものがあるが、それは国が整備したものだからだと思っていた。まさか学食を超えるクオリティをもつ食事を一家庭が作れるとはッ!
 おい、母さん。母親としての仕事をしてくれ!
「いいからさっさと飯を食え! さっきからうっせぇンだよ!」
「げふうぇ」
 まな板の上の魚のようにバタンバタンとのたうちまわっていた俺を、いつの間にかリビングに降りてきていた伊紙さんの足という釘が押さえつける。否応なくその場で停止する。
 鏡も「なにー? この子。まじキモいー。お母さん泣きそう」と言いながら、横で変なものを見るようにソファーの陰から覗いていた。だからお前は俺の母さんじゃねーだろう。っていうかその声真似マジで止めろ。
 ようやく平生を取り戻した俺は再び椅子に座り、箸を持った。
 
 その後、眩しすぎて見えない朝食を涙で濡らしながら貪ったことは言うまでもない。
 母さん、しばらく帰ってこなくても俺は大丈夫だ。というかむしろ帰ってこない方が俺は健やかかも。
 そう思ったが、伊紙さんに踏まれた鈍い痛みがやっぱり思い過ごしだと俺を改めさせるのだった。
 にしてもこの飯、美味いなぁ。

       

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