Neetel Inside 文芸新都
表紙

風華
Chapter#01 初雪 〜An earnest hope like virgin snow〜 (南)

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「………」
一人の少女が、しゃがんで窓枠をいじっていた。
少女の服装は黒いワンピースドレスに、エプロンがついたものだった。頭にはひらひらのついたカチューシャと、大きな猫のような耳がついている。
それなんてエロゲ?とつい聞いてしまいたくなる、見事な猫耳メイドさんである。
「ご主人様」
くるり、と振り返った。
基本垂れ目ののんびりしていそうな顔つきの女の子が、にこにこと微笑んでいる様は、形容しがたい可愛らしさを醸し出すものだ。
だが、今の彼女はそんな生易しいオーラを放ってはいない。明らかに口だけが笑っていなかった。その表情は、見つめられた者を凍てつかせるような鋭さを孕んでいる。怒りのせいか、耳もたまにぴくぴくと震えていた。
「……これ、なんでしょうね?」
そう言うと、人差し指を立てて突き出してきた。
「……指?」
「正確には、指についているものです」
「……あー、死滅した表皮細胞。平たく言うと手垢」
「そういうミクロの話じゃなくてです。
 ホコリですよ、ホコリ。しかも、ご主人様が掃除した場所ばかり……」
「まあまあ、素人なんだし――」
「素人だからこそ、素人の自覚を持ってください」
 手伝ってくださるのはありがたいですけど、これはあんまりです」
「……はぁ……あんまり……ねぇ」
そんな『鬼姑』をリアルで演じられても……と思うのだが。
「ご主人様は今後、一切の家事をやらないでくださいね」
「まあ……わ、わかったよ。
 はぁ……せっかく善意で手伝ってやったってのに」
「お気持ちだけは受け取っておきます。
 とにかく、金輪際、家事は禁止ですからね」
「へいへい……」
昔の柚樹は可愛かったなぁ……そう昔を惜しみつつ、俺は深くため息を付くのだった。
ちなみに柚樹というのはこの女の子の名前で、ゆきと読む。元は飼い猫だったのだが、ある日突然、女の子になっていた。事実なのだが、誰も信用してくれない。
メイド服を着て家事に従事しているのは、拾ってくれた恩を返すため、だそうだ。何故メイドなのかは知らないが、本人が固執している以上、とやかく言う権利は俺にはなかった。
「それはそうとご主人様、食材が切れていたと思うのですが……」
「あぁ、そうだったか……あれ?」
「どうか、されました?」
首を少し傾けて、柚樹は頭上に疑問符を浮かべる。
「買い物って……この前行ったばかりじゃなかったか?
 食材が切れるのが早すぎるような……」
「ご主人様、自分の胃袋に聞いてみてください……」
「………」
そんなに食ったっけ、俺? 自問自答してみるが、記憶はない。というか昨日の晩飯の事なんていちいち覚えちゃいない。記憶領域の無駄だ。
「まあ、あれだけ食べてくだされば、作る側としてもやりがいがあるんですけどね。
 それでは、買い出しに行きましょうか」
「散歩がてら、でいいよな」
「はい」

外は一面の銀世界だった。別に珍しい光景ではなく、亜寒帯に属する上、おまけに山間部でもあるこの街では、別段珍しくもない事だ。
「寒くなってきましたね……」
コートを羽織り、ニット帽とおそろいの色のミトンを身に付けた少女は、印象をガラリと変えていた。
「帽子……気をつけろよ? 俺の社会的地位がかかってるんだから」
「はい……」
行っておくが、断じて俺に猫耳趣味はない。奇異の視線に晒されたくはないのだ。
「戸締りは大丈夫ですか?」
「ああ。借り物の家だから、ちゃんと管理しないとな」
「そうですね」
この家は叔父からの借り物である。とはいっても、その叔父は隣に住んでいて、俺たちが借りている物件は事実上「離れ」のようなものなのだが。
「そういえば今日、いとこの方がイギリスから帰られるんでしたよね?」
「ああ、南……だっけ?」
「ご存知ないんですか?」
以外だったらしく、柚樹は少しだけ目を丸くした。
「小さい頃遊んだのは覚えてる。
 でも、それだけなんだよな。ずっとイギリスだったし。
 9年くらい向こうにいたんじゃないかな」
「えらく長い留学ですね……」
「確かに、留学っていうより滞在だな」
まあ、どんな子なのかは知らないけれど。
海外に留学するくらいなんだから、きっと知的な感じの子なんだろう、と妄想してみる。メガネが似合う感じで……
「ご主人様、なににやけてるんですか」
「や、なんでもない」
「………」
訝しげな視線に見つめられる。見事なジト目だった。
「もしかして、妬いてるのか?」
「な、な、なににですかっ」
あたふたと少女が暴れ、帽子の下の耳がぴくぴくと動いた。
「も、もう……ご主人様の今日の夕飯はもやしだけです!」
「そ、そんな殺生な~」
そんなドタバタを繰り広げつつ、雑談しながら歩いて、並木道のあたりに差し掛かったところだった。突然、大きな音がした。
「きゃーっ」
悲鳴とともに、ドサドサと何かが落ちるような音が聞こえてきた。そして次の瞬間、俺は自分の隣から柚樹が消えているのに気づいた。
「柚樹、大丈夫か?」
視界右下に出来た『柚樹ダルマ』に呼びかけてみた。
「うぅ……ツイてないです……」
雪国ではよくあることなのだが、枯れ木に溜まった雪の重みに枝が耐え切れず、プチ雪崩が起こることがある。大きな塊が振ってくると危険だが、この程度なら問題ない。そういう意味ではツイていたともいえるだろう。
「大丈夫ですか?」
と同時に、後ろから声がした。
振り返ると、小柄な女の子が立っていた。ふかふかの赤いセーターに、白のロングパンツ。赤っぽい茶色のショートヘアは、いかにも活発そうなイメージを与えてくる。結構可愛い。
「ああ、大丈夫っぽい。あまり大きな塊じゃなかったみたいだ」
「そうですか……良かったですねっ」
「心配してくれてありがとうな」
「いえいえ……」
「だ、大丈夫じゃないですよ~」
すっかり立ち直った柚樹は、雪まみれの姿を晒していた。ぱたぱたと雪を払っているが、コートが毛羽立った生地だからなのか、なかなか細かい粒が落ちそうにない。
「ふえぇ……」
「よしよし、飴でも買ってやろう。だから泣き止め」
「こ、子供扱いしないでくださいっ」
「飴は……ちょっと、欲しいですけど」
「おいおい……」
「……あはは……」
つられてか、苦笑を浮かべる女の子。
「じゃあ、行こうか、柚樹。
 君、ありがとうな」
「いえいえ、ボクは何もしてないですから」
「……ボク?」
特徴的な一人称に、思わずその部分だけを反芻してしまう。
「あ……ヘンかな?
 昔からこうなんだけど……どうしても癖が抜けなくて」
「いや……いいと思うぞ」
「そっか……ありがとっ」
満面の笑みを浮かべる。どうやら、本当にその一人称が気に入っているようだった。
「じゃ、そろそろ行きます。元気でね」
「おう、達者でな」
後ろを向くと、女の子は早足で歩いていった。いや、小柄だからそう見えるのかもしれない。
「……可愛い子だったなぁ」
「ちょっと、ご主人様?」
ちょっとだけむくれた顔で、こちらを睨みつけてきた。
「ん、なんだ?
 私というものがありながら、とでも言うつもりか?」
「っ――い、言いませんよっ」

帰り道を歩いていると、赤い鳥居が見えてくる。
朱が禿げかけた鳥居は、いつ見ても田舎町にの風景に、なんら坑原反応を起こすことなく溶け込んでいた。
「風花、いるかな?」
「ご主人様、また女の子ですか?」
そう訊いてくる柚樹は、この上なく不機嫌そうだった。
「またって、そんな人をプレイボーイみたいに」
「ぷれい……」
「ご主人様、不埒にもほどがありますっ」
「はいはい、妬きもちはもういいから」
「そそそそんなんじゃないですよ~」
「……ふぅ」
「な、何ですかっ、その意味深な溜め息はっ」
……結局、コイツは自分が構われなくなるのが嫌なのだ。柚樹が寂しがり屋なのはよく知っていた。
「あのですね、こ主人様はご主人様なんですから、もう少し節度を持って頂きたく……」
「俺がいつ節度をなくしたよ」
「あぅ……と、とにかく、ですっ」
やたらと耳がピクピク動いていた。ちなみにこれはごまかしている時のサインであることが多い。
「まあ、挨拶してくるくらいならいいだろ?」
「そうですけど……」
「じゃ、行くか」
ちょうど鳥居の前辺りに来ていたので、軽くその下をくぐる。買い物の荷物は思いの外軽いから、神社までの道のりも若干楽そうだった。
「はぁ……山道は好きですけど、疲れるのは好きじゃないです……」
「……そりゃまた……」
そんな会話を交わしつつ、舗装されていない通路を歩いていく。雪は、以外と深くはなかった。

ようやく到着した。境内の雪はほとんどが払われ、ところどころぽつぽつと白い斑点が残っている。積雪を放っておくと、凍結してしまうからだろう。大きい神社だけあって、そこそこ参拝客はいるようだし。
「いつ見ても無駄に広い境内だな」
「ご主人様、そんな事を言ってはバチが当たりますよ?」
「境内なんて飾りさ。偉い人には分からんだろうが」
と、どこかで聞いた台詞を言ってみる。
「それで、風花さんは、どこに?」
「さあ、禊でもしてるんじゃないか? 巫女だし」
「こ、この季節にですかっ」
ちなみに禊とは、水で身体を清める事である。決していやらしいニュアンスは込めていないので信じてほしい。
「そんなことやらないわよ、昔じゃあるまいし」
むっつりした声に振り返ると、やはりむっつりした表情の女の子が、ジト目でこちらを睨んでいた。二つに結った髪型はどう見ても、コスキ(雪かきの道具)と巫女装束という衣装に似つかわしくないが、この少女には十分似つかわしい。
それはそうと、今日はジト目大放出デーなのだろうか?
「風花さん、こんにちは」
「ん、こんにちは、柚樹ちゃん」
あからさまに俺をいないことにしたような挨拶だった。
「で、何してるんだ? コスキ戦闘術の訓練か?」
「……隆一を殺すんなら、コスキじゃなくて長刀を使うわよ」
目が本気だった。もしそうなったら、柚樹にポールアームでも持たせて対抗させよう。
「で、何しに来たの? お参り?」
「いや、ちょっと風花で遊ぼうかと――」
ギロリ、とビームライフルばりの視線が刺さる。
「……風花『と』遊ぼうかと」
「どっちにしろお断りよ、バカ」
「まあ、実のところ、ただの挨拶なんだけどな。帰り道にちょっと見えたから、寄ってみただけだ」
「来なくていいからっ……隆一、相当な暇人なのね」
「いや、風花と過ごす時間は貴重だぜ?  会いたいから来たんだよ」
「うぇ!?」
風花の頬が、一瞬にして赤く染まる。
「い、いきなり何冗談かましてるのよっ」
「冗談だと思うかもしれんが、本当に冗談だ」
「わ、私は別に隆一に会いたいなんてこれっっっっぽっちも思わないし? 暇な時に来てもらうのは全然構わないけど、なんで私なんかに会いに来るっていうのよっ」
……聞いてねえ。しかも台詞が支離滅裂だし。
「と、とにかく、早く帰ってよ!
 雪かきの邪魔! 隆一がいると気が散るからっ」
「という事らしいから、引き上げるぞ、柚樹」
「え……あ、はいはい」
二つ返事をした柚樹の手には――
「……すまんな、長時間ほっといて」
「いえ、暇潰しはできましたから」
よっぽど暇だったのだろう……小さな雪だるまが握られていた。

「本当に仲がよろしいんですね」
帰り道、柚樹は見事にむくれていた。さっきまで大人しかったのは他人の前だったかららしい。
「あのやりとりのどこから睦まじさを感じたのかは知らんが、まあ否定はしない」
「………」
やはり今日はジト目大放出デーのようだった。柚樹の機嫌の悪さが臨界点を突破しようとしていた。
「いいですね、モテモテで」
「おいおい、大袈裟だな」
「つーん」
口に出して言ってしまうあたり、まだ可愛らしいものである。
まあ、こう一度すねてしまった柚樹に、対処法はない……強いていうなら日にち薬である。明日の朝になればけろっとしているだろう。
「じゃ、さっさと帰るか。南も帰ってきてることだろうし」
「………」
結局、帰り道、柚樹は一言も喋ってくれなかった。

     

古時計の振り子の音が、静かな空間に反響していた。
見るからに和風の客間には、掛け軸なんかが飾ってあった。掛け軸のことは分からないが、あの叔父の持ち物だ、たぶんかなりの年代物なんだろう。TVの鑑定番組でどれくらいの値がつくのかは置いておいて。
目の前にある背の低いテーブルには、金箔まで入った本格的な漆器の盆の上に、緑茶がなみなみと注がれた茶碗が乗っかっていた。
そして俺も柚樹も、何故か正座させられていた。座布団は分厚くて柔らかいが、それでも辛いもんは辛い。
……お見合いか何かか?
「もうすぐ来ると思うから、楽にしててくれ」
「は、はあ……」
こんな堅っ苦しい空間に詰め込んでおいて、そりゃないぜ、叔父さん……去っていく叔父に、心の中でそんなことを呟いてみる。
「一体どんな方なんでしょうね?」
「留学するくらいだから、相当インテリなのは間違いなさそうだな」
「いんてり……」
柚樹は頭を抱えて考えこんでいたが、
「た、体力なら私だって負けてないですっ

そんな事をのたまった。
「なんで対抗意識燃やしてるかな、こいつは……」
相変わらずの柚樹から目をそらし、壁際の古時計を見やる。流石に100年間動いたりはしていなさそうだが、これまた年代物っぽい。
文字盤は6時半を指している。従姉妹は散歩に出ているらしく、帰宅は6時のはずだった。
「いんてりは時間厳守、じゃないんですか?」
「時間にルーズなインテリもいるさ。
 特に向こう……外国じゃ、電車やバスが遅れてくるなんてザラらしいし」
「そ、そうなんですかっ」
衝撃の事実! だったらしい。まあ、俺も初めて知ったときは驚いたもんだが。
「欧米は日本以上に時間に厳しい社会なんだと思ってました……」
「……まあまあ」
ショックに打ちひしがれる(?)柚樹の相手をしていた、そんな時だった。
「待たせたね、隆一君」
「うわっ」
思わず座布団から十数センチ浮遊してしまった。
「い、いつのまに、ご主人様の隣に……?」
「叔父さん、音もなく隣に立たないでください」
「ははは、すまんすまん」
豪快に笑う富豪のおっさん。下手な暗殺者に狙われるより、この人に狙われたほうが256倍怖いと俺は思う。
「やっと帰ってきたようだ。いやぁ、道に迷ってしまっていたようでね」
「道に……」
確かに、バス停周りの道は、なかなか入り組んでいた気がする。俺自身はバスを利用しないので、よくは知らないが。
「じゃ、もう少し待っててくれないか。すぐに上がらせるから」
「分かりました」
……従姉妹が入ってきたのは、そんなやりとりのすぐ後で。
「ただいま、お待たせしました~……ってお父さん、何この部屋!?」
ひと目覗いたかと思うと、すぐに引っ込んでいった。
「はっはっは、驚いただろう娘よ」
「……もう、相変わらずなんだから」
それは、どこかで聞いたような声で……
襖から一瞬覗いた、赤いセーター。下は白のロング……この子って、まさか。
「まあ上がってくれ、従兄弟も待ってるぞ」
「わ、わかったけど……」
そんな声ののち、襖を開けて入ってきて……
「っ!?」
目の前で、驚いたような顔をしたのは。
小柄で。
赤いショートヘアで。
服装はさっき言ったので省略。
「さ……さっきの……男の人と……」
「紹介しよう隆一君、我が自慢の娘、南だ……あれ?」
「………」
女の子……従姉妹の南は、硬直したままで。
(マジかよ……)
俺も、柚樹も、同じように彫像みたいになっていて。
「え?
 え? え? え?」
凍りついた空間の中、叔父さんだけがただ一人、戸惑ってキョドっていた。

「昨日はビックリしたね~」
「まったくだな」
そんな会話を交わしつつ、並木道を歩く。こんな可愛い子と一緒に歩けるとは、俺の人生にかつてない役得かもしれなかった。
散歩がてら街を案内する。そんな大役を仰せつかったのだが、果たして大丈夫だろうか?
「しっかし、まさかこんな感じの子だったとは……」
「なにが?」
きょとんとした顔で尋ねてくる。
「いや、もっと知的でお堅そうなのを想像してた」
「実は、ボクも昔はそんな感じだったんだよ」
「……マジに?」
「ちょっと、それどういう意味?」
ぷくーっと頬に空気を溜めてみせる。彼女自身の幼い雰囲気も相まってか、なかなか様になっていた。
「まあ、嘘なんだけどね、実際」
「……そうか」
「子どもっぽいのは昔からだから……」
「………」
南の瞳が帯びた哀しそうな雰囲気は、明らかに『子どもっぽい自分への情けなさ』から来るものではない気がした。
「そっか……隆一君……覚えてないんだ」
「え?」
「う、ううん、なんでもないよ?」
小声で聞き取れなかったけれど、まあ、深く追求するのはやめておこう。
「……まあ、南ちゃんは南ちゃんでいいんじゃないか?」
「ん、今の自分は嫌いじゃないよ」
「ならいいじゃん、それで」
「うん」
元気に返事を返してくる南ちゃんは、もうすっかり元通りだった。

「ここが商店街だ。ヤンキーやチャイニーズマフィアがうろうろするブラックマーケットでもある。だから近付かないように」
「そ、そうなの!?」
「すべからく冗談だ。ってか昨日も来てたし」
「………」
苦笑されてしまった。
「まあ、特に案内しとく場所もないかな。
 今日は時間もないことだし」
「ん、分かった。また今度連れてきてね」
「おう」
「絶対だよ?」
「野武士に二言はない」
そんな(主に俺が)お馬鹿な会話を交わしつつ、次の目的地へと向かう。
引き返して、5分ほど歩いた頃だろうか。昨日とまったく同じ帰り道を歩いていくと、昨日とまったく同じように鳥居が見えてくる。
まあ、神社には寄らなくていいんだけど……
「あれ? 隆一?」
と、前から声。鳥居の下に、巫女装束を着た幼馴染が立っていた。
「よ、シャーマン」
「……いちいち英語で言わなくていいから。
 その子、知り合い?」
「彼女だ」
「うぇ!?」
と風花が大声で驚いてから、
「……え?」
「ええええええっ!?」
数秒の間をおいて、南が驚いていた。
「って、なんでこの子まで驚いてるのよっ」
「ジョークだからだ」
「……なんだ、びっくりした。
 でもやっぱりって感じね~、この子と隆一が釣り合う訳ないもん」
「俺がナイスガイ過ぎてか」
「逆よ逆!」
「あ、あはは……」
またも苦笑されてしまった。どうやら、俺には人を苦笑させる能力があるらしい。
「まあ、冗談置いといて、この子は南。
 俺の従姉妹なんだけど、昨日イギリスから帰ってきたんだ」
「イギリス……?」
少し驚いたような顔をする。まあ、無理もないか。
「で、南ちゃん、こいつは風花って言って、俺の幼馴染みたいなもん。
 ふうかって呼び捨てにしていいからな」
「なんで隆一がその台詞を言うのよ!
 ま、まあ、呼び捨てにしてもらうのは構わないけど……」
「ごめん、そういうの苦手だから……
 風花ちゃん、でいい?」
「ん、じゃ、それで。
 よろしくね、南ちゃん」
「こちらこそ」
何やら(俺をシカトして)親睦を深めている二人。この疎外感は一体何なんだろう?
「じゃ、私、今から雪かきがあるから。じゃあね、南ちゃん」
「うん、じゃあね」
昨日に引き続き俺を無視し、風花はツインテールをなびかせながら林道の奥へと引き上げていった。なんて薄情な奴なんだ。
「隆一君、いつもあんな感じなの?」
「主にあいつの前でだけな。いじると面白いんだ」
「……はぁ……いじる……」
「まあ、軽いスキンシップみたいなもんだ。
 なんだかんだ言って仲は悪くないしな」
「……そうなんだ」
それでも南は、なんだか複雑そうな顔だった。やっぱり女の子の考える事はよく分からない。
まあ、そんな様相もつかの間で、ゆっくりと談笑しながら街を回った。

「巫女伝説?」
「ああ、この街に代々伝わってるんだ。物の怪が村を襲ってきて、巫女が命と引き換えに助けましたーとかいう」
「ん……なんだか、どこにでもありそうな話だね」
「まあ、実際は、そんな単純な伝説じゃないらしいけどな。
 俺のは要約だ。詳しい話は風花が知ってるんじゃないか?」
「風花ちゃんが?」
「ほら、一応は巫女だし。あの神社、神様の他にその巫女さんも祀ってるって話だぜ」
「そうなんだ……今度、聞いてみようかな」
南ちゃんの目が少しだけ輝いていた。もしかして、こういう類の話が好きなんだろうか?
「伝説と言えば、そこの石碑も伝説関係だぞ」
「え? あれ?」
南ちゃんが指差した先には、大き目の石碑が立っていた。掘られた文字は昔の字体だからか読めないが、多分『猫飼塚』とでも書いてあるんだろう。
「猫飼塚。この街に伝わるもう一つの伝説の石碑だ。
 伝説っていうか実話らしいんだけど」
「へぇ……どんな伝説?」
「飼い猫をとても大切にしていた男がいました。
 ある日、飼い猫が逃げました。男は三日三晩飲まず食わずで探し続けました」
「それで、どうなったの?」
「男は野垂れ死にましたとさ」
「………」
「あ、あはは……一滴の救いもないお話だね」
「ああ、どうして伝説になってるのかすら分からん。
 とにかく、その男の骨があそこの塚に埋められてるんだとよ」
「そうなんだ……」
まあ、自分の命さえ落としてしまうくらい猫が好きだったんだ。死後評価されてもおかしくはあるまい。
ほんとに、よっぽど猫が好きだったんだろうな……

「……随分長い間デートされていたんですね」
南ちゃんと別れ、家に帰ってみると、またもや柚樹がヘソを曲げていた。
「デートって……街の案内だって言っただろ?」
「……お夕飯、作っておきました。
 適当に食べてください」
「お、おい……」
俺の制止の声も聞かず、柚樹はさっさと居間を出て行ってしまった。多分、部屋に引きこもるんだろう。
やれやれ……
「ま、夕飯を頂きますかね……って、アレ?」
次の瞬間、俺は我が目を疑った。
テーブルに載っていたのは、逆さにされた茶碗と、皿一杯の……
(……柚樹め、公約を実行しやがったか)
大きな皿の上に、どう見てもファミリーサイズな量のもやしが、どーんと置かれていた。
「………」
「……しかも、生で食えと?」

     

「とまあ、そんな訳なんだ。リアルにもやしだけにされるとは思わなかった」
「うわ……きっつ……」
「という訳で、何か食わせてくれないか? もやし以外で」
「ん、いいよっ」
快諾してくれる南ちゃん。ああ、なんていい子なんだ……彼女の背中に天使の羽が見えた気がした。
「じゃ、何がいい? ピザでも焼く?」
「お、あるのか?」
「ん、イタリアンはだいたい作れるから」
「そうか、ならそいつで頼む――なぬ?」
だいたい作れるとは、どういう事なんだろう。
「えっと、確認しておくが、ピザって冷食か何かだよな?」
「……え、違うよ?」
あっさり否定されてしまう。まさか庭にピザのなる木でもあるのか……という切り返しが浮かんだが、レベルが高すぎるのでやめておいた。
「生地から作るに決まってるじゃん」
「……マジに?」
「うん、マジマジ」
嬉しそうに答えてくる。見掛けによらず、そんなシェフスキルがあったとは……いやシェフはフランス語か。
「凄いんだな、南ちゃんは」
「え? そ、そんな事ないよっ」
「いやいや、俺にはピザを生地から作るって発想すらなかったから」
「お、おだてても何も出ないよ……?」
顔を真っ赤にして、下を向いてしまった。そんな仕草がなんだか可愛らしい。
「じゃ、じゃあ、作ってくるねっ」
「ああ、首をブラキオサウルスにして待ってる」
「……よく分かんないけど、ちょっと待っててね」
台所へ引っ込んでいく南ちゃん。流石に『首が長い動物』の例としてはマイナーすぎたか……
「……ふぅ」
台所とリビングを隔てるドアが閉まり、何かをあさるような物音が聞こえた。
南ちゃんのピザはこの上なく楽しみだ。先ほど大量のもやしに輪姦されてしまった舌も、きっと回復してくれる事だろう。
それはそうと、人様の家のリビングというのは落ち着かないものだ。親戚で、さらにお隣だというのに、俺は小牧家のリビングにほとんど上がったことがなかった。
しかし生地からって……一体どうやって作るんだろう? 産まれてこのかた、俺にとってピザというのはスーパーの冷蔵ケースで売られているか、宅配のバイクが運んでくるか、レストランで注文すると出てくるものでしかなかった。少なくとも、家庭料理という位置付けにはなっていなかったと思う。
結論。非常に気になる。女の子に料理を作ってもらう時、台所に入るのは好ましくないらしいが、この好奇心を放っておけようか。
そういう訳でこっそりとドアに近付――きかけた、その瞬間だった。
「あ、隆一君」
「あわわっ」
突然開いたドアに、思わず後ずさって尻餅をつくような格好になってしまう。なんとも間抜けな構図である。
「ど、どうしたの……?」
「や、いきなりだったもんで」
「そっか、ごめんごめん……
 台所には入らないでねって、言い忘れてたから」
「は、はぁ……」
「じゃ、ゆっくりしててね」
スマイルを振り撒き、再びドアの向こうの未知の世界へと旅立っていく南ちゃん。バッチリ釘を刺されてしまった。
「仕方ない……諦めるか」
今度ピザ工場に見学にでも行こう。工場で作るもんなのかどうかは知らない。
やっぱり覗いてみようかな、とも思ったが、そんな勇気はなかった。ピザが出来上がるまでの数十分、結局俺は室内犬のごとくおとなしくしていたのだった。

ようやく俺の前に登場したのは、オーソドックスな薄い生地のピザだった。具もサラミやトマトなどの基本的なもので、店に売っているものなのかと見まがってしまう出来だ。
「じゃ、早速いただいていい?」
「どうぞどうぞ」
一切れを持ち上げると、チーズが見事に糸を引いた。生地はパリパリで折り曲げられそうになかったので、そのままぱくつく。
チーズとトマトがブレンドされた、マイルドな味わいが広がった。
「どうかな?」
「ありがてえ!ありがてえ!」
「そんな、昔の農民みたいに感想言わなくても……」
「でもこれ、冗談抜きで美味いよ」
「そっか……ありがと」
少し頬を染めて、視線を泳がせた。
「店でも出せるんじゃないか?」
「そ、それは誉めすぎだよぉ……」
さらに赤くなって、うつむいてしまった。風花もこれくらい可愛いといいんだが……いや、あれはあれで悪くないんだけど。
「それより、南ちゃんは食べないの?」
「え……あ、いいのかな?」
「いいのかなって……作った本人だぜ?」
「ん、そうだね」
躊躇いながらも、ピザに手を伸ばす南ちゃん。一口が俺のより小さかった。
「ん、今回はうまくいったかな……」
「今回?」
「あ、うん……たまに失敗しちゃうから」
「……そうなのか」
料理に失敗した南ちゃん……なんだか、ものすごくスムーズに想像できる光景なのだが、気のせいだろうか?
「そういえば、南ちゃんって留学してたんだよな?」
「うん、一応ね」
「って事は英語ペラペラだったり」
「……喋れないことも、ないと思う。一応、日常生活くらいできないとね」
「それでもすげーよ……俺なんか英語のテストは赤点がデフォルトだし」
「あ、あは……」
……叔父さんは『我が娘は天才だ』とか言っていたけど。
疑う訳ではないが、南ちゃんからそんな雰囲気は一切感じられなかった。ただの天真爛漫なボクっ子にしか見えない。少し実験してみていいだろうか?
「なあ、南ちゃん」
「なに?」
「96×54は?」
「え……えっ!?」
慌て始める南ちゃん。というか、唐突過ぎたか。
「ご、ごめん、よく聞こえなかったからもう一回」
「あー……69×54は?」
「……隆一君、さっきのと違う気がするんだけど……」
「はは、気のせいだよ気のせい」
「………」
やはり俺にはジト目の神様がついているらしく、南ちゃんにまでジト目で睨まれてしまった。
「答えは……3726だけど」
「おお、解けたのか」
「合ってるよね?」
「……え?」
黙り込むしかない俺。だって、いきなりそんな事を言われても……
「……隆一君?」
「スマン、手元に電卓がない」
「あ、あは……」
静かになった部屋に、乾いた笑い声が――響くことなく、途中で途切れたのだった。

翌朝、目を覚ましてみると、すっかりご機嫌が治った柚樹が、
「おはようございます、ご主人様。今日もいい天気ですね」
とかのたまいながら窓を拭いていた。けろっとしすぎで逆に怪しい。
「あ、朝ごはんでしたら、テーブルに載っていますよ」
「そ……そうか」
ごくり……唾を呑む音が、やけに大きく鼓膜に反響する。
恐る恐るテーブルの上を確認してみる。昨日みたいにでかい皿がどーんと動座しているのではなく、普通のサイズの皿に、重ねたホットケーキが置かれていた。
結論を言うと、もやしじゃなかった。神様ありがとう。
「うおお、俺はなんて幸せ者なんだっ」
「どうされたんです? 地獄で仏に会ったような顔をされていますけど」
「地獄でホットケーキに会ったんだよ!!」
「は……はぁ……」
きょとんとした柚樹の様子もそこそこに、俺は全然ホットじゃないホットケーキをがつがつと消費していく。普通のメシのなんと美味い事か。
「柚樹、おかわり!」
「え……え、ありませんよ……」
「今すぐ焼け、ご主人様の命令だ」
「やです。ご自分で焼いてください。この汚れを殲滅するまで、戦線離脱は許されないんです」
「俺が焼くと、小麦粉の塊にしかならないんだよなぁ……そうだ、南ちゃんに焼いてもらおう」
その瞬間、ぴくり、と猫耳が動いた。
「……ご主人様」
笑顔の柚樹がそこにいた。しかし、依然として笑っているのは目だけである。どうやら、何かのスイッチを入れてしまったらしい。
「ゆ、柚樹……?」
「ええ、焼いて差し上げます。何枚でも焼いて差し上げますから」
「ちょ、柚樹……それはありがたいけど……」
「大人しく座っててくださいっ」
逃げ出そうとした俺を引っつかみ、有り得ない怪力で椅子に座らせると、柚樹は冷蔵庫上のホットプレートを取り出す――うわ、片手で扱ってやがる。
「楽しみにしていてくださいね」
「あ、ああ……」
俺の脳内には、不安が期待に圧勝し、豪華なペナントを振りかざして行進するビジュアルが浮かんでいた。

その後のことは聞くも涙、語るも涙、である。
次々と出てくるホットケーキ。食えという無言の圧力。もはや小麦粉と砂糖の味しかしないそれを、ただただ胃袋に詰め込んでいくという作業。ヒトラーでさえ、あそこまで過酷な拷問を思いつきはしなかっただろう。
「ふぅ……」
ベッドに横たわり、ため息をついてみる。胃袋が張って、苦しいというよりは痛かった。
――コンコン。
「……うい」
「失礼します」
気だるげな俺の返答に、ドアが開く。猫耳をぐったりと萎えさせた柚樹が立っていた。
「ご主人様、申し訳ありませんでした……つい、カッとなってしまって」
「謝るくらいなら、最初からすんじゃねーよ……げぶ」
「で、でも、苦しそうにされていますっ」
真っ直ぐにこちらを見つめる瞳の端には、うっすらと涙が浮かんでいたりした。
「私……ご迷惑、かけてばかりですね」
「はは……まあ、それ以上に役に立ってるから」
「でもっ……」
起き上がることができれば、頭の一つでも撫でてやるところなのだが、残念ながら今の俺の運動性はクラゲ以下だった。
「で、でも、たまには柚樹とも遊んでくださいね?」
「分かってるよ。今度からすんなよ?」
「はい……」
「申し訳ございません、お掃除が残ってるので。
 本来ならば、看病までするのが当然なのですが……」
「看病て……満腹で倒れてるだけだっつの。
 それより早く、掃除行って来い」
「はい、失礼します」
結局、猫耳をぐったりさせたまま、柚樹は部屋を出て行ってしまった。いつもこれ位しおらしいと可愛いもんなんだが。
「ふぅ……」
時間の経過のせいなのか、柚樹が謝ってくれたお陰なのか。どちらなのかは知らないが、胃袋がさっきより若干スッキリしていた。

       

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