竜殺しの結界術、『ドラゴンキラー』。
対古龍用の結界術(結界術というのも、つまりは魔法の応用だ)とされていて、その効果は“古龍の力を大幅に制限させる”というもの。
魔力がたくさんいるだとか、そういう制約も多く、色々と魔方陣やらなにやらの準備が必要で、普通に考えたらそんなものを準備している内に殺されてしまうため、あまり実戦向きとはいえない魔法だ。
とはいえ、もしもそれが成功しようものならその威力は折り紙付きで、古龍に勝つことも夢ではなくなる――そう言われている。
古龍が堕ちた。
具体的にどうなったかというと。
「……これは、何だ」
古龍は、“人間の姿となっていた”。
一見すると、渋いお兄さん、のように見えなくもない風貌だ。魔力によって黒衣のようなものが形成されていて、彼はそれに身を包んでいた。自分の身に何が起きているのか理解できない。そんな顔だった。
しかし。
困惑しているのは彼だけでなく、ルゥラナとシノイもだった。
最強の存在である『最古の古龍』に対して、結界術を成功させたという事実。それも、たった二人で。その事実が、二人を困惑させていた。
「いやいや、さすがレクお兄ちゃんです。メルちゃんの狙いをきっちりと見抜いてくださるなんて。今だけはその変態さに感謝させてもらいます」
「ふふふ、シスコンの変態に対して、妹のことで分からないことなんて無いに決まってるじゃないか」
嬉しいような、悲しいような、そんな表情のメルミナだった。というより悲しい。
「……」
グレイズヴェルドは、自分の力を見定めるかのような仕草をする。
「……一割、といったところか」
特に感情も出すことなく、そう呟く。笑うでもなく、悲しむでもなく。
しかし、彼はそれでも――笑った。
「面白い」
その場にいた全員に戦慄が走る。本能が、危険を告げている。
明らかに不利な状況であるというのに、彼、グレイズヴェルドはなお笑う。
「我ともあろう者が、随分と油断していたものだ。自業自得、といったところか。情けないものだ。だから、ここまで我の力を制限されることになったのだ」
自虐的に、彼は言う。
「で」
その時、周囲の空気が、変わった。
「それが……何だというのだ」
全員が、息を呑む。呼吸が、止まる。
それは――恐怖。絶対的なる恐怖。存在の次元そのものが、違う。
「我が我である以上、何者にも我を倒すことなど不可能――それこそ、『魔王』でなければな。……ふむ、結界術か。我を結界にかけるとは、相当の力の持ち主であろう、汝ら。対古龍用の結界術があるとは風の噂で聞いてはいたが――なるほど、たしかにこれは強い結界だ。強引には破れそうもない。となれば、我がすべきこと……汝らには分かるな?」
「……」
「結界術を破るには、術者に解かせるのが手っ取り早い。さあ、……宴を始めようか」
一割。
随分と弱っているように聞こえる数字だ。
けれど、その“十割”という数字の桁が違えばどうなるか。“一割”さえも、他の一般の古龍並みだとすればどうなるか。
答えは簡単、敗北だ。
圧倒的な力を“少々”小さくしたからといって、それはあくまで圧倒的。それ以下にはならない。
結果――グレイズヴェルドの力を一割に抑えた状態でさえも、ルゥラナたちは全滅。
手も足も出ないとは、まさにこのこと。
「……安心しろ。我は、人間は殺さぬ。そこにいる、余裕たっぷりの『魔王』の先祖との契約だ。違うことはしない、決してな」
彼の声が、その場に響く。
実際は響いてなどいないのだろうけれど、全員が全員意識が朦朧としかけているため、そう聞こえるんだろう。唯一、まともに残っているのはシノイのみ。
(つ、強い……)
そう彼は思う。彼はメイラの治癒に専念していたため戦いには参加していないが、それでも、さっきまでの戦いというか一方的な遊戯は見ていた。実際、グレイズヴェルドからしてみれば、さっきの戦いなど遊戯にすぎない。そう思える戦いぶりだった。
「さて、残る汝を倒せば『魔王』が直々に戦うと言っていたが、果たしてな」
「くっ……」
勝てる見込みがない、そう思えるのは当然だった。いくら彼といえど、いくら相手が弱体化していようと、それでもなおある実力差。戦うまでもなく、それが分かってしまう。
それでも彼は、勝つための算段も考えている。
ルゥラナたち3人の戦いぶりを見て、正面からぶつかっていくことの無謀さは分かった。ならば、相手の油断を利用しての奇襲しかない――そう考える。だが、それでも勝てる気がしないのだ。
グエイズヴェルドがこれまでどれだけ生きてきたのかなど彼は知らないが、それでも、長く生きていて、その分冷静に物事に対処する力も持っているだろうと考える。奇襲が奇襲としての意味を成さない。それでは意味がない。
かといって、それ以外では全くと言っていいほど勝ち目もない。彼がどうするか迷うのも、当然だった。
(こうなったら、一か八か――)
と思い始めたところで、事態は動く。
ルゥラナたち三人が、再び動いたのだ。
「あー……頭痛てえ」
グレイズヴェルドは当然武器など持っていないので、さっきは思いっきり打撃によって打ちのめされたのだった。その打撃がまたすごいの一言だった。
「うー、む。私も、これが女の子にやられたものならばむしろ嬉しいものなのだけれどね。男にそういうことをされるのはいただけないというか、なんというか」
「……こんなときまで冗談言うのやめてください、レクお兄ちゃん」
立ち上がったばかりでも、やはりレクシスはレクシスだった。
「まあ、冗談は置いておくとしてもだね。私としては、この状況はいささかいただけないものなんだよ。変態のプライドもだけれど、それよりも……私のプライドがね。いくら私といえども……怒る」
レクシスの珍しい口調に、ルゥラナは違和感を感じる。ついさっきもだったが、なんというのか、ただの変態とは思えないのだった。実は最強だった――とかそんなのはいくらなんでもないにしても、それでも、どこか普段とは違った。
「おい、『最古の古龍』とやら。あんまり舐めてばかりいると――殺すぞ」
いつもと、全く違う声。高低だけではない。最も違うのは、その感情。
恐怖とまではいかないが、それでもルゥラナは冷や汗をかく。
しかし、そんなレクシスの怒りなど知ったことではないと言わんばかりの声が、そこに響く。
「まあまあ、落ち着きなさい、レクシス」
シノイの治療によって、なんとか傷だけは塞がったメイラの声だった。つい今しがた目を覚ましたようだ。
だが、もちろん傷が治ったからといってダメージが蓄積されていないなんてことはない。シノイとしては、これほどまでに早くメイラが目を覚ましたことに驚きを隠せなかった。あと数時間は意識を取り戻さない、と、そう思っていたというのに。
「シノイも悪いわね。召喚したはいいとしても、まさかバカドラが出てくるとは思ってなかったのよ。あたし自体は面識はないんだけど、先祖様の方が揉めたらしくってね」
「は、はぁ……」
「ま、安心しなさい。今度は、あたしだって手加減なんてしないから大丈夫よ。あたしが直々に成敗してあげるから感謝しなさい、バカドラ」
少し拍子抜け、といった表情になるレクシス。彼とて決して戦いたいとは思っていないのだろうが、なんというか、言葉を言われたタイミングが悪かったというのか。とにかくそんなかんじだった。
「さー、てと。……んん、やっぱお腹の辺りが痛い」
伸びをしようとしたが、腹部に若干の痛みを感じて断念。
代わりに(何の代わりかは分からないが)、愛用の扇を、一気にバッと開いた。
「さてさて、メイラちゃんタイム突入しよっか」
これまでとは違い、今度は扇そのものが、淡い光を放っていた。
寝起きの運動。
そんな口調だった。