Neetel Inside 文芸新都
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_Ghost_
一日目! その4

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ひり出した糞をインアウトするよりも無意味かつ、埒の明かない口論は大した進展も見せることなく唐突に終了した。
それというのもなにやら訳の分らない当人同士の意地の張り合いに、謂れなく巻き込まれている風体の私が時計に眼を落して一言。

「おい。遅刻すっぞ」

「やや、もうそんな時間か! 仕方ない、この勝負は一時お預けだ、加納後輩」
「あ? 軽佻浮薄極まるお前の一存で、どうしてこの私の怒りが治められるとか夢見ちゃってんの? まだ自分の無価値さとか、無意味さとか、影響力なんてこの世のどこにも微塵も残っていないって、そういうところを分かってない感じなん? あ?」
「ああ、はいはい。それじゃあ僕は一時姿を消すね、また来るから、そのとき続きをしましょうね? ね?」
「あ? ザケンナよあんまよぉ。そりゃあお前がアスファルトに額を擦り付けて埋没させて、己の不徳ってやつを心から悔いればまあ、再考の余地も少しはあるかもしれねぇけどよ、あ? そういう、なんつーか、誠意ってヤツ? 人間が人間らしく生きるために最低限必要なそれが、お前の態度からはどう考えても欠落しているとしか言いようがないんだよね。そこんとこさ、もう一度よっく足りない頭で考えてさ・・・・・」

「じゃあ、佐屋さんも、またね!」

シュタ、と文字通り風の如く一瞬で消えさる幽霊。
その背中に、加納とやらがあらん限りの罵声を浴びせ掛けてこの一幕は終わった。










騒がしい幽霊が消えて残るのは、面識のない生者二人。普段ならばまだ余力を振り絞って、降りかかる気づまりな沈黙を排除しようと最低限の努力はする。
しかしこの糞、失礼、後輩に対しては既に私の実際を目撃というか認知されているわけで。
いちいち限りある忍耐力を削ってまで、こんなんに気を使う必要性は皆無と判断。無言で足を学校へ進めた。
時間も時間である、かなり早足で向かわねば間に合うまい。
「・・・・っ・・・・・・っ・・・・・・・っ」
ところでどうしたことか、どう考えても人間関係が達者とは思えない後輩が、私のすぐ後ろに張り付くようにしてついてくる。なんのつもりだ?
よもや友達になりたいなどと言い出すわけではなかろうな、なんて思考が頭の後ろ側に流れて消える。
そういう想像を働かせる時点で、一種、なにかこう、浅ましくというよりは、いじらしく、なにか、自分がこそそういうのを求めているのではないのか、なんて疑問符が重畳するわけで。
そんな筈はない。実証として、私は足をとめた。後ろの後輩も足をとめた。
「お先にどうぞ?」
一人で行けよ、と告げる。言葉にこそ出していないというだけで、明明白白なる拒絶の姿勢。
これには後輩も参った模様で、上半身をのけぞらせて一言もない。ただ、無言で止まって私を見上げてくる。
その、視線のまあ生意気なこと。

自分だけは精一杯肯定して、多少どころか多大の無理だって通してみせるのに、他人に対しては一切の妥協もない。そういう、ずるい奴の目。
コイツとは相容れない。確信した。

「はやく、行けよ」

私にしては珍しく、辛辣な口調で言った。
「っく・・・・・・っっ・・・!」
顔を真赤にして、なにやら憤り始める後輩。下らない、たかだが他人に拒絶された程度で、どうしてそこまでの感情を発露させることができるのか、まったく不思議。
「あっ・・・・・・・ぐぅ・・・・」
なにかを言おうと口を開いたはいいが、ナニカが邪魔をして言葉を噛みちぎり、結果的に白痴の如き吃音を披露して終わる。ああ、なんとみじめな生き物なのだろうか。
本当に強くありたいのならば、ただただ無言で、私の存在など歯牙にもかけず突き進めばいいだけの話なのに。こうして何かが邪魔をして引き留めて、けれども同時にまた別な何かが作用したりしなかったり。結果的に雁字搦め、自分では前には後ろにも進めぬ、挙句の他人頼み。誰かが動くまでは、彼女はこのまま阿呆の如き風体で言葉なのかなんなのかわからぬ音韻を馬鹿の一つ覚えでかき鳴らすだけの下品な楽器。
人間足り得ぬ下品な楽器。それが貴様だと視線で一瞥。強く、一瞥する。


「っぅ・・・・・・・」


加納とやらが、一歩、退いた。ああ、これで終わりだ。彼女は私に負けた。それだけの単純な事実がここにある。彼女が自らの意思で退いた一歩に、ある。
下らない、本当に下らない茶番だった。
さあ、とっとと学校に行こう。そこだってここと変わらず不愉快の巣窟だけれども、慣れ親しんだ強みがある。
こういう、今みたいに誰か一人と差し向かいとか、そういうのは経験が足りていないからなのか、なんか苦手だ。
だから、これで終わり。お終い。颯爽と反転して、足音高く凱旋。
ああ、やっと終わった。

そう思ったのに。

「っ・・・・・っ・・・・・・・・っ」

背中に、視線。一定距離を保って、粘着してくる視線だ。
グルリと首を回して真後ろ。加納某が、先ほどと何も変わらぬ視線と姿勢と速度で、そこにいる。
(こいつ・・・・) 
余りに、憎々しい。たかだか視線が、どうした訳か憎々しいのだ。それだけで、沸点を超えるか越えないかの、まさに紙一重な心境へと急降下する。
「用件があるなら、聞いてやる。一緒に学校へ行こうとかって誘いなら、断固お断りだがな」
殴り合いも辞さないぞ、とばかりに気合いを込めて、放った一言に。

「あっ・・・あ、あり、ありが・・・・とう・・・・よ」

そんな私の勢いを削ぐように、彼女は小さくかすれた声で言うのだ。

「は?」
まず、自分の耳を疑った。次いで彼女の滑舌を疑った。故に聞き返した。すると彼女は一瞬、親の仇でも見るような鮮烈な瞳の残像を残してから、目をつぶり。
なにかこう、大きく恥じるように、けれどもなにか、こう、悲劇のヒロインでも気取るようにして。

「ありがとうよっ」

タタタッ。



言葉を捨てて去った。

一言だけを吐き捨てて。例えるならば肺腑に蓄積する粘度の高い毒物じみた後味の悪さを残して。言いたいことを言って、それも私の予想しえぬ何かを吐いて。
つまり彼女の如き下劣かつ下等、初級の対人折衝すら満足に行えず結果的にいじめの標的とならざるを得なかった程度のコミュニケーション不全患者がこの私に対して。
否、否否。違う、自分を見失うな、なにを訳の分らない論法で自分を煙に巻こうとしているふざけるな。私は私を誤魔化さない。
そうだ、彼女は幽霊の進言に従ったかたちで、言いたくもない感謝の言葉を私に言った。
別段、私に不満の生ずる必然性はない。謝礼のひとつはあって当たり前という認識が当方にはあるからだ。問題は、幽霊が進言を与える以前には、彼女にはそんな簡単な社会常識の実践すら危ぶまれる部分があったのにも関わらず。
幽霊が消えた後に、その進言を健気にも天の邪鬼に実践してきたという部分にある。否、否、だからなんなのだ。ばかか、他人の心情やら信念やらがどう動こうが私に関係あるものか。あってたまるものか。他人は他人であり、私とその他には明確な境界線が引かれていて防御は万全。ばかな、防御? それは弱者の論理だろうが、どうして私がなにやら下らぬ下劣の下品の兎にも角にも下の下の下の下の奴ばら等を警戒する必要があるのか? いや、そもそもどうしてこんな、どうしてこんな乱れている?
そうだ、私は今、私を見失いつつある。これは危険な兆候だ。混乱して得られるものなど一つもない。強いて言うなら悔恨くらいか。
そのような愚を犯してたまるものか、だからこの問題に関してはここで終わり、お終い。
馬鹿な、問題だと? あんな、どこのだれとも知れぬ、貧弱で正常な社会生活も危ぶまれているような女子生徒一人きりを相手に回してこの私が問題だと? 馬鹿な馬鹿な、そんな、問題などどこにもあるわけがない。そもそも、問題などと感じる心根が脆弱なのだ。私よ強靭であれ。もっと強靭であれ。
そう、強靭な心は生半可なことでは動揺しない。
忍耐、忍耐、忍耐。なにか本当に、出所のわからない激情に揺さぶられつつある自分を制御叱咤する。
私は私だ。私は、私の望む私であらねばならぬ。そうか、私は私に縛られているから私なのか。なら、この手綱を放せばどうなるか、若干の興味を抱いてそれを殺す。無残に殺す。
それをこそ、人は自制という。己を殺す。己を制する。同じことだ、だから今日も私は粛々と私を殺す。そこに間違いはない。
バイバイ私、心象世界の己の胸に刃を突き立てて、それなら刃を突き立てた後もこうして現世に立ち続ける私は幽霊と何の違いがあるのか、と自問するに到り。
生きているものと死んでいるものとの違いだ、との簡潔かつ明瞭な回答を示して若干の満足を覚えるに到るのだ。


この時点で、時計の針はすでに遅刻確定の領域にまで迫っていた。



まあ、概ね満足だ。との所感を抱いて、ゆっくり歩を進めることにするのであった。








無論、胸にはなんとも名状し難いしこりが残らざるを得ない訳なのだが。






       

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