Neetel Inside 文芸新都
表紙

_Ghost_
これはそういう、お話なのでした

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アレは食うべきものではない。断じてない。

のに。

そう断定する己の内側にどうしたことか、疑問符が張り付いた。
どうして食うべきではないのだ? アマゾンの奥地とかにいる民族的な人々はきっと、もっと醜悪なものを食べている感じの先入観とか普通にあるし。
そもそもイナゴとかハチノコとか、同じく醜悪な外見でありつつもポピュラーな食物だってあるわけで。
つまり一般的には好んで食されるものではないけれども、食べるべきでは断じて無い、などと頭ごなしに決めつけていい訳がない。
何を口にしようがしまいがそれは個々人の自由裁量に任されるべきであって、なるほどその局面を目の当たりにした結果些かの苦言を呈したくなる気持もわからないでもないが、すぐさま否定に直結させるなど愚物の行い。己の手狭な人生観などという、薄氷にも劣る不安定な足場のみを頼りに阿呆面さげて人様の嗜好を悪し様に罵る資格など誰にもありはしない。
十人十色。みんな違うから面白いんだ、人間は。だから、そう。僕は彼女を否定しちゃあ、いけないんだな。
いっかな彼女が、その、こう、どう考えても口に入れて愉快じゃいられない形態の生物をじょぐりじょぐり咀嚼していたとしても、僕は、僕たちは生暖かい眼でそれも個性、と見守っていてあげなくちゃいけないんだな、それが個性。
そう個性だ。肌の色眼の色といった大きいところから始まり得意不得意やら性質の激しい穏やかなどの枝葉へ到り、最終的に一個人それぞれをそれぞれに隔離する、まあ、ムーブメントだ昨今の。
その癖個性の際立つところにおいて重きをなす競争社会には苦言を呈したがる天の邪鬼な世論様はさておき、僕もまた流行の波に乗って思案深気な顔で一つ二つ頷きつつ、彼女の常軌を逸した悪食に寛容なる理解を示さなければいけない。しかもそれを苦行と感じてはいけない。いけないというか、周りに苦行と感じているような行動をとってはならない。どうしてかというと世間とか共同体とかといったものは年中無休にて爪弾きにするべき対象を待っているからだ。
異質を排斥するという行為に飢えている。手近に存在しなければ噴飯ものの理論武装にて無理くり作り上げてしまう程に、飢えている。
なんで飢えているかというと、己の正しいを立証せしめるには前提として正しくないをまず壇上に上げなくては話にならないからだ。どうして正しいのかというと云々、とかといったQEDをしなければ誰も納得しないし自分も納得できないからね。故に異質の存在は大義の成立において必要不可欠。
故に彼女の悪食は、ある意味では危うい。僕はなるほど享受の姿勢を見せてはいるが、その他の方々の耳目にはどう映るか。まあ、十中八九アウトだろうが。
故に彼女も密やかに、隠れて潜んで食らっているのだろうが。
だからつまり、え、アレ?


なんか、つながらない。



おれが彼女の行為を看過することは共同体への迎合を意味する行為のつもり。でも共同体はおそらく彼女の行為を正常と認めない。
しかしそれも個性、いやさ、その個性こそが異質。
彼女もそれと了解して潜んでいる。つまりまあ、俺がとるべき行動はおそらく彼女を排斥する共同体と歩調を同じくするために彼女の行為を異質と認めることだ。なのに俺はどうしてなのか、これもまた世間様が推進する個性社会への実践のひとつとして刃を懐に仕舞いやがろうとしている。
馬鹿な、さすれば己も異質となじられる。なのにしない。どうして? なんで?


ああ、そうだった。

「俺はそうか、もう、共同体の一員じゃないんだった」





_______________loneliness_________________________






死亡直前の伊藤樹は情熱を持て余しているにも関わらず方向性を見定められずにいた、思春期特有の自分探し系男子だった。
放っておけば自分探しの旅とかしちゃいたい系の、しかしそんなことすれば無断欠席は内申点に響くし授業には遅れて受験に差し支えるし、とかといった小賢しさに主軸を置いちゃいたい、決して誰にも責められない、誰にでも覚えがある時期の、まあ、小物だ。
そんな小物、伊藤樹にとって最大の敵と言えば退屈だった。彼にだって自負がある、それも強烈な。自分はこんなところで燻っているべき器ではないとかといった、連帯保証人皆無の自負があった。その自負が退屈を嫌った、憎悪した。退屈は倦怠へと地続きであり、倦怠それ即ち人生の停滞であり、未来は光り輝いていると錯覚している伊藤樹少年にとって停滞など認められるべきものではなかった。何がしか手慰みでもしていればこんな気持ちもごまかせると俗な欲求に導かれて、様々の娯楽へ手を出した。ある日はとりあえず走ってみた。疲れただけだった。ある日は名作といわれる古典を読んだ。つまんかった。ある日は流行りのスポーツに交じってみた。馴染めなかった。ある日は書を認めてみた、下手だった。茶を傾けても不調法で花を生けても娯楽性を見いだせず歌を囀っては音痴で楽器を奏でてみては練熟が足りず。PCを弄ったら不見識が災いしイライラして。艶本を眺めてみれば己の性癖に辟易し。
エネルギィの向け場所を、定められぬ毎日。苦痛でしかなかった。そして毎日が苦痛であれば人格もまた、歪む。
しかし肝心なトコロではしっかりキッカリブレーキを踏める系の伊藤樹は、伊藤樹であり続けた。
喜びもなく、絶望もなく。しかし落胆だけは大バーゲンセールな毎日。日々を、すごす。
狂うか? いいや、狂わない。狂えばそれは異常だ、異質だ。もはや共同体にその籍を置くことすら憚られる。拒絶される。
拒絶されたくない。一人はいやだ。そうしてきっと、気づく。
誰もが気づく。



ここに、居たい。己は何者にもなれないけれども、ここにいなくば己は己であれない。排斥されれば己は己ではないからだ。爪弾きにされた己はきっと、己が夢想した英雄じみたナニカに圧倒的に劣り、そんな何かを夢見て生きる今の自分よりもまた劣る。だからここにいたい。この共同体の中の一つの部品でありたい。
コツコツと、規則正しく休まず弛まず、音を奏で続ける勤勉な歯車の一つであり続けたい。
そうして大多数の大人が出来上がる、その階の途上。彼は死んだ。
諦めるべきを知らず、貫徹するを苦行に感じ。何者でもない己を甘受出来ず、でも何者にもなれず。方策も立たない。
どうする? どうしたい? 選べよ、考えろよ、道はまだ続いてる、納得するまでやってみろよ。
そんな時分、死んだ。閉ざされた。死んだ、進めない。死んだ、突然の幕切れ。
俺はどこに行く? どこに行ける?


どこにも、行けはしない。そんな自分が、雁字搦めで、にっちもさっちもいかない自分が、なんでか、どうしてか。
本当、どうしてか。

佐屋美咲の、どうしたって世間一般様に認められるべきじゃない悪食に理解を示そうとしている。
その、理由を簡潔に述べよ、馬鹿野郎。


 
そりゃあ? 死んでまっ先に、なにもかもが混乱し腐っていやがる状況でどうして? 誰に? 会いに行ったよ? この俺様?
体つきが魅力的だから? それなら誌上のアイドルのほうがよほど上等だ。そんなんじゃない。
容姿が整っているから? ばか、テレビで流行りの歌が聞くに堪えないアイドルのほうが整っているだろうがよ。
ならそっち行けよ。遠すぎるんなら、佐屋嬢よりも可愛い他の誰かだっているじゃない、身近でなくともどこかには。
なのになんで彼女に会いに行ったんか、いい加減、貴様も認めるべきだアホンダラ。
死ね、ああ、もう死んでいる。
そうだ、そうだよド畜生。



淡い。
淡い、うっすらとした、水槽に透けて見える水草のようにユラユラとした、けれども実態はそこにある、確かな気持ちがあったのさ。
なんというか、かんというか、残念ながら。伊藤樹も一個の男児なれば。














ああ、うん、ああ。彼女の横顔をよく眺めていたさ。真っ向から見つめる度胸はなかったからね。そうだね、そうですね。






好きでした。佐屋さんが、僕は、好きでした。



これはそういう、お話なのでした。






















       

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