Neetel Inside ニートノベル
表紙

桜の下でもう一度
まとめて読む

見開き   最大化      

 アルバムに写る自分は、どれもこれも無表情だった。



 昔から写真は嫌いだった。
レンズ越しに見える撮影者の顔や、冗談めかして言う、チーズだとかピースとかが嫌いで嫌いでたまらなかった。誰かと一緒に自分が写ってる。そう考えるだけで吐き気がこみ上げてきた。
自分ひとりだけで写るのはまったく問題なかったが。
 中学校の入学式では、親の持つカメラから逃げ回り、最終的には泣きじゃくっているところを一枚だけ撮られた。両親はさぞがっかりしたことであろう。だが、思い出を犠牲にしてでも私は写真に写りたくなかったのだ。
 だが、時として写真から逃れられないイベントが発生する。集合写真だ。こればかりはないて逃げるわけにも行かない。写真を撮らなければ、クラスメートの白い視線を浴びせられることは目に見えているし、ハブられる可能性も大である。
 それに、学校側も認めてはくれないだろう。集合写真からボイコットすることに成功しても、後々右上の丸の中に個人写真を入れるというあの屈辱的な方法で挿入されることは何事にも耐え難い。
 プリクラも、ビデオカメラも、極力自分がデータとして残るのは避けて生きてきた。そんな人間がなれない集合写真で、そうそう簡単に笑って写れるはずもない。
 かくして、アルバムに写る自分は全て顔が引きつって鉄仮面も顔負けの無表情となったのであった。



 「小説とは、ある文節のつながりに関連性を持たせたものである」と文芸部の部長が言っていた。その部長の小説は、まさしくその言い分を最大限に反映したものであり、奇怪怪奇で意味不明なものだったが、それぞれの文にはたしかに関連性があった。
 「彼女は言う、『そのうちわかるわ』」
 一文だけ抜き出してみても、何が何のことかさっぱりわからないだろう。私もわからない。だが、その文章がずらずらと書いていると話は別だ。村上春樹並の奇想天外でお堅い文体の冒険活劇に仕上がっていた。
 話としては、いまどきの小説にありがちな内容だったけれども、それが傑作であることには代わりがなかった。彼は、その小説で市から表彰され、さらには文学賞の審査員特別賞まで受賞した。その後、全国の書店で販売されるにいたり、最初、その小説を馬鹿にしていた私も、手元に所持するまでに評価されていた。
 以上を踏まえ、この私の書き連ねる意味不明な文に、こう書き加えることにする。
「そのうちわかるわ」



2004年の梅雨の時期に、私は家出した。特に理由はない。ただ、高校生という多感な時期に家出をすることはいいことだ、と、エミリー・ブロンテが言っていたような気がしたからだ。
 ワザリング・ハイツ。邦題、嵐が丘を片手に、私は家出をした。坂本龍一が映画の曲を書いていたと言うことは音楽オタクの遠藤から聴いていたが、そっちのほうにはまったく興味は沸かなかった。
 遠藤。遠藤という女について話そう。
 


 ピアノの鍵盤をたたき、音を出す。ぽろん、と宮沢賢治なら表現するだろう、おそらく。
 ピアノはだれが叩いても、ぽろん。である。そこに、遠藤と私の差はないはずなのだが。
 この音の違いは何であろうか。

ものすごい勢いでピアノを弾く遠藤の指は若干気持ち悪かった。曲には聞き覚えがある。ドビュッシーのアラベスク。印象派の傑作らしいが、私のような音楽的教養の皆無な一般人にはきれいな曲という認識しかない。
 「どう?」と遠藤が言った。
 「いまいち」と私が返すと、遠藤は、ピアノに指を刺しながら言った。「じゃあ、自分で引いて見なさい」
 「まかせろ。これでも三歳の頃にはモーツァルトの再来と呼ばれていたんだぞ」
 そう豪語したが、実際はそんなこと言われたことがない。というよりも、ピアノを習っていない。
 颯爽とピアノの前に座って、唯一弾ける曲、猫踏んじゃったを得意げに引いて見せた。
 「どうよ」得意げに私が言うと、遠藤は「いまいち」と返した。確かにいまいちだった。
 遠藤は、静かにこちらを見据えた。そして少しだけ微笑んだ。

  ○

 その遠藤が死んだのは、春のことだ。学校の桜の木に、華奢な体格には不釣合いな大きなおなかを抱えて、一番大きな枝の下にぶら下がっていた。
 遠藤と最後に話したのは半年ぐらい前で、学校に来なくなったのもそれぐらいのころだった。
 
電車に揺られて、町を出る。行くあてはないが、北がいいと思っていた。逃げるなら、北だと誰かが言っていたはずだ。これも遠藤だったような気がする。
 何から逃げているのかはわからないけれども、無性に涙が出た。
 静かに風景は過ぎていく。

     

  ○

 机から顔を起こすと、遠藤がそこにいた。
 遠藤は、「いつまで寝てるの」と言った。
 「君が死ぬ夢を見ていた」私は腕で顔をぬぐいながら、そう答えた。
 「私が、死ぬわけがない」
 「けど死んだ」

  ○

 東京。東京の地下鉄はまるでダンジョンのように複雑で、それでいて至ってシンプルだった。回帰する路線、出入りするための路線、シンプルで単純なものが組み合わさって複雑なものになっている。人生も同じだ、と私は思った。
 財布を除く。一枚のキャッシュカードに、十万円程度のお金。それから、遠藤と私が一緒に写った写真が入っていた。人と写るのが嫌いな私でも、なぜか遠藤とは一緒に写ることができた。他人とは思えなかったからだと思うが、今となってはどうでもいい。
 電車を降りて、改札口を抜けた。当てもなく付いた場所で、私はここが東京という以外、何もわからなかった。外は暗かった。広場にある時計で時刻を確認し、近くにあったマクドナルドでハンバーガーを二つだけ頼んで、夕食にした。隣のテーブルに座った同い年ぐらいの高校生が席を囲んで騒いでいた。

 駅構内に戻って、駅員に青森への行き方を聞いた。駅員は、「電車だと難しいから、そこの青森行きのバスに乗ればいい」と言った。バス停に行き、切符を前払いで購入し、運転手に見せた。
 「高校生が、こんな平日の夜中に何で青森なんか行くんだ」と運転手が言った。
 「おばあちゃんの一周忌で、私だけが先に青森に帰ることになったんです」私はうそをついた。

 バスには、私以外の客はほとんどいなかった。いびきをかいて寝ているサラリーマン風の男性と、若い子連れの夫婦、それから泣きはらした目でいる女の人がいた。私は、誰からも遠い席に座り、目を閉じた。目が覚めたら、青森に着いているだろう、と思った。そう思った。

       

表紙

ちゃりこ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha