Neetel Inside ニートノベル
表紙

アース・ジ・アース
第一話

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 金田彬は退屈していた。やることもやりたいこともなく、ただ毎日が過ぎていった。それは空を流れる雲のような、ただ風に押し流されるだけの意味のない毎日だった。まだ雲のほうがましだと思えた。
 金田の足元に六人の男が転がっている。いつからかはじまった負の連鎖。どうして喧嘩を始めたのか彼はもう覚えていない。彼が手をだしたのか、だされたのか、そんなことはもうとっくに意味を持たない。
 くだらない理由でからんでくる不良を返り討ちにすると、そいつらの先輩がやってきて、次は仲間を大勢引き連れて。そんなことを三回も繰り返せば、金田彬だからという理由でからまれるようになった。
 額をつたい目に血が入る。悪魔だとか魔王だとか呼ばれるようになった金田でも無敵じゃない。殴られれば痛いし、大勢が相手なら負けることもある。
 六人なんて金田にとってはものの数ではないが、その一人がいつの時代の不良なのか木刀なんて持ち出すのだ。そんなもので殴打されれば血もでる。
 金田は血をぬぐうと空を見上げた。ぽつりとつぶやく。
「学校……行くか」

 金田が扉をくぐると教室がにわかにざわつく。
 生徒たちはサーカスにでてくる珍獣を眺めるのと同じ目で金田彬を見る。ただ違うのは金田が視線を返すと顔をそらすということだ。
 この珍獣は安全が保証されているわけじゃあないからだ。もっとも金田が彼らに手をだしたことなど一度もないのだけど。
 教師が何か言いたそうに金田を見ている。彼は教師に目を向けてゆっくりと言う。
「すみません。寝坊しました」
言葉は丁寧だが、声はぶっきらぼうだった。
 登校中に必死で考えた言い訳だが、血のついたワイシャツでそんなことを言っても説得力がない。教師は曖昧に頷いて、黒板に向き直った。
 金田が席につくと、前の席に座る生徒、渡辺依衣子が小さな声で話しかける。
「アッキー、もう四限終わるんだけど?」
「寝坊だ」
「ふーん。じゃあ鼻血でも出したんだ」
 依衣子に言われて、はじめて金田はワイシャツについた血に気が付いた。
「……イッサーはいちいちうるさいんだよ」
 金田がうっとうし気に言うと「あっそう」と怒った声をだして、体を前向きに戻した。
 依衣子は金田の幼馴染みで、今では彼のことを恐れずに向かってくる少ない人間の一人になっている。
 ショートカットの髪型にスレンダーな体型で、釣り目気味の大きな目。なかなかに可愛いのだけれど、金田の存在で、告白なんてイベントが起きたことはない。
 幼馴染とはいってもあまりにも仲がいいので、勘ぐって男からは敬遠されてしまう。友人どまりということだ。
 金田に言わせれば「性格」の問題ということ、だが。

 教室の一角で金田と依衣子、それともうひとり藤間祐樹が昼食をとっている。そこから前後左右席三つぶんに人の影はない。金田を避けているのだ。
「彬って恐れられてるよね」
 くったくない爽やかな笑顔で藤間は言う。金田は藤間を一瞥してから依衣子に視線を移す。
「ユッキーってむかつくよな」
 金田は依衣子に同意を求めると彼女は大きく頷いた。
「ユッキーは爽やかムカつく系男子だ、ほんと」
「笑顔が気に食わない」
「わかる。ちょーわかる。ほんと気に食わない」
 藤間は依衣子のタマゴ焼きに手を伸ばしながら言った。
「そういうことは本人のいないところでね?」
 静かな怒りがこめられている言葉。それでも爽やかな笑顔が顔に張り付いたままだった。二人はそれが気に食わないのだ。
 藤間は怒らない。いや、これは正しくない。今さっき怒りを込めた言葉を発したばかりなのだから。
 正確には表情を崩さない。いつも、どんなときも笑顔なのだ。見ていて不愉快になるくらい気持ちのいい笑顔なのだ。多少無茶な言い方ではあるがそのとおりなのだ。
 誰の前でも、中学からの付き合いである二人の前でも笑顔を崩さない。それなのだ。それがムカつくのだ。
「生まれつきこの顔なんだから仕方ないよね」なんて言うものだから、金田は彼を殴り飛ばしてしまいたくなるのをぐっと堪えなければならない。
そんな爽やかでムカつく藤間が金田の数少ない友人のもう一人である。

「けどさあ、退屈だって理由で殴られちゃあ相手もいい迷惑よね」
 金田が退屈だ、とこぼすと依衣子はこう言った。
 金田は訂正する。
「喧嘩を売ってくるのはむこうだ。俺からはない。」
 間を開けて小さな声で「そんなには」と付け加えた。
「運動できるんだし部活でも入れば?」
 バスケット部の次期エース、藤間にそんなことを言われれば嫌味に聞こえなくもない。が、彼にそういう気はないということはわかる。
「教室でもこんな なんだぜ? 部活なんてなあ」
 自分のことをあきらかに避けているクラスメイトたちをちらりと見て金田は答えた。
「アッキーは気使い過ぎじゃない? 初めはそうでも真面目にやってれば認めてくれるわよ」
 依衣子の言葉に金田は首を振った。いずれなんて遠い未来のために真面目に部活に取り組み、汗を流している彼らの邪魔をするのは心苦しいものがあった。
 そういうところが気のまわし過ぎなのだろうが、彼はそういうことを考えてしまうので仕方がない。
「彬っていい奴なのになんで魔王なんだろうねえ」
「源造もしくはマーくんに似てるから?」
「顔の造りも髪型もまるで共通点ないだろうが」
 藤間の疑問に依衣子が答えると、金田がつっこんだ。二人の言葉は藤間にはわからないものだった。藤間が疑問符を頭上に浮かべていると二人は顔を見合わせて、馬鹿にしたように肩をすくませた。
 依衣子が話題を変えて言う。
「関係ないけど噂きいた?」
 金田は依衣子のタマゴ焼きを頬張る。藤間は自分のお弁当のアスパラガスの肉巻きを手に取る。二人は依衣子の言葉を聞き流し、黙々と弁当を食べ始めた。女のうわさ話ほどつまらないものはないのだ。
「ちょっと!」
「あー、はいはい。わかったわかった」
 金田はわざと依衣子の神経を逆撫でるようにあしらう。
「そういう話じゃあないんだからっ」
 依衣子は大きな声をあげる。それが恥ずかしいので、藤間が話すように彼女を促す。
「携帯持ってる?」
 依衣子の言葉に二人は左のポケットに手を当てた。金田のポケットには膨らみがなかった。
「今日は携帯に関するファンタジックなうわさ話です」
 今日は、の言葉通り依衣子はくだらないうわさ話をいくつも持ってくる。だから、聞くのが面倒くさいのだ。
「自分の携帯に電話をかけるんだって。そうすると普通どうなる?」
 金田にふる。
「知らねえけど、かかんないんじゃねえのか? 自分の携帯で自分の携帯なんてさ」
「留守電に繋がりそうじゃない? 一応通話中なわけだし」
 藤間が言うと、依衣子はびしっと彼を指さした。
「そう! 大抵はそうなる。けどね、条件がそろうと、なんとお」
「異世界に行けるんでしょ?」
 大事なセリフを藤間が掻っ攫った。依衣子の話すうわさ話を彼は知っていた。知っていて、知らない振りで話に乗った。それでいて最後だけ持っていくのだ。ふりをしたなら最後までがお約束であるのに。
「ちょっとお!」
 依衣子は椅子を蹴って立ち上がり、怒りの声を上げる。気持よく話をしていてオチだけ盗られたら、怒りたくなるのは何も渡辺依衣子だけじゃあない。
 それを藤間は平然と薄らべったい笑顔で奪っていってしまうのだ。そういうところもムカつくのだ。
 うわさ話を要約するとこういうことだ。
 夜中の十二時に自分の携帯に携帯で電話を掛けると、男だか女だか、人間だか人間じゃないだか声の主が電話にでて気がつくとどこか知らない場所にいて、そこに行くと二度と返ってこれないというものだった。
「教室の隅を歩かなくていいのか?」
「何の話よ?」
「夢がかなうんじゃなくてか?」
「だから何の話よ?」
 依衣子は漫画は読むけれど、ゲームはしなかった。特にマイナーなゲームなんて縁遠い。
「ていうか、二度と帰れないのになんでこんな噂があるんだろうね」
 それは馬鹿がはじめたうわさ話だからだろう。結局、噂は噂で噂以下でも噂以上でもないということだ。事実でもなく、嘘でもなく、噂なのだ。
「他にもジョイモール先の十字交差点の真ん中で蛍の光を歌い切ると魔界に行けるとか」
 学校の近くにあるルーフ通りで商店が軒を連ねている。その中にはファストフードやゲームセンターがあり、学校帰りの学生がよく立ち寄る。
 その中でも異色を放つのはクレーンタートル。店の看板にでかでかとくっつけられた鶴と亀は、大阪、道頓堀のかに道楽を思わせた。さらに二人の店員は奇抜だ。鶴のお面をかぶり、麻呂口調なのが通称、店長。亀の甲羅を背負って、語尾にごわすが付くがりがりの店員の通称は仙人。彼、おそらく、彼の甲羅は「んトン」の重さがあるという噂が存在する。
「今度はジョイモールのお菓子屋、クレーンタートルで白蛇タブレットを五千分買うと異世界ティケットを貰えるとか。とかとか」
 何故だか時空越え系の噂ばかりだった。火のないところに煙は立たぬ、とは言うもののここまで荒唐無稽な話には火種があるとは考えられなかった。
 依衣子のうわさ話は適当な盛り上がりを見せ、すぐに次の話題の中に埋もれていった。

       

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