Neetel Inside ニートノベル
表紙

シェンロン・カイナ
『12』

見開き   最大化      



 探偵部の活動はマリが淹れたコーヒーを飲むことから始まる。
 カップを傾けて飲み、ほう、と三人は同時に息をついた。
「やっぱりこれを飲まないと始まらないわ。ありがと、マリ」
「うん」とマリははにかんだ。仲睦まじい二人の様子をクリスが頬杖を突いて眺めている。
「それはそうと、クリス」とカンナが言った。
「あれ取ってきて」
「寒いから嫌」
「そういうのいいから」
 そういうのってなんだ、とぶつくさ言いながら、クリスは部室の扉を開けた。
 ひやっと冷気に顔を撫でられる。夕闇が丘の冷え込みは厳しい。
 扉の横にダンボール箱が取り付けられている。
 情報提供感謝、とマジックで書かれていて一見すると中国語じみているがよく見ると日本語だ。
 箱を開けると、ルーズリーフが何枚か捨てられ、もとい入れられている。
 ガムの包み紙はカンナが見たら発狂するのでポケットに捻じ込んだ。後で内密に始末しておこう。
 探偵部は普段、生徒からの依頼によって活動する。
 ペットの捜索から他の部活の応援など、実際はなんでも屋のように扱われるが多い。
 概ね好意的に受け入れられているが、中には嫌がらせをしてくる不届きな輩もあった。
 一月に一度ほど届く誹謗中傷が書き連ねられた手紙も、カンナはいつか証拠になるかもしれないとどこかに保存しているらしい。
 昔、気を利かせて彼女の目に入らぬようゴミと一緒に廃棄していることがバレた時は二日間機嫌が治らなかった。
「嘘みたいなことを嘘だと思ってきたから、二十年前の吸血鬼事件は解決してないのよ! あんたみたいのがいるからだわ、死ね!」
 そういうわけで、クリスは今日も不承不承ながら大して役に立たないであろう紙くずをカンナの前に差し出すのであった。
「一般生徒からの善意ある情報と依頼だ。ありがたく受け取れ」
「ご苦労」と態度だけはいっぱしの所長ぶったカンナがぺらぺらと紙をめくっていく。
 細長いまつげのすぐ下で、黒目がちな瞳が淀みなく滑る。
 しばし、穏やかな時間に包まれた。
 マリは書棚から文庫本を取り出して読み始め、クリスはわざわざコンビニまで行って買ってきたミネラルウォーターを時々思い出したように飲んでいる。
 ある一枚のルーズリーフで、カンナの繰る手が止まった。
 クリスは安楽椅子の背に顎を乗せて、その紙を見下ろした。若干顎を突き出す形になって非常に間抜けである。
「動く人形を見た……か。なァカンナ、この箱、ラノベ作家志望者の腕試しみてえになってねえか」
「なんてこというのよ。貴重な目撃証言に」
「どう考えたって最近は作り話の方が多いぜ。それで俺たちを誘き寄せて皆で笑いものにするって寸法だろうが」
「それでもいいわよ、損するわけじゃないし」
「タフだねぇ」
「でも、きっと嘘だよ」とマリが言ったので、二人は驚いて彼女を見やった。
 彼女はカンナの嗜好について、ほとんど口を挟んだことがない。いつも黙って付いていって、はしゃいだりがっかりしたりするカンナを楽しげに眺めているのが常なのだ。
 その時から、クリスはうっすらと嫌な予感を覚えていたのかもしれない。
「嘘か本当かは確かめてみなきゃわからないわ」とカンナは散らかしていたノートやら読みかけの文庫本やらを仕舞って立ち上がった。
 その眼に爛々とした輝きが灯っているのを見て、マリは諦めたように息をついた。
「行ってらっしゃい。私は今日は待ってる」
「そう」とカンナは頷いた。一拍ほど置いてから、
「マリには向かわないヤマかもね。じゃ、クリス、行くわよ」
「俺も向いてないよ。きっと向いてないよ」
「いいから来んのよ、あんたは」と腕を掴まれ、哀れクリスは引きずられるようにして暖房の効いた部室と手を振るマリと別れなければならなかった。
 カンナは風を切って、夕闇に沈みかけた校舎を早足に歩いていく。
「なァ、さっきの」
 人形の話、と言おうとして、カンナが遮るように答えた。
「イレギュラーの可能性があるわね」
「やっぱり」
「あのホームレス殺しと関連があるかはわからないけど、一応、目撃証言があった場所と付近に聞き込みと張り込みをするわ」
「イレギュラーが能力を使ったら感じ取れるんじゃないのか?」
「そうだけど、感じてからじゃ遅いでしょ。犯行現場に着いた時にはできたての死体が一丁上がり、なんて笑えないわ」
「そりゃまあ確かに。はァ、聞き込みと張り込み、かあ。簡単に言うけどそれって重労働ですよね」
「うん。で?」
「何でもないです。やります」
 よろしい、と答えてカンナが振り返った。
 心なしか頬に赤みが差し、唇が緩んでいる。
「絶対に犯人を見つけるんだから」と拳を握ってみせる。その柔らかそうな指を見つめながら、クリスは聞いた。
「見つけて、どうするんだ」
「自首させるに決まってるでしょ」
「罪状はなんだよ? 自首しただけじゃ警察には犯人にしてもらえねえかもしれないぜ、狂言と思われるかも」
「あの血のついたウインドブレーカーが残ってれば平気よ」
「もうとっくに処分したんじゃねえか」
「じゃあ、もう二度と人を殺せないようにする」
 カンナは振り返った。
「本当にそうするしかないのなら、ね」
 夕日を浴びて、彼女の顔が赤く輝いている。赤い海の中にいるようだ。
「何ぼーっとしてんのよ」
「え?」
「さっさと行くわよ。これから忙しくなるんだから」
 コートの裾をはためかせて、カンナは校舎から出て行った。
 クリスにはその後を追うことしかできない。
 胸の中に黒く重い不安を感じながらも。





 怪我が治るまで三日ほどかかった。
 猿に変身できる能力は生まれつきのもので、師走は幼い頃からちょっとやそっとの擦り傷は一日で治してしまったのだが、その回復力とマリの糸を持ってしても全快まで三日かかったのは、それだけ傷が今まで受けたことがないほど深かったということであろう。
 かまいたちに遭ったように割れた傷口を見るたびに、師走はくらくらっと眩暈を覚えた。
 しかし、全快したことはマリには黙っていた。
 学校へ駆り出されかねない。しばらくは身を潜めておきたかった。
 たったひとりきり、布団に横たわって天井の木目を眺めていると考えたくないことが首筋から這うように登ってくる。
 幼馴染から向けられた殺意を思い出し、師走は布団の中で背筋を震わせた。
 次に会えば殺されるだろう。だがそれは、黄金の猿として出会えばの話だ。
 空木師走として罪を告白したら、彼女は自分を許すだろうか。
 許してくれるだろう。二度と人を傷つけないと誓えば、黙って肩を抱いてくれるだろう。
 それはマリも、兄も同じだろう。涙を流して叱ってくれるかもしれない。
 だが、それにどんな価値がある。枕に顔を埋めて、師走は思う。
 自分は許されるために人を殺したのではない。
 変わりたくて。そうしなければ、ならないと信じて。
 どうせ、この気持ちを抱えている限り、自分は殺人鬼のままなのだ。

 巻かれたマフラーが人体を治癒させるというのはどうも突拍子もなく感じられて(師走が言えたことではないが)、師走は本当に効力があるのか事あるごとにマリに問うたが、彼女はしかつめらしい顔で頷き、その能力についての逸話をいくつか話してくれた。
 いわく、昔は皆、手から糸が出せるのだと信じていた。自分が特別なのではなく、皆がそうだと思っていた。
 いわく、母に打ち明けてから、絶対に黙っているようにと厳命され、このことは父親も知らない。
 いわく、細さや太さ、強度から粘度、長さ、色合い、すべて自由になる自在の糸。
 その話は概ねミルナの説明とも合致していた。
「ミルナは、私のことを嘘はつかないけど糸を出すから、糸吐きだ、なんて言うけど」
「糸吐きねぇ……」
 マリが頬をすぼめて細い糸を一生懸命吐き出している様を想像し、師走は笑いそうになった。
「その方がいいよ、嘘吐きよりも。マリ姉らしくていい。それにマリ姉の糸はすごく綺麗だ」
「……バカ」
 枕元の時計を見ると、もう学校へ行かねばならない時刻が迫っていた。
「マリ姉、そろそろ」
「うん、行ってくる。大人しくしてるんだよ」
 マリはあまり人を疑わない。
 だから傷つけられる羽目になるのだ、と師走はいつも思う。

 ミルナ、という少女について師走は考える。
 数日の間に、マリや本人から聞いた話によると、一月前から居候しているのだという。
「うちの前で血まみれで倒れてたから見捨てるわけにもいかなくて」
 とマリは何でもないことのように言っていたが、そんな怪しいやつを手当てして家に泊めてはいけないと師走は思う。
 ミルナについてわかることは、他にはほとんどない。
 年は師走と同い年くらいに見えるが、小柄なため見る角度によっては中学生にさえ見えてしまう。
 いったい何が目的なのか、社会への反抗なのか、彼女はいつも男子用学生服を着ていた。
 師走の血は綺麗に落とされ、今では元のつややかな輝きを取り戻している。
 他にはないのかと聞くと、ほとんど同じ服しか持っておらず、目立って違うものと言えばパジャマしかないという。
 一度だけ寝巻き姿を見たことがあるが、囚人服のような青と白のストライプで、師走は彼女の趣味を疑った。
 ふらっと出て行ったかと思うと、何をするでもなく師走の側で漫画を読んでいたりする。しかし一階の喫茶店を手伝っているところは見たことがない。
 泊まってから二日目の昼下がり、二人でマリの親父さんの作ってくれたおにぎりを腹に満たした後、なぜ自分を助けたのか、と尋ねてみた。
 すると彼女はページをめくりながらあっさり答えた。
「何だか面白そうだと思ったんだもん」
「面白そう?」師走は反復する。「血まみれの大猿を助けることが?」
「うん、まァ、ただの気まぐれって感じ」
 そうは思えなかった。
 その時から、いやきっと最初から、師走の中でむくむくと彼女に対する興味が湧き上がった。
 マリが登校してしばらくして、ミルナが襖の間から顔を見せた。
「何か欲しいものあったら買ってきてあげるよん」
「今日もどこか行くのか」
「うん。夜には戻ると思うけど」
「僕も」師走は起き上がり、身体に巻きついたマフラーを取り払った。
「僕もついてく」
 あの満月の晩から、一週間が経っていた。


<顎ノート>
すげえねむいのに俺なにしてんだろ・・・
とりあえず、話の流れの主題もわかんねーしキャラも薄い。

       

表紙
Tweet

Neetsha