Neetel Inside ニートノベル
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シェンロン・カイナ
21.神龍腕2

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 師走の読みは当たっていた。
 闘いが長引くにつれ、不利が明らかになっていったのはミルナの方であった。
 黄金の腕が閃き、それをミルナは右手で捌く。
 その時にはもう反対の手が彼女に迫り、避けるために上半身を逸らすも、続く連撃に右手が追いついていかない。
 師走は両手両足、すべてが異能に染まっている。一方ミルナは右手のみ、他の部分は平常と同じ人間のものだ。
 師走が手加減して手足を振るったとしても、かすっただけで彼女の身体は烈しく傷つくだろう。
 ゆえにミルナは、らしくなく防戦を強いられたのである。
 ミルナが打ち、師走が払い、返す。
 それを巧みなステップでかわすミルナ。
 躓きでもしたらその瞬間に胴体に風穴が開くだろう。
 けれど防御に徹し、いつか来るであろうチャンスを待つのはこの状況では愚策である。
 攻撃は最大の防御という格言の通り、攻撃しないまま受けているだけでは、相手はどんどん調子に乗ってくる。
 闘いの恐怖や緊張感よりも攻める興奮と喜びに染まり、通常の力を発揮する。
 真剣勝負においていつもの力を出せる、というのはそれだけで多大な脅威となる。百パーセントの力を出し切れるものは少ない。
 たとえ力量のマックスが平凡だとしても、極度の緊張下でそのマックスが出せるものは平均値を凌駕した天才をも時に打ち倒す。
 かといって無為に突撃を敢行しては待っているのは死である。
 つまりミルナは、攻めようが守ろうが窮地に立たされる状況にあった。
「シャァッ!」
 鋭い叫びとともに師走の拳が迫る。
 咄嗟に屈んで背後に回り込んだミルナだったが、師走はその場に手をついて背後に蹴りを放った。
 辛うじて右手でガードしたものの、芯に残る痛みと衝撃を受け、ミルナは吹っ飛び、土に塗れて転がった。
 すぐに受け身を取って起き上がり、構えを取るが師走の姿はない。
 ぞっと背筋が凍てついた。
 横に遮二無二飛びずさったと同時に、天空から師走の蹴りがミルナのいた位置を貫いた。
 太鼓を打ったような轟音が響き渡り、地面に深い亀裂が走る。師走の邪悪な笑み。
「どうした、逃げ回ってるだけか。口ほどにもないな」
 痺れた腕を軽く振り、ミルナは両腕をファイティングポーズ。
 さも余裕そうな師走ではあったが、その態度ほど内心は穏やかではない。
 一本だけとはいえ自分と同程度の力を秘めた腕を相手が持っている以上、それは自分を殺せる力を有しているということ。
 自身の能力の恐ろしさは師走が一番よく知っている。
 気をしっかり持たねばならない。
 わずかでも臆せば、ミルナは刹那の内に隙を見せた自分を殺すだろう。
「泣いて謝るなら、許してやってもいいぜ。僕はまだ本気を出しちゃいないんだ。諦めた方が賢明だと思うけど」
 嘘八百を並べ立て、とにかく相手に揺さぶりをかけようとアプローチするが、ミルナは耳をまったく貸さずに静かに自分を睨んでいる。
 こいつには停戦する気など初めからない。
 こいつは、と師走は思った。
 何が起ころうとどこまでいこうと闘うのだ。闘うことだけに特化した、いわば戦闘生物。
 生きているなら、命を奪うことは自然のなりゆき。
 心からそう信じ、それを実行する相手を前にして、一切ダメージを受けていないにも関わらず師走は烈しい疲弊感を覚えていた。
 まるで見えないどこかで行われている心での殴り合いに負けているようだ。
 それを忘れるため、師走は拳を放つ。すべての攻撃に必殺を念じる。
 この闘いの末に、待ち望んだ悲しみがあるのだと信じて。
「キィャッ!」
 それでも焦りは消えてくれない。なぜならこうまで追いつめているというのに、獲物は依然、笑っているのだから。
 どこからか這い寄ってきた不安が全身に絡みついてくる。
(負けるわけがない……ただの人間に、この僕が負けるものかッ!)
 数多の拳を放つ師走、その中の一撃をミルナが払い、その場でくるりと回転し、勢いを乗せた拳を繰り出してきた。
 師走は左手を右脇近くまで払われた不安定な態勢ではあったが、自由な右腕を辛うじて打った。
 やや力点のずれた二つの拳が激突し、火花が咲いた。
 暗闇に沈んでいたお互いの顔が浮かび上がる。
 しかし皮肉にも、この突き合いを制したのは決死の思いで反撃に出たミルナではなかった。
 師走の拳がミルナの拳から逸れ、彼女の腹をしたたかに打った。
 伸ばされた彼女の拳は師走の胸の直前で力を失い、彼女の眼が見開かれ口からは呼気が漏れる。
「オオオオオッ!」
 拳を振りぬき、ミルナを地面に叩きつける。
 毬のように細い身体が跳ねた。
(インパクトは完全に伝わらなかった――だが次の一撃で終わりだ!)
 右手を打ったと同時に引いていた左腕、そこに全神経から活力をぶち籠める。
 筋肉が盛り上がり、腕が一回り近く大きく膨れた。
 生身の人間がその一撃を受ければ、五体は二度と集まることはないだろう。
(終わらせてやる――終わりにしてやるッ!)
「シャァァァァァァァァァッ!」
 金色の力の奔流が放たれた。
 今度は亀裂では済まなかった。
 地面は砕け、人の頭ほどもある土塊が散弾のように天に舞い上がった。
 ミルナは、師走の目の前にいた。
(え?)
 鱗手が師走の左腕を脇に抱え、赤い爪を食いこませている。
 プールサイドから背泳ぎを始める時のような格好で、両足は師走の厚い胸板の上にあった。
 呆然とする師走が愉快でたまらないのか、ミルナは歯を見せる。
(なんで――)
 地面に倒れていたミルナを殴り殺したはずなのに、動ける余裕も体力もなかったはずなのに。
 時でも止めなければこんなことは――
 この時、師走は反省した。自分の落ち度を探し、そのために行動が一瞬遅れた。
 どうするべきか立ち止まってしまった。
 みち、という音が師走には他人事のように聞こえた。
 ミルナは容赦なく、抱えた師走の左腕を引っこ抜いてしまったのだ。

 もんどりうって倒れ込んだ師走は、車両のブレーキ音じみた絶叫と大量の鮮血をほとばしらせた。
 臨界点を突破した痛みと怒りのあまり、その場に跪いて頭を大地に打ちつけ、呪いの言葉を叫び続ける。傷口から噴出する血が全身を染め上げる。
 そんな狂った光景を見て怯むどころか、ミルナは奪い取った腕を祭りで取ったヨーヨーと等しく扱った。
 血飛沫が跳ね、彼女の白い頬に赤い筋をひとつ残した。
「はい、オシマイ」
「――――」
「両手あったって勝てなかったんだから、もうやめとけば? これ以上やったって」
 がばっと師走が伏せていた顔を上げた。
 涙と鼻水で汚れきった顔の中で、赤い瞳だけが爛々と輝いていた。
 口腔から涎と吐瀉物が滴っているのを見て、ミルナは確かめるように頷いた。
「とことんやる、ってのね。いいよ。そういうの、好きだよ」
 振り上げた師走の左腕をミルナは大地に叩きつけ、踵で肘のあたりを踏みつけ、真っ二つにへし折った。もう二度と再生できないように、すり潰す。
 それを目の当たりにした師走が残った右腕で頭を抱え、歯を鳴らし体毛を引きちぎった。
 すでに常軌を逸している。
 人のものとも獣のものとも思えぬ咆哮を上げ、師走はミルナ目がけて遮二無二突撃する。
「あんたって、事あるごとに変わりたーい変わりたーいってうわごとみたいに繰り返してたけどさ」
「――――!」
「そんなの無理っしょ、やっぱ。だってあんた、元々何者でもないじゃん。それを人を壊して成長しようなんて」
 ミルナの肩に埋まっている宝玉、その中のひとつが発光し、彼女の顔を真紅に照らした。
 師走との距離はもう刹那の中まで縮まっている。
 鱗手を引き、身体を落とし、その眼はどこまでもまっすぐ相手を見据えて。
 この拳は一発の弾丸。この心は一瞬の情熱。
 それは誰にも止められない加速の流儀。

「甘ったれんなっての――ッ!」

 敗者は食い散らかされた死にざまが相応しい。
 その持論の通り、空木師走は一発の拳を胸に受け、自らの残骸を夜空にまき散らした。
 もっともその体内の熱量ゆえか、死体と衣服はすぐに燃え上がり、ミルナが一息ついた頃にはもう灰が風に溶けていくところだったのだけれど、後には何も残らない方が彼にはよほど、似つかわしい終わり方だったのだろう。

 細い身体の中に、まだ戦闘の残り香が渦巻いている。
 鼓動が痛いほどに胸を打っていた。
 ミルナが握っていた拳を開くと、それに合わせたように右腕を覆っていた鱗にひびが入り、ぱりんと割れた。
 破片は空中に吸い込まれるようにひとつ残らず消失し、後にはいつも通白い腕。
 ミルナはポケットから携帯電話を取り出した。柔らかい兎のストラップがくくりつけられている。
 年相応の少女が身に着けてしかるべきアクセサリーも、返り血を浴びたミルナには似合わず、人質のようにその手に収まっていた。
 その携帯電話は門鐘マリのものだった。
 音楽ホールでミルナが回収したものは、吸血鬼事件のスクラップ記事だけではなく、その電話も彼女はとっさに隠し持っていたのだった。
 音楽ホールにマリが自分から赴く用事があるとは思えない。
 では誰かに呼び出されたか、付いていったか。
 残念ながら着信履歴に当日のものはなく、メールはロックがかかっている。
 警察に持っていけば解除することも可能だったろうが、ミルナはそうするつもりはなかった。
 最近の事件にひどく警戒していた彼女がほいほい釣られたことから鑑みて、親しいものの犯行であることはほぼ間違いない。
 この携帯電話をどう使うか、考えるミルナの頭の中には、師走と過ごした短い日々のことは欠片も残っていなかった。
 白い板よりも滑らかな頬から、つうっと一筋の血が滴った。


<顎ノート>
戦闘描写書きたくねえ…麻雀だけしてえ…
という思いを跳ね除けるようにして、ピカリスの戦闘シーンとかバカラスのラブコメとか書いてたんだけど、辛かった……

戦闘と駆け引きを融合させたかったけど、そう甘いものじゃなかったです。
麻雀とかだとルールと戦術が一定に決まってて、それを軸に考えていけばいいんだけど、
戦闘は俺やったことねーし(物理的に)軸が決まらなくって大苦戦した。
ラブコメもやったことねーから大苦戦したよ!

向いてないものを無理やりがんばるより、向いてるものをたくさん伸ばそうと思う。

       

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Neetsha