Neetel Inside ニートノベル
表紙

シェンロン・カイナ
『02 殺人鬼』

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 ひとりの少年がいた。
 年齢は十五歳、なんの変哲もない高校一年生。やや華奢だったけれど端整な顔立ちで、物憂げにいつも俯いていた。暗いというよりも神秘的な人だ、と周囲には思われていた。
 その少年は、常日頃から、人を殺せば何かが変わると思っていた。
 そうすれば、この真綿を口いっぱいに詰め込まれたような日々から抜け出せる。狂ったように同じ道を往復するこの毎日から。
 人を殺せば強くなれると思っていた。
 他の誰かがやらないなら、あるいはそこに意義や変化を見出せないなら自分がやるしかない。
 いつかやられる前にやってしまえばいい。そうすればいざという時の心構えにもなる。
 寝ても覚めても、人を殺す、その一念が頭にこびりついて離れない。
 抵抗はあった。哀れぶった罪深い妄想にすぎず、実行には移らないだろうという淡い期待もあった。
 だが、心の底では十二分にわかっていたのだ。
 一度そうしようと思い、それを自然と受け入れてしまった以上、もう止まることなどできない加速の軌道に、自分も乗ってしまったのだと。
 こうして殺人鬼は誕生した。
 恨みも悲しみもなく、ただ変化を求めて。

 誰を殺すか、という思考を殺人鬼は教科書を朗読する教師越しに黒板に投影した。脳裏に浮かんでは消えていくいくつかの顔。
 たとえば親。たとえば兄弟。たとえば友達。
(いや、僕に友達なんているものか――)
 その殺人鬼は孤独だった。他者を拒絶し、そもそも愛するということができなかった。知らなければまだ救いもあったが、彼には愛情という感情が欠落してしまっていた。
 変化を求める彼の衝動は、その心の穴から滲み湧いてきたものだったのかもしれない。
 欠けていれば埋まろうとする。それは自然なことだ。
 孤独な殺人鬼は考える。誰をどうやって殺すか。
 殺せばきっと、自分は変われるのだから。

 ふと顔を上げるとすでに放課後になっていた。
 起こしてくれるものは誰もいない。窓ガラス越しに覗く赤い夕日が彼と教室を斜めに染め上げている。
 瞼をこすって欠伸をこぼし、殺人鬼は教室を後にした。
 まだ新しい校舎の白い廊下に人影はない。皆、部活やアルバイトなどで忙しいのだろう。
 時間を持て余した殺人鬼は、重たげな足を前に踏み出した。
 彼は部活動に所属していない。学校が終われば家へと帰る他にない。
 誰も迎えてくれない家になど帰るのは不本意だったが、そうする他にこの自分のいるべき場所などなかった。
 趣味もない。役目もない。宙ぶらりんの透明人間。
 誰でもないひとりだった。
(皆、苦しくないんだろうか)
 自分はその苦しみを殺人で癒そうとしている。
 正しいとか間違っているとかいう問題ではなかった。そうしなければ、窒息してしまう。
 息が苦しい助けてくれ、と声を張り上げたところで、その殺人鬼を救ってくれる者などいないのだ。
 廊下の角にまで来たところで、人の話し声が聞こえた。殺人鬼にはその声の主たちに心当たりがあった。
 煙草と大声で喋る癖からしゃがれてしまった声で、何人かの男子たちが階段に腰掛けて、こんな単語を交えて笑っていた。
 退屈、金欠、手っ取り早く、ホームレス、今夜十二時。
 誰か見てやしないだろうか、とひとりが言った。
 仲間たちに怖気づいていると思われないように明るい口調だったけれど、殺人鬼は彼の怯えや厄介事を億劫がる気持ちを敏感に嗅ぎ取ることができた。
 大丈夫だよ、と最も低い声をした男子が言う。この町の連中は早寝ばかりだからな。
 彼らの住む町、夕闇が丘の住民はほとんど夜に出歩かない。
 二十年前に発生し迷宮入りした連続殺人事件がその原因だった。
 あるむし暑い晩、町の北にある一帯、そこに住んでいた計三十人がひとり残らず惨殺された。老若男女問わず、目撃者さえいない皆殺し。
 傷口からは、ことごとく犯人の唾液が検出されたという。
 ある真夏の一晩限りの悪夢。
 それからこの町は、幻の吸血鬼を恐れるようになったのだ。
 その話を誰かが冗談交じりに言うと、リーダー格の男子が鼻で笑った。
 その男子は転校してきたばかりだったので、きっとこう思ったのだろう。
 そんなことでびくつくなんて、田舎者は根性なしだ。よしここはひとつ都会で培った度胸を見せてやろう、と。
 けれど、実際にこの町は夜になると死んだように静まり返る。
 台風が接近しているかのように、夏場でさえ雨戸をきっちり閉めている家がほとんどだ。
 それが単なる心配性ゆえの杞憂なのか、それとも何らかの真実を秘めているのか。
 殺人鬼は踵を返して別の階段から校舎を出、空を見上げた。柔らかそうな雲が太陽の断末魔に焼かれている。
 吸血鬼が実在するかどうかはわからない。
 だが、少なくとも殺人鬼はここにいる。
 彼は暗い光を湛えた眼をスゥと細めた。

       

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