Neetel Inside ニートノベル
表紙

シェンロン・カイナ
『04 チンさん』

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 殺人鬼とホームレスの交流はしばらく続いた。
 殺人鬼はすっかり学校に行かずにホームレスの小屋に入り浸りになっていたし、ホームレスもまた話し相手ができたことを内心では喜んでいるようだった。
 男は自らを、チン、と名乗った。
「チンさん? 変わった名前だね。外国人みたいだ」
 短く切った丸太の上に木片を置いただけのテーブルに頬杖をついて、チンさんはにやっと笑った。
「本名は清太郎っていうんだ。清い太郎。おまえ、麻雀打つかい」
「麻雀」と殺人鬼は繰り返した。「打たないけど」
「麻雀の役にチンイツってのがあるんだ。漢字で書くと、清い一色。そのチンが由来さ」
「チンさん、麻雀打つのかよ」
「昔は俺もブイブイ言わせてたんだ。アウトローってやつだな。元だが」
「今でも法律からはアウトしてるけどな。誰にも断らずに公園に住み着いてる」
「ふん」
 チンさん。殺人鬼はその名前を胸の奥に仕舞った。
 決断したのがいつか、と聞かれれば、きっと名を教えてもらった時だ、と殺人鬼は答えるだろう。
 この日、彼はチンさんを殺すことに決めた。

 ある時、殺人鬼はまた名案を思いついたような顔をして麻雀牌を小屋に持っていった。昔話の肴になればいいと思ったのだ。
 するとチンさんは顔を上気させて喜び、「麻雀を教えてやるよ!」とすっかり意気込んでしまった。
 渋々退屈そうに牌を触っていた殺人鬼だったが、教わるうちにまんざらでもなくなってきたのだった。
 ジャラジャラ、と二人は牌を混ぜ、十七枚ずつ二段に揃えてから積んだ。
 不安定な木片の上だったため不慣れな殺人鬼は最初、非常に難儀したが、今ではすっかり慣れて一丁前に牌山を積めるようになっていた。
「おい、小僧。今日までいろいろと麻雀について教えてやったが――」
「役とルールと、ちょっとしたイカサマだけじゃないか。まだ基本のきの字しか教わってないぜ」
 二人は鏡合わせのように十四枚の牌を取って、しかめっ面をした。
「麻雀はな、怖いぜ」
 ぷっと殺人鬼は吹き出してしまった。
「チンさん、なんだよそれ。饅頭が怖いってやつか?」
「違えよ。本当にこの遊びは甘く見ない方がいいよ」チンさんは真剣な顔で、ぶるっと両肩を震わせた。
「でもやめられねぇ。どんなに苦しくたってやめられねぇんだ。俺も家なし金なしになった時はとうとう終わりかと思ったが、不思議なもんでまたこうして牌をつまんでる。
 本当に好きなことってのはな、苦しくても悲しくても、やめられないんだ。どうしてかな。
 俺たちは皆、不幸になるってわかってんのに、やってしまうのだ」
 チンさんの表情は、寂しさと清々しさの混在した、実に味のある顔だった。
 生きた人間の顔だ、と殺人鬼は思った。
「チンさん」と彼は唐突にぺこりと頭を下げた。チンさんはその意外な素直さに驚嘆して珍しく牌を取りこぼした。
「な、なんだよ」
「ありがとう。今日までいろいろ教えてくれてさ。ためになったよ。
 僕も僕のやめられないことのために、頑張るよ」
 チンさんはじっと殺人鬼の顔を見つめた。
「俺は子どもをなさなかった。そんな資格はねえって思ってたしな。だから、もし子ども代わりに接した人間がいるとしたら、おまえってことになる。
 俺は俺の一番伝えたいことを、最後の最後に残すことができた。ありがてえことだ。
 へへへ、ひょっとしたら神様ってのはそう悪いやつじゃねえのかもしれねえな。な、そう思うだろ、おまえも」
 チンさんはにやっと笑った。殺人鬼もそれを真似した。親子のように、二人は笑いあった。

 その夜、殺人鬼はチンさんを殺した。
 寝ていたチンさんの側に膝をつき、少しだけこれまでの無垢な自分への別れを思い、右腕の袖をまくった。
 黄金の体毛に覆われた腕が露わになった。滑らかで整った毛並みである。軽く力を入れると、ぎゅっと毛の奥で筋肉が引き締まった。
 腕だけではなく、今や全身が猿のごとく毛で埋め尽くされているのである。
 この変身能力を誰かを攻撃するために用いたことはなかった。
 しかし、攻撃できる、ということは身体の中に満ち満ちている気力が雄弁に教えてくれていた。
(勘違いするなよ)
 誰に向けてでもなく、迷いかける自身を奮い立たせるためだったろうか、殺人鬼はめらめらとした気持ちを起こした。
(僕はこの力を持って生まれたから、人を殺すんじゃない。鶏が先か卵が先か、他人からしたらどっちでもいいことかもしれないが、僕は僕だから殺すんだ。それだけは間違いないんだ)
 手首から指先まで、もう二度と他の形にはなれないのではなかろうかと錯覚してしまうほどに、力を籠める。
 そうして、手刀がチンさんのたるんだ首筋に弧を描いて吸い込まれた。
 灰色のチンさんの頭は狭い小屋の中をピンボールのように跳ね回り、屈んだ殺人鬼の足元にごろりと転がった。
 穏やかな死に顔だった。
 あっけなかったが、それで終わりだった。
 それを見て、殺人鬼は胸に手を当てた。
 いつもどおりの鼓動が手のひらを打った。
 いつまで待っても、殺人鬼の胸には何の感情も浮かばなかった。
 何も変わらなかった。
 彼の望んだ変化はやってこなかった。
 親友のようなホームレスを殺しても。
 真紅の鮮血を浴びた金色の右腕を見下ろす。
 斑に赤く染まった腕は、それが元の柄だったかのようにぴったりと似合っていた。血を浴びていない左腕の方がかえって不格好のように思われた。
 そうして彼は不意にチンさんの声を聞いた。かつて、といっても数日前の記憶が蘇る。
「博打で一番空しいのは、不思議なことに負けることじゃねえんだ。何日も何日もかけて、誰も大勝せず、大負けせずに袂を分かって帰っていくのが一番空しい。プラスマイナスゼロがいいなんていうやつもいるが、そんな結果になるくらいなら、最初から打たない方が時間の得さ。だから結局、馬鹿なことだが、勝つか負けるか、どちらかの結果を出さない限り何の意味も価値もねえんだ。そしてそれを変えたい、と思ったら、とことんやるしかないのだ」
 チンさんは本当にいろんなことを教えてくれた、と殺人鬼は思った。
 転がっていた生首を、台代わりに使っていた木材の上に置いて、落ちないようにバランスを取る。
「わかったよ、チンさん」と彼は言った。
「納得できるまで、僕もやるよ。それしかないんだもんな、結局」
 そうしてまた、その死体に背を向けかけて、ふっと脳裏にある思いつきが浮かんだ。
 チンさんは生前、どうせ自分は獣のように死ぬ身だ、とこぼしていたことがある。
 けれど今の彼の有様は、どうも少し綺麗すぎるように殺人鬼の目には映った。
 家へと戻りかけたつま先が、再び向き直った。
 動物が強者に力で敗北したならば、その死体は見るも無残な骸になるのが相応しいのだ。


<顎ノート>
「麻雀わかんない人は麻雀のことなんかどーでもいいのよ!」っていうのを理解できない、それが麻雀中毒。
これ書いた頃は「強い」とか「悲しい」ということを履き違えていた時代。
押し付けがましい殺人衝動とか誰も読みたかねーよ!って感じだよね。俺もそー思う。
物語を作ることに固執して「人間」を忘れてしまっていた無様な顎でした。
ぶっちゃけ今もかも…やばい。

       

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