Neetel Inside ニートノベル
表紙

シェンロン・カイナ
『05 クリス』

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 夕闇が丘の朝は早い。
 老人たちは夜明けと同時に起きるものが大半で、若いものたちも車が道路を流れ始める頃にはほとんどが食卓に着いている。
 フライパンの上で固まっていく目玉焼きの匂いを門鐘真理は心地よさそうに吸い込んだ。
 和食の匂いは朝の匂いだ。味噌汁とご飯、それに魚と漬物。どんなに食べても飽きない黄金コース。
 だというのに、マリはため息をついた。
 鼻歌まじりに食事を食器に盛り付けている彼女の背中に向かって、そろそろパンが食べたいんだけど、などという無粋な要求をしてくるものがあったからである。
「却下。朝は和食が鉄板なの。――おはよう、クリス」
「ああ、おはよう、マリ。相変わらず暇そうだな。よく飽きねえな、おまえも」
 朝食を作りに来た幼馴染に対して当然のような態度を取った少年はテーブルにドサっと腰掛けるなり突っ伏し、いびきをかき始めた。
「耳から味噌汁飲みたい?」とマリは無表情に尋ねる。赤いべっ甲縁眼鏡の奥で両眼がキラリと光った。
「いやァ、えへへ今日もいい天気だなァ! ねえ?」
 少年が勢いよく起き上がって黄色い朝日の差す窓の外を見る。
 ひどい寝癖が直っていないままだが、恐らくこのまま登校するのであろう。
 彼の名前は空木結晶。
 姓はウツギ、名はアキラと読むが、彼とマリの他のもうひとりいる幼馴染によって十年前にクリスとあだ名をつけられてから、ほとんど本当の名前を呼ばれた試しはない。
 本人は甚だ迷惑がっているが、「お嫁さんにだけアキラって呼んでもらうんだ」と前向きな妄想に陥っている。
 ちなみにどこまで家系図を辿っていっても純日本人の名前しか発掘できない。
 マリがせっせと忙しくご飯をお椀によそったりしているのを横目に、クリスは自分で注いだ水をごくっと飲んだ。
 テーブルの側に置いてある十四インチのテレビの中で、若い女子アナウンサーが喋っている。
『三日前に起こった夕闇が丘公園におけるホームレスバラバラ殺人事件は、未だに犯人の手がかりも掴めず、現在鋭意捜査中とのことです。また付近の住民たちは死体の損壊状況から、二十年前の連続猟奇殺人事件を想起して非常に不安な毎日を――』
 キャスターの顔がウサギに変わった。
 ウサギは身振り手振りを交えていかに今日の獅子座が不運に見舞われるかを語っている。星占いのコーナーだ。ラッキーカラーはグリーン。
 マリを見ると、リモコンを掴んだまま不快そうに眉をしかめていた。
「食事中はこういうの、聞きたくない」
「へいへい。俺が喋ったわけじゃないっつの」
 憎まれ口を叩いたかと思うと、クリスは焼き鮭をパクっと口に入れて叫んだ。
「うめぇっ……!」
 瞼をぎゅっと閉じ、口内に広がる鮭の甘さに打ち震えている様は見ているものを羨ましがらせること必定である。
 そういうわけで表面上、マリが毎朝懲りることなく空木家に食事を作りに来ている理由は「とてもおいしそうに食べてくれるから」ということになっているのだった。
「そういえば、師走は? まだ寝てるの?」
 マリが薄暗い階段の方に顔を向けると、クリスは大きな欠伸をこぼした。
「さァな。そうなんじゃね?」
「この無責任野郎」
「うるせえよ。昨日聞いたらしばらく朝飯はいらねえとさ。ダイエット中なんじゃねえのか」
 マリは俯いて、空になりつつあるお椀に向かって呟いた。
「あんなに痩せてるのに……師走、考えすぎだよ」
「信じるなよ……」

 夏が終わって、二学期が始まり、少しずつ木々からは色が失われていく。
 そんな十月の初めの道を、クリスとマリは並んで歩いていた。
 夕闇が丘は不思議な町だ。
 元からあった古い町並みに、埋め込むようにして新しい建物を建てたり、いつの間にか古い家と住民がどこかへ行ってしまったりして、常に変化を続けている。
 そうして昔から長年住み続けている住民であっても、ふと気がつくと知らない路地に迷い込んでしまったりする。
 そんな迷路じみたごちゃごちゃした町並みがクリスは好きだった。
 ちょっとした物陰を覗くと野良猫と目が合ったり、思わぬ場所で知人とばったり出くわしたりする。
 ただそれだけに、不可解な噂話も多い。
 たとえばある十字路で十三回ぐるぐる回ってから歩き出すと永遠に出れないとか、下水道から全身を鱗に覆われた蜥蜴女が出てきたとか、二十年前の事件現場では未だに吸血鬼が夜な夜な獲物と下僕を求めて彷徨い歩いているとか。
 荒唐無稽な話ばかりだが数が多いために聞いていて飽きることはないし、高校に進学してからも迷信を足蹴にできない素直なやつが大勢いたため、彼らが恐れたりはしゃいだりするのを見るのはクリスの密かな楽しみであった。
「――聞いてる?」とマリが怒ったように顔を覗きこんできた。
「もちろん」
 とナチュラルに嘘をついたクリスは当然のような顔をして聞いた。
「何の話?」
「まったく」とマリはため息をついてから、健気なことに一から話し直してくれた。
「最近、変な居候がうちに居ついちゃったの」
「居候って……男?」
「女の子。行き倒れてたから世話してあげたら、住み着いちゃった」
「なんだそりゃ、今時マジでいるんだな、そんなやつ」
「いつ出て行くのって聞いたら一生養ってくださいって言われちゃって」
「究極のニートじゃねえか。早く追い出せよ。なんだったら、俺が預かろうか? ちゃんとした社会教育ってやつをしてやるよ」
「いい。クリスに預けるとロクなことにならない」
 どういう意味だ、と尋ねようとしてクリスの視界に茶色いトレンチコートが映った。
 この界隈であんなものを平気な顔で着こなしているのはクリスの知る限りひとりしかいない。
「よう、カンナ!」
 クリスが手を挙げて呼びかけると、藍馬カンナはこちらに気づいたらしく近づいてきた。
 何もない場所に立っていたので、恐らく二人を待っていたのだろう。
 低く結んだツインテールにキャスケット帽を被っている。
 驚くべきことにこの格好で彼女は毎朝登校しているのだった。
「おうツンデレ探偵、今日は一層と機嫌が悪いな」
 軽口を叩いたクリスだったが、おや、と思った。いつもなら脛に鋭いローキックがぶち込まれているところだが、今朝の彼女は仏頂面のまま、クリスを睨みつけているだけだ。
「どうした。腹でも痛いのか」
 カンナはふん、と鼻を鳴らすとびしっとクリスの鼻先に指を突きつけた。
「クリス、マリ。あんたたち、しばらく自宅謹慎」
 といってすたすたと立ち去ってしまった。学校の方角とは微妙に違っていた。
 呆気に取られたクリスはマリに「なんだあれ?」と表情で伝え、彼女は「知らないわよ」と肩をすくめた。

 藍馬カンナは探偵である。
 厳密に言うと、夕闇が丘高校探偵部の部長ということになる。
 部員はクリス、マリ、師走、それに名義だけ貸している幽霊部員がひとり。
 けれどこのご時勢に探偵なんてものをやる物好きはカンナだけだったので、部室の中は調査用の資料が散乱することなく、クリスは十四インチテレビを持ち込んでゲームに専念し、マリは誰に贈るつもりなのかセーターや靴下を編み、師走はほとんど家に帰るばかりだった。
 たまり場と化した部室にカンナの叫びが轟かない日はない。
「この世には、きっと私たちにしか解決できない事件があるのよ! その時のためにあんたたちは私のために頑張らなきゃいけないの!」
 聞いてんのか、とカンナが机を叩いたが、クリスのヘッドフォンは優秀だったので彼女のシャウトは1デジヘルたりとも届きはしなかった。
「マリ、それ、クリスにあげんの」
 ある時、靴下を編むマリにカンナがどこか不機嫌そうに問うと、マリはぷうっと頬を膨らませた。
「昔、クリスにセーターあげたら、色が気に入らないとか言われたの。それきり着てくれないし、だからもうあげない」
 クリスはコントローラをポチポチやりながら、カンナに後ろから羽交い絞めにされ酸素欠乏に耐え、マリがけらけらと笑う。
 以上、三人の日常のほんの一例である。

 そのカンナが自分に自宅謹慎と命じたきり、学校をサボった。
 数学教師の平坦な声を聞き流し、クリスは考える。
 カンナは規律を重んじるタイプだ。中学時代は生徒会長だったことだってある。
 その彼女が病欠以外の理由、たとえばサボタージュなどで休むとは考えられにくい。
(ある意味、探偵ごっこで学校休むのはやつの病気としてカウントしていいかもしれないけどな……)
 そう、つまりは彼女は何らかの事件に興味を持って学校へ来ていないということになる。
 クリスはため息をついた。どの道、自分も別件で素直に家にいるわけにはいかない。
 放課後のチャイムが鳴ると、クリスは鞄をぶらぶら振りながら、カンナを探しに向かった。



<顎ノート>
あとづけ設定をこのあたりで帳尻合わせたんで結構しっちゃかめっちゃか。書き直せばよかった。
あと女の子の喋り方がなんとなく固くってウザイね。
まじめであることなんか小説書く上で役に立たねーと実感する今日このごろ。
持続力は大事だけども。

       

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