Neetel Inside ニートノベル
表紙

シェンロン・カイナ
『07 黄金の猿』

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 近づいてよく見ると、金色の猿は絶命していなかった。時折思い出したようにびくんびくんと身体を痙攣させているが、まだ緩やかに背中が上下している。
 しかしその身体の下はバケツをひっくり返したような量の血が溜まっていた。
 猿から一メートルほど距離を置いて、油断なく杖を構えながらカンナが告げる。
「この殺人鬼、よくもまァおめおめと現場に戻ってきてくれたわね」
 猿は答えない。ただ、ゆっくりと顔を持ち上げて、二人を睨みつけた。溢れかえるような憎悪を受けて、二人は一瞬たじろいだ。
 それが隙となった。
 猿はわずかに口を歪ませると、カンナ目がけてペッと黄土色の唾を吐いた。
 それがどんな効果があるかわかっていたわけではない。けれど咄嗟にクリスはカンナを突き飛ばしていた。
 じゅっと服と肉の焦げる音。どうっと倒れこんだクリスは苦悶の声を上げて身を激しくよじった。
(熱っ……!)
「クリス! ……あっ!」
 カンナが顔を戻した時、すでにウインドブレーカーを羽織った猿の姿はどこにもなかった。
 残された血だまりが、さらさらと水かさを減らし、土に吸われたようについには消えてしまった。

 カンナの自宅がすぐ側だったことが幸いした。
 彼女はソファにクリスを寝かせるとすぐに上着を脱がし、シャツを一思いにびりびりと破った。
「おいおい、勝手に……」
「黙ってて。今治療するから」
 緊張をほぐしてやろうと思って叩いた軽口だったが、クリスは後悔した。
 なぜって、カンナの目尻に、小さな涙の粒が浮かんでいたからだ。
 されるがままに上半身を裸にされたクリスは、言われるがまま眼を閉じる。
 カンナは杖の先を溶け崩れた彼の脇腹に少しだけ当て、意識を研ぎ澄ませた。
「癒えろ――ホーリーカバー」
 彼女がそう唱えると、杖の先から白い光がこぼれ傷口を薄く覆った。赤黒い血と黄色い脂肪が覗いていた傷が見る見るうちに癒えていく。
「すげえな」とクリスは憔悴した表情ながらも不敵に笑って見せた。
「おまえ、魔術師だったのか」
 カンナはだいぶ逡巡していたが、今更どう言い訳することもできず、吐息交じりに頷いた。

「魔術師っていってもなんでもできるわけじゃないのよ。あんたはどう思ってるか知らないけど」
「なんでもいいや」とクリスはふへへと笑った。
 急激な回復に身体が追いつかず、発熱したのだ。額に水で湿らせたタオルが置かれている。熱に浮かされた者特有のどこか呆けた表情だった。
「履歴書に書けるな。友達に魔術師がいますって。採用間違いなしだぜ」
「それあんた固有の利点じゃないでしょ」と厳しく突っ込んでから、カンナは思い出したように握り締めていた杖をひょいと宙に放った。
 杖はまるで自分に意思があるかのように宙を疾走し、やがて机の上に不時着して動かなくなった。
「ホントすげえな……うっ」
「無駄口叩いてないで休みなさい。まったく、だから自宅謹慎だって言ったでしょ、この命令無視のダメ調査員」
「うるせえっての……。そんなことよりさ、事情を説明しろよ。こっちは小学生の頃からの知り合いがトンデモ魔法少女だって知ったばっかで頭グルグルなんだ。説明してくれなきゃ辛くたって眠れねえ」
「わかってるわよ」
 カンナはよいしょっとソファに背を預けた。
 クリスからは横顔しか見えず、細かい表情は窺えない。

「最初に魔術が使えたのは、幼稚園の頃。魔術って習わなきゃできないって思うかもしれないけど、実際は違うのよ。才能がすべて。努力はその才能を伸ばす力であって、芽吹かす力じゃないの。
 ある日ね、父さんのお気に入りだったカップを肘でひっかけて割っちゃった。ちょうどタイミング悪く、そこに仕事を終えた父さんが二階から降りて来ちゃって。
 焦ったわよ。もう泣きながら、戻れ! って叫んだら――ホントに驚いたなァ。するする破片がくっついたの。さっき治したあんたの傷口みたいにね。
 それを見た父さんは顔面真っ青にして、誰にも言うな、って怖い顔で言ったわ」
「親父さんも……魔術師だったのか」
 クリスの脳裏に白髪混じりの中年男の顔が浮かんだ。二年前に他界したカンナの父親とは何度か面識がある。娘と違ってとても寡黙な人だった。
 予想とは裏腹にカンナは首を振った。
「父さんは魔術は使えなかった。だから私のことは、トンビがタカを産んだ、とか言ってたけど。だから私の魔術はぜんぶ独学」
「ふうん」
「昔はもっと魔術師ってたくさんいたらしいんだけど、父さんいわくもう私しかいないんだって。つまり、私が最後の魔術師なのよ」
 正直言って少しも納得できなかったが、今は追求するべき時ではないだろう。
 ようやく心身ともにいくらか楽になってきて、クリスは深く息を吐いた。
「それで、さっきの猿は、なんなんだ。おまえはイレギュラーって呼んでたけど」

 イレギュラー。まつろわぬ者。世界への反逆者。異能使い。はぐれ者。
 呼び方なんてなんでもいい、とカンナは言った。
 確かなことは彼らが決して人間世界と馴染まない、ということのみ。
「特別な力を持った人間は、必ずそれを行使しようとする。そこに善悪は関係ない。そして間違った力の行く先には破滅しかない」
「なんで、そいつらはそんな力を持っちまったんだ」とクリスが聞くと、
「さァ。生まれつきなんじゃない? 化け物のあり方なんかに興味はないわ。私はただそれを狩るだけ。きっと私は、そのために魔術の才能を神様から恵まれたんだから」
「私も最近まで、そんなやつらがいるなんて知らなかったんだけど」とカンナは続けた。
「ある人が、教えてくれたのよ。イレギュラーのことも、魔術師の私がするべきことも」
 ある人、とクリスは聞き返した。
「天使って名乗ってたわ。本当かどうか知らないけど、でもひょっとしたらそうかも。その人が、最初の殺人があった後、殺人はまだ終わらないって教えてくれたの。この町の中で」
 それでクリスは得心した。自宅謹慎のわけがわかったのだ。
「まだわからないことがある」クリスは少し頭を浮かせた。
「俺のピンチにすっ飛んできたのは、ただの偶然か」
「勘がいいわね」とカンナは笑った。
「あの天使は本当に色々よくしてくれた。イレギュラーが力を使ったら、その場所を感じ取れるようにしてくれたのよ」
「至れり尽くせりってやつだな。でもカンナ、忘れるなよ」
「何が?」
「タダより高いものはないんだぜ」
 カンナは両手の指を複雑に絡ませて、俯いた。白い額を細い髪が覆う。
「そうね。おかげで私はあの殺人鬼を追わなきゃいけなくなったし、他のイレギュラーが現れたら、そいつらとも闘わなくちゃいけなくなった」
 でもね、とカンナは顔を上げた。
「この町には、あの黄金の腕を持った殺人鬼がいる。その予備軍のイレギュラーも大勢いる。悪意を持って人を傷つける、歩く拳銃みたいなやつらが。私はそれを止めなきゃならない。この命に代えても」
「そんなこと言うなよ」
「え?」
「死んでもいい、みたいな悲しいこと言うなって。そんなのは間違ってる。だから、そんな間違いが起こらないように、俺が手伝ってやるよ」
「ダメに決まってるでしょうが」
「ふん、もう俺は事情を知っちまった。いいのか? べつにおまえに手伝ってもわらなくたって俺は勝手に動くぜ。そんな無茶を許すくらいなら、一緒に活動した方がよくねえか」
 ぽかん、と口を開けたカンナはやがて額に手をやって首を振った。
「呆れた。あんたどうしようもない馬鹿ね」
「今頃気づいたのかよ」クリスはどん、と自分の胸を叩いた。
「それが俺のいいところさ」

 その夜はカンナの家に泊まることになった。
 どうやらカンナは殺人鬼が捕まるまではクリスを自宅から解放する気はないらしい。
 顔が割れてる人間を町中に放り出したら殺されるに決まってる、とのこと。
 同い年の女の子とひとつ屋根の下で生活、という夢のようなシチュエーションだったが、クリスにとってカンナは家族のようなものだったので特に変な意識はしなかった。
 それよりもカンナの方が舞い上がってしまっていて、部屋にノックなしで入ってきたらミイラにしてやる、などと父親を拒絶する娘のような捨て台詞を吐いて自分の部屋へ引っ込んでしまった。
 用意してもらったシャツを着て、ソファに横になったクリスは携帯電話を取り出した。
 マリにしばらく朝食はいらないと伝えなければならない。
 そして、弟の師走に連絡しようか迷い、やめた。
 帰らない、という連絡は必要ない。
 だって彼の弟は、あのホームレス殺人の後、姿を消してしまっているのだから。
 瞼の裏に恐ろしい未来が浮かび上がるような気がして、クリスはぎゅっと眼を強く瞑った。



<顎ノート>
これがマジで面白いと思っていたのが自分でも信じられない……。
この原稿読み直すといちいちカンに触る。
これこそが小説を長い間書き続けてきただけの無才の書く文章って感じ。
見事なゴミ。ダメなお手本。
免許取るときに見せられた交通事故ビデオみたいなもん。
悪いお手本としては最高級だな……マジで……。

「それが俺のいいところさ」ってのはどっかで天馬も言ってましたが、
クリスのキャラ設定は「リア充の天馬」って感じでした。パラレルパラレル。
リア充になっただけでこんなに魅力を失うとは……やっぱり天馬は不幸じゃないとダメだなと実感。

カンナは昔ちょこっとだけ予告した「ミカヅキ」というキャラのリメイクでした。
シマが奔放なのでマジメで王道なキャラをぶつけたかったんだけど、
キチガイはキチガイにしか倒せないからもう王道キャラは書かないことにしようと思う。

       

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