Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の文藝ホラー企画
短編/どれが一番怖いかな?/もうふ&シーツ

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「着いたよ。大丈夫?」
 タクシーの後部座席で、俺の肩にぐったりともたれかかっている女の子に声をかける。彼女は「うーん……」とぼやけた声を出して、少しもぞもぞと動いたが、すぐにまた朦朧とした意識の中に沈んでいく。酔いが覚めそうな気配は全然ない。
「困ったな。これじゃ一人で降ろす訳にもいかないし」
 俺は言い訳のように呟いて、タクシーの運転手に料金を払い、彼女を抱えるようにして車を降りる。料金は3600円。さて、これが安くつくか高くつくか。
 彼女は俺の肩にすがりつくようにしてふらふらと歩いた。その間腕にはずっと乳房が押し付けられっぱなしだった。何とか鞄から鍵を見つけ出してオートロックを開け、女の子をほとんど引きずるようにして、聞いていた部屋番号のプレートの前まで辿り着いた。
「坂本さん。着いたよ」
 声をかけると坂本さんは「うん」と小さな声で返事はしたけれど、俺にもたれかかったままだった。
 ……これは。
「大丈夫? 鍵、開けちゃうよ?」
 返事はない。俺は口の中に溜まり切った唾をこっそり飲み下す。そして鍵を開けた。
 ドアを開けると部屋は意外なくらい広かった。俺の住んでいる狭いワンルームと違い、ベッドのある八畳間の隣にもう一部屋あるらしく、引き戸が見える。
 そして部屋の中はかなりきっちり片付いていた。玄関の靴も揃っていたし、洋服が散らかっていたり、台所に食器が残っていたりもしない。生活感がなさすぎるくらいだ。女の子を送っていったことは何度もあるが、カップ麺の器が台所に積み上げられていたり、飲みかけのペットボトルが大量に机に置かれていたり、ひどい時には玄関に汚れた下着が落ちていたりもして、見た目や普段の言動の華やかさとの違いにひどく幻滅したものだ(その内にすっかり慣れた)。
 うんうん、いいな。清楚だ。少し感動さえしてしまった。綺麗好きの女の子というのは都市伝説ではなかったんだ。まさかこういう事態を予想してきっちり掃除をしてきたというわけでもないだろうし。
 坂本さんと会ったのは今日が初めてだ。巨大なテニスサークル(勿論ほとんどテニスなんかしない)の飲み会だった。顔を知らない子はたくさんいる。たまたま席が近かったから話をしていたのだが、すごく御しやすそうな性格をしていることがすぐに把握できた。にこにこ笑いながら一生懸命に話を聞き、相手の言動にすごく気を遣っていて、少し自分に自信がない……というタイプの女の子。容姿はB+くらい、胸がそこそこ大きくて(多分Dカップ)、薄手のニットを着ていたからそれがすごくよく目立っていた。暗めの茶髪のセミロングに白い肌。スカートから伸びる足は少しぽっちゃりとしていて、それもかなり高ポイントだった。
 そして何より、致命的にお酒に弱い。
 さりげなく勧めているうちに彼女はどんどん酔っていき、帰りの方向が一緒だったのもあって、計画通りに家まで送っていく役目を手に入れることが出来た。
 靴を脱ぎ部屋に上がり、坂本さんをベッドまで連れて行き座らせる。彼女はぐったりと俯いたまま何も言わずに座り込んでいる。誘っているというよりは、どうやら本気で酔っているらしく、ほとんど思考停止状態みたいだ。
「何か飲む?冷蔵庫開けるよ」
 ほとんど届いてはいないだろうけど一応断りを入れて、俺はコップを見つけ出して冷蔵庫を開ける。中はがらんとしていて飲み物しか入っていなかった。自炊は全然しないのか、と思いながら、お茶をコップに注いで坂本さんのところへ戻る。
 すると、坂本さんはベッドにしどけなく倒れていた。
「坂本さん」
 呼びかけてみる。けれど返事はない。
 すうすう、と気持ちの良さそうな寝息を立てて、坂本さんは眠っていた。髪の隙間から放心したような寝顔が見える。薄手のニットには胸の形がはっきりと浮き上がっている。スカートは軽くめくれあがり、白い太ももが無防備に晒されていた。
 俺はまた唾を飲みこむ。
 これはもう、なんの言い訳も許されない状況だろ。
 ベッドに上り、両手をついて、彼女の上に覆いかぶさるようになる。耳元のすぐ近くで囁いてみる。
「ねぇ、キスするよ」
「んー……」
 彼女はくすぐったそうに身をよじった。
 一応の同意は得た。もちろんこんなもの同意でもなんでもないが、俺はちゃんと宣言したし。酔っているとはいえこれだけ簡単に男を部屋に上げてしまう時点で、良心なんてものを介入させる余地はない。
 色素の薄い柔らかそうな唇に、軽く唇で触れる。ついばむように何度もキスをする。反応なし。頬に手を沿え軽く口を開かせて、舌を差し込む。舌をつつき、唾液を吸い上げる。その辺りから、彼女が小さく声を漏らすようになってくる。時々ぴくりと身体を震わせて、舌が動く。
 そのまま胸元に手を伸ばし、服の上から乳房をまさぐる。下着の少し硬い感触の奥に、やわらかなものの押し込まれている確かな気配がした。
「ん……はぁ」
 彼女が小さくうめく。
 その反応に異様な興奮が脊髄を駆け抜けていく。ニットの中に手を差し込み、隙間から手を入れて直に乳房をつかむ。少し手に余るくらいの大きさをした、滑らかで柔らかい感覚。当たりだったか、と思わず内心でガッツポーズをとる。最近はどれだけ見た目が大きくてリアルでも、脱がせて見ると実に控えめなものだったりするのだ。女子の下着に一体どれだけのハイテクが駆使されているのか、想像もつかない。
 唇を離すと唾液の糸が垂れた。空いている方の手を背中に回して、ニットの裾をめくりあげようとする。すると彼女が身を捩った。
「んん……、やだぁ」
 意識が復活してきたらしい。
「嫌なの?」
 耳元で訊ねる。
「ん、だってぇ、送るだけだって……」
 まだぼんやりとした弱々しい声には、それ程嫌悪感のようなものは含まれていない。強く抵抗する様子もない。
 これならいけるな。
「大丈夫だよ」
 そう言って鎖骨に鼻先を埋め、胸を揉む。「んっ」と彼女はびくりと震える。反応している。このまま続ければ、問題なく流されてくれるだろう。
「やだぁ、んん、触っちゃだめぇ……」
 小さくいやいやと首を振る。その仕草にかえって興奮する。
「かわいい」
 舌先で耳を舐めあげる。
「ね、やめてぇ、んん……ねぇ、お願い」
 形だけの抵抗。女子の方だって一応は抵抗したという事実がなければ色々と決まりが悪いのだ。わかっているからやめない。ニットをめくりあげて、ブラジャーのホックに手をかける。そして口を塞いでしまおうと、彼女の唇に吸い付いた。
 その時、唐突に、部屋の照明が消えた。
 なんだ?
 そう思った瞬間に鈍い音がして後頭部に衝撃が走る。そして目の前が即座に暗転した。


「いつまで寝てんだこのクソヤリチンが」
 顔に水をかけられて目覚め、最初に聞こえたのがそのドスの聴いた低い声だった。
 目を開けるとそこには異様な光景が広がっていた。二十畳くらいの広い部屋に、女の子が軽く見積もって三十人は立っていた。見たことのない子ばかりだ。多分大学生だろう。誰もが無表情にこちらを見ている。
 そして俺はパンツ一枚で、縄で壁に手足を繋がれているのだった。
「……え?」
 状況の把握が出来ず思わず間抜けな声が出る。
 俺の隣にすぐ立って、ぽたぽた水の滴るバケツを持っているのは、さっきまでぐったり酔っ払っていたはずの坂本さんだ。
 え? あれ? さっきのドス声って坂本さん?
 ひたすら混乱していると、坂本さんは実に天使のような無垢な笑顔でにっこりと微笑んだ。
「自分が何でこういう状況に置かれてるか、心当たりはないの?」
「いや……」
 あるわけねーだろ。
 コレは何? 何なの? ここはどこ? そして、この見たこともない女子達は何?
「駄目だね。最悪だね。自覚がないね」
 ずらりと並んでいる女子の内、一人が前に進み出て言い放った。黒い髪をボブにしたきりっとした感じの女子だ。周りの女子よりちょっと、いやかなり可愛い。ただその表情はかなり冷めていて、鋭い目線で俺を見下ろしている。
「同情の余地もないよ。執行猶予も要らない」
 はあ、と溜め息をついて首を振る。執行猶予?
「みんな、どう思う?」
 黒髪の彼女が周りを見回すと、女子達がみんなうんうんと頷く。
 事態はわからないが、何かヤバイ空気が漂っているのをひしひしと感じた。
「いやちょっと待って、よくわからないんだけど、これほどいてよ」
「あらダメよ」
 坂本さんは微笑を崩さない。でも良く見ると目がまったく笑ってない。
「だって、私だってやめてって言ったけど、君はやめてくれなかったもんね?」
「いや、それは……」
「大体余罪が多すぎるの」
 黒髪ボブが言う。
「こっちで確認しているだけでも、春から数えてもう六人目。まだ六月なのに、よ。それも手口は全部同じ。相手を酔わせて家まで送って上がりこんでなんとなくもつれこんでなし崩しにヤっちゃう。ワンパターン。独創性の欠片もない。ついでに言うとエッチの手順もワンパターンらしいけど。おつむの程度も知れてるわよねー」
 なんなんだこの女?顔は可愛いけど態度がでかすぎる。
「何? あんたそんな自分がイケメンとか思ってんの? はっ(鼻で笑う)。なんでご自分にそんなに自信がおありになるのか知らないけど、女子はあなたが思ってるほどチョロくはないのよ?」
 クソ女がじりじりとにじり寄ってきて、上目遣いでこちらを見る。長い睫毛と挑発的な釣り目は魅力的だが、とりあえず今は全力でぶん殴りたい。
「ふざけんな。おい、これ、ほどけよ」
「自分の立場がまだよくわかってないみたいね」
 そう言ってクソ女が俺のボクサーパンツに手をかける。は? と思いつつも、反応してしまいそうな自分をなんとか必死で抑える。
「今から撮影会を始めることだって出来ちゃうのよ? わかってる?」
「なんだよそれ……俺が何したって言うんだ」
「何も糞も。そういう自覚がないのが一番むかつくの」
 突然彼女は顔を険しくゆがめた。一瞬で整った顔立ちが崩れ、それこそ般若のような形相になる。ぞっとした。思わず口がぽかんと開く。
「もうきっと二度と陽の当たる世界に出てくる意思なんてぶっ潰れちゃうと思うから親切にも教えといてあげるけど、ここはね、アンタみたいな調子に乗ったクソヤリチンブタ野郎を連れ込んで処刑するための施設なの。私達の会員は全国のテニスサークルに紛れ込んでいて、目に余るクソブタ野郎を見つけてはこうやって処刑場に連れ込むのよ。今はまだ政令指定都市くらいにしか支部はないけど、これから拡大を図って、いずれは市町村レベルで対応させていきたいわね。アンタみたいなヘドロブタは本当にどこにでもいるんだもの」
 施設? 支部? 訳がわからない。はっと部屋の奥を見ると、向こうにはさっきまで居たベッドルームが見えた。ここは隣の部屋なのか。ふと、部屋にまったく生活臭がなかったことを思い出す。施設……?
 坂本さんは相変わらず全く笑ってない目のままにこにこしている。怖い。
「じゃあ先輩、あれ、やっちゃいます?」
 坂本さんが言うと先輩と呼ばれた黒髪ボブが頷いた。
 何が始まるのかもう予想もつかない。
「それじゃ私から」
 坂本さんが正面に立ち、人差し指で俺の胸元をつっとなぞる。普段ならそういう仕草は嬉しいけど、今はかなり不気味だ。
「あのね?」
 そう言ってにっこり首をかしげた次の瞬間、坂本さんの顔もまた般若のごとく歪むのだった。目は釣りあがって眉間に尋常じゃない皺が寄り、歯をむき出しにする。その変貌ぶりが本当に凄まじいのだ。
「わかってねぇと思うけど、女子はてめぇのオモチャじゃねーんだよ。こっちがどれだけ苦心して手入れしてると思ってんの? どんだけ金と時間がかかると思ってんの? それを掠め取るために見合う魅力がてめーにあんのか? ああ!?」
 相当腹の奥から響くドス声で坂本さんは言いながら、胸元にぎりぎりと爪を食い込ませる。
「どんだけ無駄毛処理に気ぃ遣ってると思ってんだ、あ? 脇だの脛だの眉だの口ひげだの顎ひげだのをちまちまちまちまちまちま抜かなきゃなんねぇんだぞ? 冬はボーボーでもいいけど、夏とかな、拷問なんだよ。マジで。大体あのブラジャーとかな。つけてないと胸が垂れるとかってな。常に矯正具つけてる気持ちなんかわかんねぇだろ。汗かくし蒸れるし、あれマジですぐ汚くなんだよ。手洗いとかしてられっかよ。きたねーままだよ。汗臭いままだわ。半年に一回も洗濯しねーしよ」
「…………………………………」
 言葉を失って呆然としていると、黙って立っていた周囲の女子も口々に喋りだす。
「なに? 『キスするよ』? 『かわいいよ』? くっそ笑ったしwww」
「サムいwwwww」
「めんどくさいんだよねこういうタイプに合わせてあげるのもさー」
「どのみちその場の勢いで言ってるだけなのはわかってるしね」
「とりあえず適度に抵抗しとくけど本気で疲れる」
「でも抵抗して欲しがってるから仕方ない」
「言葉攻めしてる自分に酔ってる感じで冷めるよね」
「ぶっちゃけ気持ち良いとかないし」
「でもそれなりにそれっぽい声出せるからびっくりする」
「わかるー」
「意外に通用するよね」
 物凄い勢いで暴露されていく女子の本音。
「やっちゃおうよ」
 と、そのうちの一人がぽつりと言った。
「こんなんさ、ほっといたら害悪だよ。やっちゃえばいいよ」
 その女に同調するように、全員が「そうだよ」「やっちゃえ」と口々に呟き出し、やがてそれは大合唱になっていった。「やっちゃえ! やっちゃえ!」「もげ! もげ!」「ねじり切れ!」「殲滅せよ!」
「……そうねぇ」
 黒髪ボブはその大合唱に答えるように首をかしげ、俺につっと近寄る。
「あのね、知ってる? 外傷をほとんど残さずに不能にしちゃうやり方なんて、いくらだってあるのよ? ものすごく痛いのから、あんまり痛くないのまで。でもあなたは、ちゃんと、ものすごーく痛いやり方で、きっちりじっくり時間をかけて、ちょっとずつしてあげるからね」
 黒髪女はそう言ってこの上なく楽しそうににやりと笑った。
 狂ってる。こいつはサドの変態だ。
「そんなことして、そっちこそただで済むと……」
「勿論泣き寝入りするしかないようにちゃんと記念撮影もさせてもらうから」
「本気で言ってんのか?頭おかしいだろ」
「まだわかってないみたいだけど、これはブラックジョークでもなんでもなくガチの現実なのよ。あなたはもう逃げられないの。
 夜はまだ、始まったばかりだし」
 黒髪ボブはそう言って艶然と微笑んだ。
「準備して」と小さく呟くと、それに呼応して何人かが隣の部屋に消えていく。
 もしかしてこれ、マジなのか? すごくやばくないか?
 背筋がぞっと冷たくなり血の気が失せる。
 手足はがっちりと拘束されていて、まったく動かせる余地がない。これはどう考えてもプロの縛り方だ。素人じゃ絶対にこんな風には縛れない。効力を正しく理解し、目的のために練習を積んだ人間の縛り方だ。
 巨大な悪意。
 目の前の女子の集団に、想像を絶する憎しみが宿っていることを把握して、俺は慄然とした。こいつらマジだ。キチガイだ。
「それじゃまず、ご自慢のモノを見せてもらおうかしら?」
 三文官能小説のような台詞を口にして黒髪女はさぞ嬉しそうに口の端を吊り上げる。そしてボクサーパンツに指を引っ掛けた。
「おい、やめろ」
 思い切り騒ごうとしてもうまく声が出ない。自分の声の弱々しさに愕然とする。
 ヤバイ。ヤバイ。ヤバイ。
 どうする。俺。これ。
 
「そこまでだ!!!」
 
 怒声と共に玄関のドアが勢いよく開いて、複数の足音が近づいてきた。
 全員がはっと息を呑んで振り返る。
「大丈夫か川崎!!」
 乗り込んできたのは、テニスサークルの部長と部員数人だった。特に体格のいいやつらばかりだ。
「部長!」
 思わず歓喜の声を上げる。なぜここに? でも助かった!
「何よあんた達!?」
 黒髪ボブが後ずさる。明らかにうろたえている。
「おい、川崎を返してもらうぜ」
 そう言って部長がずかずかと歩いてくる。女子の群れがざわめきながら二つに割れて、道ができる。まぁ女子は女子だから、ガタイのいい男子には所詮敵わないのだ。
「ま、待ちなさいよ」
 尚も抵抗しようとするのは黒髪女子だ。
「いきなり卑怯じゃない、そんな人数揃えて! どういうつもり!?」
「いや、人数ならそっちの方が……」
「そうよ卑怯よ!」
 女子の群れのうちの誰かが声を張り上げる。するとそれに呼応して全員が口々に喚きだした。
「人の家(?)に勝手に上がりこんでどういうつもり!?」
「不法侵入じゃない!」
「犯罪よ!!」
 いや……どっちが犯罪なんだよ。
 女子お得意の被害者論がぶち撒けられ、共鳴し、段々と部屋の中は耐えられない騒ぎになっていく。「うるせぇ!!!」と部員の内の誰かが怒鳴ったが、虚しく喧騒に吸い込まれていった。やがて女子の群れが部長達に詰め寄り、開けていた道が塞がっていく。女子という生き物は、群れると本気で厄介なのだ。
「くそっ、これでも喰らえ!!!」
 突然厨二臭い台詞を発して、部長が何か四角いものを前方に投げつけた。
「ぎゃああああああ!!」
 女子の群れが叫びながらざわざわと動き、道が出来る。その間を部長達が走ってきて、ポケットからサバイバルナイフを出して俺の手足の縄を切る。手首にははっきりと縄の痕が残っていた。じんじんと熱を持って痺れている。
「助かりました、ありがとうございます」
「いいから逃げるぞ!」
 部長は言うなり振り向いて走り出す。俺も痺れる脚で必死に走る。そういえばパンツ一丁だがもうそんなことを気にしている場合じゃない。
 混乱ですごいことになっている女子の群れを潜り抜けた辺りで、黒髪ボブと思しき女の怒鳴り声が響いた。
「何やってるのよ!!!!! 逃がすわけにはいかないわよ!!」
 耳が痛いくらいだった喧騒が一瞬で静かになる。
 そしてその痛いくらいの一瞬の静寂の後、女子の何人かが部屋を走り出て追いかけてきた。
 それをちらと振り返り確認しながら、玄関を駆け抜け走る。エレベーターを読んでいる暇はない。廊下の端の階段に向かう。
「待てぇぇぇぇぇぇ!!!」
 女子の群れの先頭にいたのは、あの黒髪ボブだった。あの般若のごとき形相で、ものすごいスピードで追いついてくる。異常に足が早い。俺達は必死に逃げる。階段を駆け下り、マンションの玄関を出る。それでもまだ女子の何人かが追い駆けてくる。誰かが見かけて通報してくれるのではないかと期待したが、そんなときに限って道には人っ子一人居ない。
「くそっ、しつこいな!」
 部長がまた懐から何かを取り出した。見るとそれは「1リットルの涙」のDVDだった。なぜ!? 部長がそれをフリスビーのように思い切り後方ぶん投げる。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 女子の何人かがもつれあって転ぶ気配がした。
「な、なんでDVDなんですか?」
 息を切らせながらも思わず訊ねる。
「あいつらは隠れ喪女の集団なんだよ」
 部長がにやりと笑った。
「みんななんとか普通の女子を装っちゃ居るけど、内面は喪女そのものなんだ。捻じ曲がった恋愛観と強大なコンプレックスを抱えてる。大体が隠れオタク。だからスイーツ(笑)が好むようなものが弱点なんだよ」
 そう言って部長はまた何かを取り出して投げる。
「喰らえ、蒼井優が表紙のanan!!」
「うぎゃあああああ!!」
 また何人かがばたばたと倒れる。すごい効果だ。
「……なんで蒼井優が?」
「あいつらはどれだけ美人でもケバイ女ならいくらでもこき下ろせるんだが、ああいう無加工の美人には死ぬほど劣等感を刺激されるらしい。それとananとの組み合わせは考えられうる限り雑誌の中では最強格なんだ」
「随分と詳しいですね」
「これまでの調査の賜物だ」
 それにしてもそろそろ体力が限界になってきた。振り向くと、追ってきているのはあの黒髪ボブ女と2、3人だ。しかし黒髪ボブの体力は尽きることを知らないらしく、未だにほとんどトップスピードで夜の道をひた走りに走っている。ものすごく怖い。そういえば口裂け女も足が速かったな、と思い出してぞっとしてしまった。
「くそっ、これは貴重だから使いたくなかったが……」
 部長が取り出したのはやたらと薄いわりに豪華なフルカラー表紙の、ラミネート加工がされた丈夫そうな本だった。部長は急に立ち止まり、女共に向き合う格好になる。
「部長!?」
「俺に構うな! 大丈夫だ、もう少しで大通りだ! 早く行け!」
 やたらと勇ましく部長が叫び、そして手にしていたその薄い本をかざす。女達がそれを認め、一瞬戸惑ったように立ち止まる。
「いいかお前ら、この本を汚したくなかったら、ちゃんとキャッチしろよ!」
 部長はそう言って、思い切り振りかぶって、本を遠くにぶん投げた。ほとんどモテるためだけに練習したテニスも無駄ではなかったらしく、それはかなり遠くに飛んでいった。
「あああああああ!!!! 勿体ない!! 勿体ない!!!」
 振り返ると、黒髪ボブが必死にその雑誌を追いかけていったのが見えた。
 そして俺達は無事大通りに辿り着き、タクシーに乗り、後ろをついてくる車がいないか警戒しながら無事に逃げ切った。
「結局、あいつらはなんだったんですか……」
 肩で息をしながら部長に尋ねる。
「それは俺にもよくわからん。何をトチ狂ったのか、あいつらは組織を作って今回みたいな『処刑』を繰り返してるんだ。うちのサークルにも刺客が紛れ込んでるらしい、という情報は事前にキャッチしてたんだが、誰のことなのかなかなかわからなくてな。気がついたらお前がいなくなってたから、まさかと思って。探し当てるのは大変だった」
「そうだったんですか……お陰で助かりました」
 もう少しで本当にヤバイところだったのだ。
「ところで、最後に投げたのはなんだったんですか?」
 あのぺらぺらなのに妙に豪華な表紙の本。黒髪ボブがあれ程の執着を見せたものはなんだったのだろう。
「あれは……同人誌だ」
 部長が目を閉じて重々しく言った。
「某人気サークルの発行部数の少ないレア本で、某野球漫画のヘタレピッチャーが総攻め、捕手が総受け設定のマニア垂涎本らしい。俺にもよくわからないんだが、とにかく貴重なものだ。具体的に言うと『投げる』コマンドでエクスカリバーを投げるくらいの貴重さだ」
「すいません、そんな貴重なものを俺のために」
「いや、今回は敵が手強かったんだ。お前のせいじゃない」
 部長はにかっと笑った。日焼けした肌に白い歯が映える。
「あの黒髪女、すごかったな」
「……はい」
「それにしても世界は広く、深い。闇には色んな奴らが潜んでいる」
 部長はものすごく真剣な目をしていた。
「あいつとはまたいずれ顔を合わせることになる気がするな」



 ……ああほら、そう。そうなんだよ。
 この話を聴いたヤツは、みんな笑うんだよ。お前みたいにな。荒唐無稽な作り話だって思うんだ。みんな信じない。それがこの話の怖いところの一つでもあるんだよ。誰にも信じてもらえない。
 その後何日か経ってから、俺達はそのマンションの場所を確かめにいったんだ。勿論ばれないように変装をして。なんせ情報が命だからな。新たな犠牲者を生み出さないためにも、ちゃんと場所の把握をしておく必要があった。
 ……でもな、そんなマンション、どこにもなかったんだよ。
 俺も部長も、ちゃんとマンションの外観まで覚えていた。俺なんか坂本さんに ―― つまり彼女が『刺客』だったわけだけど、住所まで聴いてたんだ。タクシーで送っていく時に。でもその住所には、マンションなんて影も形もなかった。単に工業用のだだっ広い空き地だったんだ。
 考えられるのはタクシーの運転手もグルだったってことだが、流しを拾ったわけだし、それも考えにくい。そして不思議なことに、部長達もどうやってあのマンションに辿り着いたのかはっきり覚えてないっていうんだ。サークルの内の誰かがぽつりとそこが怪しいらしい、と教えてくれたって言うんだが、それを言ったのが誰かもわからない始末だ。
 不可解だろ?
 ああもう、そんなに笑えるかよ。むかつくな。お前のために教えてやってんのに。注意したほうが良いぜ。女って怖いからよ。何考えてるかわかったもんじゃねぇ。
 俺?
 俺はもう大丈夫だよ。二度と同じヘマはしねぇ。
 第一、あの夜から、俺、女相手には全然勃たなくなっちまったし。







※女子の実情については姉や喪女スレ等を参考にしたため間違いがあるかもしれません

       

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Neetsha