Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の文藝ホラー企画
掌編/エリカ/橘圭郎

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 僕たちのように平々凡々な高校生のデートと言えば、学校帰りにファーストフード店に寄って雑談をするのが定番だった。いや、違うか。周りの友達に聞けば皆はカラオケに行ったり、映画を観たり、ボウリングをしたり、もっとあけすけに言えばラブホテルに直行したりと、それはそれは多彩な男女交際を営んでいるらしい。
 だけどやはり僕とエリカの関係について述べるならば、ポテトとコーラを挟んでお喋り、というのが毎度のことであったし、僕も別に何の不満も無かった。
 ……あれ、よく見ると、今日はテーブルの僕のほうにしか食べ物が置いてないや。エリカは何も注文してないのかな? ダイエット中?
「なんだか食欲が無いのよ」
 風邪でも引いたの? 身体は大事にしなね。
「心配してくれてありがとう。ふふ」
 僕としては、いつも学校でクールに振舞っているエリカがほっぺにケチャップを付けてる姿を見るのも一興なんだけど、しょうがないか。
「失礼ね。毎度毎度食べこぼしているわけじゃないわよ……ねぇ、私は常々思うのだけど」
 可愛げのある感じで僕を睨んでから、エリカはいつもの口癖を言った。常々思う、というのは彼女が日常で感じた疑問を提起するときの決まり文句でもある。
「幽霊って、どうして世間で嫌われているのかしら」
 しかもその問題提起がいつも突拍子の無いものなので、こちらは全く飽きが来ないのだ。今日のエリカはどんなふうに語ってくれるのかと期待しながら、僕は飲み物に口を付けた。バニラスムージーが程よく甘い。

 エリカは片目を瞑り、手の甲を下にして人差し指を向けてきた。関係ないが、僕は彼女のこの仕草が好きだったりする。
「……死んでもこの世に未練のある人間が、成仏しきれずに留まっているのが幽霊でしょう?」
 まあ、それが定説みたいだね。
「それってつまり、幽霊は元々は人間だったってことよね? 人格があって、ちゃんと喜怒哀楽の感情もある……それなのに幽霊ということで、ただ死んでもまだこの世にいるというだけの理由で、恐れられて嫌悪されるのよ。これって幽霊に対して凄く失礼なことだと思わない?」
 そんなことを言っても、既に人間じゃなくなってるわけだからね。
「人間じゃないから、その人格さえも否定する? 犬や猫は人間じゃない上に人格も無いけれど、あんなに愛されているじゃない。不公平だわ」
 不機嫌そうにテーブルに肘を突いて、エリカが僕に顔を寄せてきた……ポテト食べる?
「結構よ」
 彼女はひらひらと手を振って断った。
「そんなことより、確かに分からないでもないのよ。怨みつらみをもった幽霊に呪い殺されるなんて筋書きの物語は私だって怖いと思うわ。だって、幽霊は自分を攻撃出来るのに、自分は幽霊に対して物理的抵抗も法的拘束力も実行することが適わないのだもの。そんなことになるくらいだったら、日ごろから他人の怨みを買わないように生きなきゃって、思わず身を引き締めてしまうわよね」
 僕はホラー映画を観るときに、そこまで深く考えてはいなかったな。もっと単純に怖いかどうかの感想ばっかりだった。
「創作において元を辿ればきっと『死んでもまだ消えない怨み』を演出するために幽霊を登場させたと思うのだけど、どうにもその幽霊という舞台装置だけが一人歩きしているような気がするのよ」
 言われてみれば、そんな気もする。
「よく短編小説であるでしょう? 集団の中に一人だけ既に死んだはずの人が混じっていたとか、逆に主人公が変な空間に迷い込んで不思議な体験をしたけどそんな場所や建物は現存していないとか、そういう類の結末のものが。だけどそれの何が怖いの? 幽霊がいるだけじゃないの」
 ふむ……でもさ、理屈じゃないって言う人もいるよね。
「そこが解せないわ」
 エリカは身体をぐっと引き、椅子にもたれて腕組みをした。僕は常々思うのだが、女性がこういった仕草をする場合、やはりその腕にはおっぱいの感触が乗っかっているのだろうか。気になる。
「そういったセクハラめいた発言をするのは好ましくないわよ。特に公の場ではね」
 眉をひそめられた。うっかり口に出ていたらしい。
「まぁそれよりよ、前にも友達に、同じ疑問をぶつけてみたことがあるの。そうしたらその子はこう言ったわ。『どんなに頭が良くて、心が優しくっても、相手がゴキブリだったら嫌なものは嫌! 生理的に無理だから、それと同じ』だって」
 確かにそれは、嫌かもなあ。
「でもね、私が認めたくないのはその点なの。例えば死んでもまだ消えない愛情があって、やっとの思いで好きな人の前に現れたのに、その人からまるでゴキブリみたいに扱われるのよ。そんなの想像するだけで耐えられないわ」
 なんだか、カフカの『変身』を思い出した。
「グレゴールにはそんなに悲壮感が無いから、実態は少し違うのだけど」
 そうだっけ? ずっと前に読んだっきりだから、細かいとこは憶えてないや。
「話を戻すわね。だから私は最近、考えを改めたの。幽霊が登場する物語において、本当の怖さというのは、幽霊を恐れ忌み嫌う人間の側にあるんじゃないかって」
 うん? 急に話が難しくなったぞ?
「簡単よ。人間を、人間ではないものとして扱う。自分と異なる要素を持っていたり、逆に何かが欠けている人間を社会的に貶める。それは人間の尊厳を奪う行為に他ならないわ」
 それはもちろんそうだ。差別は良くない。
「即ち幽霊であることを理由にして遠ざけ、ときに唾棄するというのは、おぞましい差別主義の極地だということよ。だって幽霊は、本来的には人間だもの」
 なるほど、一理ある。

 エリカは僕よりもずっと物事を深く考えて生きているんだな、と感心しているうちに、ちょっともよおしてきてしまった。この店は冷房が強過ぎるんだよな。
 手洗いに行こうと席を立ったとき、ふと違和感を覚える。
 下校途中のはずなのに、なんでエリカは鞄を持ってないんだろう?
「置いてきてしまったのよ」
 取りに戻らなくていいの?
「別に構わないわ。それより早く行ってらっしゃいな」

 用を足してから鏡に向かっていると、僕のポケットで携帯が震えた。親友からの着信だ。
『あ、やっと繋がった! お前、今どこにいる?』
 彼がどうして慌てているのか知らないが、とりあえず僕は自分の居場所を伝えた。
『そうか。早く病院に行けよ! そっからなら近いだろ。手遅れになるかもしれんぞ!』
 どういうことだろう? 意味がよく分からない。
『落ち着いて聞けよ……エリカが……車に撥ねられたんだ。相手は大きいトラックで、ちょっと、酷いことに、なってた……』
 一通りの説明を聞いてから僕は、報せてくれたことに礼を言ってから通話を切った。
 自分でも驚くことに内心は穏やかだった。彼女の身を案じるよりもむしろ、だから何も注文しなかったのだとか、道理で鞄を持っていなかったのだとか、そういうところに考えが及んだ。
 すぐに救急車で搬送されていったらしいが、きっと即死だったに違いない。

 それでも万が一、勘違いだといけないので、本人に直接確かめてみることにしよう。
 きみはもう死んでるの?
「ええ、肉体はね」
 テーブルに戻って訊ねてみると、エリカはこれといった悲壮感も絶望感も滲ませずに答えてみせた。さすがはエリカだ。
「意外と落ち着いているのね。でも良かった。この期に及んで大騒ぎするようだったら、私はあなたを軽蔑していたわ」
 それってつまり、僕たちの相性がバッチリだってこと?
「ふふ、そうかもね。あなたのそういう、照れくさい台詞を何気なく言ってのけるところは嫌いじゃないわ……で、そんなあなたに一つお願いがあるの」
 何かな?
「死んでちょうだい」
 どうして?
「分かるでしょう? 私は、あなたと、いつだって対等のお付き合いをしたいのよ」
 エリカは片目を瞑り、手の甲を下にして人差し指を向けてきた。

 なるほどエリカの言う通りだ、と僕は思った。

       

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