Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の文藝ホラー企画
掌編/とある山道にて/硬質アルマイト

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 ええ、そうですね。覚えている限りは全て話そうと思っています。
 僕はそう言って一人語り始める。向かいに座る男性は神妙な面持ちでこちらを見つめ、そして時折手にしているペンをくるりと回していた。
 正直なところ、僕もこの状況が一体どういったものなのか、全く分からないのだ。だから、僕自身が覚えていることを一つづつ話すことで、どうにかその“先”を思い出さなければならない。
 どこから話そう。
ああ、ならばあの時からが良いかもしれない。あの何気ない会話から――

   ―とある山道にて―

 旅行に出発し始めたばかりで車内はとても騒がしくて、やけに調子の良い三人を運転席から時折眺めながら僕はハンドルを握っていた。
「おいお前ら、そんなに騒いでると体力持たないんじゃないのか?」
「大丈夫大丈夫、旅行だし、こんな雰囲気もありよ」
 そう言うと彼女―マツリ―は僕の口にポッキーを一本突き立てる。僕は慌ててそれを咥えると、器用に少しづつ齧っていく。
 そんな僕の姿を見ながら杏子は満面の笑みを浮かべると、自分もポッキーを咥え、ゆっくりと齧っていく。まあこんな空気の方が旅行というワードにも非常にマッチしているのだろう。僕は静かに微笑むと、アクセルを踏む。
「それで、旅館はどこだったっけ?」
「山の上だって話だったよな」
 後部座席に座るリョウとウノは身体を乗り出すとそう僕に問いかける。ああそうだ、山頂にある旅館だと僕が答えると彼らは軽く呻く。
「酔わないようにしないとな」
「リョウもウノもそういうの苦手よね」
「マツリは平気なのかよ?」
「私は強いもん」
 そんなたわいない会話を交わす中、僕ら四人を載せた車はゆっくりと山道へと突入していく。周囲が青々とした葉によって覆われ、若干薄暗くなっていく。いくら快晴であったとしても覆われてしまうとそこはまるで日が落ちたかと思ってしまうほど暗くなってしまうものだ。
 意外とこういうところの地面は緩い、なるべく足を取られないようにとハンドルを握り直し、周囲を見回す。
 その時、僕の視線がとある一つの違和感へとくぎ付けになった。
――人?
 薄暗い山道に、一人の男性が立っているのだ。ハットを被った頭を下に下げ、両手で胸に何かを大切そうに掲げ、そして上下黒の礼服を着ている。
こんな夏場にそんな服装で立っている人間などいるわけもないし、なんだか気味の悪いものを見たなと思い、僕は顔を顰めながらアクセルを踏む。早く彼の前を通り過ぎて、視界から消してしまいたいと思ったのだ。
 だんだんと速度がつき、比例してその黒服の彼との距離も詰められていく。ああ早く過ぎ去ってくれないだろうか。そんなことを思いながらも、何故か彼から目が離せなくなっている自分がいることに気づく。
 すれ違う寸前になった時、彼はすっと頭を上げた。僕はそれを見て、アクセルを更に強めた。いや、強めざるをえなかったのだ。
笑ったのだ。
 口だけの男が、口の両端を釣り上げて、にやりと。

生理的に受け付けなかった。というよりもそんな人間がいる筈がない。目も鼻も耳もないなんてありえない。
僕は今、何を見たというのか。

「どうしたの? そんなに速度出して」
 マツリの声で僕はハッとし、慌てて踏みっぱなしのアクセルから足を離した。酷使され悲鳴を上げていたエンジンは次第に落ち着きを取り戻し、飛ぶように後方へと消えていく景色は次第に速度を落とす。これで木にでも衝突していたら危険だった。
「なんでもないよ、大丈夫」
「なんだ? 何か変な物でも見たのか?」
 ウノの言葉に僕は乾いた笑いを返す。三人の反応を見るに、どうやら彼らは先程の異質な黒服の姿を見ていないようだった。いや、そんなことはあり得ないが、それでもこの先程と変わらない騒ぎ方からしてそう思わざるを得ないだろう。
 ここでそんな変な発言をして空気を冷ますのも悪い。
 今のは幻覚か見間違えだろう。そうして確かに残る嫌悪感を押しこみ、光景を脳の奥底へと仕舞いこむと再び車道へと意識を向ける。あと二十分もすれば旅館なのだ。もう一息だ。
「なあ、そういえば山道で思いだしたんだけどさ」
 そんな時、リョウは静かに一つの話を切り出し始める。
「なんだ?」
「遺影男って話知ってるか?」
 僕はマツリと顔を合わせる。彼女も顔をしかめている。
 リョウは続ける。
「遺影を大事そうに掲げてる男らしいんだけどさ、そいつがなんで遺影を大事そうに持ってるかって言うと、もうすぐ死を迎える人の魂を案内する為なんだとさ」
 僕は咄嗟に先程の男の姿を思い出し、ハンドルを強く握る。
「それで、なんで突然そんな話を?」
「これはばっちゃんから聞いた話なんだけどさ、その遺影男の中には狂った奴がいるらしいんだ。そいつらは悪戯に遺影を持って人の前に現れて、まるでお前はこれから死ぬんだと言わんばかりに笑ってくるんだと」
 口の中に唾が溜まる。僕はそれを一度ゴクリと呑みこむと、顔を左右に振る。
「その後は?」
「え?」
 リョウはきょとんとした顔を向ける。そして僕がやけに深刻な表情を浮かべていることに気付き、大体の状況を把握したようだった。
「お前、見たのか?」
「え、本当に……?」
 僕はゆっくりと頷いた。
「だ、大丈夫な筈だ。狂った奴は、そいつのではない遺影を持って現れるらしいから」
「じゃ、じゃあただ驚かせるだけってことか……?」
 リョウは頷く。
「驚かせんなよ……」
 ブレーキを踏んで一度車を止めると、深く息を吐き出す。リョウは申し訳なさそうな表情を浮かべながら僕の肩を叩いた。
「悪い、本当に悪かった。なんか無駄に精神すり減らしちゃったぽいな」
「いや、大丈夫」
 流石に悪いと思ったのか、リョウは運転を代わると言って僕を後部座席へと引きずり出した。ウノが大分心配そうな目で見ていたが、笑みを浮かべて大丈夫だと呟いてから、僕は一度目を瞑った。
「じゃあ発進するぞ」
 リョウの声と共にエンジンがかかる。変な話のせいで大分気を使ったなと僕は顔を手で覆った。
「そういえば、言い忘れてた……万が一狂った奴を見て、そいつが死んだ時……」
 突然語り出した彼に僕は違和感を感じ、顔を上げた。


 黒服だ。
 黒服の男が、まるで車を見送るかのように、左右にずらりと並んでいる。彼らは全員にやりと笑い、そして遺影を持ってまるで、僕らを見送るかのようにこちらを見ていた。

代わりにそいつになるんだってさ。


   ―――――

「それで、その後に君らを乗せた車はガードレールに突っ込み、転落したわけか」
 私の向かいに座る男性は静かに一度だけ頷いた。
「まあ、皆かろうじて生きて帰ってこれたんだ。大体の事情は分かった。ちょっと待ってなさい」
 机の上のコーヒーが切れた事に気づき、私は一度席を立つと傍に立つ自販機でコーヒーのボタンを押す。
「どうです? 彼」
 部下が心配そうに私に声をかけてくる。私は首を横に振ると出てきたコーヒーを手にする。
「どうにもこうにも、三人で行った筈の旅行は四人になっているし、車が落下した時運転席にいたのは彼なのに、彼の中では“リョウ”って架空の人物に運転を代わったことになってる」
「なんなんですかね……」
「私にもよく分からない」
 そういって空になったカップをゴミ箱に放り込み、取り調べ室へと戻ろうとする。
「そうそう、先輩に電話です。それを伝えに来たんです」
 なら早く言えと部下の頭を軽く叩くと私は電話を受け取った。
 そして、その通話の内容を聞いて、混乱する。
「なんでした?」
「三人のうち、運転席の男性が、たった今亡くなったと……」
 その言葉に部下は目を見開く。

 ならば、今まで話をしていた人物はなんなのだ。私は誰の聴取をしていたというのだ。

 私はすぐさまに駈け出し、乱暴に扉を開いて、目の前に座る男を見る。


 遺影を大事そうに抱えた黒服の男が、にやりと笑ってそこに座っていた。


   おわり

       

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