Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の文藝ホラー企画
短編/嫉妬、殺人、そして/山田一人

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 仕方がないのだ。こうしなければ彼女は僕に振り向いてくれない。
 仕方がないのだ。君ばかりが彼女を独占するのだから。
 仕方がないのだ。僕は君よりも彼女を愛しているのだから。

 だから、仕方がないのだ。僕が君を殺すのは。


 あの夜、自分を納得させて彼を殺した。だけど殺人という行為の後、正常でいられる人間は多くないと思う。
 少なくとも、僕は正常でいられなかった。
 アリバイを作った。絶対に僕が犯人だと気づかれない方法を思いついた。死体を隠ぺいする方法も、だ。
 しかし、殺人という行為の恐ろしさに、僕は彼が息絶えたのを確認すると同時にその場から逃げだしてしまった。死体はそのままだ。
 僕はとても臆病な人間だ。彼の冷たくなった身体を、光を失った目を、苦悶に満ちた表情を思い出すだけで震えてしまう。死体を隠さなければいけないのに、もう一度彼と――正確には彼の死体だが――向き合う勇気がない。
 諦めよう。死体は発見されるかもしれないけど、僕が犯人だと気付かれはしないはずだ。
 それに、彼女の心を独占していた彼はもういない。僕が望んだことではないか。
 明日から、僕の望んだ日々が始まるのだ。
 僕が、彼女と結ばれる。僕が、彼女の心を独占する。


 殺人の動機は単純だ。僕は彼に嫉妬していた。
 彼――及川敬一は僕と同い年で同じサークルのメンバーだ。高身長で、整った顔立ちと人当たりの良い性格。茶色に染まった髪が良く似合う。僕とは正反対の容姿を持つ男。
 そして、僕の愛する三船莉子の恋人だ。
 サークル内でもお似合いのカップルだと評判だ。
 三船莉子。僕が人生において最も愛している女性。僕より一つ年上。小柄で黒髪のセミロングボブ、童顔だが年齢以上に大人びた性格。成績は優秀で、サークル内でつりあうのは及川だけだ、と二人が付き合う前から言われていた。
 僕はずっと彼女にアタックを続けていた。だから、及川と付き合い始めたときは形容しがたい絶望感に襲われた。
 それから、サークルで二人の仲睦まじい姿を見るのが苦痛でしかなかった。毎日、どす黒い感情が腹の中に溜まっていった。 
 それでもサークルに顔を出し続けた。彼女の姿を見たいから。彼女の声を聞きたいから。
 しかし、限界はあっという間に訪れた。
 空しさに身を任せて街をぶらぶらと歩いたのが馬鹿だった。気がつけばホテル街のど真ん中を歩いており、ラブホテルの中から出てきた及川と三船先輩を偶然目撃してしまったのだ。
 恋人同士がいずれそういった行為をするのは当たり前のことだ。頭では理解していたが、それを今の彼女にあてはめようとしない自分がいたようだ。
 この日、僕は日々考えていた及川の殺害計画を実行に移すことにした。

 そして、及川は死んだ。僕が殺したから。


 次の日、僕は何事もなかったかのように大学へ行った。適当に講義を聞き流し、サークルに顔を出す。
 このサークルは名目上スポーツを楽しむということになっているが、実際は部室でトランプとお喋りにぐだぐだと興じることがほとんどでスポーツは滅多にしない。
 今日も僕は部室に入ると、くだらないお喋りをして三船先輩が来るのを待った。
 僕がやっと大貧民から平民に成り上がったころ、三船先輩と同じく一つ上の北崎先輩の携帯に電話がかかってきた。
「あ、三船? どうしたのさ。うん。及川? 来てないよ。うん。そっか。はーい了解。それじゃ」
 三船先輩からの電話のようだ。通話が終わると同時に僕は声をかけた。
「電話、何だったんですか?」
「いやね、及川はこっちに顔出してるかって。てっきり俺は二人でデートでもしてるのかと思ってたけど」
 俺も俺も、という声が上がる。だが、そんなことはありえない。なぜなら僕が殺したから。
「そうなんですか。何かあったんですかね」
 白々しいな、と我ながら思う。だが、僕は何も知らない男でいなければならないのだ。
 大富豪を再開する。だんだんツキが回ってきて大富豪になれそうだというところで解散になってしまった。
 北崎先輩が夕飯を食べに行こうと誘ってくれたが、僕は丁寧に断った。三船先輩がいないなら、行く意味なんてない。
 僕は一人、誰もいないワンルームマンションへと帰宅する。そうだ、三船先輩に電話でもいれようか。及川と連絡を取れなくなって不安になっているはずだ。僕の株を上げるにはちょうどいい。
『……もしもし』
 数回のコールの後、三船先輩が出る。いつもより声のトーンが低い。
「今日はどうしたんですか。サークルに来ませんでしたけど」
『敬一とね、連絡がとれないの』
「及川がどうかしたんですか?」
 及川の糞野郎は僕が殺したんです。
『昨日の夜からまったく連絡が取れなくなっちゃった。メールの返事はこないし、電話にも出ない。家に電話して敬一のお母さんに聞いても夕方に出掛けたまま帰ってこないって』
 それは僕が殺したからですね。死体は携帯電話を使えないし家にも帰ることもできない。
「それは大変ですね……」
『どうしよう……君は何か知らない?』
 知ってますよ。僕が殺したんです。この手で。
「申し訳ないですが僕も及川のことは……」
『そっか……』
「元気出してくださいよ先輩」
『でも急にいなくなるなんておかしいよ』
「もしかしたらどこかで死んでいたり……」
『やめてっ。敬一は死んでないっ』
 おっといけない。ついつい口が。
「あ、すいません。あいつが死ぬわけありませんよ」
 三船先輩の印象が悪くなったかな。まあいい、あいつはいない。時間はたっぷりある。
『……うん』
「それじゃ、このへんで。明日はサークルに顔を出してくださいね」
 通話を切る。
 あと少しの間、三船先輩は及川のことを引きずるのだろうな。そう思うと死んだはずの彼をもう一度殺したくなった。


 翌日。昼休みに北崎先輩から部室に集まるよう指示された。
 適当にパンと飲み物を買って部室に入ると、他のメンバーはすでに全員揃っていた。僕が最後のようだ。
「これで、三船以外の全員がそろったな」
 北崎先輩は神妙そうな顔つきで全員を見回すと、重々しい口調で言った。
「及川が行方不明だ。昨日、及川の親が警察に捜索届を出した。いまだにあいつからの連絡はない」
 そりゃあそうですよ。死んでるんだもの。
「みんな何か知っていることはあるか?」
 ざわつく部室。しかし有益な情報を持つ者は一人としていない。犯人である僕をのぞいて。
 少しの間、及川をどうするかみんなで話し合うが、まともに意見はまとまらない。
「まあ、警察がきっとなんとかしてくれるだろう」
 北崎先輩のその一言で及川の話は終了。僕はその場で昼食を食べ始めた。
 その後、一コマだけ講義を受けると、もう一度サークルに顔を出す。いつも通りトランプと雑談。つまらない時間だった。
 今日も三船先輩はこなかったから。


 自宅で夕食を終え、時間を持て余す。
 そうだ、先輩に電話しよう。及川を失った三船先輩の支えになって僕の良さに気づいてもらわなければならない。
 携帯電話を取り出し、電話をかける。少し長いコール音の後、三船先輩がでた。
「先輩こんばんは。今日もサークルに来ませんでしたね」
『うん。心配かけちゃった?』
「あたりまえですよ。及川がいなくなって、先輩の精神もきっと不安定です。心配するに決まってます」
『そっか。でも、もう大丈夫だよ』
 もう及川のことを引きずっていないのか? 思ったより早いな。でも、早いに越したことはない。
『敬一には今日会えたもの』

 …………え?

『ごめんね。電話してると敬一が寂しそうな目をして私を見てくるの。かまってあげないと。それじゃあね』
 電話が切れる。僕は何も言えないまま固まってしまった。
 どういうことだ。及川と会えただと。あり得ない。何が起きた。あの女は何を言っている。本当なのか。だからあり得ない。及川は死んだ。僕が殺した。会えるわけがない。じゃあなぜ。あの女はあんなことを言った。おかしい。おかしいおかしいおかしい。
 あああああああ落ち付け落ち付け!
 明日、サークルに顔を出せば分かる。とりあえず寝よう。きっと殺人という行為で精神的に参っているのだ。頭を、身体を、心を休めるんだ。


 翌日、三船先輩はやはりサークルに来なかった。そしてこれからも来ないだろう。
 彼女はサークルを辞めた。昨晩、北崎先輩のもとに一言「サークルを辞めます」というメールが来たのだそうだ。北崎先輩は理由を問うメールを返信したが、その返事はないという。
「及川がいなくなったからかな」
 誰かがそう言った。
「そうかもな。三船先輩、及川にべったりだったからなあ」
 僕は意を決して全体に問う。
「及川はまだ見つかってないんですか?」
「状況は昨日と変わらず、だ」
 まだ及川は見つかっていない。
 じゃあ、昨日の三船先輩の発言はなんだったのだ。僕は頭を抱える。
 サークル活動が終わり、北崎先輩がまた食事に誘ってくれたが今回も断った。
 僕は自宅に戻ると、及川の家に電話をかける。しっかり確認しなければ気が済まない。家族なら、最新の情報を知っているはず。
 僕は電話に出た及川の母親に、今の状況を聞いた。
 進展は無い、とのことだった。
 次に三船先輩へ電話をかける。鳴り続けるコール音、彼女はなかなか出ない。しかし僕は粘り続けた。彼女と話さなければならない。
『もしもし』
 三船先輩が出た。
「先輩、サークル辞めたってどういうことですか!」
『北崎君から聞いたのね。私、敬一のそばにいてあげないといけないから。学校に行く時間なんてないの』
 また及川か。あいつは死んでいるはずだろう。
「及川はまだ見つかってないんでしょう。何言ってるんですか」
『君こそ何を言ってるのかな。敬一はいるよ、私の家に。私のそばに』
 意味がわからない。ふざけるな、と叫びたくなる。
『ごめんね、君と話してる時間すらもったいないの。じゃあね』
「待っ――」
 電話を切られる。何がなんだか分からない。
 こうなったら……。
 時計を見る。僕は覚悟を決める。


 深夜二時。僕は町はずれにある小さな山に来ていた。
 普段からあまり人が来ない山の中の雑木林を歩いていく。もうしばらくすれば反抗現場。及川の死体がある場所にたどり着く。
「このあたりのはずだ……」
 僕は懐中電灯であたりを照らす。真っ直ぐ伸びた光が、一つの大きな穴を見つける。
 僕はそこに駆け寄り、驚愕し、地面に膝をついた。
 死体を埋めるために掘った穴。実際は埋める前に逃げだしてしまったが。そしてその横には及川の死体があるはずだった。はずだったのに――

「ない……」

 死体がない。及川の死体がないのだ。
 あいつは僕が殺したはずだ。なのになんで。なんでなんでなんでなんでなんでないんだ死体がないんだ生き返ったとでもいうのか。
 違うそんなわけがない。やつが生き返るわけなんかない。
 そうだ、きっと僕が殺し損ねたに違いない。そうだきっとそうだ。
 あの野郎……今度こそは完全に殺してやる。


 電車に揺られて、三船先輩の家に向かう。過去に一度、及川といっしょに行ったことがあるからなんとか場所は覚えている。
 小さな紙袋を持って、電車を降りる。たしか駅から歩いて数分の好条件のアパートだった。
 目的地に着く。小奇麗なアパートだ。さぞかし家賃も高かろう。でも今はそんなことどうでもいい。
 階段を上って二階へ。三船先輩の部屋は確か一番奥だ。
 表札で名前を確認。呼び鈴を押そうとする。だが、その前に異臭が鼻をついた。なんだこの臭いは……。
 ごくり、とつばを飲み込み呼び鈴を押す。
 しかし反応はない。でも僕は何度も呼び鈴を押した。何度も、何度も。
 すると足音が玄関に。そして解錠の音。扉が開く。異臭がさらに強まった。吐きそうだ。
「こんにちは、先輩」
「どうしたのわざわざ。私忙しいの」
 よれよれの服、そして頬がこけている三船先輩が現れる。
「先輩、どいてください」
 僕は紙袋から包丁を取り出した。普段は自炊をあまりしないから包丁を使うのは久々だ。まさかもう一度及川を殺すために使うとは思ってもみなかったけど。
 包丁を見て声を失った先輩を押しのけて僕は部屋の奥に進む。
「……そういうことかよ」
 及川はいた。ベッドに横たわって天井を見ている。腐りかけながら。
「先輩、この死体をどうやって見つけたんですか」
「死体じゃないよ。敬一だよ」
「どうやって見つけたかって聞いてんだよ!」
 怒鳴る。正常ではいられない。
「敬一がいなくなる直前、○○駅で友達と待ち合わせしてるから、その用が済むまで待ってて、ってメールがきたの」
 殺す直前なんかにメールなんかしてたのか。あの野郎。
「だからね、いなくなった後は○○駅の周辺を一人で探しまわったわ。すぐそばにある山の中も。そしたらね、敬一が寝てたの。だから私は風邪引いちゃうよって言って、ここに連れてきた」
 学校を休んだ日はずっと探しまわってたのか。どれだけ及川を愛してるんだ。くそが。死んでもなおお前は彼女の心を独占しやがる。糞野郎。糞野郎!
 でも僕は諦めないぞ。絶対に絶対に絶対に。
 
 そうだ。

 まずは及川と同じ土俵に立たないと。
「先輩、僕はあなたを愛してます」
 僕は手に持った包丁を――刺した――。

       

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