Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の文藝ホラー企画
掌編/箱の中/真純

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 真っ暗だ。


 上も下も、右も左もわからない、僕は完全な闇の中にいた。
 僕は両の眼を開いたはずなのに、これでは眼を開けようが閉じようが変わりないではないか。しかもそれだけではない。僕の手も足も、更に首さえもがぎゅうぎゅうと僕を取り囲む壁によって小さく押さえつけられているのだ。
 壁はかすかにカビ臭く、ほのかに暖かい。おそらくは木でこしらえられた壁なのだろう。
 僕は、ふと思い立った。ここは箱の中だ。僕の身体を押し込めておくのに丁度いい大きさにあつらえられた箱に閉じ込められているのだ。僕の頭上、足元、そして前後左右を張り巡らされた壁で作られた、木箱が覆っているに違いない。僕は何故かそれを確信した。

 しかし、何故だろう。
 どうして僕はこんな場所に閉じ込められているのだろう。

 これが箱であるとして、存在するはずの8個の点からも6本の辺からも、光の一筋も差し込んでいない。完全なる密閉状態だ。今僕を包む生暖かさは、木箱のぬくもりだけではなく、この僕自身の体温から来るものなのだろう。
 暗闇の中では時間を感じることができない。
 僕が眼を覚ましてから、僕の――いや、僕を閉じ込めた箱の周囲では物音ひとつしないので、今がいつなのか、箱はどんな環境に置かれているのか推察することすらできないのだ。誰かを呼ぼうにも、僕の口は何かにふさがれてうめき声しか上げられない。お手上げだ。
 ならば仕方がない。僕はもう一度眠りにつけばいいだろう。身動きひとつできない、光を浴びることもできない状況ではどうすることもできないのだから。

 来るべき「時」に備えて両眼を閉じようとした、その時だった。



 ―――――ぐぅぅぅううううきゅるるるるるる


 困ったぞ。これは大いに困った。
 僕の腹が悲鳴を上げている。ああ、そうか。僕の眼を覚ましたのはこのせいだったのか。
 こうも腹が減っていては眠ることすらままならない。
 ああ、何か食べたい。食べるものはないのか。
 意識を鼻に集中させて辺りの匂いを胸に吸い集めてみたものの、僕の鼻の粘膜に貼りついたのは僕自身の体臭と木箱のカビ臭さ。それと、なんとなく生臭いような鉄の匂いだけだった。

 腹が減ると、万国共通生きとし生ける者のほとんど誰もが苛立ちを覚える。
 僕も例に漏れず、しずかに膨らみ続ける苛立ちを育てていた。
 そういえば…… 今更になって僕は気づいた。


 どうして僕はこんなところに閉じ込められているんだ?


 その時だった。少し離れた辺りで、ガラガラガラッと開き戸を動かす音が聞こえた。
 人だ!しかも複数だ。人々は僕の詰まった箱を取り囲んでいるのを気配で感じ取った。早く開けてくれ!ここから出してくれ!

 だが、誰一人箱に触れようとする者はいなかった。
 どういうことだ? ここにいる―――10人ほどの人間たちは、箱をぐるりと囲んで何をしようとしているんだ?
 ほどなくして、ボソボソひそひそ囁く声がひとつひとつ消えていき、ゴォーン……と辺り一帯に、それは大きな鐘の音が重々しく鳴り響いた。
 尾を引く鐘の音にかぶせるようにして、野太い男の声が何やら歌いだす声が僕の耳に流れ込んでくる。いや、これは歌ではない。お経だ。ということは、箱の外にいるのはどこかの寺の住職か。
 …そうか、この箱はおそらくなんらかの呪術がかけられていて、この住職は僕を助け出そうとしてくれているのかも知れない。早くここから出してくれ。
 僕の気持ちを代弁するかのように、腹がまた妙な音を立てて鳴いた。その音が外にまで届いたのだろうか、住職の唱えるお経が一瞬止まった。周囲からもボソボソと小さなざわめきが起こっているのが感じられる。それを押さえ込むような荒々しさを帯びたお経が、また聴こえ始めた。
 お経の振動のせいだろうか、何だか僕の身体が熱い。お経を体内に取り込む耳から鼻をすり抜け、そこから枝分かれを繰り返して僕の頭のてっぺんからつま先に至るまで、真っ赤な血液がとんでもない速度で駆け巡っているような錯覚さえ感じた。
 息もだんだん苦しくなって来た。一体どういうことだ?箱にかけられた呪詛はそんなにも強力なものだということだろうか。
 住職の声がどんどん大きく聴こえてきた。箱を置かれている部屋の中は住職の声で充満しているかのようだ。時折合いの手を打つように鳴らされる鐘の音も大音量で、空っぽになった僕の腹の中で暴れまわるのだ。

 うぅ、苦しい。 
 僕の額には脂汗が浮いているのに、腕を動かしてそれをぬぐうことすら出来ない。助けるなら早くしてくれ。早く、早く出してくれよ!
 駄目元で全身を揺らしてみた僕の背中が、不意に軽くなった。先ほどまでは微動だにしなかった木壁が、幾分か柔らかく変質したようだ。
 よし、もっと揺らしてみよう! きつく歪められた背筋を伸ばして頭を持ち上げ、両肘を広げて、正座をするように折り曲げられた両膝に力を入れると同時に尻を思い切り後ろに押し付ける。力を込める、緩める。込める、緩める。何度も繰り返すうち、ガタン、とはっきりした手応えを感じた。
 今だ! 僕を取り囲む木壁を四方に弾き飛ばし、ついに自由を手に入れたのだ!!


 ――そう思った瞬間だった。
「かかれぇ!!」という誰かの声を合図に、何本もの太い縄が僕を中心に張り巡らされ、ギチギチと締め付けてきた。全身白い衣装を身に着けた初老の男と、その少し後ろをぐるりと囲む若い屈強そうな男たちが皆一様に僕をねめつけている。
 一体全体どういうことだ? 僕はこいつらに会ったこともないし、ましてやこいつらに危害を加えたこともないのだ。

 ………こいつら自身には。



 突然姿を現した僕に対して明らかに怯んだ様子の男がいることを、僕は見逃さなかった。
 女の髪を編みこんだと思われる、子供の腕ほどの太さの縄は硬く僕を結びつけているが、何のことはない。僕はひょい、と首を伸ばしてその男の喉笛にかぶりついた。
「ひぎぇええええええええええええええ!!!!!」
 隣の男が奇声を上げている。うるさいなあ。久しぶりの食事だというのに、作法のなっていない奴だ。
 僕の喉を潤し腹の嘆きを満たしてくれる「ごちそう」から、ふんわりと異臭が漂って来る。こいつ、尿を漏らしやがったな。僕が口を離したとたん、びゅうびゅうと真っ赤な暖かい噴水を撒き散らせながら、胸から上を失った臆病者は崩れ落ちた。
 さて、次はどれにしようかな。空腹感が少しだけ緩和されて余裕が出てきた僕は、じっくりとうまそうな「ごちそう」を吟味することにした。ガチガチに筋肉を全身に纏った男は硬くて味気なくて、はっきり言って不味かった。肥えてぱんぱんに膨らんだ奴は、黄色い脂が詰まっていて臭くて食べられたものではなかった。僕は顔を歪めて肉片を吐き出したくらいだ。最初に食ったのが一番美味だったのだろうか、ここにいるのは筋張ったものばかりだった。
 ふと、僕は思い出した。そうだ、あの忌々しい箱に閉じ込められる前にたくさん食べたように、柔らかくていい匂いのする「ごちそう」を食べに行けばいいじゃないか! そのためには、この部屋から出なくては。自由になるのはこの首と頭だけか。それならば、まずは縄を握り締める連中を食べてしまおう。
 ぐぐっと方向を変えた僕の首の先にいた男は、脅えもせずに僕をにらみつけている。男の左手には、ぐるぐると縄が巻きついている。よし、こいつだな。僕はそいつを頭から噛り付くつもりで、大きく口を開いた。
「おっとうの仇!」
 僕の上顎に何かが深く突き刺された。これは何だ? 穿たれた穴から、ゆるゆると力が抜けていってしまう。続けざまに、僕の頭、腰、腕や足、至る所に何かが突き刺され、僕の全身の肉が裂かれていった。男たちの手を見やると、そこにはヨモギと菖蒲の葉を幾重にも巻きつけた鉄の槍が握り締められていた。
 なるほど、これでは僕は存分に力を出すことが出来ない。白装束の男が、頭を地面にこすりつけたまま動けない僕の面前に仁王立ちした。
「この妖は、これくらいでは倒すことが出来ない。やはり、またしばらくは封じ込める他ないだろうな」
 白装束の男は、神木でこしらえた箱を胸元から取り出した。イヤだ。あの中はもうイヤだ。でも、僕の身体のどこも、僕の思い通りに動いてはくれなかった。

「封印!!」
 遠い昔、同じ眼をした男が結んだのと全く同じ印を、この男が結んだ。そう、思った次の瞬間。僕の視界は、再び完全なる闇に遮られてしまったのだった。



 ―――真っ暗だ。
 僕はまた、眠りにつかなければならない。「ごちそう」はほんの少ししか食べることが出来なかったから、次の目覚めは案外早いかもしれない。
 僕の顔に、べったりとした塊がこびりついていた。ほんのわずかに動かせた舌でそれをぬぐい取り、飲み込む。ふんわりと、美味しい「ごちそう」の味が口いっぱいに広がった。鼻の奥で、なんとなく生臭い、鉄の匂いがする。馴染み深い、「ごちそう」の匂い。

 真っ暗だ。
 これでは眼を開けようが閉じようが変わりない。それならば、今は重たい目蓋を閉じていよう。狭い箱に閉じ込められた僕の身体はもう動かない。…今は。

 ずず、ずず、と僕の目蓋が垂れ落ちて、遂に落ちた。あくびひとつ残さず、僕はまた、深くて永い眠りにつくだろう。
 
………ほらね、真っ暗だ。




  了
 

       

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