Neetel Inside 文芸新都
表紙

夏の文藝ホラー企画
掌編/CM/池戸葉若

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 私は冷蔵庫から抜擢したビールを一気に煽った。週末は焼酎なんかもいいが、仕事で疲れた身体にはビールがよく五臓六腑に染み渡る。会社での嫌なことも、その時だけは弾ける泡と一緒にどこかへすっ飛んでいってしまうからいい。
 マットの上に腰を下ろして、テーブルの上のリモコンを手にとる。テレビの電源をつけると、鈍い音が尾を引きながら番組が流れはじめた。朝見た教育テレビのチャンネルから、ぽちぽちと矢継ぎ早に変えていくと、バラエティに行き着いた。私の好きな、ロケやらネタやらおかしな企画やらをしてくれる番組だ。
 ジャージ姿の芸人が、筒から吐き出されて宙に舞った。画面の中が出演者とかスタッフの笑い声で満たされて、私もつられて、あはは、と笑う。おかしなもんだ。あんなバカらしい真似をするくらいなら、私は一生普通のOLのままでいい。
 携帯が震えて、メールの着信があった。同僚で友人のNからだ。可憐といえば聞こえはいいが、打たれ弱いというか、精神的に虚弱な困った女の子である。さらっと見た内容としては、愚痴をこぼしたいだけらしいので、私は適当にあしらって携帯を閉じた。今はテレビのほうに集中したい。聞き手に回るほど暇じゃないのだ。
 しばらくして、他のゲームにチャレンジしようとしたところで、一旦CMに入った。
 最近の炭酸飲料は糖分ゼロが増えてきてうれしい。カップラーメンの新製品は特に興味なし。最新のドラム型洗濯機も興味なし。カラーリング剤の宣伝では、ちょっとこの色かわいいかも、とは思ったが会社のことを考えて断念。……つまらない。今のうちにトイレにいっておこうかと思った。
 しかし、次のCMはすこし面白かった。
 ネグリジェみたいな余裕のある形をした真っ赤な長袖のワンピースを着た女の人が、どこかの夜道を歩いていた。顔はよく見えないけれど……化粧品のコマーシャルだろうか。その構図だけならごちゃまんと業界の歴史に埋もれているのだろうが、私が面白いと感じたのはもっと別のところだった。
 そのCMには、映像以外のものが何一つ入っていないのだ。
 流行の音楽も、商品のアピールをするセリフも、企業のテロップまでもがなく、街中の監視カメラみたいな視点で、ただ淡々とその女の人を映していた。話題性はたしかにあるだろうけど、どこの企業か分からないんだったら本末転倒だろう、と私はビールを飲み干してにやついた。おっと、げっぷ。まあいいか、一人だし。
 結局そのCMはそのまま終わり、さらに幾つかのCMが流れた後、番組が再開した。今日の企画があまりにも面白くて、私はそのCMのことなど忘れていた。
 そして次のコマーシャルに入ると、また同じCMが流れた。賑やかな宣伝の中にいきなり無音のものが割りこんでくるんだから、なんだか落ち着かない。
 裸足の女の人は、ゆっくりと夜道を歩いている。やはりなんのCMなのか分からない。よく見てみると、さっきのとは違う道をあるいているらしかった。
 もやもやとした嫌な気分だった。
 番組が再開して、ああこれで笑い飛ばせると思ったら、一通り笑いをとった後でまたコマーシャルがはじまって、私は知らず舌打ちをもらしていた。
 予想通り、あのCMはもう一回流れだした。しかし、私はその無音の映像に違和感を覚えた。……そうだ。女の人が歩いているのは、うちの最寄の駅前にある商店街だ。これがいつ収録されたものかは知らないが、商店街の様子は今日みたいな平日の夜と似ていた。がらんどうの洞穴みたいなアーケードだ。
 私の酔いは、すっかり醒めていた。
 うまく説明できないけれど、何かがおかしい。寒々しい鼓動がかすかに私の耳をうった。番組の楽しいボケとツッコミも、盛大な笑い声も、どうしてか遠く聞こえる。というよりむしろ、この一人暮らしの部屋の静けさが深化していっているみたいだった。
 次のコマーシャルに入った時には、私はテレビに釘付けになっていた。胸のざわめきが抑えきれなくなった時、例のCMがはじまり、私の背筋を冷たい指がなぞったような気がした。
 女の人が歩いているのは、やはりうちの近くだった。真っ赤なワンピースを着た彼女が横切っていくのは、煌々とした蛍光がもれだすコンビニ。
 そのコンビニの中では、見知った顔のアルバイト店員が退屈そうにしていた。私がよく寄っていくものだから、いつの間にか知り合いになっていた大学生のKくんだ。Kくんは目の前を得体の知れない女性が歩いているというのに、見向きもしなかった。……気付けよ、バカ。そんなんだからいつまでたっても童貞なんだよ。気付けって。
 だが、そこで気付かされたのは私のほうだった。
 Kくんの着ている服を見て、私は呼吸がとまりかけた。今日も適当にスナック菓子やらを買った時に彼が言っていた、今日はじめて着る新品のシャツだったのだ。となると、彼が嘘を吐いていないとすれば、目の前の映像はリアルタイムということになる。リアルタイムのCMなんて、見たことも聞いたこともない。
 一体どういうことだ。
 私はすぐさま携帯から、このチャンネルで放送しているテレビ局へ電話をかけた。担当者が耳障りのよい声で応対してきたのが逆に癇に障って、私はまくしたてた。おたくのチャンネルでやっている無音のCMはなんなのだ、と。
 しかし、受話器の向こう側から返ってきた答えは、そんなCMにもならないCMは流していない、というものだった。イタズラかと思われたのか、担当者の声はすこし呆れた感じだった。私は黙って通話を切った。それと同時に、テレビも静かになる。視線を上げると、テレビ局が存在を否定したCMが再び流れていた。
 女の人が音もなく歩いている道路を見て、私は悲鳴を上げそうになった。さっきのコンビニといい、女の人の通る道は私の帰宅ルートとまったく同じだったのだ。
 もしかして……近づいてきている?
 私は飛び上がって雨戸越しに外を見渡した。しかし沈鬱とした夜の闇が広がっているだけで、ワンピースの赤色なんて見えない。私は結局、カーテンを全部閉め切って、マットの上で膝を抱えた。自衛の際の、子どもの頃からのクセだった。
 その時、ふと私の目が足元に落ちた。そこにはリモコンがあった。
 そうだ。こんなもの見ているからいけないんだ。他にももっと面白い番組はあるのだから、そっちにいこう。そうやって笑っていれば、いつの間にか忘れてる。
 私は口元に笑みすら浮かべて、リモコンのボタンを押した。
 ……だが、チャンネルが変わらない。
 他のボタンも押してみた。何度も何度も押して、全てのボタンを押したにもかかわらず、番組は変わらない。そうしたら芸人の顔がアップで映し出されて、やけに大きい声で笑った。その見丸く開かれた目は、私の方を見ていた。と、思ったらまた同じシーンが巻き返されて、やけに大きな笑い声が響いた。そのループが数回続き、演出だとは思えなくなった。
 私はいよいよ我慢できなくなって、テレビのコンセントを引っこ抜いた。しかし、テレビの中の芸人はまだ腹の底に溜まるような声で笑っていた。電気の源流から切り離したのに、彼は笑うのをやめなかった。私はひたすらに耳をふさいだ。
 すると次の瞬間、いきなりコマーシャルに変わった。肩が跳ね上がる。
 糖分ゼロの炭酸飲料も、新製品のカップラーメンも、新型の洗濯機も、すべてがカウントダウンだった。カラーリング剤の宣伝が終わった後、私はついに悲鳴を上げた。
 カメラのアングルは女の人を前から映し、手前には見覚えのある建物の一部が映っていた。女の人は遅々とした足取りで、それでも迷いを感じさせることはなく、手前にむかって歩いてくる。そして画面の下端の手前で右に曲がって、集合郵便受けの見える玄関へと入っていったのだ。そう、私が住むアパートの入り口に、ワンピースの赤い裾を残して消えていった。
 私の頭は、恐怖と混乱でミキサーにかけられた。
 助けてほしい。助けてほしい。あの女がやってくる。あの女がこっちにやってくる。
 私は携帯を開いた。友人のNからは、適当な返事をしたっきり返信がきていなかった。けれど、今頼れるのは彼女しかいない。困った奴だが、使えないということはない。
 電話をかけて、四コール目でつながった。私は詳しい事情などまるで無視して、今すぐ家にきてほしい、と叫んだ。だが、いつも唯々諾々と頷く声は聞こえてこず、電波が擦れる音がするだけだった。さらに唾を飛ばすが、私の怒声に重なってくぐもった声らしきものしか聞こえてこない。なにやってんだあのブス、と思ったのも束の間―――ギダヨォ、とめちゃくちゃに音の割れた女の声が耳朶に這入りこんできた。
 驚いて、私は反射的に通話を切断した。そして私はテレビを見た。
 液晶の中では、全体を見下ろせる角度から、私が今いる部屋が映し出されていた。
 当然ながら、私の部屋にカメラなど設置されている筈がない。私にそんなおかしな趣味はないし、戸締りはいつも完璧だ―――今だって。
 そこでは、画面の中の私が私に背を向けてテレビに見入っていた。その画面の中のテレビにはまた私の後ろ姿が映っていて……と合わせ鏡みたいに映像が続いている。家具の配置も、閉め切ったカーテンも、私の格好も、全部同じだった。
 私は身動き一つとることができずにいた。そうしてじっと私自身を見つめていると、画面の中の私のいるリビングに、真っ赤なワンピースを着た女が、廊下からゆっくりと入ってきた。私は咄嗟に振り返ることもできないで、ただただ画面の中の女が私の後ろで立ち止まるのを凝視していた。気配は何も感じない。けれど、画面の中にはたしかにいるのだ。私の背後に何かがいるのだ。
 その時、私は不意に思った。
 真っ赤なワンピースの女の後ろ姿が、どこかNに似ているな、と。
 そして。

 ―――ドモダヂダドオモッデダノニ―――

 そんな割れた音声が画面から聞こえて、振り返ろうとした私の視界は暗転した。




                  *




 私はテーブルの上で目を覚ました。雨戸からは白みはじめた空が見えており、テレビはつけっぱなしの状態で、ビールの空き缶が床に転がっていた。
 Nがあの夜自殺していたことは、数日後に知った。なんでも聞いた話によると、悪い男にひっかかって多額の借金を抱えこんでしまったらしい。にっちもさっちもいかなくなって、騙された悲しみもあいまって、自ら生命を絶った……そんなところだろう。そういう事情を誰にも、実家にいる家族にさえも相談できなかったのは、ひとえにNの性格ゆえのことだったのかもしれない。
 しかし、もしあのメールを受け取った時、彼女が私に助けを求めていたとしても、ごく普通のOLが一人から二人に増えたところで、どうすることもできない案件だったに違いない。
 ……ただ、何故か私の携帯には未だにNが送ったメールが残っている。
 私はいつもその中の一つを見て、ごめん、と呟くのだ。


 ―――今度のパジャマパーティ、中止になっちゃって残念です。すごくたのしみだったのになあ。せっかく新しいのを買ったのに(>_<)―――

       

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