Neetel Inside ニートノベル
表紙

昨今の美少女恋愛シミュレーション(以下略
1stActress 二宮 凛

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 二宮凛は、「萌え」について真剣に考えていた。
 なぜ人々は「萌え」を求めてやまないのだろうか。作られたキャラクターに並々ならぬ感情移入をして、その果てに何を望み、そして何があると言うのだろうか。恋愛感情とは別の物なのだろうか、もしそうならば、性的欲求とはかけ離れた物なのだろうか。萌えるキャラと萌えないキャラの違いとは一体何か。「個性的」と「ぶっ飛んでる」の境目はどこにある。「萌え」は一過性のブームなのか、それともこれからのスタンダードなのか。二宮の疑問は止め処も無く溢れた。
 言うまでもなく、この世界は現実である。物理法則が崩れる事は無いが、人間関係は脆く壊れやすい。絶対的な正義など鼻から無く、おとぎ話の最後のような「永遠に幸せに暮らしました」というキャプションがつく事はそれこそ永遠にありえない。救いの無い、湿った、薄暗い世界。それが紛れも無い現実なのだ。
「つまり、『萌え』っていうのは現実逃避って事?」
 二宮の『2つ歳上の』同級生、笠原がそう尋ねた。二宮は顔をあげず、プラカードに書かれた文字をデコレーションする作業に没頭しながらも答える。二人がルームシェアするこの部屋は、街の上層部から割り振られた物であり家賃は無料である。
「まあ、そう考えるのが妥当かな」
「妥当ねえ……」
 笠原は作業を手伝いながら、感慨深げに呟いた。
「カサちん(笠原のあだ名)にとっては違うの?」
「違うっていうか……それを私達が言っちゃうと、怒られるからね」
 二宮は作業をしながら、「それもそうね」と同意して、こう続けた。
「私達は、あくまでキャラクターな訳だし」
 2人とも黙り込んだ。
 二宮に『出番』が回ってきたのは、2週間前の事だった。放課後、ミーティングルームへと呼ばれた二宮は、プロデューサーにこう告げられた。
「あなたのキャラが決まりました」
 二宮はその一言を待っていた。唾を飲み込んで、「どういうキャラでしょう?」と尋ねると、プロデューサーはイメージイラストを見せた。
 髪は目も覚めるような鮮やかなピンク色。頭からは猫耳がぴょこんと飛び出て、頭に白いリボンがちょこんと乗っかっている。服は通常の制服のままだが、はっきり言って異次元の生物に見える。
「コンセプトはとにかく『萌え』。初心に戻って、鉄板要素で固めました」
 絶句したままの二宮を放置して、プロデューサーは説明を進める。
「設定は、こっそりと主人公に恩返しをしにきた猫です。人型に変化しているけど、語尾が『にゃ』だからすぐにバレる。性格は気まぐれで能天気。ただし受けた恩義は忘れない。だからいつも主人公を気にかけて、後ろを忍び足でついていく。あなたは元々目が猫目がちで、口もそれっぽいからこのキャラは良く合うはずです。で、肝心のファーストコンタクトですが……」
「あの……」
 二宮がプロデューサーの説明に割り込む。
「これ、髪がピンク色なんですけど、もしかして染めるんですか?」
「当然です」
「目は緑色なんですけど……」
「カラーコンタクト。見た目の準備に関してはこちら側で用意させてもらいます」
 そう言うと、プロデューサーはアタッシュケースを取り出してそれを開いた。髪染めとカラコンと猫耳とウィッグと大きな白いリボンと何枚かのプラカード。変身セット、と呼ぶのにふさわしい。
 なおもプロデューサーの説明は続く。
「ファーストコンタクトの話を続けます。正確には、あなたは既に主人公と出会っている事になっています。あなたが猫状態の時に、高い木に登って降りられない所を、主人公が登って助けた。その恩返しをする為に、2週間主人公を探していた。そしてある朝主人公を見つけて、人間に変化して登場する。そこからがあなたの腕の見せ所。ちなみに、今日主人公は猫を助けました。かわいい猫をキャスティングするのも、主人公に助ける気を起こさせるのもかなり大変だったので、我々の努力を無駄にしないようにお願いしたい」
 プロデューサーも、二宮にはそこそこの期待を抱いていた。練ったキャラには自信があったし、二宮ならばそれを上手く演じきれると評価していた。二宮がこれまでこなした役は、コンビニのアルバイト、不良グループの一人、そして同じクラスの生徒。どれも完璧にこなした。
 だが、メインヒロインは別物だ。これまでは攻略対象になりえないキャラクターばかりだったから、ほどほどに肩の力も抜けていたが、今回はド正面から主人公に接触する事になる。更にこの、良く言えばオリジナリティー溢れる、悪くいえば非現実的かつご都合主義的なキャラは、二宮に苦悩の種を与えた。
 その様子を察してか、プロデューサーが怪訝そうに尋ねる。
「……出来そうですか?」
 二宮はハッと顔をあげて、作った笑顔で「もちろん」と答えた。
「では、ちょっと今試しにやってみてください」
「な、何をですか」
「そのキャラをです」
「えっと、準備に時間が……」
 と濁す二宮を気にせず、台詞を紙に走り書きして渡すプロデューサー。
「着替えの必要はありません。試しにこれを読んでみてください」
 二宮は呼吸を止めて一秒プロデューサーの真剣な目を見つめ、勇気を振り絞って言った。
「は、はにゃにゃ~。あた、あたちは猫じゃなくて人間なのにゃ! リンにゃんって呼んで欲しい……にゃ」
 二宮の両肩に重くのしかかる沈黙。首筋に嫌な汗がどっと湧いてきた。
「最後に若干躊躇いがありましたが、まあ、いいでしょう。本番は2週間後ですから、それまでにもっと完成度を高めておいてください」
 プロデューサーは仕事と割り切ってやっている。二宮は胃のあたりから熱がせりあがってくるのを感じて、変身セットを受け取ってそそくさとミーティングルームを出て行った。
 場面は現在に戻る。
「よし、出来た」
 ラスト1枚のプラカードを仕上げた笠原が、二宮にそれを渡した。二宮は順番どおりにプラカードを並べて、最終確認をしている。いよいよ明日は本番だ。
「ねえ、ちょっとやってみてよ」
 笠原は興味津々といった様子で頼んだ。二宮はぎょっとして、出来る限り丁寧な口調で断りを入れた。「無理」
「なんでよ。明日は何百人っていう人に見られるんだからいいじゃん。もしも上手くいったら、一生そのキャラ突き通す事になるんだし」
「それを言わないで」
 二宮は両耳を塞いで机に突っ伏す。笠原が近づいて、耳元でそっと囁く。
「お金、欲しいんでしょ?」
 明日、二宮はこの萌えキャラを披露して、もしもそれを主人公が気に入れば、フラグが立つ。そのまま無事に恋愛関係へと突き進んだら、所得税を億の単位で納めねばならない大金を、二宮は手にする事になる。
 繰り返しになるが、この世界は紛れも無く現実である。現実では大抵の事が金によって解決する。莫大な量の金は非現実を現実とし、空想に実存を与える。悩んだ末、二宮は答えた。
「……分かった。じゃあ本気でやるから見て。最終チェックにしましょう」
 二段ベッドの上に上がり、二宮は着替えた。服は制服、頭には猫耳、そしてカラーコンタクトをはめて、昨日染めたばかりのピンク色の髪を整えた。
「あ、似合ってるね」
 他人事丸出しでそう言う笠原をひとにらみして、二宮は深呼吸をする。
「はにゃにゃ~~ん! あたちは猫じゃないにゃ! だけど主人公さんに恩返しがしたいのにゃ! だから何をして欲しいか言って欲しいにゃあ。はにゃ!? エッチにゃお願いはダメにゃ~」
 猫の動きを研究して編み出した、究極のかわいい身振り手振りを加えながら熱演する二宮。台詞を言い終わった後も、決して笑顔は崩さないが額から大粒の汗が噴出している。
 二宮はこの2週間、鏡に向かって必死に練習をしてきた。恥を捨ててにゃーにゃー言う自分の姿に吐き気を催しつつ、何もかも投げ出したい衝動にも耐え、ただプロデューサーの言う「萌え」を自分なりに編み出してきた。プロデューサーからもらった設定資料集を元に台本を書き、台詞を完璧に暗記し、そしてキャラクターを身に付けた。二宮、全身全霊全力を込めた渾身の演技に、笠原は雪崩のごとき爆笑で答えた。
「ぎゃははは!! 何それ!? ウケる!」
「ウケるって何だにゃ~? 人間の言葉はまだあまり分からないから教えて欲しいにゃ!」
 小首を傾げてかわいらしい表情で笠原に迫る。だが目は血走っている。
「いいねいいね。それくらい成りきれてれば、きっと大丈夫よ」
「そうかにゃ? あたちとっても嬉しいにゃ~」
 ぴょんぴょんと楽しそうに飛び跳ねながら、二宮は心の中で泣いた。
 翌日。いよいよ本番。
 パッと見はごく普通の通学路。車2台がかろうじて通れる道幅、歩道は白線、周りは住宅街。だが住んでいる者はおらず、全てははりぼてである。風景に溶け込むように、何台かのカメラが設置してある。それらは全て生中継されており、この街に住むならば誰でも見る事が出来る。
 その道の端っこを、主人公が歩いてきた。「主人公」というのはこの男の名前ではない。というよりも、この男には名前が無い。生まれた時から、「主人公」として育てられているので、皆がそう呼ぶが、苗字+名前の固有名詞がある訳ではない。つまり、この作られた世界で「主人公」といえばこの男の事を指し、それ以外の存在は全て攻略対象か脇役か背景のいずれかに属する。
「見つけたにゃ!」
 二宮が飛び出した。ちなみにこれから撮影される映像は、今後の資料として永久に保存される。
「いっぱいいっぱい探したにゃあ。もう勝手にどこにも行くにゃ!」
 まずは端的に従順かつわがままというキャラを表現。ツンデレ要素も加えている。
「あたちの名前は二宮凛にゃ! リンにゃんって呼んで欲しいにゃ!」
 主人公は何も言わない。目は前髪に完全に隠れ、何を考えているか分からない。多少の間があった後、二宮は勝手に話を進める。
「え? お前は誰にゃって? 私はただの通りすがりにゃ! お前に恩を返しにきたにゃ」
 矛盾した言動で馬鹿っぽさをアピール。
 そしてすかさず、昨日笠原に手伝ってもらって作ったプラカードをさっと取り出す。背中には順番通りにプラカードボックスが貼り付けられていて、間違いなく出す練習を何回もしてきた。
『恩返しって何だ?』『(やれやれ、変な奴にからまれたぞ)』
 主人公は自らの意思を口から出る言葉で表現する術を持たない。重度の失語症。発声や脳に問題がある訳ではなく、精神的な物だと診断されている。
 なので、二宮のように攻略対象キャラに抜擢され、主人公との接触をしなければならない人間は、このようにあらかじめ選択肢を示したプラカードを用意しておかなければならない。デコレーションをしていたのは、細やかな気配りの一つだ。
 5秒ほど考えた後、主人公は『恩返しって何だ?』の方の選択肢を選んだ。
「そそそそそんな事言ったっけにゃ? 分からないにゃ~」
 ひゅ~と口笛をふいたが上手く鳴らなかった。練習はしてきたが、二宮は口笛が下手だった。しかし「とぼけている」という演技としては上出来である。
「とにかく、何かして欲しい事を言って欲しいにゃ! あたちが何でもしてあげるにゃ!」
 そして選択肢。今度は3枚なので、2枚を両手、1枚を口で咥える。
『何もしてほしくない』『今すぐどっか行け』『エッチなお願いでもいいのか?』
 二宮は上目遣いに主人公に願う。3つ目の選択肢を選んでくれれば、これは大いに脈アリと言えるだろう。用意してある展開に沿えば、距離もぐっと縮まる。即ち億万長者も夢ではない。
 主人公は真一文字に結んだ口のまま、『何もしてほしくない』を選んだ。
「にゃにもしてほしくにゃい訳にゃいにゃ! にゃにかしにゃきゃあたちの気が済まないのだにゃ」
 『にゃ』を強調する二宮が新たに出した選択肢は2つ。
『お前、もしかしてあの時助けた猫か?』『本当に何も無い』
 ここで設定に乗ってくれるならば二宮にとっては僥倖だ。
 10秒ほど、主人公はじっくりと考えた末出した結論は、『お前、もしかしてあの時助けた猫か?』の方だった。
 二宮は心の中で歓喜しつつ、それをおくびにも出さずに演技を続ける。
「にゃにゃにゃにゃにを言うのにゃ!? あ、あたちは高い木に登って降りられなくなった所をお前に助けられた覚えなんてにゃいにゃ!」
『やっぱりお前あの時の猫だろ!』『そうか』
 主人公は前者を選択。二宮は観念したように言う。
「バ、バレてしまったら仕方ないにゃ……。その通りにゃ! あたちはあの時お前に助けてもらった猫にゃ! 猫世界では人間に命を助けてもらったら何としてでも恩を返さなきゃいけないのにゃ。だからお前についていくにゃ! この通り、制服も着てきたから一緒に学校に通うのにゃ!」
 そして二宮が取り出したのは最後の選択肢。
『……分かったよ』『ダメだ。帰れ』
 ここまで主人公は二宮の希望通りの選択をし続けてきてくれた。ここでもしも主人公が前者を選択してくれたなら、二宮の格付けは「攻略対象キャラ」から「攻略中キャラ」に移行する。それだけでも、月収は手取りで一千万を超える事になり、プロ野球選手並の年収をいち高校生が手にする事になる。まさに一攫千金。
 だが、これまでに「攻略中キャラ」へと昇格した人物は一人としていない。
 主人公は、ありとあらゆる誘いを断り、今ここに立っている。プロデューサーが次々に仕掛ける萌えキャラ達は、ことごとくこの主人公の鉄壁の守りを崩せずに散って行った。頑なに孤独を守る主人公は、この作られた街に住む者達全員の悩みの種となっている。
 選択肢を見つめ、何かを思う主人公。瞳は見えず、表情にも変化は無い。
 主人公が選んだのは……。
『……分かったよ』
 快挙が達成された瞬間だった。カメラを通して見ているプロデューサーがガッツポーズをする。次回が出番とされていた新しいキャラが肩を落とす。そして二宮凛は、素に戻った。
「ほ、ほんとに?」慌てて訂正する。「ほんとかにゃ!? あたち、凄く嬉しいにゃ!」
 主人公は動き回る二宮に、手を差し出した。二宮がそれに触れると、主人公は二宮の手を払いのけた。
 そして『……分かったよ』のプラカードを奪い、地面に置いた。鞄の中から筆箱を取り出して、更に中からマジックペンを取り出す。そして後ろにこう付け足した。
『ただし、猫の姿に戻るのが条件』
 主人公のプロフィール欄に、『猫好き。しかし猫耳少女は例外』という一項目が付け足された。

       

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