Neetel Inside ニートノベル
表紙

昨今の美少女恋愛シミュレーション(以下略
3rdActress 相沢 搭子

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 相沢搭子は、不幸の尽きない少女だった。
 そもそもの始まりは生まれの悪さにある。隙間風の通る長屋暮らしで、ドキュメンタリーにまとめられるレベルの貧乏を地で行くような家庭。日に2食の飯にありつけられればまだ良い方で、雑草を食べる事なんて日常茶飯事だった。土用の丑の日には蒲焼さん太郎をご飯に乗っけてうな重だと言って頬張り、クリスマスには駅前でもらったティッシュを丸めた物をクリームに見立ててもしゃもしゃと食べた。
 なぜそのような苦境にて育ったのか、理由は至極単純である。酒、ギャンブル、女遊び、この世の害悪と思わしき物全てに手を出す節操の無い男を、偶然にも父親に持ってしまったがゆえの苦労。搭子(とうこ)という名も、麻雀用語の搭子(ターツ)からきていると知った小学生時分の彼女は愕然と肩を落とした。
 飲む打つ買うの無限ループを繰り返した末にたどり着く場所などは、古今東西たかが知れていて、搭子の家もそのご他聞に漏れず平均的堕落の道を辿った。
 多額の借金。
 言うまでもなく、この世界は現実であるからして、子供は必ず親の作った借金を返さないとならないという道理は存在しない。しかし現実であるがゆえに、理屈や論理ではなくただ単純に、『見捨てられない』という感情によって、しなくてもいい余計な苦労を背負い込むという場面が時としてある。相沢搭子には妹がおり、病床に伏せる母もおり、ロクデナシの父を斬る事が出来なかった。ゆえに、高校にあがると同時、相沢搭子は裏家業者達の手による任意拉致を受け入れた。
 相沢搭子は覚悟をした。自分に価値を見出すというのなら、それは紛れも無く若さであり、若さからくる実りたての青い果実のような肉体である。それを売る事で借金が返せて、いつか幸せに手が届くならばと、奥歯を噛み締めておぞましい行為に耐える精神を整えた。
 が、現実は違っていた。無論、裏家業者達はこの世界の秩序で言う所の『悪』に属する訳であるが、それは人を窮地に陥れる為だけに存在している、いわゆる『物語上の悪』ではない。自らの利益を追求する事を第一とし、そこに注意書きとして『他人の利益を損じる事は構わない』とだけ付け足された言わば利益最優先型の悪である。餌に群がる鯉のごとく、このアンダーワーカー達は金のある所に寄ってたかる。

 相沢搭子が連れてこられてきたのは、奇妙で奇怪な町だった。そこの住民達は皆、雇われて生活をしている。手に職を持つ者も、あくまでそれはこの世界で『演じている』役割の1つに過ぎず、状況によっては八百屋が肉屋になるし、放火魔が消防員になる。全ての現象に人間の管理の手が行き届き、そして一つの目的に向かって進んでいる。

「相沢さん、新しい役が決まりました」
 電話の向こうから聞こえるプロデューサーの声。相沢は1時間後、ミーティングルームに向かう事を約束して、レンタルの携帯電話を閉じた。
「搭子、また新しい役決まったの? すごいね」
 相沢の向かいの席に座り、静かに喜んでくれるのは友人の藤代。相沢は若干照れながら、
「今度は上手く行くといいんだけど……」と返した。
 相沢がこの町にきてからしてきた努力を、プロデューサーは買っていた。給料の大部分を裏家業の者達に搾取されながらも、主人公の研究を怠らず、演技の練習をしてきた懸命さ。相沢より素早く正確に選択肢を出したり仕舞ったり出来る人間はいないし、大事な武器である顔にも身体にも少ない金をかけて磨きをかけてきた。
 しかしながら、相沢には運が足りなかった。『同じクラスの生徒役』まではトントン拍子で登りつめたものの、待っていましたのヒロイン起用では、スポーツ少女を演じようとして雨が続いたり、出番の日にちょうど主人公が風邪をひいたり。予定はきっちりと決まっているので、先送り先送りになった末に忘れられていたりと、とことんついていなかった。
 そしてついこの間の事、霊媒師の役で主人公との初接触が成功したものの、見事にかませ犬にされてしまった(全章参照)。が、相沢の不遇な状況に、プロデューサーも今度ばかりは深い同情を寄せた。

「再来週、あなたに演じて欲しいのは『空から落ちてきた少女』です」
 ミーティングルームにて、プロデューサーは淡々と説明を続ける。一言も聞き逃さないように、真剣に耳を傾ける相沢。
「某天空の城しかり、略称が特殊なゲームしかり、昔からいくらでもあるパターンなのに、今まで試していませんでした。空からぼたもちの如く降ってくる少女というものに、男は問答無用で気を許してしまうものと相場は決まっているのです。しかしながら、これを現実に即して言えば、空から落ちてきた少女は大抵死にます。つまりただの自殺者です」
 プロデューサーが一枚の資料を取り出す。プロフィールではなく、通学路の図のようだ。
「今回の計画にあわせて、道路の一部に工事を施しました。この部分です。見えますか?」相沢は注視する。「色が少し変わっている所があるでしょう。見た感じではただの工事の後に過ぎませんが、触るとスポンジ状になっていて、非常に柔らかい素材で出来ています。そしてこの家の二階の屋根。ここは主人公がいつも通る歩道からはちょうど良い具合に死角になっています。ここまで説明すれば、もう分かりますね?」
 相沢は即答する。
「つまり、そこから飛び降りればいいんですね?」
 プロデューサーは笑顔で答える。「はい、その通りです」
「本来ならば、もっと高い位置から安全に、ゆっくりとした速度で落ちてきて、主人公がそれを受け止めるのが個人的には理想なんですが、そのセットを作るには何分お金の方がね……。この前、派手に使ってしまって、予算がもう無いんですよ」
 相沢はロシアから呼び寄せたポッコモコ・ピョートルの事を思い出す。あの後彼女は町を出て行って、今もまだ日本で観光や仕事を楽しんでいるらしいが、詳しい事は分からない。
「私は一向に構いません。むしろそれだけの準備を整えてくれた事に感謝します。この役、必ず成功させてみせます」
 もしも主人公が相沢を攻略キャラに選べば、背負った借金は一度に返せる。それどころか、一財産を築く事が可能である。相沢の全身に漲ってきたやる気を見て、プロデューサーも深く頷く。
「では、決行は再来週です。それまでにキャラクター作りと、台本の方、用意しておいて下さい。今回は、細かい設定はあなたに任せます。その方がやりやすいでしょう」
 相沢のやる気は必ず良い方に傾くはずだと、プロデューサーは確信していた。

 1週間が過ぎた。寝る間を惜しんで、相沢は台本を完璧に仕上げた。練り上げられたキャラクター。そしていくつにも分岐する選択肢を巧みにコントロール出来るように、何度も何度も練習を重ねた。主人公の行動、位置を把握し、それを相沢に伝える補佐役を友人の藤代に頼み、準備は万端だった。
 そして迎えた決行日。家の屋根に上り、無線で藤代と連絡を取りつつ、いやおうなしに高まっていく胸の鼓動を抑える。
「今主人公が家を出た。どうぞ」
「了解しました。どうぞ」
 主人公にとってはいつもの朝。当然、女の子が空から降ってくるとは夢にも思うまい。いくら百戦錬磨の主人公といえど、今回の作戦はそこそこのサプライズが期待できるだろう。
「主人公が1つ目の角を曲がった。準備はいいか? どうぞ」
「いつでも行けるわ。どうぞ」
 相沢の頭の中では、何百回と繰り返してきた台本がすらすらと流れている。地面に尻餅をつき、まずは「いったぁ~い……」そしてさりげなくパンチラ、それを目撃した主人公に気づき、慌ててパンツを隠す。「み、見ちゃいました?」と弱々しく尋ねて、女の子らしさアピールしつつも選択肢を取り出して、まずは軽いジャブ。『見た』『見てない』どっちに転んでも話が終わる事は無い。とっかかりさえ掴めれば、自分のペースに持っていけるはずだ。相沢の内側から自信が漲る。と、そこで藤代からの無線が入った。
「まずい。主人公がいつも曲がらない角で曲がったぞ。このルートで行くと……その道は通らない」
 相沢は戦慄する。完璧な準備がまた水泡に喫するというのか。
「な、何とかならないの!?」
 焦る相沢。藤代は地図を凝視し、1つの答えにたどり着く。
「あった! その家の反対側の屋根だ。そこからなら主人公が狙える。だ、だけど……」
 相沢は無線を放り投げ、身を屈めて素早く屋根を走った。完全な死角ではないが、体を屋根に張り付かせれば主人公の位置からは見えない。一方で、こちらからは主人公が歩いてくるのが確認できる。
 だが次の瞬間、藤代が言いかけていた問題に相沢も気づいた。
 当初、主人公が通るはずだった道には、工事がされていて、道の一部がクッションになっている。2階の屋根の高さから落ちても無事に済むというのは先刻行ったリハーサルで確認済みだった。しかし予定外であるこの位置からの飛び降りとなると、相沢はアスファルトに向かって加速した身体を叩きつける形となる。
 相沢はその高さに、今更ながら恐怖を覚えた。たかだか2階とはいえ、自分の身長の倍はゆうに超えている高さ。死にはしないだろうが、怪我は負うかもしれない。ましてや台本では、尻餅をついてその流れで意図的なパンチラをする事になっている。相沢は地面を覗き込む。「やめたほうがいい」という考えが脳裏をよぎる。
 しかし、相沢には後が無かった。チャンスはそう何度も訪れてくれない。この後プロデューサーが、「ツキがない」という理由で自分を敬遠しないという保障はどこにも無いのだ。確かにこの状況は不運であるが、ピンチは最高のチャンスに変えられるはずだ。多少の痛みは伴えど、怪我無く無事に『空から落ちてきた少女』を演じきれたのなら、例え今回はダメでもその努力は認められるはず。
 相沢は『必死』の二文字を魂に刻んだ。
 覚悟を終えた相沢の呼吸は、意外にも整っていた。むしろ先ほどよりも心に余裕が出来たくらいかもしれない。私の人生をこれまで襲ってきた数々の不運は、全てこの大きな試練を乗り越える為の物だったのだ。と、自らを鼓舞する。
 冷静に主人公の動きを見る。完璧なタイミング。相沢は、2階から飛び降りた。
 この世界は現実であり、なおかつ非情である。地面に尻からついた相沢は、ごく普通に尾てい骨を骨折した。

「全治1ヶ月だって?」
 お見舞いにきた藤代は、果物かごをベッドの横において、呆れた様子で相沢に尋ねた。「……うん」と元気なく堪えた相沢のおでこに、コツン、と握りこぶしが当たる。
「搭子はいつも無理しすぎなんだよ」
 藤代は穴の開いた椅子に座って、「果物剥こうか?」と気を使うと、相沢は「いいよ」と拗ねた。
「また、チャンスはあるよ」
 という、慰めの言葉を聞いて、相沢は顔を伏せた。
 2階から飛び降りた後、相沢の尻を激痛が襲った。それはこれまでの人生で経験した事の無い尋常ではない痛みで、相沢はかっと目を見開いて、主人公を見上げた。
「た、助け……」
 と言いかけて、相沢はその言葉を飲み込んだ。痛みを堪え、涙目になりながら、用意した台詞を言う。
「きゃ、きゃあ。いてて……。わっパンツ見えたでしょ」
 言いながら、立ち上がろうとした時、痛みが臨界点を超えた。「やばい、気絶する」遠のいていく意識の中、相沢を見下ろす主人公は、ロボットのように無表情だった。
「これでクビになったらどうしよう……」
 不安げに相沢が呟く。藤代がそれを慰める。しかし相沢の不安は治まらない。
 静寂の中、相沢の短い嗚咽だけが響く病室。そこに、予想外の人物が現れた。
 コンコン、とノック。藤代が「どうぞー」そして病室の扉を開き、入ってきたのは、他の誰でもない、この町の、この世界の、主人公その人だった。
 驚きすぎて、声も出ない相沢と藤代を尻目に、主人公は相変わらずの無表情で、どんよりとした雰囲気を身に纏い、相沢のベッドへ近づいた。見ると、その手には色とりどりの花かごを提げていた。状況をいち早く理解した藤代が主人公に尋ねる。
「お、お見舞いにきたんですか?」
 尋ねて、それから気づいた。答えの選択肢を用意していない質問は禁止されている。藤代は慌てて自分の言葉をフォローする。
「そ、そんな訳ないですか。いやでも、それは搭子に持ってきてくれたと見て、間違いない……ですよね」
 主人公は答えず、花かごをベッドの上に乗せた。そしてじっと、目を隠す髪の向こうから、相沢の事を見下ろした。
「あ、あの……」
 相沢が言った。続けるべき言葉が正しいのかどうか分からず、しどろもどろになりながらも、懸命に主人公に話しかける。
「大した怪我じゃないみたいです。全治1週間、とか、それくらいみたいで……。だからあの、主人公さんがもしも心配してくれてるなら、心配しなくていいです。そ、それに、私が無茶したからああなったからで、主人公さんは何も悪くなくて……」
 主人公は依然として、置物のようにそこにいる。
 相沢は、この事態に備えて選択肢を用意しておかなかった自分をくやみ、心の中で詰った。
 しかしそれは無茶という物だろう。ここまででも、相当に予想外な出来事である。これまで、他の人間が主人公に対し行動を起こす事はいくらでもあったが、主人公自身が考え、そして行動を起こしたのはこのお見舞いが初めてである。しかも、お見舞いというのは相手を気遣うという行為。即ち、主人公が人に対して興味を持ち、配慮をしたという事だ。主人公とこの町を知っている者ならば、口を揃えて「ありえない」と言うだろう。その証拠に、この時ちょうど、主人公監視班からプロデューサーの方に「相沢の入院している病院に入った」という連絡が行ったが、プロデューサーは実際に映像を見るまで信じなかった。
 ここまででも十分、信じられない事だ。しかし、もっと信じられない事が続けて起こった。
 主人公は相沢の方を見下ろしたまま、口を開いた。何かを食べる時の口ではない、咳をする時の口でもない。それは明らかに、言葉を発しようとする口の形だった。
 相沢も藤代も主人公に注目する。主人公の声。それを聞いた事のある人間は、この世にそう多くない。
「……ぃ」
 主人公は、言葉を発しなかった。ほんのかすかな、うめき声が聞こえたのみだった。しかしその口の形から、主人公が言いたい事は分かった。
『ごめんなさい』
 主人公はそう言いたかったのだ。しかし声は出ず、たった一音を発した主人公は、逃げるように病室を出て行った。
 呆気にとられ、放心状態の2人。何せありえない出来事が2つ立て続けに起こったのだから、そうなるのも無理は無い。
 主人公が突然いつもの道を変えたのは、猫型の「二宮凛」が偶然のタイミングで通りかかり、それを追いかけた為だった、という事実がプロデューサーから伝えられたのは、それからしばらくしてからの事だった。

       

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