Neetel Inside ニートノベル
表紙

昨今の美少女恋愛シミュレーション(以下略
5thActress 沢渡 海

見開き   最大化      


     

 沢渡海の眼中には、常に自分しかいなかった。
 学校の、体育館脇にある武道場。綺麗に磨き上げられた床と畳。入ってすぐ目に入るのは、心技体の達筆な文字。
 沢渡が部長兼指導者を務めているのは、名目上『空手部』だったが、この武道場で空手が行われた事は1度としてない。柔術、あるいは護身術と言った方が良いだろうか、格闘技には違いないが、空手とは程遠い物。ではなぜ『空手部』と名乗るのか。理由は単純である。こちらの方が知名度が高く、話の通りが早いから。これがもしも『沢渡流柔術部』という名前を冠したとすると、いちいちその流派の解説、及び沢渡という人間の説明をしなければならなくなり、シナリオの容量が余計に増える。だから多少の語弊、事実との相違があっても、この部は『空手部』として通すという配慮がされた上で、部の発足が許可された。
 現実と空想に程よい所で折り合いをつけると、このような違いが時として起こる。という実例の1つだろう。

 この町の学校は、現実の学校と同じ役割も果たしていて、平均レベルの授業と、外と同じカリキュラムを生徒は受ける事が出来る。部活動も、運動部文化部共に一般的な物はほとんどあるが、外で行われている公式試合に参加する事は無い。生徒数は現在322名。14歳から20歳までの生徒がいるが、学年は3つしかない。見た目や実績によって配属が決まるので、『年上の下級生』やその逆が普通にいる。そしてそのほとんどが女生徒であるが、設定上、女子高ではない。

 授業が終わると沢渡はすぐに武道場にきて胴着に着替える。部員は沢渡を抜いて6名のみだが、全員が沢渡を慕っている。彼女達が、いざ主人公を前にした時の演技力を鍛えられる『演劇部』や、台本を書く時に役立つ『文芸部』などではなく、よりによってなぜ空手部を選んだかはそれぞれに別の理由があり、ここでは割愛するが、沢渡への尊敬が基盤としてあるという事はここで明言しておこう。
 沢渡が武道場に入るとすぐに、それまで雑談をしていた部員達が一例に並び、呼吸のあった礼をする。
「よろしくお願いします」
 顔をあげると、一瞬で、部員達の表情が切り替わっている。高潔な魂が道場を神聖な場とする。
 稽古は基本的に一対一の組み手形式で行う。実力が近い者同士が組み、交互に技をかけあう。沢渡流柔術は何よりも実戦に重きを置き、敵の繰り出す攻撃に対して6つしかない『型』を組み合わせて瞬時に対応する事に真理がある。護身術として優れている1つの要素に、覚えやすく扱いやすいというのが必要で、それに出来る限り迎合した形の物を沢渡は教えている。
 沢渡海がこの町に来たのは、自らの父親が経営する道場を支える為である。今時、知名度の低い武術を体得しようと思う者はそう沢山はいない。無論、沢渡の父も娘と同じく、人徳の優れた尊敬に足る人物だったが、経営という物はそれだけでは成り立たない。人格者は商売に必要な狡猾な立ち回りを嫌う。金は汚い所が好きな生き物なので、おのずとそのような人の身から離れていく。そうして、道場が立ち行かなくなった。このままでは地上げされ、道場が取り壊しになるという事を知った沢渡は、単身、この町にやってきた。
 とはいえ、沢渡が道場に、これからの展望を持っていた訳ではなかった。自分のやっている武術の地位を隆盛させる事が、非常に困難な道のりであるという事は重々に理解していたし、また、そうする事で得られる名声に価値を見出せない。沢渡流柔術の本懐は、いっそ自らの代で終わりにしても良いとさえ割り切っていた。
 だからこそ、沢渡の父が道場を売りに出そうと決断した時に、「支えなければ」とすぐに判断した自分に、誰よりも沢渡自身が驚いていた。
「やめ」
 そう声がかけると、組み手稽古が一斉に止まる。
「篠原さん、手を返した時に……こう、で、こう……この向きは危険……」
 沢渡はあまり口の達者な方ではないため、自分の動きを見せる事によって、指導をする。
 沢渡が生徒達に教える沢渡流柔術は、敵を傷つけない事を売りとしている。その前提は、敵をいかに効率的に破壊するかを科学する格闘技とは、相反した位置にある物である。
 だが、少し考えてみて欲しい。現実問題として、この世の中に自分の持つ全力で人を殴れる人間がどれだけいるのか。敵とはいえ、人間の生身の肉体に再起不能の傷を負わせるのに、何の躊躇も持たない人間がどれだけいるのか。
 そう多くはいないだろう。打撃を主体とする格闘技でも、修練に修練を重ねて極めれば、敵を傷つけない程度に攻撃する技術もおのずと出来上がってくるが、それはたかだか数ヶ月で身に付く物ではない。ましてや中途半端な技術と力は、より自分を危険に晒す事になる。
 つまり、沢渡流柔術は『敵の攻撃に対してどう自分の安全を確保するか』という受身の武術なのであるが、そこそこ力がつくと試したくなるのが人の常という物。
「沢渡先輩、互角稽古をお願いできますか」
 指導がひと段落して、後輩の1人が前に出た。沢渡は一瞬複雑な表情を見せたが、後輩の真剣な色を見てそれを受諾した。互角稽古とは、読んで字の如く互いの力量が等しい者達でする試合形式の稽古である。審判はおらず、技ありも一本も判定がされない。つまりどちらかが「参りました」と言うか、互いが納得するまで続く、稽古というよりはむしろ試合である。
 はっきり言って、箸も使えなかった頃から柔術をやってきた沢渡と後輩の間には、歴然とした力量の差がある。それは後輩自身が良く知っている事だ。それでも後輩が、沢渡に互角稽古を申し込んだのは、自分の力を試してみたいという好奇心からに他ならないだろう。
「お願いします」
 向き合って、礼。互いに構えを繰り出すが、その完成度は一目瞭然である。
 しん、と静まり返った道場。後輩は、一心に沢渡を見据え、必死に追いつこうとする。
 対照的に、沢渡は自分のみを見つめていた。目の前の勝敗、型の良し悪し、後輩の気持ち、そしてそれらを見守る部員達。この世界の全てが、自分とはまるで無関係なように感じていた。一人暮らしで感じる孤独とは、また別物の孤独が沢渡の身体を昔から支配していた。

 後輩が、いよいよ仕掛けようとしたその瞬間、予期せぬ乱入者がやってきた。
 2人に注目していた部員達は、その人物が畳に上がるまで気づかなかった。最初に気づいた1人が、声をあげかけたが、知った顔である事に続けて気づいた。いや、知った顔というのは誤解があるだろう。今、生徒達の話題の中心にいる人物、と言うのが正しい。
 その人物は、人差し指を口にたて、悪魔めいた微笑を浮かべてその1人を黙らせた。そしてその反対側の手で、シャツの内側から何かを取り出し、音も無く沢渡の背後に近づいた。
「せ、先輩!」
 対面した後輩が、背後の人物に気づいて声をあげた。
 そこに立っていたのは、つい1週間ほど前に、以前のプロデューサーと交代して新しいプロデューサーに就任したばかりの人物。上者名結衣、その人だった。
 上者名が抜いたのはナイフだった。銀色の、刃渡り12cmほどの小型ナイフ。いくら達人といえど、試合中の背後から、しかもナイフを持って襲い掛かられたらひとたまりも無い。沢渡が刺される映像がいとも簡単に脳裏をよぎり、後輩達は皆、心の中で悲鳴をあげた。が、その心配は杞憂に終わった。
 沢渡は後ろを見ないまま、右腕を下げ、まるでペットの頭でも撫でるような仕草で手のひらでナイフを上から押さえた。後輩達は、その神業に驚き声が出ない。ナイフの持ち主の上者名は尋ねる。
「とんでもなく馬鹿な事かもしれないけど、1つ聞いていい?」
 沢渡は怯えるでもなく怒るでもなく、ただ事務的に「どうぞ」と返す。
「どうしてナイフの正確な位置がバレちゃったの?」
「影ですよ」
 室内なので当然、畳みに映った影は薄くぼやけている。しかし、そうと分かって見れば確かに、ナイフを握っているのは明らかであるし、その位置も分かる。右腕のみを後ろに回し、上から押さえつけた事によって、一定の距離を保ったままナイフを制しているという事も付け加えておこう。
「な、るほど」
 上者名は感心しつつ、無邪気に次の質問を投げつける。
「では、このまま私がこうしたら……」
 上者名はぐっと両手に力を込めて、再突進を試みた。沢渡の手のひらをナイフの背が滑り、背中に向けて真っ直ぐに進む。沢渡はその動きに合わせ、流れるような動作で上者名の手首をぎゅっと掴み、そのまま力を上から下にかけながら捻り、ナイフの刃を外側に向ける。と同時に、右上半身を反対側に移動させながら身体を捻り、上者名の転ぶ空間を作る。手首を掴んでいない方の手で上者名の背中を押さえ、地面に伏せさせる。一連の流れを見ていた後輩の6人のうち3人は、まばたきで見逃してしまったくらいの短い所作だった。
「ご用件は?」と、沢渡が尋ねる。畳に頬を密着させたまま、上者名は答える。
「あなたに出番を持ってきてみた。早速で悪いけど、明日ね」
「出番?」
「うん。役は主人公のボディーガード。いや、ストーカーと言った方が正しいかも」
 180度別の方向にある2つだ。沢渡はクビを傾げる。
「つまり、あなたには明日の朝、主人公の事を尾行して欲しい訳。で、誰かが襲ってきたら、このたった今私を負かした格闘術を使って助けてもらおうって訳。ここまでは分かる?」
「はい。……ですが、疑問があります」
「何?」
「この町には、主人公を襲う者なんていないのでは?」
 至極もっともな質問だった。この町に入ってこれるのは、身元が保証された者達のみで、危険な思想を持つ者は面接で弾かれる。それに、主人公を襲った時点で、無事に町から出られる事がまずありえない。そのような無駄なリスクを犯す輩はいないはずだ。上者名はあっけなく答える。
「その通り。だから、私が用意した」
「……話が見えてこないんですが」
「あ、その前に」上者名が思い出したように言う「そろそろ解放して欲しいんですけど」

「私が演出したいのはね、ハラハラドキドキなの」
 解放された上者名は、つい先ほど沢渡を襲うのに使ったナイフを片手に饒舌に語った。
「主人公の命を狙う悪者が突如現れて襲ってくる! そんな絶体絶命のピンチに現れた正義のヒーロー、つまりあなた。古今東西やりつくされてきた題材だけど、それだけに王道とも言えるでしょ。この役は大当たりよ」
 舞台の上のように活き活きと喋る上者名に対し、沢渡は無反応、無表情、無感情を隠さない。
「このお話で一番大事なのは、リアリティー。私が用意した刺客は、主人公に少しでも傷を負わせたら莫大な報酬を得られる。だからもちろん、本番で使うのは本物のナイフ。こんなおもちゃのナイフじゃなくてね」
 上者名が手に持ったナイフの刃に指をあてて、ぐっと押しこんだ。刃が柄に引っ込む。
「話が前後したけど、『おめでとう』と言わせてもらうわ。パンパカパ~ン、あなたは無事、試験に合格しました! あなたなら主人公を凶刃から守りきる事が出来るでしょう」
 後輩の1人が、「この人、やっぱりおかしいですよ」と沢渡に耳打ちをした。沢渡は答えず、ただ毅然とした態度に上者名に告げた。
「その役、お断りします」
「どうして?」
「私の武術は見せ物ではありません。それに、本物のナイフを使うのには危険が伴います」
「あら、守れる自信が無いの?」と、上者名の挑発。
「はい。ありません」と、あっさりした答え。
「でもね、大丈夫。許可はとってあるわ」
 しばらくの間があいて、沢渡は尋ねる。
「許可?」
「そう。殺人許可」
 馬鹿げている。と、沢渡は思った。その心を読み取るように、上者名は言う。
「馬鹿げているのは元からよ。町1つなんて、そう簡単に作れる物じゃないし。ここは日本の治外法権。上の許可さえ下りれば何だってやっていいの」
「とにかく、お話はお断りします」
 沢渡は態度を崩さない。上者名は肩から力を抜いて、諦めたように、嘘くさく、
「まあ、いいわ。あなたがやらないなら、ただ明日、主人公が死ぬだけ。この町も終わりね。刺客への命令はもう済んでるし、連絡が取れないから止められないし」
 他人事のように言って、上者名はその場を去って行った。


 翌日、主人公の後ろに沢渡の姿があった。
 沢渡は元々、他の者達と違って、財産を成しにこの町にやってきた訳ではない。ただ、誰かの手に道場が渡り取り壊しになるのが耐え難く、反射的にやってきただけ。だから、出世してやろうというような気概は微塵も無い。むしろ、主人公と深く関わるのは避けたいと思っていたくらいだ。
 しかし誰かが殺されるとわかっていて、それを放って置く事など出来なかった。それを正義と呼ぶか、義務感と呼ぶかは人の自由だが、少なくとも沢渡には、その正体がよく分かっていなかった。かろうじて分かっていたのは、それは道場を守りたいと思った時の気持ちに、良く似ているという事だけだった。
 通学路を歩く主人公、これから襲われる事など夢にも思わない。しかし、敵は本当にやってきた。
 電柱の影から見ていた沢渡は、その人物の異常性をすぐに察した。まず目に付いたのは、その空虚な瞳、凍りついたような表情。沢渡自身も、感情表現は豊かな方ではなかったが、その違いは明らかだった。
 その人物が、手にナイフを確認し、沢渡は電柱から飛び出した。
 主人公が立ち止まる。眼前で、2人の女子が戦いを始める。

       

表紙

和田 駄々 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha