Neetel Inside ニートノベル
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凡人生まれの上本くん
11話「憤怒のめざめ」(VS美香保②)

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「バーック!」
 投球の度にスタートを切ったり戻ったりの三塁走者。少しでもボールが跳ねようものならホームベースに突っ込まんと虎視眈眈。予断を許さぬ二、三塁。
 マウンド上の雛形が、ふうっと一泊呼吸を置いた。
 ――四回の裏。三回を打者九人できっちり抑えた雛形がこの回も田上、上本を抑えると、しかしツーアウトから能見がボールを真芯で捉えた。チーム初ヒットをライト前へと運ぶと、原口もラッキーな内野安打でそれに続く。その後、雛形の縦スライダーをキャッチャーが捕りそこねている内にそれぞれ進塁してランナー二、三塁。ツーアウトながら絶好の得点チャンスに盛り上がる清陽ベンチ。
「白仁田!! たのむ!!」
 声援に気合いを入れ直すバッターボックスの白仁田。その様子を、キャッチャーの青田だけが冷めた上目遣いで見ていた。
(……ばか野郎。打てると思ってんのかよ)
 ツーボールツーストライクの平行カウントから、決め球はやはり必殺の縦スライダー。白仁田のバットは遥か見当違いに空を切った。アウトローから更に外に落ちる雛形の縦スライダーは、まさしく右打者にとっての天敵であった。
「よーしゃっ! ナイピッチ」
 マウンドに帰る雛形の肩を青田が抱いた。
「ナイスピッチも良いけど、早くあっちのピッチャーを打ち崩してくれよな」
 雛形はあくまで爽やかな苦笑いを浮かべながらそう言った。そこに、能見のような嫌味さはまったくない。
「が、頑張るよ」青田は冗談ぽく困ってみせた。「ほい、とりあえずお前は水」
「さんきゅ」
 紙コップに注がれた水を受け取って、雛形はそれを口へ運んだ。その姿を青田は優しげな目で眺めている。
(雛形……、お前は凄い。凄すぎる)
 青田健一は、一年生の頃からバッテリーとして常に雛形を見てきた。相方として誰よりも長い時間を過ごしてきた青田は、雛形の野球選手としての才能だけでなく、その人間性にまで惚れこんでいた。
(凄すぎて……凄いとしか言えないけど、少なくとも、こんなところで手間取ってるような人間じゃないんだ)
 中身を飲み干した紙コップをベンチに置いて、雛形はバッターボックスの谷坂に声援を送った。

(――お前は、人に劣っているということを悔しいと思わせない)

(……それがどれだけ凄いことか、わかるか?)
 そんな青田の気持ちになど、まさか気付いているはずもない。一点の曇りもない顔で声を出し続けている雛形の姿を、青田は愛おしいとすら感じていた。
(間違っても、こんな地区予選なんかで消える奴じゃないぞ。お前は)
 青田がそう新たに決意を秘めたころ、ちょうど谷坂が一塁ベースを踏んだ。
「よしっ!! ノーアウトのランナー!」
 この試合初めてのノーアウトのランナーに美香保の選手達は湧き上がった。クリーンヒットこそないものの、美香保打線は能見に対して毎回のようにランナーを出してきた。
(ちっ、また……)
 能見は怒りを露わに帽子を脱いだ。狩野が投げ返したボールを乱暴に受け取ってみせる。
(役……立たずが)
 能見がここまでに出した四人のランナーの内、フォアボールは一人。後はエラーが二つに、ほとんどエラーという内野安打。
 この回先頭の谷坂の打球が三遊間に飛び、それを貫己が好捕。貫己はここまではいつも完璧なのだが、やはりその後が酷い。小柄からくる弱肩なのか、へろへろとした送球はファーストミットの遥か手前でバウンドしジャッグルを招いた。
「アホが」
 能見は周囲に聞こえるよう大袈裟に舌打ちをすると、スパイクでマウンドを蹴りながらそう言い放った。そして――。
「出たっ!!」
 更に大きく湧き上がる美香保のベンチ。次打者藤井の打球がセカンドへ飛ぶと、それを柴田が大きく弾いた。打球が力無く転がるのを見て、ランナーが一気に進む。
「うわっ、これは……」
 鳥谷が思わず声を上げる。センターの白仁田が打球に追いついた頃、ランナーは三塁にまで進んでいた。
「ノーアウト一、三塁……」
 ノーアウト満塁より点が入りやすいとされるノーアウト一、三塁。最大のピンチに、原口はタイムをとりかけて……やめた。能見の左手でひしゃげているグローブに、思わず委縮した。
(……どいつも、こいつもっ……!!)
 投手は、感情を表に出してはいけないとされている。試合の行方を握る投手が味方のエラーに一々怒っていてはそれこそ守備陣が委縮し、攻撃のリズムも狂いだす。しかし清陽の野球部に今の能見の苛立ちを咎められる者はいないし、いたとしても、能見は耳を傾けないだろう。
 そして、絶好のチャンスを迎えて打席に入る九番杉村。敵校の選手である杉村は、原口や上本たちのように苛立つ能見の姿を見て委縮するということはない。むしろ「はは、イラついてやがる」というスタンスで気持ち良く打席に入れるものだ。
「さあ、来い!!」
 握ったバットを能見に向けてかざし、大きく声を張り上げる。
 しかし……結局この打席で杉村は、能見の放つボールに対して委縮どころか恐怖心を覚えることとなる。

 ○

 ――ピッチャーをやるのは、何をさせても一番の子。
 なんとも不遜な言い回しだが、野球というスポーツの性質をこの上なく言い表しているともいえる。現実に、リトルリーグや高校野球で打線の中核を担う投手は多く、「エースで四番」というのは高校生以下の野球ならよく目にする光景だ。
 野球をやっている者なら誰でも一度はマウンドに上がる自分の姿を想像し、運動神経の優れた子はまず投手としての資質を試される。そういう途方もない倍率の競争に勝った者だけが、「ピッチャー」という名の栄冠を手にすることができるのである。

「……野球における『天才』ってのは、何だと思う」
 おもむろに安原が切りだした。
「て、天才ですか?」若い男は回答に困ったが、言葉遊び程度のものと考えて「プロで五本の指に入る選手とか……メジャーリーガーですか」と、結局なんだかよく煮え切らない答えを返した。
「違う。……天才ってのは、『ピッチャーができる奴』だ」
 安原は強い口調で断言した。
「強肩強打の外野手も……小技の効くアベレージヒッターも、ピッチャーの前では全て霞むもんだ。だってそうだろ、その外野手も内野手も、始めは皆ピッチャーを目指してたんだからよ」
「……まあ、そりゃあ」
 多少スッキリしない解答に、少し不満を表す若い男。
「中学でも高校でも、エースやってるような奴は全員天才さ。そして……その中でも天才中の天才、超一流が、そのままメジャーいっちまったり野手としてプロに入ったりするんだ」
 投手のしなる腕、打者との勝敗に一喜一憂する大黒柱。その動作の一つ一つに、野球の魅力が満ち満ちている。

「プロの二軍でくすぶってる投手と、イチロー。どっちが天才なのか、俺にはわからねえ」

「……ま、ソト(外野手)出身の俺に言わせれば、だけどな」
 ピッチャーをやりたくてやりたくて、しかし最後まで念願叶わなかった自身の野球人生。それを思って、安原は少し微笑んだ。
「そして……」
 急にトーンを変え、安原の目つきが変わる。
「間違いねえ。能見からは『超一流』を感じる。あの男……磨けばどこまで伸びるか分からんぞ」
「え。それって――」

 どぉん!!
 逃げ隠れもない真っ向勝負。能見の豪速球は、その豪速球一本で、絶対のピンチを捩じ伏せた。
 杉村を三振に切ってとった後、高橋をキャッチャーフライ。木村を再び三振にとると、能見はマウンドで吼えた。
 直前までの能見の悪態など全て忘れ去ったかのように湧き上がる清陽の選手達。しかしその輪の中心で、能見は驚くほど冷めていた。
(こいつらは……カスだ。俺のやりたい野球はこれじゃない)
 そして……沸き上がる試合の展開とは裏腹に、スコアボードには寂しげな「0」だけが延々と刻み込まれていった。

       

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