Neetel Inside ニートノベル
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FAKEMAN
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 1 フェイクマン―Opening―

 鮮血のような赤い月明かりがネオンに輝く街をさらに照らしていた。
しかし、ネオンは街の表側だけを照らし、裏側には淡い月明かりしか届かない。
 数メートル先しか見えないその街の裏側で、は走っていた。冷たい汗が胸から噴き出し、口からは熱い息が漏れていた。
 前原一郎は社会人生活が長くなろうが、体力には自信があるほうだった。大学では一目置かれる運動能力があったし、もちろん走力にはそれなりの自信があった。しかしそれだけでは、この異常事態からは逃げきれない。この悪夢から逃げ出すのは、オリンピック選手でも無理なのだから。
「しまった……!!」
 掠れた声が、静かに反響する。
 街の裏側にはよくある、ビルに囲まれ偶然できた行き止まり。絶望的に高いその壁を見上げ、心の中が真っ黒になっていくのが自分でもわかった。
 いやだ、死にたくない、何で俺が、何で俺が死ななきゃならない? もっといるだろ。死ななきゃならない人間が。そうだ。あのセクハラが酷い課長なんかは、俺より先に死ぬべきだろ?
 彼の頭は高速で回り、自分より先に死ぬべき人間をリストアップしていく。今までの人生で出会った、彼の中ではクズというレッテルが貼られている人間。
 半ば現実逃避だったその行為も、冷たく響く足音によって現実に戻された。
 一郎の顔から血の気が引き、振り返りたくないという思いが頭を包む。しかし、そんな思いとは裏腹に、体は勝手に踵を返し振り向いていた。
 ゆっくりと迫り来るそれは、人型ではあるが人間ではない。黒い皮膚の上に骸骨のような外殻を持つその生物は、殺人という概念を表したような異形だった。
その醜悪としか言い表せない姿を見てしまったら、足が震えだしてしまう。
 骸骨は一郎をただまっすぐと、何の感情もない穴蔵の様な瞳で見つめながら、やけに細く白い腕をゆっくりと前に突き出してきた。
「なあ、やめてくれよ! なんで俺なんだよ! 俺なんか殺してなんのメリットがあるっていうんだよ!? なあ頼むよ……、お願いだからさぁ……」
 ついには、男の目から大粒の涙が溢れだし、口からは命乞いの言葉が出る。
 しかしその声も、怪物には届かない。聞く耳持たず。言う口持たず。一切のコミュニケーションを拒んでいるらしい。
 怪物の手が一郎の頭に触れ、体が持ち上がる。頭を握りつぶそうとしているのか、指先に少しずつ力が籠もっていく。みしみしと頭蓋骨が悲鳴を上げてきて、うめき声も漏れてきた。
「う……うう……!」
 悲鳴は出ない。恐怖のあまり、喉が萎縮してしまっているのだろう。思い切り助けを呼びたい。この悪夢から解放してほしい。
 そんな中。一郎の脳裏には、小さな頃に観ていた一人の特撮ヒーローがいた。いつから観なくなってしまったのかもわからないほど古い記憶。
 あと少しで頭蓋骨が割れる。もう生きることも諦めた。
 ――しかし、覚悟を決めた途端、なぜか一郎の体に加えられていた力がなくなり、地面に尻を打った。骸骨が腕の力を緩め、一郎を地面に落としたのだ。
「……え? え?」
 なぜだかわからず、骸骨を見上げる。
 骸骨は、すでに一郎から興味を失ったらしく、一郎に背中をを向けていた。なにかあるのかと思い、彼も骸骨越しに走ってきた方を見る。
そこにあったのは、一つの赤い影。
 一郎がぼんやりとその影を眺めていると、その赤い影は一瞬で骸骨の元へ移動し、思い切り顎を蹴り上げて上空へと吹き飛ばした。
「え……!?」
 その目にも止まらない素早さに驚き、一郎はまじまじと骸骨を観察する。
 骸骨と同じように全身を黒い皮膚を持ち、その上から赤い外殻が全身を覆っている。違うのは角が生えていて、鬼のような姿をしているというところだった。
「ば、化け物が、もう一匹……ッ!?」
 一郎を一瞥し、赤鬼は膝を曲げて上空に思い切り体重をときはなち、骸骨の後を追う。空高くで迎え打つ体制を取っていた骸骨は、そのまま鬼に向かって、重力と腰の遠心力を加えた右ストレートを放つ。しかし、鬼は首を捻ってそれをかわし、骸骨の腕を掴んで、そのまま背負い投げの要領で思い切り地面へと叩きつけた。
「クヘ……ッ!」
 コンクリートに骸骨が背中から叩きつけられ、口から勢いよく酸素が押し出された。全身を襲う鈍い痛みで立ち上がれないのだろう。ぴくぴく痙攣しながら、上空にいる鬼を睨んでいる。
 一郎も骸骨に釣られ、鬼へと視線を移す。
 鬼の右手が神々しく黄緑色に光り、ミサイルのような勢いで骸骨に向かって落下。
 その手に込められたエネルギーを畏怖したのだろう。初めて骸骨は声にならない悲鳴を上げた。
 しかしそれでも、鬼は容赦なく、腕を思い切り骸骨の腹へと突き刺した。
「ク……フゥ……!」
 腹に風穴が空けられた骸骨は、完全に動きを停止させる。
最後の維持を見せたのか、鬼を道連れにするように爆発した。
 空気が割れるような爆音。一郎は耳を塞ぎ、目を閉じて爆発から目を逸らした。
何秒ほど閉じていただろうか。意を決して、一郎はゆっくりと目を開く。
 しかしそこには、もうすでに誰も居なかった。先ほどの赤い鬼も、骸骨も。夢だったのか、とさえ思えるほどあっけない幕切れ。
「……あれ、さっきの赤いやつが……」
 やはり夢だったのか。
 一郎はそっとため息を吐いた。しかし、地面には爆発の焦げ跡が残っているし、その焦げ跡の中心には、拳大の穴が空いていた。それを見て、一郎の背が粟立つ。その渦中にいたときもそうだったが、冷静に戻ると、訳のわからない恐怖がさらに強調された。
 一郎は月を見上げる。美味しそうなバター色をした、丸い月。
 そして、助かったのだから、気にするのはやめよう。と呟く。
 あの骸骨も、赤い鬼も。

 すべては闇の随に……。

       

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