Neetel Inside ニートノベル
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11 斗賀ノキ―Ending―

 AB社爆破から、もう三日が経った。
 ノキはその日の事は殆ど覚えておらず、アキラと電話して、春が心配になり山下公園まで行こうとしたところで記憶が途切れてしまっていた。
 春に聞こうと思ったのだが、全身の怪我を見てなんとなく自分が迷惑をかけたことは理解できたので、何も言えなかった。というより、ここ三日春と喋っていない。
 疲れの所為か彼は昼遅くまで寝ているし、起きてきてもなんとなくノキから避けてしまう。
 学校から帰り、コーヒーベルトのドアを開けると、カウベルが鳴る。
 そして相変わらず、カウンターの中でグラスを磨いている薫に出迎えられた。
「おかえり、ノキ」
「……ただいま」
 店の中にはまばらにお客さんがいた。勉強しているか読書しているかという、ある意味正しい喫茶店の風景。コーヒーの匂いを嗅ぎながら、ノキは部屋に戻ろうとする。
「ああ、ちょっとノキ。店、手伝ってくれないかな」
「……忙しくなさそうだけど?」
「忙しいのさ。グラス磨きに」
 それは単なる趣味ではないのか、とも思ったが、断る理由もなかったので手伝うことにした。
 カバンとブレザーを階段に置き、カウンターの中にある桜色のエプロンをシャツの上からかける。
「お父さん、後ろの紐お願い」
「はいよ」
 薫に背を見せ、紐を結んでもらう。
 結び終わると背中を小さく叩かれ、「皿洗いよろしく」と言われたので、シンクに向かって皿洗いをする。今日はなかなかの客入りがあったらしく、皿の数はいつもの倍はあった。
 スポンジを取り洗剤をつけ、平皿を磨いていると、カウベルが鳴って来店を告げる。
「いらっしゃいませ」とドアを見ると、入ってきたのは風祭優だった。
 彼女は薫の前に座り、薫に向かって笑顔を見せる。
「客としては久しぶりねえ」
「本当に。この間、ノキの部屋で寝てはいたけど」
「え? ……それってどういう」
 優は少し困ったように笑いながら、薫にコーヒーを注文する。
「いやあ、あたしもさあ、春に助けられたのはいいけど怪我しちゃってさあ」
 頭を掻き、面目ないと頭を下げた。
「この体で病院行くわけにもいかないし、ちょっと借りてたの」
「ああ……そういうことですか。別に構いませんよ。言われるまで気づかなかったですし」
「あらそう? ――ところで、春はどうしたのよ。まだ怪我で寝込んでんの?」
 優の問いに、ノキは一瞬固まってしまう。今の彼女に取って、春の話題はカサブタを剥がすような辛さがある。
「いや、ちょっと買い物を頼んだ。怪我はもう大丈夫だって言ってたから」
「それでも病み上がりに買い物頼むんだから、マスターもえげつないわよねえ」
 二人して笑い合い、薫は棚からコーヒーカップとソーサーを取り出し、サイフォンからコーヒーをカップに流し込み、優の前に差し出した。
「いや、僕もいいって言ったんだけど、平気の一点張りで。――まあ、それならいいかって」
「ま、アイツは今ものすごーく体が丈夫だから、平気でしょ。ねーノキ」
「え、あ、はい……」
 とっさのことに充分なリアクションができなかった。表情も少し落ち込み気味だったかもしれないと思ったが、ノキは自分の表情があまり変化しないことを自覚しているので、大丈夫だろうと考える。
「……何よノキ、ちょっと表情暗くない?」
 さすが探偵、鋭かった。
「え、嘘? いつもと変わらないような……」
 しかし父親は鈍かった。
 頭を押さえそうになるノキだったが、手が濡れているのでやめた。
「なんかあった? 学校で勉強難しいとか」
「……それくらいしか悩みが思いつかないなんて、逆に羨ましいです」
「あたしはそれしか悩まなかったのよ」
 コーヒーをすすり、何故か優は胸を張る。
 すると、またカウベルが鳴り、今度は鳴海アキラが入ってきた。
「風祭さんもいらしてたんですか」
「あら、久しぶりねえダメ刑事。元気だったかしら?」
「……どうしてヴァーユの時から、私をダメ刑事と呼ぶんですか」
「パッと見よパッと見」
 アキラは自分の見た目を気にしているのか、髪を手ぐしで直してネクタイを締め直し、優からスツール一つ開けた隣に座る。
ノキから見れば、アキラの見た目はエリート然としていて、ダメ刑事というのは少し印象に合わない様に思える。
「今日は何しに来たのよ。ただの客?」
「ええ、まあ。AB社の調査も一段落したところですし、コーヒーでもと」
「――口ぶりから察するに、天使はまだ見つかってないみたいね」
「……実はそうなんですよ。でも、まだまだ始まったばかりですし。――ところで、御堂さんはどこに?」
薫は短く「今は買い物」と言って、アキラにコーヒーを差し出した。
 軽く頭を下げ、そのコーヒーを受け取り唇を潤す程度に口をつける。
「あれ、そういえば珠子はどうしたのよ? アンタらいつも一緒だったくせに」
「水島さんなら、まだ仕事です。今頃は『仕事めんどくさーい』とか言いながらデスクに向かってますよ」
「ふーん。仕事手伝わないなんて、恋人にしては冷たいわねえ」
 優は下衆めいたいやらしい笑みを浮かべて言った。
「私と水島さんは、そういう関係ではありません」
 クールを装い、コーヒーを一口で半分ほど空けるアキラだが、その顔は耳まで赤くなっており、ノキでもそういう感情があるのは手に取る様にわかって、ついクスっと笑ってしまった。
「……で、ノキは何を悩んでるのよ?」
「え、……私は別に、悩んでないですよ」
「嘘吐かないの。あたしにはまるっとお見通しよ」
 どうも優に隠し事は無理らしいと感じ、ノキは正直に話すことにした。
「……実は、春くんと少し、顔を合わせづらくて」
 それを聞いた優は、「喧嘩でもしたの?」と無難な返事。
 しかし、それの方がまだマシな気もする。喧嘩ならいつかは終わるだろうが、この一人相撲は自分の中に区切りがつかないと終われないのだ。
「……私、いつも春くんには助けてもらってばかりで、この間のことも。私が全部知らない間に片付いてたから」
「ああ、そういうこと」
 やっとパズルが解けた様な明るい笑顔を見せる優。だが、その隣のアキラはまだパズルにハマっている様で、眉間に軽くシワを寄せ腕を組みながら、「それは仕方ないんじゃないですかね……」と呟いていた。
「男にゃわかんねーでしょうよ。守られっぱなしってのも、我慢ならない時があるのよ」
「そういうもんですか……」
「そういうもんよ」
 人生の真理を一つ見つけた、という風に感心しているアキラ。
 ノキは何故か、優の年齢がアキラの倍以上あるのではないかと思ってしまった。
「――でも、ノキちゃん。御堂さんはそんなこと気にしないと思いますよ?」
 とてもあなたの事を大事に思っていたようですし、とアキラは言った。
「……それは、私が夏ちゃんの代わりだから、ですよ」
 水を止め、濡れた手をシンクの縁にかけられたタオルで拭きながら、ノキは呟く。
「いや。そんな事はありませんよ。御堂さんはノキちゃんをとても大事に思ってます。初めてノキちゃんと会った時の話を聴かせてくれた時、こう言ってました。『あの子に救ってもらえたから、俺は人間でいられた』って」
 春がそんな事を言っていたのだと思うと、なぜだか少し嬉しくなった。
 胸の奥が少しだけ暖かくなるような、そんな感覚。
「――僕は今までの話、わからない所だらけだけどね、ノキ」
 今まで黙っていた薫が突然口を開き、ノキは薫の顔を見た。
 いつもと変わらぬ、優しい笑みを浮かべていた。
「今まで通りでいいと思うけど? 少なくとも春は、それを望んでいるはずだし」
「……そう、かな」
 それでもやはり、少し不安が残っている。
 しかし、優はぼりぼりと頭を掻き、酷くめんどくさそうに「まあ、あたしらにわかんのは、春はアンタに笑ってて欲しいって思ってるってことくらいよ」
「そうですね。私もそう思います。なにせ御堂さんは、ノキちゃんの味方なんですから」
 自分で自分の言ったことに納得しているのか、何回も頷くアキラ。
 優はズボンのポケットからチュッパチャップスを取り出し、ノキに投げる。
 それを危なっかしい手つきでキャッチし、包み紙を見る。そのアメはいちご味。
「とりあえず、おかえりなさいから始めたら? きっとよろこぶわよ」
 と、その時、三度目のカウベルが鳴った。
「ただいまー」
「あ」
 入ってきたのは、春だった。両手いっぱいに買い物袋を持って、ドアを開けるのにも難儀したらしい。
 ノキは小さな勇気を振り絞り、カウンターを出て春の元に歩み寄ると、小さく笑顔を見せた。
「――おかえり、春くん」
 すると、彼はノキが見せた笑顔より何倍も嬉しそうな笑顔で言った。
「ただいま、ノキちゃん」

       

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