Neetel Inside ニートノベル
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 6 風祭優―ヴァーユ―

「――なんなんだ、あれは」
 風祭優は、ヴァーユの姿のまま、ビルの屋上の縁に足をかけ、隣のビルへと跳んだ。
 空中でくるりと回転して勢いを殺し、着地。そして疾走。
「私以外に、意思を持った改造人間がいたのか……」
 恐らく、天使製だろう。
 改造人間を作れる人間が、そうそう何人もいるはずがないからだ、と優は思う。
 しかし、絶対に自分より旧型であろうあの改造人間の戦闘力はなんなのだ。
 それだけが彼女の疑問。まだ彼女が改造人間として生まれ変わってから、まだ一ヶ月ほどしか経っていない。その間、天使が改造人間を作っていた様子はないから、優が最新型のはず。
 本来なら、圧倒してもおかしくないスペック差があったはずなのに。逃げざるを得ない状況に陥ってしまった。
 ふと、あの謎の改造人間の正体が知りたくなり、耳に手を当て、通信回線を開いて天使へコール。
「もしもし」
 数回のコールの後、楽しそうな声がした。
「ヴァーユです。今大丈夫でしょうか」
「ああ、大丈夫だ。今は体のメンテナンスをしていた。定期的にしないと、機械の体だからね。――で、どうした」
「……実は、ゲームの最中に邪魔者が入りまして」
 ほう、と意外そうな声。天使も、優の邪魔をできる人間がいるとは思っていなかったのだろう。
「続けたまえ」
「はい。そいつは恐らく、天使博士の造った改造人間だと思われます」
「僕の?」
 電話口の向こうが静かになり、天使の息づかいだけで満たされた。
 それから数拍。「もしかして、赤い鬼、じゃないか?」と言った。
「はい。……やはり、天使博士の――」
「――そうだ。私の最高傑作、アスラ」
 優の頭の中にある情報では、インド神話にそんな名前の登場人物がいた程度のことしかなかった。そんな優の戸惑いを察したのか、天使は言葉を続ける。
「インド神話、バラモン教、ヒンドゥー教における魔族の総称……。そして、阿修羅の語源。それが、彼の名前の由来だ。近接、中距離格闘メインで設計した」
「……では、私とは相性がいいんですね?」
「まあ、そうだね。武器の相性だけで言えばね。……でも、それだけじゃ戦いには勝てない。向こうには実戦経験があるし」
 確かにそうだ。
 横浜スタジアム内での戦闘。あの時、絶対的に自分が有利だとありもしない自信を作り、結局は逃げる羽目になってしまった。あれは確かに、自分の経験不足が招いた事態だ。
「でも、次は勝ちます。もう私は、戦いを知りました」
「ぷっ、はっははははは! ……戦いを知ったか。それはいいことだ」
 なぜ笑われたのかわからなかったが、優は天使の言葉を待つ。
「しかし、僕はできるだけ、念には念を入れておきたい性格なんだよ。一回帰っておいで。新しい弾丸をあげよう」
 自分の力が信用されていないようで少し不快だったが、優は仕方なく「わかりました」と頷いて、電話を切る。
 そして再び、足を優れたバネにして、エンジェルブレイン社へと跳んだ。

  2

 それから数分後。
 優はエンジェルブレイン社の地下、天使個人の研究所にいた。優が潜入した時に着ていた服を天使から受け取り、それを着ながら、天使が自分の弾丸を作り終わるのを待っていた。
 スパルトイが入ったカプセルから漏れる淡い黄緑の光を頼りに、シャツのボタンを閉じ、ネクタイを締め、ズボンを穿いてベストを羽織り、帽子を被った。
「……私は、いったいどういう経緯で、ここにやってきたのだろうか」
 彼女には、改造される以前の記憶がない。
 目を覚ました時には、目の前の天使を崇拝する心だけが残っていた。
 そんな彼女に、天使はこう言った。
『キミはね、生まれ変わったのさ。愚かなネズミから、天の使いにね』
 ということは、ネズミだった頃の自分がいるはずなのだ。
 この服を着て、生きていた自分が……。
 感慨深そうに、彼女はベストの位置を正す。
「……ん?」
 右のポケットが重い。なんだろう。
 ポケットに手を突っ込むと、中には大量に物が詰まっていた。
 どうやら野ネズミだった頃の自分は大ざっぱだったらしい。今の私からは考えられないな。
そう思いながら、ポケットの中身を取り出す。
「……アメ?」
 入っていたのは、チュッパチャップスと書かれたアメだった。
「昔の私は、これが好きだったのか?」
 包み紙を剥がし、そのアメ玉を口に含んだ。
「ん……甘くて美味しいな」
 懐かしい甘さだった。子供の頃に食べたラムネの様な、消えかけた味。
 それは優の心の奥底にあった、記憶を失う以前の記憶が、少しだけ蘇る。
「ああ、そうだ……私は探偵だった」
 横浜を愛し、探偵を愛し、自由に生きてきた。
 こんな風に、誰かに操られるんて許す人間ではなかったはずだった。
 いろいろな制約はあれど、できるだけ自由な探偵でいるのが、自分の生き方だったはず。
 そこまで思い出したが、優にはまだ足りないものがあった。
 それは自覚。その感情、記憶が自分の物だという自覚が、洗脳された頭では持てなかった。
「……私は、探偵だったのか?」
 探偵? 探偵とはなんだろうか?
 それを考えると、頭がきりきりと痛む。
「う、ぐうう……。わ、私は……探偵、風祭優? ――違う、戦士、ヴァーユだ……」
 さながら、内側で何者かが暴れている様な苦痛が、優を襲う。もう一人の優が、内側で暴れているのだ。あたしの体を返せ、あたしの体を返せ、そう荒々しくドアをノックしている。

「どうした? ヴァーユ」

 顔を上げると、奥の小部屋から出てきた天使がいた。内側からの叫びを必死で押さえ込み、冷静な顔で小さく首を振る。
「いえ、なんでもありません。――ところで、新しい弾丸は?」
「ああ、出来たよ。これだ」
 そう言うと、手に持っていたジェラルミンケースを優に放り投げた。それを軽々とキャッチし、カギを開ける。
「これが、私の新しい力……」
 ジェラルミンケースの中には、まるでライフルの弾の様に、先の尖った大きな弾丸が六つ入っていた。その一つをつまみ上げ、目の前に持ってくる。小さく英語が掘られており、ゆっくりとそれを読み上げる。
「は……り……?」
「ハリケーンだ。射抜いた相手の体内に留まり、嵐のごとく体の中をかき回す破壊の弾丸」
 天使は灰色の箱をポケットから取り出し、それを一振りすると、茶色のタバコが飛び出した。
「それは……タバコですか?」
 口にくわえ、火を点けながら天使は頷いた。
「ブラックデビルというタバコでね、チョコの味がするんだ」
「……へえ」
 それはタバコとしてはどうなのだろう、と首を傾げそうになるが、心の中だけに留めておく。
「まあ、僕の名前には合わないが、僕は甘い物に目が無くてね」
 そう言いながら、優のアメをじっと見ている。
 あまり渡したくはなかったのだが、優は仕方なくポケットから一つ、天使に投げた。片手で楽々とキャッチして、包み紙を見る。
「バニラ味か。ありがとう」
「いえ」
「ああそうだ。それから、アスラの弱点も教えておこうかな」
 一瞬、彼女の中でプライドが吠えた。そんな物知らなくても勝てるというプライド。だがそのプライドは、天使の為を思うなら、できうる限り失敗の目は潰しておくべきだという忠誠心に潰された。
 一瞬だけ間を開け、優は口を開く。
「……その、弱点とは」
 結局、忠誠心が勝った。それを見て天使は満足そうに頷く。
「彼はね、未完成なんだよ」
「……は」
 それは、逆に絶望感を高めるのではないだろうか、と疑問に思った。
 あれだけの戦いをして、まだ未完成というのは、優のプライドを酷く傷つける事実。
「だから、一日に変身していられる時間には限度がある。……だから」
「時間をかける戦い方をしていれば、勝てる……と?」
 そういうこと。と言って、天使は携帯灰皿に灰を落とした。
「今日はもう休みたまえ。キミも、強がってはいたが初めての実戦だったんだ。疲れているはずだろうし」
 甘い物を欲しているのが、その証拠だよ。と言って、天使はまた奥の部屋に引き返していった。また自分の体のメンテナンスでもするのだろうな、と優は思った。
 彼はまるで、自分の体を愛するかのように、夢中でメンテナンスを行う。自分の体も作品の一つなのだから、ある意味気持ちはわからなくもないが。優には理解不能な領域である。
 しかし、理解など必要ない。
 天使への忠誠のみで充分。
 それだけが、彼女が彼女であるという証明。
 優は、体の底から聞こえる声に向かって言った。

「私は、風祭優じゃない……戦士、ヴァーユなんだ……」

       

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