7 御堂春―フェイクマン―
車内の空気が一気に最下層まで沈殿した。
春自身、理由はなんとなくわかっているが、語った後に自分から何か言うこともなんとなくしづらい。
「……春くんも苦労してるんだねえ」
しみじみと、先程まで黄色い声を上げていたとは思えないほど大人びた声で珠子は言った。
少しだけ照れた様に、春は笑う。
「まあ、もう過ぎたことですから」
「――御堂さん、ノキちゃんのこと、とても大事に思っているんですね」
「そうですね」アキラの言葉に頷き、春はノキの笑顔を思い出した。あまり笑わない子ではあるが、笑ったときはとても可愛らしい。
「あの子に救ってもらえたから、俺は人間でいられたんです。体は人間じゃなくなっても、心だけは人間でいようって思えたんです」
春の中で、ノキは夏と同じくらい大切な人間になっている。
夏は守れなかったが、今度こそ、ノキは守ってやろうと思ったのだ。
「……まあとりあえず、次にやるべきは風祭さんを天使から解放することですよね」
アキラはハンドルを切りながら、「風祭さんには、どうやって勝つつもりですか?」と春に問うた。先程の戦闘を思い出し、少し悩んでから春は答える。
「優に勝つには、実戦経験の少なさにつけ込むのが一番だと思います」
御堂春は、鳴海アキラと水島珠子の車の後部座席に座り、目の前に座る二人に向かってそう言った。
コーヒーベルトに向かう最中の道が窓の外に見え、あと少しでコーヒーベルトだ、と春は考えた。
「実戦経験、ですか」
アキラはオウム返しで、頭の中に実戦経験のリアリティでも求める様に黙り込んだ。
「それって、料理の隠し味みたいなこと? プロからしたら、仕上げに塩を入れるのは当たり前だけど、アマチュアには知られてない、みたいな」
「そうですね」春は頷いた。料理人志望だった春には、珠子の喩えはわかりやすい。アキラも「なるほど」と呟きながら、アゴの先を揺らしている。
「風祭さんは、塩を入れてない側なんですね」
「で、俺が入れてる側」
春は、自分の鼻をにやにやしながら指さした。
アキラがなぜか苦笑している。
「槍は投げることもできる、そこまでは予想していても、あの槍が破砕するとは思っていなかったんですよ。優は」
アキラと珠子は黙っている。どうやら、春が言ったことがなにを意味するのかは、わからないようだ。
「そもそも槍が破砕するのを予想しろ、って方が確かに無理です。……でも、俺たちは改造人間。人間だった頃の常識なんて、戦闘時には役に立たない」
すでに存在自体が普通ではないのだ。
そんな自分たちが、おかしい、ありえない、普通じゃないなんて。鳥が空を飛べることを信じていないような物。春はそういう事を言っていた。
「だから、そこを突けば……勝てるはずです」
自分にその言葉を染み込ませる様に、春は拳を掌に打った。
ぱちん、という音が車内に響き、車がゆっくり止まった。
「コーヒーベルトに着きました」
アキラの声で窓の外を見ると、いつの間にかコーヒーベルトの前に車が停まっていた。
「あ、……すいません。ありがとうございます」
軽く頭を下げると、アキラが胸のポケットからケータイを抜き、なにか操作している。
「御堂さん。ケータイのアドレス、教えてください。なにかあった場合、すぐに連絡するので」
「あ、わかりました」
春もジーンズのポケットからケータイを取り出し、自分のアドレスを呼び出し、アキラと赤外線でアドレスを交換する。
「あ、私もー」
「はいはい」
珠子と交換する意味はあまりなかったが、アドレス帳は一人増えれば、なぜかその分幸せになるし、断る理由はなかった。
アドレス帳に二人の名前が追加された春は、二人に頭を下げ、車から降りた。
パワーウィンドウが落ち、珠子が顔を覗かせる。
「そんじゃね、御堂くん」
「はい。また」
身を乗り出す様にし、珠子の太ももの上に体を持ってくるアキラ。
「何かあれば、私たちにすぐ連絡ください」
「やーん、鳴海くんのえっちー」
「何を言ってるんですか……」
頭を抱えるアキラ。顔を赤らめ、身を捩る珠子。
そんな二人を見ながら、春は微笑み、「はい、わかってます」と頷いた。
心の端っこで、自分がカップルのデートに乱入した様な気まずさを覚えながら、コーヒーベルトへと戻っていった。
ドアベルがからんからんと鳴り、コーヒーの香りが春の鼻をくすぐった。
「おかえり、春」
カウンターの中で、変わらずグラスを磨いている薫がいた。
「さっき、アキラくん達がお前を探してたぞ」
「ああ。会いました。それで、送ってもらったんです」
会えたか、よかった。薫はそう呟いて、またグラス磨きに集中し始めた。
「なんの用だったんだ? アキラくん達は」
「……えーっと、改めて、この前のお礼が言いたいって」
「あんなに慌ててか?」
どんだけ慌てたんだ。頭を掻いていた春の手が固まった。
「な、なんか急ぎの仕事でもあったんじゃないかな……。急いで帰ったし」
「ふーん。……まあ、公務員だって言ってたしな。忙しいのはいいことだ」
店を見回し、春はその言葉に頷いた。
コーヒーベルトはリピーターが多い物の、客は平均して少ない。席は殆ど空席。
それで店が成り立っているのは確かにありがたいのだが、店員としては、もう少し目に見える仕事が欲しいと春は思う。
「ん? もしかして春、ここの店の心配してるのか?」
「うっ……」図星でとっさになにも言えず、渋々頷く。
「ここはこれでいいんだ。満員の喫茶店って、どこか風情がないしね」
薫の意見もわかるのだが、それは客側の都合も入っているような気がした。
彼は喫茶店好きが高じて喫茶店を開いてしまった男だ。その経営理念にも、喫茶店利用者としての主観が入ってしまっているのかもしれない。
「……まあ、薫さんがいいなら、俺もいいけど」
結局、すべては主人である薫が決めること。
最初から突っ込んだ話しをするつもりなどなかった春は、そう言って話を切り上げる。
「手伝うことあります?」
そう訊くと、薫はグラスに目をやったまま首を振ったので、春は靴を脱ぎ、階段を上がって自分の部屋に戻った。
白の壁紙とフローリングの細長い廊下にいくつかあるドアの内、一番奥にあるドアを開け、中に入った。
そこは生活感が極限まで排除された部屋だった。
六畳ほどのフローリングには、窓際に備えられたベットと、所々虫食い状態の本棚が置かれており、隣には小さなチェストが一つ。
春の趣味、というより、お金がないからこの状態に留まっている、と言った方が正しい部屋。
春は上着を脱ぎ捨てると、そのベットに倒れこみ、疲労をベットに落として行く。
「……二度の変身で、大分体力を持ってかれたなあ」
変身は、一度なら問題はない。しかし、二度三度目ともなれば、それに応じて体力が持っていかれる。まだ春は試していないが、恐らくは一日に変身できる限度回数があるはずだ。
うつらうつら、と春のまぶたが重くなっていく。最初は抵抗したが、次第に馬鹿らしくなっていき、その眠気に身を任せることにした。
もう少しで落ちそうになった時、ドアのノック音が聞こえた。
「……はぁい」
まどろみの中、気持ちよさそうな声で返事をする。ドアが開くと、ノキが顔を覗かせた。
「あれ、春くん……疲れてるの……?」
「うん……ちょっと、変身しすぎたみたいだ」
大股でベットに近寄り、ノキが春の隣に座った。
「そっか。今日も人助けしたんだ……」
自分の事の様に誇らしげに、ノキは笑う。
その笑顔を見るだけで疲れがどこかへ飛んでいくような錯覚を覚える。もちろん、錯覚なので実際には疲れたままだが。
「……もしかして、アキラさんたちの要件って、それなのかな」
話すべきかどうか少しだけ迷ったが、春は夢心地のまま、先程あった事を呟いていく。
それを、時たま頷いたり、相打ちを打ったりして、ノキは大人しく聞いていた。
すべてを話し終わった後、ノキの顔は明らかに困惑の色に染まっていた。
「優さんが改造されたって……本当?」
「うん……。変身解除を見たわけじゃないけど……アキラさんが、変身を見たって」
「そっか……」
困惑の色はさらに濃くなり、悲しみの色に変わった。
「……春くん、優さんのこと、絶対に助けてあげてね」
「うん。大丈夫。……絶対に、助けるから」
春の意識は、ゆっくりと沈んで行く。ノキの笑顔を見ながら、春は心地いい眠りについた。
2
バチバチと頭の隅で音がした。
その音に意識を引き上げられ、春は目を覚ました。もう夜なのか、外は暗く、明かりの点いていない部屋は月明かりだけが差していた。ベットの縁では、ノキが静かに寝息を立て寝ていた。
まだ疲れは取れていないが、動くのに問題はない。そのまま、その音に意識を集中させ、頭の中に街の地図を展開させる。
「この波長……優さんだ」
行かなきゃ、と体を起こす。場所は山下公園。決着をつけようとしているのか、動く気配はない。
「……」
体力が心配だが、ここで行かない訳にはいかない。
春はベットから降りて、少ない体力を奮い立たせる様に頬を叩く。
「ん……春くん……?」
その頬を叩く音で起きてしまったのだろう。ベットの上で寝ていたノキが、眠そうな声を出す。
振り向いて春は、「ちょっと出かけてくるね」と言って、ドアノブを掴む。
「あ、春くん……上着、忘れてるよ」
ノキはダルそうにベットの上に置かれていた春の上着を投げた。
それをキャッチし、「ありがとう」と言って袖を通す。
その時、右のポケットに入っている物の重みが肩に乗り、それを取り出した。
「……ケータイ」
アキラに連絡しようかどうか、迷った。
彼らなら、すぐに来てくれると思う。が、改造人間同士の戦いに巻き込むのは、抵抗があった。
「……ノキちゃん。これ、置いといて」
と、ノキに向かってケータイを投げた。
危なっかしい手つきでそれをキャッチし、彼女は首を傾げる。
「え、なんで……?」
「いや、ちょっと集中したいし……。戦いで壊れたら、嫌だからさ」
「戦いに行くの? ……もしかして、優さん?」
春は黙って頷く。
「……優さんの事、よろしくね」
「もちろん」
心配そうに目を伏せるノキを安心させるかの様に、春はできるだけ、明るい笑顔を見せた。
彼女を不安にさせる様なマネは、できるだけしたくなかったから。
3
山下公園。
横浜有数のデートスポット。目の前に見える海からの風、静かで緑とムード溢れる佇まい。
フェイクマンに変身し、ビルからビルへ飛び移り、大体三分ほどで到着。
その中心のエリア、海に面した場所に、優はいた。
「……優」
海からの潮風で飛びそうになる帽子を押さえ、口にアメをくわえていた。
一瞬、記憶が戻ったのかと思ったのだが、春を見る目には敵意が混じっているのを感じ、気を引き締めなおした。
「違う。私はヴァーユ。天使博士の忠実な戦士」
舐め終わったアメの棒を吹き出し、地面に落とす。
「アスラ……。天使博士から、あなたを生け捕りにしろと命ぜられました。あなたも天使博士から力をもらったんでしょう? だったら、それを天使博士の為に使うのが道理では?」
「俺はアスラじゃない。フェイクマンだ。……それに、夏を――妹を殺した天使に従うなんて、死んでもいやだ」
マグマの様に熱く、どろどろした物が、腹のそこから溢れ出てくるのを春は感じていた。全身に力が籠もり、声が出そうになる。
天使に改造された夜も感じたそれは、怒りだ。あの時は悲しみの為に怒り、今は復讐の為に怒っている。
「交渉、決裂」
ざわざわと優の周りの空気が騒ぐ。それに呼応するように、彼女の見た目が変化していく。
昼間、横浜スタジアムで戦った改造人間。ヴァーユになった。
右のふくらはぎに巻かれた銃を抜き、春に銃口を向け発砲。
破裂音がするより一瞬早く、春は横へ跳んだ。
「……っ」
いきなり発砲されるという事実に心臓の鼓動が跳ね上がる。
それでも、春はすぐに、怒りを体全体に馴染ませていく。
「うぅぅぅぅ……っがぁぁぁぁぁぁッ!!」
月に向かって、狼の様に叫ぶ。
全身から骨が突き出し、皮膚が硬化、変色していき、フェイクマンへと変わった。
その時、恐らくは夜のデートに洒落こんでいたカップル達の悲鳴が聞こえる。
フェイクマンは、それをちらりと一瞥。優は見すらしない。
逃げて行く彼らを放っておき、フェイクマンは右腕にあるガントレット状の外殻をスライドさせる。そこから槍と飛び出し、地面に突き刺さって小さく振動した。
それを抜き、柄を脇に抱える。二人の間には、風の音だけが存在していた。
優は間合いが圧倒的に有利なこともあり、自ら動かなくとも大丈夫だという余裕があるのだろう。しかし春は、そうも言っていられない。彼には、一日に変身できる回数と、時間が決まっているのだ。その限界を自分で知らない以上、ここはフェイクマンから動くしかない。
取るべき手段は一つだけ。
――限界に達する前に、倒す!!
「おぉぉッ!」
全力で地を蹴り、距離を詰める。フェイクマンとヴァーユの間には三十メートルほどの間があったのだが、そんな距離は改造人間にとって無いに等しい。
空中で槍を構え、目にも止まらない連続突きを繰り出す。
しかし、ヴァーユ一瞬の間に放たれた無数の斬撃を、銃の腹で受け流していた。
「な……」
「どうしました、アスラ……パワーが落ちているんじゃないです、っか!!」
空中で身動きの取れないフェイクマンの腹を右足で思い切り蹴り上げる。
「ぐ……ぇえ」
いくら変身し、全身の強度が上がったとは言え、急所の腹を改造人間の脚力で蹴られては、大ダメージである。
そして、優は銃を回して持ち直し、グリップで春の顔をを殴る。
いくら改造されているとはいえ、春の心はただの人間である。顔を殴られれば、戦意は途切れる。そんな場合ではないとはいえ、一瞬の隙ができる。
――つまり、春の動きが一瞬止まってしまう。
「ッ!」
春にも、それなりの経験がある。スパルトイと戦った数戦。だから、その一瞬の重さを知っている。
距離を置こうとした刹那、すでに銃口は春へ向けられていた。
「くっ!」
全身の筋肉を硬化。衝撃に備える。
空気が弾ける凄まじい音がして、左腕に鋭い痛みが走った。その痛みに悶えるかの様に、左腕が後方に向かって飛び、フェイクマンの体が飛んだ。
――あの銃、威力上がってる……!
背中を石畳で摺り、左腕から流れてくる血液を見て、春は背筋が凍った。
「あなたの弱点。それは、自分より格下としか戦っていないこと」
無傷の右腕で地面を押し、ゆっくりと立ち上がる。ダメージ、そして体力の双方を計算し、戦える時間を導き出そうとした。そんな春の考えなど知らず、ヴァーユは喋った。時間を稼ぐために。
「アリを捻り潰して、『俺は戦いを知っている』なんて言う様なものだったんですよ。そもそも、私達成功作と、失敗作のスパルトイじゃ、勝負になんてならないのに」
――だから、実戦の怖さも知らず、戦えるなんて錯覚を起こした。
ヴァーユはそう言って、一歩踏み出す。
「く……そッ」
先程、アキラに言った言葉が頭の中で反響する。
風祭さんに勝つには、実戦経験の少なさにつけ込むのが一番だと思います――。
それは、自分にも言えることだったのだ。
喧嘩もしたことがなければ、スパルトイとしか戦ってこなかった自分が得られる経験とは、一体なんだというのか。
一方のヴァーユ――風祭優は、喧嘩慣れしている。
喧嘩と殺し合いは確かに違う。が、違うのはなんだろうか。
それは、殺すという意思表示。ただそれだけ。
場数で言えば、優の方が圧倒的に踏んでいるのだ。
「……さあ、殺し合いましょう。アスラ」
「い……やだ」
「この状況で、まだ言えますか。あなたは左腕に風穴を開けられても、私を恨まないんですか?」
「そうだ。……悪いのは、お前じゃない。天使だから」
そう言った瞬間。銃口から放たれた弾丸が、破裂音と同時にフェイクマンの右肩を貫いていた。
「ぐああッ!」
また地面に倒れ、肩を押さえて痛みに悶えた。
少しだけ体から熱が無くなっていき、代わりに血で染まったコンクリートが、少しだけ温かい。
それでもフェイクマンは、立ち上がった。いつもより強い重力を感じながら、ヴァーユを見据える。
睨むのではなく、子の行く末を心配する親の様な目で。
「……なんですか、その目は」
「別に……なんでもないですよ」
そう言って、フェイクマンは槍を自分の前で壁を作る様に回し、ヴァーユに突っ込んでいく。
「ちッ!」
バックステップと同時に、ヴァーユは発砲。
しかし、槍に弾かれてその弾はフェイクマンまで届かない。
バックステップと全力の前進では、もちろん後者の方が速い。公園利用者が海に落ちないようにと設けられた柵で、ヴァーユの退路が塞がる。そして、適度な間合いに詰めたフェイクマンのフルスイングを思い切り脇腹に受ける。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」
槍を伝って、骨が折れる様な小気味の良い音がした。
フェイクマンの良心にもそれくらいのダメージがあったが、ヴァーユを優へ戻すという大事の前の小事。春は良心の軋みを無視し、打撃の衝撃方向に向かった優に向かってさらに畳み掛ける。
「セイッ!」
槍を回転させ、刃とは反対の柄部分で腹を突いて押す。
「うぷ……ッ! ――んのぉ! 調子に乗るなぁぁ!!」
槍を掴み、銃をフェイクマンの眉間に向けた。すこし頭に来ていたのだろう。生け捕りという命令を一瞬忘れ、引き金を引いてしまった。
鼓膜に叩きつけられるような音と同時に、フェイクマンの首が跳ね上がる。
「痛っ……!」
それでも、頭はフェイクマンの部位の中で一番防御力の高いところである。
それなりにダメージはあれど、覚悟を決めたフェイクマンの突きを止められない。
ヴァーユは作戦を切り替えたのか、槍を掴んでいた手で槍の柄の側面を軽く押し、力を反らすとすぐに脱出。そして、行きがけの駄賃とばかりに、フェイクマンの右肩、右足へ向けて銃を打つ。
しかしそれを槍で弾くと、フェイクマンはすぐに槍の方向を転換。
ヴァーユに向けてさらに連続突き。
銃の腹で受けつつ、ヴァーユは反撃とばかりに腕が伸びきったフェイクマンの懐に潜り込んで頬を思い切り振り抜いた。
「っのやろ!」
弾かれた顔を正面に戻し、負けじとフェイクマンも槍を手放し、まるでヴァーユを抱き寄せるようにして頭突き。
その衝撃で、鉄仮面が割れた。
「っつう……」
しかも、鉄仮面を貫通し、ヴァーユにもダメージがあったらしい。
額を押さえて、フェイクマンを睨んでいた。
「……っくそ」
ヴァーユは、悪態と同時に、地面に向かって血反吐を吐いた。
そして、腰についたポケットから、一つの弾丸を取り出す。
「遊びは終わり。……絶対にお前を連れ帰らせてもらいます」
「絶対に嫌だ。天使のところに行けば、ノキちゃんを悲しませることになる。――それは、あんたも同じだ」
「……なにがです?」
「ノキちゃんは、あんたのことも心配してる。あんたが風祭優に戻らないと、ノキちゃんは悲しむんだ」
「戯言を……」
言いながら、ヴァーユは弾丸を銃に押し込んだ。
フェイクマンには。その声は、怒りというより、動揺の方が大きい気がしていた。
ちょっとずつ、彼女が風祭優に傾いてきているのだろう、と考える。
「目を覚ませ! 風祭優!!」
「うるさい……その名で、私を呼ぶなぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
銃を構え、ヴァーユは叫ぶ。
「ハリケーン! あの失敗作を吹き飛ばせェェェェェッ!!」
思い切り叫び、ヴァーユは引き金を引いた。
その瞬間、風が吹いた。そよ風程度の風。フェイクマンはなにも気にしていなかったが、次の瞬間、まるで風が実体を持った様に、フェイクマンの腹に向かって飛んできた。
「ぐッ、ァ……!?」
もちろんフェイクマンもガードしようとしたのだが、その速い弾はフェイクマンの目でも追いきれなかった。腹に刺さってから気づいた位に。
「……でも、これがどういう」
確かに速いが、効果自体は普通の弾丸と変わらなかった。
そう思い、中に入った弾丸を確かめる様に腹を擦った瞬間、突然激痛が走った。
「グ……ッがあああああ……!!」
腹の中で台風が吹き荒れている様な、腸をかき混ぜられているような。
そんな激痛に膝を突き、腹を下してしまったかの様に腹を押さえながら、フェイクマンはヴァーユを睨んだ。
勝ち誇った笑みで、彼女は言う。
「私の新兵装。ハリケーンの味はどうだ?」
無様とも言えるフェイクマンの姿が面白いのか彼女は上品に口元を押さえ、静かに笑う。
その仕草は、天使を連想させる。
「くっそ……!」
だめだ。と、内心呟く。
先ほどの変身。そして腹のダメージを負ってしまったフェイクマンは、すでにその姿を保っているだけで一杯一杯だった。
満身創痍。その言葉通り、もはや全身が傷だらけ。
「さて……勝負はついた。私と一緒に、来てもらいます」
ゆっくりとフェイクマンに歩み寄り、目の前に立つと、ヴァーユはフェイクマンの角を掴んだ。
「いやだ……天使の言いなりになるのは……」
脳裏には、夏だった肉片が現れる。天使への怒りの象徴。
もし自分が天使の言いなりになるようなことがあれば、夏へしたこと、自分にしたことを許すということ。それだけは、絶対にあってはならないことだ。
精一杯の力で、角を掴んでいたヴァーユの手を振り払うが、それが気に障ったのか、ヴァーユはフェイクマンの顔を思い切り蹴った。
地面に倒れ、ジンジンと熱を持った顔を手で押さえる。
そんなフェイクマンを見下し、ヴァーユはさらに腹を蹴る。
「ぐぅっぷ……!」
ハリケーンの所為でぐちゃぐちゃにされた腹にその痛みは、まさに地獄の苦痛。
中身が全部出そうになり、それとは反対に戦意だけはどんどん削られていく。
「……少し、ムキになってしまったようですね」
半殺しでも大丈夫か……とヴァーユは呟いて、頭を掻く。
そして、さらに蹴りを入れていく。全身で蹴っていない場所を残さないよう、丹念に。
フェイクマンは最後の抵抗に、ただ丸くなることしかできなかった。全身の変身疲労、そしてハリケーンによるダメージ。もう立つことは難しい。
仮に立てても、戦闘ができるかどうかさえ怪しかった。
「……さて、もういいか」
ヴァーユは変身を解き、風祭優に戻ると、フェイクマンの角を再び掴む。
もう首を動かそうともせず、抵抗もしなかった。
「う……」
優によって強制的に顔を上げさせられたフェイクマン。
装甲の隙間から漏れだした血が痛々しい。
「く、そお……」
悔しくて、涙が出た。
夏の顔。無惨な姿。そして、無力だった自分に強さをくれたノキの顔。
春は守れなかったのだ。自分を信じてくれた人達を。
これでは、なんの為にフェイクマンと名乗っていたかわからなくなる。
疲労の所為か、意識が遠退いてきた。目の前が暗くなっていく。
もう御堂春――フェイクマンと名乗ることはないのかもしれない。
そう思い、精一杯意識を保とうとするのだが、意識はあっさりと落ちてしまった。