Neetel Inside ニートノベル
表紙

見開き   最大化      

 8 警察―鳴海アキラ―

 御堂春と別れたアキラと珠子は、みなとみらい署に戻ってきていた。
 鬼探しだけが彼らの仕事ではない。デスクワークも、その一つだ。
 担当した事件の報告書、調査に使った店の領収書精算などなど。
「ふわぁー……」
 珠子のあくびが、静まり返った捜査一課に響く。
「ほわっ!」
 なぜか突然間抜けな声を出した珠子。
 アキラはたまらず、「なんですか」と隣に座る彼女を睨んだ。ようやく、溜め込んでいた最後の報告書を書きあげられそうだった所だったので、少し目つきは鋭くなっている。
「いや、もう九時だよアキラくん! どうりで首が痛いわけだよ!」
 仕事しすぎたー! と頭を抱える彼女は、なぜか大変な大損をしてしまったかの様だった。
 彼女には一日に仕事をする時間というのが決まっているのかもしれない。警察官としてその姿勢はどうだろう、とアキラは思ったが、口には出さなかった。
「それより、水島さんは終わったんですか? 仕事」
「んーん。まだもうちょい」
「じゃあそれ、早く終わらせて」
「はーい」ふてくされた様に、彼女は言って、またパソコンに向かった。
 アキラは手書きなので、また報告書とにらめっこしてペンを走らせる。
 と、その時だった。突然天井にあるスピーカーから若い女性の声が流れる。
『警視庁から入電。警視庁から入電。山下公園にて、何者かが危険行為を行っている模様』
「危険行為ってなによ?」
 スピーカーを指さし、アキラに笑いかける珠子だったが、それとは反対にアキラは険しい顔をしていた。
「……なにか、嫌な予感がする」
「嫌な予感? ……若者が花火とかやってるだけなんじゃないの?」
 珠子の言葉に、そうであってくれと願いながら、アキラはケータイを抜いて春のアドレス帳を呼び出す。
 電話番号をプッシュして、通話ボタンを押す。
 一回、二回とコールがされ、四回目のコールで電話が繋がった。
「はい……御堂春くんのケータイです……」
 出たのは、御堂春ではなく、眠そうな少女――斗賀ノキの声だった。
「ノキさん……? 御堂さんは!?」
「春くんは……、えーっと」
「……もしかして、御堂さんは山下公園に行ったんじゃないですか!」
 一瞬、向こうからの言葉が途切れた。突然のアキラの声に驚いたのかもしれない。
「……どこに行ったか、までは知らないんです。でも、戦いに行くって」
 やっぱり……! アキラは心の中で、自分に向かって悪態を吐く。
 御堂春の性格を考えれば、一人で勝手な行動を取ることくらい簡単に予想できたはずなのだ。
 ヒーローが一般人を危険に巻き込まない様に動くのは、当然の行動なのに。
「御堂さんにとって、私は無力なのか……!?」
 警察という組織に属している自分が、この社会では絶大な権力を発揮するはずの警察という証が、この異常事態にはとことん無力。
「行きましょう、水島さん!」
「オッケー。そこに春くんがいるんでしょ? 私らを置いてけぼりにしたんだから、文句言わなきゃね!」
 アキラは椅子の腰掛けにかけていたスーツを羽織り、捜査一課から飛び出した。

  2

 車にパトランプをつけて、サイレンを鳴らしながら桜木町を走り抜ける。
 暴走族をする若者の気持ちは理解できないものの、暴走というのが少し気持ちよく感じたのは事実。
 それどころではないが、スーパーマンになったような気持ちになってしまう。もしかしたら改造人間の力を使うというのは、そういう気分なのかもしれない、とアキラは思った。
 警察署を出て、そんなことを考えながらだいたい十分ほど。アキラ達は山下公園に到着した。
 車を降り、辺りを見回すが、春の姿はない。
「御堂さーん! どこですかー!」
 静かな公園に飲み込まれていくだけで、返事は返ってこなかった。
「……ん? ねえ鳴海くん。なんか、遠くの方で音がしない?」
 珠子は耳に手を当て、音をたくさん集められる様にして、山下公園の中心に耳を向けた。
 アキラもそれを真似て、耳を澄ます。確かに遠くから、銃声の様な物が聞こえてきた。
「そうか。中心に二人はいるんだ。行きましょう!」
 先に走り出したアキラを、珠子が追う形で二人は走りだす。
 珠子のヒールの音がリズムを刻み、徐々に中心へと近づいてきた。
「鳴海くん! あれ!!」
 数百メートル走り、そろそろ息が切れてきた辺りで、珠子が前方を指さした。
 そこには、ボロ雑巾のようになったフェイクマンと、そのフェイクマンの角を掴み、忌々しげに見下す風祭優がいた。優はまだアキラ達に気づいていないのだろう。
 チャンスだ、とアキラは思い、珠子に目配せする。胸を叩いて、自分とフェイクマンの順で指さすと、彼女は力強く頷いた。
 アキラはそこで立ち止まり、腰のホルスターに入れっぱなしだった拳銃を取り出す。銀色に鈍く光るそれを、珠子に投げ渡し、背中に珠子を隠すようにして、さらにスピードを上げて走り出した。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
 大声を出し、出来る限り優の注意を自分に引きつける。
 アキラに気づいた優は、呆れたような顔でため息を吐いた。この場ですべての決着をつけることもないだろうに、という様な表情だ。
 優はフェイクマンの頭を持ち、反対の手は無造作に落としたまま、余裕の構え。
「……改造人間に真っ正面から挑むなんて、見た目に反してバカですね?」
 アキラは拳の射程内まで風祭優に近づいた。
 そして大きく拳を振り被り、優の鼻を狙う。
 しかし優は、自分より体格のいい男に拳を振り被られても臆することなく、拳を上げて最短距離でアキラの顔面を捕らえた――はずだった。
 アキラは顔面を狙うでなく、拳は出さずに体勢を低くし頭を落としたのだ。
「水島さんッ!」
 アキラの頭の向こうで、水島珠子が銃を構えていた。
「なっ」
 驚いた。が、自分に銃が効くわけがないと知っている優は、先にアキラをしとめるべきだと一瞬で判断。
 珠子は、その銃でしっかりと狙い、発砲。
 破裂音がした瞬間、風祭優の手にとてつもない衝撃が走って弾かれ、フェイクマンの角を手放していた。
 それ自体は大した問題ではない。その衝撃に目をやった一瞬の隙に、アキラが優の腰に向かってタックルを食らわせていたのだ。
 突き飛ばされた優からは弾丸が落ち、不意を突かれた優よりもアキラは素早く立ち上がり、フェイクマンの腕を掴んで、引きずる。
 ――お、重ッ。
 おそらくは機械が詰まっている所為なのだろう。優にも注意を配りながら、銃を撃ってすぐ駆けつけた珠子に手伝ってもらいながら、できるだけ距離を取った。
 優に致命傷おろか、ダメージさえ与えられていないはずだが、なぜか優は起きあがろうとはしない。
 だいたい十メートルほどの距離を開け、アキラと珠子は一端フェイクマンを地面に安置し、思い切り揺さぶった。
「御堂さん! 起きてください!」
 ぴくりと目が動き、フェイクマンは意識をゆっくりと目を開いた。
 ぼんやりとした焦点の合わない目で、アキラを見ている。
「ア、キラ、さん、なんで……」
「鳴海くん」
 横でアキラと同じ様にしゃがみこんでいた珠子が、前を指さす。
 優が余裕たっぷり、時間をかけてゆっくり立ち上がっていた。
「……少し油断していたようです、ね」
 緩めていた気を締め直すかのように、優は地面に落ちた帽子を拾い上げ、埃を払ってから頭に乗せる。そして、帽子に手を乗せたまま、キッとアキラを睨んだ。
「今更アスラ――フェイクマンを回収しても、もう遅い。使いモノになんて、ならないでしょうし」
 アキラはちらりと、自分の足元に横たわるフェイクマンを見た。
 全身傷だらけで、肩で息をしているような状態。アキラの目から見ても、戦える様な状態ではなかった。
「どうする? そいつを置いて逃げるなら、追いはしませんよ」
 もちろん、アキラには、おそらく珠子にも。フェイクマンを置いていくという選択肢はない。
 かと言って、なにか優に対する索があるわけでもない。
「さあ、五秒以内に考えなさい。五……」
 どうする、どうする。考えろ、考えろ。アキラは心の中で、何回もその言葉を繰り返し、考えるのだが、その声が邪魔になってきちんと考えられているかは疑問だった。
「四……」
 カウントが迫る。その時だった。フェイクマンが小さな声で、「耳……貸して」と言う。
 少し迷ったが、アキラは黙ってフェイクマンに耳を向けると、ぼそぼそ何かを呟く。
「三……」
「だ、大丈夫なんですか、それ」
 フェイクマンから伝えられた作戦を頭の中で想像し、アキラは自分に貸せられた役割の重さにげんなりする。
「これしかないんです。……一撃で、優さんを行動不能にするには」
 確かにリスキーな策だが、それ以外に方法は思いつかない。
アキラはしっかりと頷き、フェイクマンに肩を貸して、一緒に立ち上がった。
「二……一……。――時間切れ。考えはまとまりまして?」
 なんとかフェイクマンを立たせると、二人は目配せし、作戦を確認し合う。
 アキラは珠子に無言で手を差し出すと、意図を理解した珠子は、アキラに銃を手渡した。
「そう。……またも交渉決裂のようですね」
 彼女は、太もものホルスターから銃を取り出し、くるくると回して二人を挑発する。
「来なさい。出来損ないで死にぞこないと、ダメ刑事」
 嘲笑う優とは反対に、二人は真剣な顔そのものだ。
 まずはフェイクマンがダッシュ。そして、アキラはその後ろから優に向かって援護射撃。
 肩や足など、撃っても致命傷にはならない部位を狙って撃つが、ダメージを与えている様には見えない。
 フェイクマンは、優に向かって右拳を鋭く振り、優へボディブロウ。
 しかし、怪我をした春の拳は全力とは程遠いのだろう。軽々と受け止められ、何倍も速く重い銃で腹を殴り返された。
「ぐう……!」
 自らの腹を押さえ、また膝を突くフェイクマン。そして、それを見下す優。だったが――
「――まだだッ!」
 後ろから、いつの間にか援護射撃をやめていたアキラが走ってきて、フェイクマンを踏み台にし、跳んだ。
「いくら改造人間でも、こんな高低差からのかかと落としなら!!」
 頭なら精密機器が詰まっているだろうし、倒せる。アキラはそう確信して、足を振り上げ、優の頭目掛けて思い切り振り下ろした。
 しかし、優の頭上で手をクロスさせそれを防ぐ。
 バランスを崩したアキラは、そのまま優の足元に倒れてしまう。体を地面にぶつけるまえに、なんとか手をついたが、背を優に踏まれてしまい、めりめりと靴が背中にめり込んでくる。
「ぐ、あ、ああぁぁ……ッ!」
 改造人間の力と地面に挟まれたアキラは、雨の日に地面を転がるカエルの死体を思い出していた。内蔵を口から吐き出し、ぺしゃんこになっているあれである。
 もう少しで自分もそのカエルよろしく、口から内臓を吐いてしまうのかと思うと心が折れそうになるが、アキラは必死で手を伸ばす。
 ――あと少し、あと少し……。
「まあ、フェイクマンを囮にして、一撃加えようとしたのには驚きましたが……」
 そもそも、攻撃が入らないんじゃ意味がない。
そう言って、優はフェイクマンとアキラを見下した。
「さて、フェイクマン。取引です。このダメ刑事を潰されたくなかったら、私と共に天使博士に忠誠を誓いなさい」
 優はフェイクマンの首を掴み、持ち上げた。あんなに重いのに、軽々と持ち上げるなんて。と、アキラは自分に乗っている足の恐ろしさを再認識する。今自分を踏んでいるのはただの人間ではない。改造人間なのだ、と。
「も、もし……、断れば?」
「今の会話で理解できないんですか? 断ればもちろん、こいつを殺す」
 そう言うと、アキラに乗った足に力がこもり圧力が増した。
「うがあぁぁぁ……!」
 肺からどんどん息が逃げて行く。
 視界は酸素不足によりどんどん赤く染まっていき、水中にいるようなもどかしさがあった。
 ジタバタと足掻き、必死に手を伸ばす。
 ――あと少し、もうちょっとだけ耐えてください、御堂さん!
「さあ、誓いなさい。私と、お前で、天使博士の世界征服に役立つと!」
 フェイクマンは黙ってしまった。絶対的に有利な立場にいる優としては、その些細な抵抗が気に食わなかったのだろう。フェイクマンの首を掴む力を強めた。
「お、れは……俺の大切な物を踏みにじった天使を、絶対に許したくない……!」
「そんな物は、この力に比べたらクズでしょう? ――哀れなフェイクマン。次に会うときはアスラとして会いましょう」
 ――届いた!
 アキラは心の中で叫び、次にフェイクマンを見て実際に叫んだ。
「御堂さん! これ!」
 そして、掴んだそれをフェイクマンに向かって投げた。
 金色に光るそれ――風祭優のハリケーンだ。
「ありがとうございます……ッ、アキラさん……!」
 優はそれをちらりと見たが、にやりと笑うだけでなにかしようとはしなかった。
「……ハッタリにもならない。フェイクマン。私は天使博士からあなたの資料をもらったんですよ? あなたに弾丸を扱う術はない!」
「よく……、覚えておいた方がいい……弾丸を扱う方法は、銃だけじゃない……!!」

 フェイクマンは拳の間に弾丸を挟み、先程より速く鋭いボディブロウを振った。
 弾丸は優の腹に突き刺さると、その瞬間、まるで銃を撃った時の様な破裂音が公園内に響き、優の腹からは血が漏れ出していた。

「そん、な……どうや、ってッ……!!」
「大したことじゃない……デコピンをハンマーに見立てて、弾丸を弾いただけだ」
 改造人間だからできる、力技。
 それを聞いた次の瞬間、風祭優はフェイクマンを離し、アキラから足もどかして、地面に倒れて悶え始めた。
「ぐう、ああああ……ッ! 痛い、痛い……!!」
 アキラは優と入れ替わる様にして立ち上がり、地面で悶える優を見下ろした。
 これで終わりだ。アキラはそう考え、ふうとため息を吐いた。
 しかし、フェイクマンはそれで終わりだとは考えなかったようで、優の胸ぐらを掴み、先ほど自分がされた様に右手で持ち上げる。優は両手でその手を外そうと試みるのだが、まったく外れない。
「痛い……! 痛い、助けて、助けて……っ!!」
 優の目には涙が溜まっていて、心底命乞いをしている様に見える。
 フェイクマンは思い切り息を吸う様に首を反らすと、優の額に向かって思い切り頭を下げる。
「いい加減に……しろッ!!」
 そして渾身の頭突きを喰らわせると、優は額から流血し、フェイクマンの腕を掴んでいた手はだらんと落ちた。
「……多分、これで、全部終わったはずです」
 フェイクマンは、地面にそっと優を降ろし、変身を解除して御堂春に戻っていく。
 まるで巻き戻し映像を見るようなその光景を見ながら、なんど見ても慣れる気がしないな、とアキラは思った。
 まるでリンチにでもあったようなぼろぼろの春は、尻餅をつくみたいにして地面に座る。
「……御堂さん、お疲れ様です」
 アキラは軽く頭を下げる。
 春は「アキラさんこそ」と言って微笑む。
 遠くにいた珠子は、かつかつとヒールを鳴らしながら二人の元へ走ってくる。
「二人とも、お疲れ様。……それより、春くんは病院行かなきゃなんじゃないの?」
「ああ、でも病院行くと、大騒ぎになるし……」
 確かに、骨にボルトを入れたとかならまだしも、全身機械はまだ技術として確立していない。
 そんなオーバーテクノロジーの固まりである春や優が病院に行けば、大騒ぎになって体を調べられるだろう。
「じゃあ、どうすれば……」
「大丈夫ですよ。俺らの体は人間と同じように――いや、人間以上の自然治癒がありますから」
 これくらいなら、明日にはそこそこ回復しますよ。
 そう言って春は、血の滲む腹をぽんぽん叩いた。
「……そうですか」
 とりあえず一安心。
 そして、アキラはちらっと、地面に倒れる優を見た。
「にしても、優さんは元に戻っているんでしょうか……。天使の洗脳が、頭突き程度で戻るとは思えないんですけど」
「多分、それも大丈夫」
 自信満々に言う春に、アキラは訝しげな顔を向けた。
「俺、最後の頭突きに思い切り、元に戻れって念じましたもん」
 ショック療法ですと言い切り、屈託ない笑顔を見せる春。
 そして、一瞬間を開けてアキラは笑った。
「なんですか、それ」
 珠子も笑いながら、春の背中をばしばしと叩く。
「あははっ。なんか春くんに言われると説得力あるねえ」
 春は困ったように笑いながらも、どこか安心した様に力が抜けていた。
「あー……疲れた。アキラさん、珠子さん。すいません、コーヒーベルトまで送ってくれませんか」
「もちろん。構いませんよ」
 珠子の返事を待たずにアキラは言った。とはいえ、珠子も反対せず、軽い調子で「オッケーオッケー!」と笑っている。
 その時、どこかから心底愉快そうな声が聞こえた。

「おめでとう、御堂春くん。旧型、しかも未完成でヴァーユを倒すなんて、すこし驚いた」

 その声は頭上から降ってきた。アキラは一瞬なんのことだかわからなかったが、春が上を見て叫んだのを見てわかった。
「天使ッ!?」
「え!?」
 珠子の驚きと同時に、二人は春の視線の先を見ると、街灯の上に立ち、アキラ達を見下す天使がいた。茶色のタバコを吸いながら、先ほどの戦いを文字通り高みの見物していたのだろう。
「いや。ヴァーユと繋がっていた通信で状況はわかっていたんだが。……いやいや、まさか警察の協力まで。面白いなぁ」
 まるで友人が気の利いたジョークでも飛ばした時の様に、天使は上品に笑った。
「本当に面白い。久しぶりの上機嫌だ……。こんなの、キミを改造した時以来だよ、御堂春」
「……俺もだよ、天使。こんなに機嫌が悪いのは、こんな体にされた時以来だ」
「おおっと。もしかして、僕とやるつもりかい? やめておいた方がいい。今のキミじゃ、僕には絶対勝てない」
 天使の力は見たことがないアキラでも、天使の言葉は正しいと頷くことができた。
 全快の天使と限界の春では、さすがにまともな戦いなんてできないだろう。
「でもね、戦わない代わりにキミの頑張りを評して、風祭優は解放するよ。……もっとも、先ほどの衝撃で、洗脳は解けているかもしれないけどね」
 おめでとうと拍手する天使は、どう考えてもバカにしている様にしか見えなかった。
もしかしたら、本人は本気なのかもしれないが。
「でもね。生憎僕は負けず嫌いだ。……だから、二回戦といこう。これで負けたら、僕は大人しく負けを認めるしかないね」
 そう言って、天使はゆっくりと白衣をめくる。
 どうやら白衣の中にはもう一人いるらしく、どんどんその姿が露わになっていく。黄色いホットパンツに、淡いピンクのキャミソール。

 そこにいたのは紛れもない、部屋着姿の斗賀ノキだった。

「ノキちゃん!?」
 春の叫びが、夜の山下公園に響きわたる。悲痛すぎて、思わず耳を塞ぎたくなるくらいの叫び。
「この子。斗賀ノキだろ? さっきキミとヴァーユが話していたのを、通信で聞いていた」
「どうして……コーヒーベルトの場所が」
「簡単だ。僕はいくつも病院を経営しているんだから、患者のデータくらいはいつでも見れる。一度でも僕の病院を利用すれば、情報網に引っかかるわけだ」
 春は、自分の失態を恥じている様な顔をしているが、その顔を横目で見ながらアキラは心の中で言った。
 ――そんなの、気をつけろという方が無理な話だ。
 そもそも春は、天使の居場所さえ知らなかったし、会社経営のことももちろん知らないだろう。
「しかし、キミは改造人間だから病院を利用しなかった。僕の情報網には引っかからなかったんだけど……。いやあ、日頃の行いに気をつけておいてよかったよ。キミは、僕の世界征服に欠かせないからね」
「日頃の行いに、気をつけてるって……?」
 どこまでも人をバカにしたようなしゃべりだった。
 温厚な春が眉間に谷ができるような深いシワまでつくって、拳を振るわせていた。
「警察の前で誘拐なんて、いい度胸してるじゃないですか。天使さん」
 アキラは、できるだけ春を落ち着かせようと、冷静に口を動かした。
 珠子は春と一緒になって怒るだろうし、ここで冷静になれるのは自分しかいない。そう思うと、いつもより頭が冴える気がした。
「今回ばかりは、風祭さんの時みたいなことは通用しませんよ。……誘拐罪の現行犯で、逮捕します」
「ふっ、んふっ……っくくく。ははははははははははっはははは!!」
 それを聞くと、天使は盛大に笑った。
 腹を押さえ、街灯から落ちそうになるほどに。
「いやあ。無能な警察はいつもズレたことを言う。キミらの掟は人間の掟。僕ら改造人間に、そんなことは関係ない。そもそも、僕らは並のことじゃ捕まらない」
 それにはアキラも、悔しいが頷くしかなかった。春や優を見て、それに頷かない人間はいないだろう。
「法律の執行力と警察の権力はイコール。だが、僕ら改造人間の前にはそんなものクズだ。どちらにしても、ただの人間ですら取り逃がすことがある警察なんかに、日本は任せておけない。この僕が! 無能な警察、政府に代わって、この世界を幸せにする義務がある!!」
 まるで政治家の演説だった。渾身の力で、拳を振り上げる。
 その瞬間は、天使が本気で世界を想っている様に見えて、アキラは目を擦ってしまう。
「ふざけるな」
 そこで、演説に水を差すかのように、春は呟いた。
「お前がしていることには、犠牲が出るんだ。俺や、優さん、夏みたいな犠牲が。そして次は、ノキちゃんまで……。お前のしていることは、ただの一人よがりだ!!」
「違うよ、御堂春。キミはわかっていない。僕が善だ。究極の善。僕よりこの世界を愛している人間はいない」
 そう言うと、天使は心底残念そうにため息を吐いた。手塩にかけて育てた子供が期待通り育たなかった様な、残酷なため息。
「僕はね、御堂春。キミの境遇に同情した。感動と言ってもいい。期待もした。しかし、見事に僕を裏切った。そんな力も与えたのに……」
「お前には、一生理解できないよ」

 そう言って春は、獣の様に叫んだ。
 変身の合図に反応し、体が変わっていき、フェイクマンになっていく――はずだった。
 なぜか、変身が途中で止まり、ゆっくりと春に戻っていった。

「え……!」
「変身限度回数を越えたか。……どちらにせよ、今日決着をつける気はない。僕はフェアが好きなんだ。明日になったら、ウチの会社ビルにある僕の研究所まで来てくれ。場所はヴァーユが知っている。……もし来なかったら、もちろん彼女を改造する」
 そう言って、天使はノキを連れて消えた。
 突然空気が薄くなったような息苦しさに、アキラはネクタイを緩めたくなった。
「アキラさん」
 突然春に呼ばれ、アキラは何故か教師に指された時の様なバツの悪さを感じた。
春が何を言うかわかっていたから。
「天使の居場所を教えてください」
「ダメです」
 教え、まで言われてすぐに拒否する。
 春の顔が泣きそうな、もしくは今にも怒鳴りそうともとれる様な顔になった。
子供が駄々をこねるような表情。
「なんで……! 俺はノキちゃんを助けないといけないんですよ!?」
「今はダメです。御堂さんに教えたら、今すぐ行こうとするでしょう。……あなたの怪我が回復して、変身できるようになってからにしたほうがいい」
「でも、俺はノキちゃんと約束したんですよ!? ……ノキちゃんを守るって!」
「御堂さん。まだ最悪じゃない! 天使は少なくとも、嘘は吐かない。まだノキさんは平気なはずです。――それに、あなたに何かあったら、ノキさんは平気でいられないはずです」
「横からごめんだけど」と、珠子が二人の間に入った。
「アキラくんの言う通りだよ。ノキちゃんはキミのことをすごく大事に思ってるはずだし。……ノキちゃんを守るってことは、自分も守るってことなんだと思うよ」
 春は俯いて、納得していない様な表情で足下を見ている。
 アキラも、もし自分が同じ立場だったらと思うと、春の気持ちは理解できた。
 しかしそれでも、感情と現実は折り合いをつけなければならない。
「……わかりました。じゃあ明日に」
「それがいい。……じゃあ、とりあえずコーヒーベルトに行きましょう。天使がコーヒーベルトに何かしてないか、心配ですし」
「じゃあ俺……、優さん担いでいきます。二人とも車ですよね」
 頷くアキラを確認して、春は地面に横たわる優を持ち上げた。
「それでは御堂さん、コーヒーベルトに行きましょうか」

  3

 後部座席に優を座らせ、春もその隣に座り、運転するアキラと助手席に座っている珠子に「すいません、二人とも。俺を天使のところに、一人で行かせてもらえませんか」と言った。
「それは、天使を殺す為、ですか」
 アキラの言葉をとっさに返すことができず、春は押し黙ってしまう。
「それなら私たちは、あなたを行かせる訳には行きません。あなたに人殺しはしてほしくない」
「……俺は、天使を殺すつもりはありません。ただ、多分俺、アイツを前にしたらブチギレちゃうんで。それを、お二人に見せたくないんです」
 正真正銘の化け物になるであろう自分は、ありありと想像できる。だが、それでも、殺す気はないというのは本当だ。
「天使には、今までしてきたことをちゃんと償って欲しいんです」
 アキラからポリポリと頭を掻く音がする。
「……納得には程遠いですね」
「でも結局、私らじゃ足手まといだし、危険だしでついてかない方がいいんだよねー」
 珠子の言葉に、アキラの頭を掻く音が止まり、ため息が漏れた。
「それは、そうですが……」
 車が揺れ、右に曲がった。景色がどんどんコーヒーベルトに近づいていく。
 アキラはスーツのポケットから手錠を取り出し、肩越しに春へと渡す。
「――わかりました。あなたにすべて、任せます。必ず天使を捕まえてください」
バックミラー越しに春を見て、そう言った。自分の無力さに打ちひしがれる様な声で。その言葉は春の心を大いに揺さぶる。バックミラーに映るアキラの目をしっかりと見て、春はしっかりと手錠を受け取った。

       

表紙
Tweet

Neetsha