1『きみきみ』

 ベスパを走らせ、俺は街の高台までやってきた。
 嫌なことがあると、高いところに行きたくなる。本当はランドマークタワーにでも登りたいが、あそこ千円すんだよな。高いとは思わないが、もうちょっと安くてもいいよな。
 俺は近くの自販機で買ってきたマックスコーヒーで唇を濡らし、ぼんやりと景色を眺めていた。
 朝焼けにキラキラ光る街は、どうにも癒される。高いとこから見る街ってのは、征服感って言うの? が刺激されて気持ちがいい。
 俺がこうして高台に登り、世界制服ごっこをしているのは、両親の再婚が原因である。昔、小学校入学直前くらいまで一緒に暮らしていた親父と妹が、家に帰ってくる。歓迎するべき事なのかもしれない。しかし、どうにも腑に落ちない。なんでだろう。
 まだ子供なのかな、俺。マックスコーヒーを飲み干し、空き缶を高台に唯一ある自販機に隣接するゴミ箱へと叩き込んで、ベスパに跨り高台を下って、どこか気の向くまま走る。
 夕方くらいまでは帰らないつもりだ。親父と妹に会うのはできるだけ遅くしたい。無駄な抵抗だけど。
 しかしだからと言って、一人でいるのもさすがに時間を持て余すよな。俺はベスパを道路脇に停めて、ケータイを取り出し、友達何人かに電話してみる。遊ぼうぜ。カラオケでも、ゲーセンでも。そう言ったのに、ダーレも誘いに乗ってくれなかった。あるよな、こういう間が悪い時。
「友達甲斐のない連中だなあ……」
 溜息を吐いて、どうすっかなと首を捻る。満喫でも行くか。一番時間が潰せるだろう。あー、ヒトカラでもいいなあ。
「ねえ、ちょっと」
 ベスパに座って、空をぼんやり眺めていた俺に話しかけてきた一人の少女。
「……ん?」
「駅まで行きたいんだけど、どう行けばいいの?」
 亜麻色に近い茶髪のショートカットに、ばっちりメイクが決まった、垢抜けているがあどけない顔立ち。頭も小さいが、小柄でスタイルがいいので、身長が高く見える。赤いニット帽に白いロング丈Tシャツ。白地に黒い花が散らされたミニスカートと、黒のロングブーツ。体のラインが出るなあ。
「駅って、光源駅?」
「そう。遠いの?」
「ああ。遠い、かな。こっからだと歩いて三〇分くらい」
「それだと?」彼女は俺のベスパを指さしている。
「……一〇分くらいかな」
「乗せてって」
「はあ?」
 おいマジかよ。道教えろならまだしも、乗せてけと来たか。めっちゃくちゃ遠慮のない女だが、暇だしいいか。
「ああ。別にいいけど」
「ラッキー!」
 歯を見せて笑い、指を鳴らす少女。
 ベスパのシート下にあるスペースから銀の半帽を取り出し、手渡してやった。
「常備してんの?」
「ああ。友達に乗せろって頼まれることがよくあるんだ」
 だからここに常備してある。
「……名前書いてある。す、おう……?」
「え、名前?」
 少女からヘルメットを一旦返してもらって、裏を見てみる。白いシールが貼り付けてあり、そこにやたらと達筆な字で『周防栞』と書かれていた。あのバカ。俺のヘルメットなんだけど、なんで自分専用感出してんだよ。
「誰?」
「いや、誰って。言う必要ないだろ」
「誰?」
 こええよ。同じこと二回同じ調子で言うなよ。
「俺の家の隣に住んでる幼なじみ。よく二人乗りで登校してんだ」
「ふーん。青春してるね」
 少女はヘルメットを被り、俺の後ろに乗る。腰を掴んだのを確認すると、ゆっくりベスパを発進させた。生ぬるい風が頬を撫で、ヘルメットから漏れた髪を梳く。新生活始まりの時期だから、気候も爽やかだ。美少女を乗せて街を走るっていうのは気分がいい。これで家に帰ったら妹がいるっていうのが無きゃ、もっといいんだが。
「んー! 気持ちいいー。もっと飛ばせー!!」後ろの少女は、腰を掴む形から抱く形にし、俺の耳元で大声を出した。なんか馬を走らせるジョッキーみたいだ。
「ダメだって! 制限速度引っかかる!」風で声が掻き消されるので、互いに声が大きい。
「えー。ダメー?」
「ダメだっつーの!」
 その後も飛ばせ飛ばせとしつこい彼女をなんとか宥め、俺は彼女を駅へと送り届けることに成功した。
 駅前にある円形広場。中央にある噴水を囲むようにベンチが置かれており、カップルなんかが多い。学生やら若者には待ち合わせ場所として親しまれている。
「いやー。あんがと! 助かったよー」
 俺は広場の近くにあった駐輪場にベスパを置き、広場に出て、少女からのお礼を受け取る。
「別にいいさ。暇だったし」
「へー。暇なんだ?」
 なんでニヤニヤ笑ってるんだ。なんか、目の前にご馳走が並んでるみたいな笑い方だ。
「私、ちょっとショッピングしたいんだよね。でも、この街来たばっかりだからわかんなくってー」
「俺に案内しろって?」
「そうそう!」
 いくら暇だからと言っても、会ったばかりの女に付き添って買い物って。うーん。
「よーセミー!」
 広場に響く俺のあだ名。
 声の方向へ目をやると、金髪にボサボサ頭でタレ目。シルバーアクセじゃらじゃら。ひょろ長の男。服装は茶色のパーカーに黒のTシャツとデニム。そしてコンバースの白。彼は天現寺朔。俺のクラスメート。
「なんだよなんだよ! デート中? ッカー! 誰この子!」
 急にやってきて、俺と少女の間に入ってきて、肩に手を回してくる朔。
「あ、私今日この街に来たばかりで――」
「セミとはどういう関係なん? なんだよーセミは栞ちゃん狙いだと思ってたんだけどなー」
「あーうるせえうるせえ。ちげえよ。道案内してただけだ。つまり今日が初対面。お前は? 何してんだ? つーかさっき電話したんだよ。出ろよ」
「ほー。道案内でこんな可愛い子と出会えるなんていいなー。俺今までそんなんねえよ。電話はごめーん気づかなかったんよ。まあ、しょうがねえべ」
 ケータイの意味がねえじゃねえか。もういいけど。
「じゃあ、俺は行くわー。お二人さんごゆっくりー」
 と、朔はブンブン手を振って、円形広場から出ていった。相変わらず人なつっこいやつだ。しかし、彼女はその勢いに圧倒されてしまっていて、ぽかんと朔を見つめていた。
「すごいね。馴れ馴れしさ」
「そう言うな。あれで根はいいやつなんだ」
「……ところで、セミって何?」
 やっぱ引っかかりますよね。そうですよね。
 俺はあまり説明したくないのだが、しかし話の流れからしてすぐわかりそうだし、渋々語ることに。
「あだ名。俺、自分の名前好きじゃなくってさ。だから、代わりに」
「ふーん。――私もセミって呼んでいい?」
「あんま気に入ってねえけど、まあいいよ」
 この子と会うことも今後ないだろう。ならまあ、別に今日くらい。
「サンキュー!」
「で、キミ、名前は?」
「――んー、山田花子」
 偽名丸出しじゃねえか。
「まあ別に名乗らなくてもいいけどさ。なに、じゃあ山田って呼んでいいのか」
「いいよ?」
 本人がいいならいいけど。
「じゃ、連れてって。つーか案内して?」
「ああ。わかったよ。ついてこい山田」
 俺が先陣を切って歩くと、隣を歩いて、喋りかけてくる山田。先ほど朔に引いてたみたいだけど、こいつもなかなか人なつっこい。なんか犬みたいだ。
 なんだかだんだん見えないリードが見えてきた辺りで、駅に繋がった巨大ショッピングモール『ハピモア』へ着いた。地下一階から五階まで。東京ドームくらいあり、たくさんのテナントが軒を連ねる若者憩いの場である。
「へー。広いねーここ」
 ハピモア中央の大広場。吹き抜けのそこには、イベントステージやオープンカフェなどがある。その二階で山田は広場を見下ろして、目を輝かせていた。
「なんだ。山田んとこにはこういうのなかったのか?」
「ないよー。こういうとこ珍しいんだから。デパートとか?」
 そういうもんなのかな。俺は山田の隣に立って、大広場を見下ろす。休日だからか、親子連れが多い。家電量販店も入ってるからな。おもちゃたくさん。わくわくする。
「お前、どこ住んでんの?」
「今日からここ。昨日までは京都」
「へー。京美人!」
「美人って。――まあ悪い気はしないけど」
 言われ慣れているかと思ったが、案外言われてないもんなのかな。でも確かに、そこに住んでる人が美人をそう褒めたら、なんか自分もついでに褒めてるみたいになるもんな。
「なんでこっちに?」
「親の都合で。こういう時ほど自分が子供だって実感する時ないよねえ」
「なるほど。俺も似たような感じだよ」
「……なんで?」
「今日親が再婚すんだよ。で、今頃家には親父と妹が。――めんどくせえったらねえぜ」
「ふーんっ!」
 大声でそう言ったかと思うと、やたら力強く俺の背中を叩いた。
「いってえ! なんで!?」
「別にぃー!」
 そういうと、山田は目を閉じ、べーと舌を出した。子供みてえ。俺は溜息を吐いて、頭をぽりぽりと掻いた。
「ショッピング行くよ! ついてきてセミ!」
 なんでか知らないが、肩を怒らせ、苛ついた様子でずんずん歩いて行った。
 女心ってのはわからん。急に怒り出しよってからに。ここで放っておくわけにも行かず、渋々ついていく。俺、いくら家に帰りたくないからって、なにしてんだろう?


  ■


 結局、やつは何も見なかった。ウィンドウショッピングってやつだ。
「こんだけ付きあわせて、結局何も買わねえのかよ」
 もう薄暗くなってきた夕方。俺と山田は、円形広場に戻ってきた。ハピモア中を周り、服屋とか小物売り場とかいろいろ回った挙句、一銭も使うことなく出てきた。
「今日は見学。買いに行く時間はこれからたくさんあるでしょ」
「あーそう。ま、別にいいけどさ」
「サンキューね。よっぽど家帰りたくないんだねえセミは。父親と妹にそんな会いたくない?」
「あー。ま、そうだな。何年前だ? 十年以上前だからな。家族が他人になるには充分な時間だろ。記憶なんてほとんどねえんだ」
 家族だった記憶なんて、もうない。だから、俺とあいつらはほとんど他人。そう思う。家に他人がいるのは、想像するだけでうんざりだ。
「ふうん。妹と父親はそう思ってないかもよ?」
「かもな。わがままだよわがまま。わかってるだけに、どうにもならねえ」
 なんで赤の他人にこうまでしゃべってんだろう。
 いや。赤の他人だから、なんだろうな。きっと彼女は明日にもこの話を忘れている。後腐れない。内緒話するにはうってつけだ。
「言ってみれば? ――まあ、父親には言えなくても、妹さんには」
「言えねえよ。実の家族が家族に思えないとか、どう言えってんだ」
「まあねえ。妹さん、怒るかもねえ。きっと腸煮えくり返って、セミのことギッタンギッタンにしたくなるかも」
 わざと「にひひひ」と不気味っぽく笑う山田。こいつ、脅してやがる。というか、面白がってんな。
「茶化すなよ山田。――つーか、鈴音ってそんな性格だっけかな。あーダメだ。思い出せねえ」
 離婚間際の事が全然思い出せない。離婚してからは、それなりに覚えているんだけど。もうどっちも存在しか思い出せねえ。この記憶力が問題なんじゃないかって思えてきた。
「ま、会って話してみたら? そっからでしょ」
「――だな。なんかわりい山田」
「いいよ別に。通りすがりのいい女ってね」
「よくわかんねえよ」
「言うチャンスだと思って」
 小さく舌を出す山田。こいつ、なにかあるとちょこちょこ舌を出すな。
「じゃあな。また会う日まで」
「あー、ちょっと待って」
 言うと、やつは俺の胸倉を掴み、引き寄せた。
 なんだろう。そう思う暇すらない。すべては一瞬の出来事。
 俺は、山田とキスをしていた。目の前には、瞼を閉じた山田の顔。吐息の音、熱。すべてが感じられる距離。
 人の事が知れる距離だ。
 やつはゆっくりと手を離し、満足そうに笑うと、トトンとステップを踏んで俺から離れていく。
「へへっ。バイバイ、セミ!」
 俺はポカンとして、先程の山田が朔を見つめていたように、わけがわからないと山田が去っていった方向を見つめる。
 なんでキス? その情報が圧倒的に不足していた。それを埋めようとしたのかはわからないが、山田の姿が見えなくなるまで見つめていた。やつは振り返らなかった。


  ■


 今ベスパ走らせたら絶対事故る。
 だから俺は、ベスパを押して家に帰っていた。
 ファーストキスの所為でボーっとしているのだ。急すぎる。こんなチャリンコの鍵落としたみたいな感じでファーストキスって済んじゃうもんなの? 貞操観念の低さなのか。よくわからねえよなあ。これで同じ学校とかになったら気まずいってレベルじゃねえよ。
 遠回りしたから、すっかり暗くなってしまった。住宅街の一角。夏樹と表札が下げられた一軒家。そこが俺の家である。ガレージにベスパを収め、玄関へ回る。鍵を差し込んでドアを開けた。
「おかえり、セミ」
 目の前には、山田。
 呆然とする俺。なんで? お前がなんで、ここにいる?
 そんな俺を見て、山田はわざとらしいくらい満面の笑み。
「私、夏樹鈴音。今日からまた、セミの妹になるから」
 暑くなってきた。
 違う。俺が冷たくなってきてるんだ。これは、血の気が引いている。今俺の顔は、きっと真っ青だろう。
「よろしくね。お兄ちゃん」
 山田――ではなく、鈴音は、そう言って、蠱惑的に、誘惑するような笑みを見せ、舌なめずり。
 俺には、彼女の後ろで楽しそうに蠢く悪魔の尻尾が見えた気がしてならなかった。