2『これこれ』

 なんというか、久しぶりの家族水入らずというのは、なかなかに鬱陶しい物であった。
 親父が妙に気を使ってきて、これじゃあ義父も同然だ(義父を持ったことがないから知らないけど)。晩飯が豪華なのもまた、気持ちが悪い。ダイニングで四人。
「いやあ、久しぶりじゃないか」
 親父が俺に対して向けてくる笑顔。なんともぎこちない。っていうか、なんで親父俺の向かいに座ってんすか。飯の味わっかんねえ。
「あ、そう、ねえ」
 親父。夏樹宗太郎(なつきそうたろう)。会うのは十年ぶりくらい。深緑のタートルネックに茶色のチノパン。すこし後退したオールバック。なんか、痩せこけているけど、どうしたのだろうか。
「――聞いて、みたかったんだけどさ」
「ん?」親父は、刺身のマグロをつまんで、醤油をつける。
「なんで、親父と母さんは離婚したんだよ?」
「ああいや。今までは別居状態で、その、書類上は離婚してなかったんだよ」
「そうだったのかよ!」
 思わず立ち上がり、母さんに詰め寄る俺。
「実はそうだったのよ、せがれ」と、微笑む母さん。
 俺の母、夏樹笑子(なつきしょうこ)。黒髪のポニーテール。歳の割には艶やかな肌。そして白のTシャツにジーパンとシンプルなファッション。
 おしゃれとかそういうのは、家の中だとしないのだ。そしてちなみに、なぜか母さんは、俺のことをせがれと呼ぶ。意味はまあ、間違ってないんだけどさ。変だろう。おかげで最近、俺は自分の名前を他人から聞いていない。みんなセミって呼ぶから。
「だから、苗字が変わるとか、そういうのはないから。安心しなさい」
「あ、ああ……」別に心配していなかったが。というより、親父と鈴音に目が行ってそっちに目が行ってなかった。
「それで、なんで離婚――もとい別居してたかだっけ? お父さんが浮気してたからよ」
 あっさり言ってくれる母さん。そして、照れたように顔を赤くする親父。まあ、別居する理由としてはスタンダードだ。今更怒る気にもならない。というか、母さんがもういいというのだから、俺が何か言うのも違うだろう。一〇年の別居でもう許したのだろうし。
 俺は適当なおかずをピックアップして白米の上に乗せると、それをおもいっきり口の中に掻き込んだ。頬袋を膨らませ、咀嚼。お茶で流し込んで箸を置き、「ごちそーさん」と手を合わせ立ち上がった。
「あら、もういいの?」
「ああ。部屋戻るわ」
 母さんにそう言って、食卓を離れる。
 ドアを開けようとした所で、背後から「今日からまた、よろしくな」と父さんの声。短く、「ああ」と返して、俺は部屋へ戻った。

 俺の部屋は二階にある。二階の一番奥。冷たいフローリングの感触を楽しみながら暗い廊下を歩き、我が六畳間へと帰ってきた。
 ベットに本棚ゲームその他が所狭しと並んでおり、ちょっと圧迫感があるくらいのちょうどいい広さだ。俺はベットの上に寝転がり、手を枕代わりに天井を見上げた。
「はぁーあ……」
 なんの溜息だろう。
 めんどくさいが一番近い気がする。例えばこれが、初対面の義妹ならまだ打ち解けられる気がする。中途半端に血が繋がってるといろいろと考える。家族と呼ぶにはそんな実感がないけれど、事実だけあるというのも歯がゆい。なんか、あと一ピースで完成するパズルなのに箱の中にはもうピースがないって感じ。
 その時、部屋のドアがノックされ、数拍の間を置いた後に開かれ、鈴音が入ってきた。
「んだよ、山田」
 言ってから、後悔した。何を子供っぽい事を。
 俺がそう考えたのは鈴音もお見通しなのか、それとも俺と同じ様に子供っぽいと思ったのか。どちらかは判断がつかなかったが、やつはくすくすと笑って、ベットの縁に尻を置き、俺の顔を覗き込む。
「改めて。夏樹鈴音だよ。兄貴」
「お前、なんで正体隠すような真似したんだよ。っつーか、俺が兄貴だって知ってたのか」
「まーね。でも、最初に声かけた時はマジ気づいてなかったよ? 気づいたのは声かけた後。『あ、なんか兄貴に似てるなー』って。その後ずーっといつ気づくかと思ってたら、結局最後まで気づかないでやんの」
 鈴音の表情が幾分か険しい物になった。こいつ、俺が気づいてなかったからって怒ってやがる。
「変わりすぎてて気づかなかったんだよ。悪かった――って言いたいところだけど、俺が兄貴だって気づいてんだったら、なんでキスなんてしたんだよ」
「んー? 愛情表現だよ。アイジョーヒョーゲン」
 なんでもなさそうに言う鈴音。今にも口笛を吹き出しそうなほど軽快な口調だ。
 愛情ねえ。照れくさい言葉だが、嬉しいかと言うと微妙だ。妹でファーストキス済ませるとか死にたくなるね。
 しかしどうも、鈴音はそんな俺の憂鬱などわからないとばかりにきょとんとしていた。離れていた間に、俺と鈴音の考え方にはでかいズレが生じてしまったようだ。
「で、私、明日から兄貴と同じ高校だから。よろしくー。双子だから学年一緒っしょ?」
「だろうな」
「なんだよーそっけないなー」俺の胸に指を乗せ、『の』の字でも書くように動かす。俺はその手を払い、ベットの端で壁に向かい合う。
「ちぇ。久しぶりに会ったんだからさ。もうちょっと積もる話とかー」
「……」
「彼女とか出来たのー?」
「なんでテメエに言わなきゃなんねえんだよ!」
「あ、その反応。いるんだ?」
 いないよ。妹からそういう質問されるのがイヤだから語気が荒くなっただけだ。
「もしかして、ヘルメットに名前書いてた周防って人?」
「そいつはウチの隣に住んでるただの幼なじみ」
「ただの幼なじみのヘルメットを原付のケースに常備しとくの?」
「しとくの。毎朝二人乗りで学校行ってっからな」
「うーわ。恋人同士みたい……」
 と、なぜかドン引きしたような声色の鈴音。
「それでただの幼なじみって言えちゃうんだから、兄貴って図太いっつーか……」
「んだよ」
 俺は起き上がり、ベットの上で鈴音と向かい合った。やつの目はなんというか、出来の悪い生徒を見る教師のような目だった。
「向こうだってそう思ってるだろ。もう何年登校してると思ってんだ? 幼稚園からの付き合いだぞ?」
「それでもまだ付き合いがある事のほうが驚きだよ……」
「そりゃーダチっ子だかんなあ。――って、んなことどーでもいいだろ。ほれもう出てけ。俺はもう寝る」
「あーっそー。お休みー」
 一悶着あるかと思えば、鈴音は素直に部屋から出て行った。てっきり「えー。いーじゃーんもうちょっと話そうよー」とか言って、どっかり居座るかと思ったが。……ま、いいや。出てってくれたらそれで。俺は眠いと我慢があまり効かないタイプなんだ。素直に寝よう。



  ■


 翌朝。俺が制服のブレザーに着替えてダイニングに降りると、すでに俺以外の家族は集合していた。テーブルには朝食のトーストセット。
 俺は鈴音の隣に腰を降ろすと、「いただきます」を宣言してから手をつけた。トーストを齧っていると、「なあ」と親父が声をかけてきた。
「あ?」
「これ。お詫びってんじゃないが」
 と、一万円を俺に出してきた。
「な、なんだよこれ」
「いや。今まで離れたからな。お詫び代わり。これから本格的なお詫びをさせてもらうよ」
「……あんま気にしなくていいんだけどな」そう言いつつ貰うけど。
 財布にしまいながら、「大事につかうよ」と言って、朝飯の続き。
「あれ。兄貴、トーストにヨーグルト塗るの?」
 鈴音が俺の手元を覗きこんでくる。
「ああ。好きなんだよこういう食い方が」
 口にパクパクと放り込んでいく。鈴音はそれを見て、パンの端にヨーグルトをつけ、試食。もにょもにょと口を動かしていると、どうにも受け付けなかったのか、すぐにお茶で流しこんでいた。なんだよ美味いのにな。

 朝食を終え、俺と鈴音は一緒に玄関を出た。やはりというかなんというか。鈴音は俺の学校に転入してくるそうだ。
「おはよう、セミくん」
 と、家の前に、噂の幼なじみ周防栞が立っていた。
 黒髪ロングのストレート。朝陽が反射して輝いている。なんか宝石砕いたものでもまぶしたみたいだ。天使の輪っていうんだっけ? 髪に輪っかができてる。ぼんやりとしているような虚ろというか覇気のないトロンとした目。スラリと長い手足は、見栄えよく出来上がってる。
 鈴音も、栞の見た目に圧倒されているのか、口が半開きだ。
「ういっす」
「あ、もしかしてそちらが妹さん? セミくんと幼なじみの周防栞です」
「ど、どうも」
 俺から妹が帰ってくるという話を予め聞いていたので、受け入れるのが早い栞。手を差し出し、握手を求めてくる。鈴音は唖然としながら、その手を握った。
 えーっと、俺と栞が確か幼稚園に入園した時くらいに初めて会ってて……。親父と母さんが離婚したのはそれくらいだから……ほとんど入れ替わりで知り合ってるのか。
「あ、つーかお前。俺のヘルメットに名前書いたろ。あれ使うのお前だけじゃねーんだぞ」
「別にいいじゃない。ほとんど私専用みたいな感じだし。今日も――って、そっか。鈴音ちゃんがいるもんね。徒歩通学?」
「そのつもりだ」
 車でもあれば別なんだけどな(運転できねーけど)。
「えー。兄貴ー。私兄貴の後ろに乗りたいなー」
 鈴音が俺の手を引っ張り、上目遣い。
「はあ? 何言ってんだお前。昨日乗ったろうが」
「ぶー」
「可愛くねーんだよ! バカな事言ってねーで行こうぜ」
 カバンを背負い直し、やつらを置いてとっとと先を行く。
 後ろでは栞が、「行こう鈴音ちゃん」と鈴音を窘めているようだった。どうにもわがままで困るね。ホント。



  ■


 学校は徒歩で二〇分ほど。原付だと半分もかからないのだが、まあしょうがない。鈴音か栞、どっちかを置いてバイクでというのも、ひどい話じゃないか。
 鈴音はまず職員室に顔を出さなきゃいけないらしく、俺達は別れて教室へ向かった。
 何人かの友人達と挨拶をしながら廊下を歩き、俺達が所属する教室。二年B組へ。
「ういーっす」
「おはよー」
 俺と栞の挨拶が教室へ飛ぶ。
 そして、「おー。お二人さんおはよう!」と、朔の元気な声が返ってくる。なんだかやまびこみたいな気分。
 朔は、友人二人と話していたらしく、机の上に座って振り返り、盛大に手を振る。朔と
話していたのは、俺と共通の友人。男女の二人で、男の方は秋津修吾。
 眉にかかる程度まで伸ばした髪に、純真というか何を考えているのかよくわからない黒い目。なーんか、マグロの目を見てる気分。ブレザーをきっちりと着こなすから真面目に見えるんだけど、案外そうでもない。クールというかマイペースというか、掴み所のない男だ。
「やあセミくん。おはよう」
 秋津は、にこりと笑って手を挙げる。
「セミー。聞いたわよー。昨日可愛い女の子連れてたんだって?」
 女の方。貴島恋。
 茶髪のサイドテールに、キリリと釣り上がった気の強そうなアーモンド形の瞳。活発な性格で、格闘技をやっている為か、細く締まった体をしている。ブレザーを腰に巻き、リボンを首にぶら下げている。なんというか、生きのいい馬みたいな印象がある。
「朔てめえ。喋りやがったな!」
「別にいいだろー。ちっきしょーいいなー俺も出会いほしー」
 と、ケタケタ笑いながら身を捩る朔。
「あれは別になんでもねーんだって。妹だよ妹」
「はあ? だってオメー。今日初対面で、道案内してるだけだって言ってたべ。妹が初対面ってことはねえし、っつーか俺にそう紹介するべ?」
「だーからそれは、妹だって後からわかってだな――」
「そんな回りくどいこと、なんでするんだよ?」
 それは俺が訊きたいよ……。
 きょとんと首を傾げる朔。俺も、同じ様に首を傾げた。鏡を見ている気分。
「でもね、天現寺くん。確かにセミくんの妹さんが、昨日から帰ってきてるんだよね」
 栞のサポートがあってか、朔は納得していないようだが、一応の筋は通ったので、それ以上言及はしてこなかった。
「妹って、セミ、妹なんていたの?」
 恋の質問に引っ張られるように頷く。
「ああ。物心つくかつかないかの時に良心が離婚してな。離れて暮らしてんだけどさ、再婚して、戻ってきた」
 あ、書類上離婚してないから別居状態だったんだっけ。まあ、そんなとこ話すとめんどくさいからいいか。大して変わらないし。
「ふーん。ま、よくわかんないけどめでたいね!」
 なかなか力強く肩を叩かれた。
 めでたくねーんだよ。あんまり。そう返そうとしたが、恋に言ったって仕方ない。
「セミくん。あんまり嬉しそうじゃないけど、どうかしたのかい?」
 と、修吾はどうにも鋭い事を言ってきた。
 こいつはどうにも、人を見透かした事をよく言う。まあ、俺と同じく母子家庭だから、わかる気持ちがあるのかもしれない。まあ、もう我が家は母子家庭じゃなくなったけど。つーか、修吾の家っていっつも母親がいないけど。
「いや。久しぶりに会う妹なんでね。これからめんどくせーなって思っただけだ」
「ふぅん。妹っていうのは可愛い物だって聞いてるんだけど、そうでもないんだ」
「人によるだろ、そんなの」
「セミくんの妹さんってどんな子なのかな。周防さん」
 修吾に話を振られた栞は、人差し指を顎に添えて、「話した感じだと、いい子だったかな? 可愛いし、モデルみたい」
「あー、確かにレベル高かったなあ。セミの妹さん。セミと血が繋がってるとは思えんかった」
「だからアンタは、セミの妹だって気づかなかったわけか」
 朔の失態の原因が今更わかったとばかりに、恋は朔の言葉を脳になじませるみたいに頷いていた。
 つーか、血が繋がってるって一番自覚できてねーのは俺なんだよな。家族じゃないから、朔達は深く納得しなくてもいいけれど、俺の場合、家族だと実感できるだけの記憶がないから、どうにもこう、歯がゆいっつーか。
 早く慣れるといいんだけどな。
sage