6『いつもの』


 古時計堂の味は鈴音の舌を満足させるコトができたらしく、アップルパイを食べ終わる頃には、「今日は割り勘でいいや」とのお許しをいただく事ができた。
 ほんと助かる。バイトしてない学生ニートだから。
 そして、鈴音転校事件(そう呼んでるのは俺だけなんだけど)から、鈴音はすっかりクラスの人気者ポジションに落ち着いた。お前、兄貴の俺を差し置いて、と思わんでも無いが。

 そんな日々が、やっと一週間経過した。
 なんて長い一週間だ。何人かのクラスメイト、そして同学年の男共が俺に鈴音の情報を聞いて来たので、胃が大分荒れた。
 あんま学校に行きたくないが、しかし学生。学校行かないと俺はなにしたらいいのか迷っちゃうので、行かなきゃならない。
 でも、できれば布団から出たくない。まぁ、いい。どーせもうちょっとしたら、出なきゃならなくなるんだ。それまで布団のぬくもりを楽しもう。
 そんな事を、半分夢の中にいながら考えていたら、部屋のドアが開く気配がした。
 ギシギシと床を歩く音。まぁ、誰かはわかっているんだが。
「ねえ、セミくん。起きてー」
 そう、幼馴染の、周防栞である。
 小学校の頃、『どっちが早く起きれるか競争しようぜ!』というのが、俺と栞の間で流行った。しかしまぁ、俺は一回も勝てず、俺がねぼすけである事を自覚し、栞に俺を起こす事への義務感を抱かせてしまった。
 そんなわけで、俺は小学生以来、ずっと栞に起こしてもらっている。
「わるい……もうちょっと、ギリギリで頼むわ……」
「もう充分ギリギリだってば、もう……。朝ご飯食べる時間、なくなるよ?」
「朝飯いらん……」
「ダメだよ。いっつもそう言って、朝ご飯抜きになって、朝機嫌が悪くなるでしょ?」
 さすが幼馴染。なんでも知っとる。
 朝食べないと、昼飯まで機嫌が悪くなっちゃうのだ。
「ふぅん……。兄貴、栞さんに起こしてもらってるんだ?」
「うぉ!?」
 俺は、思わず飛び起きた。部屋の入り口には、鈴音が立っていて、俺と栞を苛立たしげな目で睨んでいた。
 栞は、ベット脇に立って俺を揺さぶっていたので、危うく頭をぶつけるところだったが、以外と機敏なヤツは、躱してくれた。
「び、びっくりしたぁ……。鈴音ちゃんの声だと、サッと起きるんだね?」
 くすくすと笑う栞。誤解しないでもらいたいが、別に鈴音だから起きたというわけではない。この状況を誰かに見られるというのが恥ずかしくて、起きただけだ。
「でもよかった。これで朝ご飯食べられるね」
 微笑む栞。いや、そういう事を言ってる場合ではないんじゃね?
「栞さん、すこし兄貴を甘やかし過ぎなんじゃないの?」
「そんなことないよー。セミくんには、たまに勉強教えてもらったりするし、鈴音ちゃんが来る前は原付で送ってもらったりとかしたし」
 ギブ&テイクだよねー、と俺を見る栞。
 まぁ、そうなるな。だからってこう律儀に起こしてくれなくてもいいんだぜ、って言ってやりたい。起こしてもらわなかったら起きれないから、言えないけど。
 俺は、クローゼットから制服を取り出し、パジャマを脱いで着替えようとした。だが、上着を脱いだ辺りで、つまりは上半身裸になった時、鈴音が顔を赤くしながら、「ちょ、兄貴なにしてんの!?」と、顔を手で被いながら言った。
「は? 何って、着替えだろ」
「着替えって、まだ部屋に女の子が二人いるでしょうが!」
「そら、生物学状は女かもしれんが……。栞の前で着替えなんて、もう何度もあるしな……」
「セミくんはデリカシーがないからね」
 くすくすと笑う栞。さすがに、俺が栞の着替えを見るというパターンはないが、栞はもう何度も俺の着替えを毎朝見ているワケで、やつに覚える気があれば、俺のパンツローテーションを把握しているだろう。
「それに、鈴音は妹だしな。着替えくらいどーでも」
「よくないっ!」
 鈴音の平手が、俺の胸板を打った。皮膚が弾かれ、思い切り乾いた音が鳴って、俺の足先から頭の先まで、痛みという稲妻が駆ける。
「無神経め!」
 捨て台詞っぽい言葉を吐き、鈴音が不機嫌そうに、勢いよくドアを閉めて出て行った。ぶっ壊れるかと思うほどの勢いで、俺は思わず体を跳ねさせた。
「はい、セミくん」
 と、栞から肌着を差し出され、「サンキュウ」なんて言いながら受け取る俺。甘やかされすぎ、とは思う。
 制服に着替えながら、独り言みたいに「鈴音のキレるポイントが全然わかんねえんだよなぁ」と言いながら、寝癖だらけの頭を掻きむしる。
「あははっ。セミくんは友達が多いのに、女心っていうのはわかんないからね」
「お前には男心ってのがわかんのか?」
「さぁー」
 女心がわかる男なんてそうはいないと思うね、俺は。
 男心がわかる女も、そういないと思うし。

 そんな、不毛な会話は早々に切り上げ、着替え終わった俺と栞は、さっさと一階に下りた。
 母さんは俺が栞に起こされる光景なんて見慣れているから、すでに食卓には栞の分の料理も乗っていた。だが、その数は四人分で、我が家はつい先日四人家族になり、それに栞を含めると、どうしたって料理の数が足りない。
 俺はよほど不思議そうに食卓を見ていたのか、母さんが「父さんなら大分前に食べて、出てったよ」と言った。
「あん? そうなのか。……親父、随分早起きだなぁ」
 俺にはできねえ。ベットに捕まると、栞の手助け無しでは脱出ができない。
「いやあ、ほんと、悪いわね栞ちゃん。せがれがいっつも、お世話になっちゃって」
「もう昔っからだし、気にしてませんよ」
 くすくすと、上品に笑う栞。たしかに、昔からすぎて、俺も今更栞に起こしてもらうのを気にしなくなってきている。
「……いいの? 兄貴はそれで」
 まるで電池が切れかけたミニ四駆でも見るみたいに、鈴音が俺を見つめてきた。切なくなっちゃうから、その顔やめてほしい。
「幼馴染の女の子に毎朝起こしてもらうとか、ダサダサでしょ……」
「ダサくても、俺はたくさん寝れるのが幸せだと思ってるからさ」
「兄貴、情けなー……」
 ついに電池が切れたミニ四駆を見るような鈴音。めんどくせえなあ、みたいな目である。
「このままずっと、栞さんに起こし続けてもらう気?」
「隣に住んでる限りはそうなるんじゃね?」
 我ながらめっちゃ情けない事を言っているが、栞も「そうだねー、余裕がある限りは起こしてあげるよ」なんて言っていて、今更『一人で起きる努力をするよ』なんて言い出せなくなった。
「うーん、せがれにはもったいないほどのいい子だなぁ……」
 母さんは、栞の頭を撫でながら、ニコニコ笑う。栞も笑顔をお返ししながら、「いやぁ、そんなー」と照れていて、俺はなんともケツが痒くなった。
「そうだ。お礼に、なにかせがれにできる事だったら、なんでも言っていいわよ」
「はぁ? なんで母さん発信で俺負担なんだよ」
「……それくらいの事は、もっと早く言い出しておいてもよかったのよ」
 母さんの正論に、俺は「……いや、まあ、そうだけども」と言葉に詰まる。
「でも、俺いま、金無いんだって」
 鈴音にアクセサリー買ってやったりしたし、今月は出費が多かったのだ。
「はぁ。甲斐性の無いせがれ……」
「ほっといてくれる?」
「あ、それなら、実は映画に行きたいんですけど、友達が全員捕まらなくて。セミくんが付き合ってくれると助かるなー、なんて」
 ものすごい控えめな事を言ってくれる栞。鈴音なんか、一万もするアクセサリーを要求してきたというのに。
「えー、ズルい!」
「お前にはそのイヤリング買ってやったろうが」
 俺は、鈴音の耳にぶら下がるイヤリングを指で撫でた。これくっそ高かったんだぞ。イヤリングの相場がわからないから、イヤリングとしてどの程度なのかはわからないけど。
「映画代くらいなら、出してあげるから行ってきたら?」
「ほんとですか? やった!」
 無邪気に喜ぶ栞。
 映画が見れるなら、まあいいかと思う俺。
 そして、なぜか不満そうな鈴音。
 自分だけ仲間外れだからって、不満なのだろう。起こしてもらってる俺を笑えないくらい、鈴音もまだまだ子供だな。
 そう思うと、なんだか少し安心した。
sage