Neetel Inside 文芸新都
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レインドッグ
第七話 犬の恋敵

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第七話 犬の恋敵

 朝。
 雄一は、家のすぐ前に倒れている少女を見つけた。
 少女の制服には見覚えがあった。去年まで通っていた中学の女子制服だった。
「…………」
 正直、スルーしたかった。
 しかし、倒れている少女を放っては置けない体質の雄一には到底無理な話であった。
「…おい、大丈夫か?」
 雄一は少女の傍でしゃがみ込み、うつ伏せのその肩を揺らしながら言った。
 反応はない。
「…死んでるのか? いや、でもまだ暖かい」
 今度は、背中に手を移動させた。胸の裏側からは、心臓の鼓動が感じられた。
 どうやら気絶しているだけみたいだ。そう、安心した瞬間。
「せ~んぱ~い!」
 突然だった。少女は起き上がり、雄一に抱きついた。
「ええっ!」
「会いたかったですぅ~」
「ちょ、何!?」
 事態を飲み込めず、雄一はじたばたと暴れていた。少女は引き剥がされないようさら
に強く雄一の体を締め付けた。
「くるっ、くるしっ……き、君だれっ……」
「あたしですよぉせんぱいぃ~」
 そんなことを言われても、雄一は少女の顔さえ見ていないのである。
「あたしって、言われても……」
「相沢ですぅ~」
「…相沢? 相沢……美貴?」
「覚えててくれましたぁ?」
「…とりあえず、離して、くれない?」
 雄一は、息も絶え絶え懇願した。
「はぁ~い」
 美貴はそう明るく言ってようやく雄一を解放した。
 激しく咳き込む雄一を見て、美貴は言った。
「せんぱい」
「…なに」
「せんぱいの家に入りたいなあ」
「は?」
「だって、久し振りだし落ち着いて話したいんです」
「いや、俺これから学校に……相沢もそうでしょ?」
「学校なんて適当にさぼればいいじゃないですか!」
「…うーん……」
 学校をさぼるのは問題ではなかった。問題は、れいんである。
「…あいつ、午後まで帰ってこないよな」
「?」
「いや、なんでもない。入れば」
「いいんですかあ?」
 まあ、何をするでもないしいいか……雄一はそう思っていた。

 その頃、れいんは公園にいた。
「子供たち~お姉ちゃんのとこに集まっておいで!」
 公園に居た子供たちとその親が一斉にれいんの方を見た。
「あら、あの子が紙芝居をやるの?」
「懐かしいわね~紙芝居なんて」
「ほら、あんたら行ってらっしゃいな」
 親がそう促して、子供達は皆れいんの元へ駆けて行った。
 親たちは、久し振りにゆっくりと井戸端話に華を咲かせられると内心喜んでいた。
このご時勢、子供から目を離すのは不安だが、紙芝居を見ているうちは何も問題が
起きることはないだろう、という安堵があった。
 それから数分後、一人の親がふとれいんの紙芝居に目をやって、絶句した。
「? どうしたの橋本さん」
 橋本と呼ばれた主婦は、口をパクパクさせて紙芝居の方を指さした。他の主婦も指
し示された方を見て、同じく絶句した。
「『だすよっ、恵子、中に出すよ』『だめよ浩二さん! 今日は危ない日なの、やめ
て』『ふふふ、関係あるものか。避妊していない時点で妊娠の可能性はあるんだよ』
浩二はそう言ってさらに動きを速めました。恵子は焦燥感と共に押し寄せる快感の波
に――」
 れいんは、およそ幼児向けとは思えない凄惨な内容の紙芝居を読んでいたのである。
子供達はまじまじとそれを見、聞いていた。
 親たちは気を取り戻すと、ダッシュした。
「何をしてるの!」
 親たちは同時に叫んだ。
「性教育の効果もある楽しい紙芝居です」
「ちょっと子供向けとしてはストレートすぎる内容じゃないかしら!?」
「手遅れになってからでは遅いんですよ!」
 れいんは、鋭く言った。
「どういうことよ?」
「子供達が間違った性情報を得て、妊娠やそれに伴う人工中絶などを経験してしまうよ
うになったら遅いということです」
「まだ早いわよ!」
「甘いですよ! 子供なんてあっという間にでかくなって毛が生えてオナニー覚えてそ
れを猿みたく繰り返して遂にはセックスしたくなるんですから!」
「まだ早いって!」
「性教育に早いも遅いもありません!」
 こんなのを数時間続けた。

 雄一と美貴は、積もる話を切り崩した。
「…で、どうなん? 今の野球部」
「皆やる気あんまないです」
「マジか」
「弱いからかなあ」
「練習しなきゃ強くなるもんも強くなれないぞ」
「そういうせんぱいはどうなんですか?」
「どうって、何が」
「高校に入って、野球してないって、友達から聞いたんですけど」
 雄一は、少し下を向いた。
「なんでですか? せんぱいは並の部なら高校でも一年からエースになれるって言われて
たのに。かなわない人がいたんですか?」
「いや……そういうわけじゃないんだけど」
「…女性、ですか?」
 雄一は、固まった。
「そうなんですね?」
 女っぽい部屋じゃないし、下着も散らかっていないのに何故バレたのか、雄一には分か
らなかった。美貴の緊迫感の籠もった表情が、雄一を威圧した。
「匂いで分かりますよ、私も女ですから。雌には雌にしか感じ取れない匂いがあるんです
って。高校一年で、女の人と一緒に住むなんて、許されるんでしょうかね?」
「…どう、なんだろうねぇ……」
「…困ってるんじゃないですか?」
「え」
「女性に気を取られて野球に集中できないんじゃないですか?」
「いや、そんなことはないよ」
「嘘です」
「もう野球はいいんだ。れいんのせいじゃない。俺が駄目になったんだ」
「れいん、って言うんですか。その人」
「…あ」
「…それじゃあ、せんぱい、失礼しますっ!」
 美貴はコロッと表情を明るく変えて、体を翻して部屋を出て行った。
「…嫌な予感がする」
 雄一の予感は、現実に変わることになる。

       

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