Neetel Inside 文芸新都
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レインドッグ
第二話 笑う犬

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第二話 笑う犬

「バット男?」
 れいんは夜のカレーに入れる豚肉を買いに肉屋に来ていたが、そこで話好きの主婦と
鉢合わせになった。
 平日の昼に外でのんびりと会話できるのは主婦とニートくらいのものだ。
「そうなのよお。ここんとこ深夜になるとバットを持った大男がこの辺徘徊してるんだ
って。この前なんてさ、あたしんちの向かいの遠藤さんとこの息子さんが肩殴られて…
…」
「…どうなったの?」
「打撲ですって」
 れいんは笑いながら言う主婦を見て、軽くずっこけた。
「骨折とかじゃなかったのか……」
「息子さんも殴られた瞬間は気が動転してたみたいだけど、冷静に思い返すと音も衝撃
も軽い感じだったって」
「ふうん……」
「でも、やっぱり危ないわよねえ。子供用のプラスチックバットが金属バットに変われ
ば殺人事件になっちゃう。次はバット変えてくるかもしれないじゃない」
「…………」
 れいんは、じっと考え込んでいた。
「一応、駐在さんも夜間の見回りしてるみたいだけど、それだけじゃあ……」
 二人の会話が止んだところで、れいんの豚肉の包装が終わった。
「はい! 348円になります!」
 れいんは千円札を店員にぽんと渡した。店員がお釣りを揃える間に主婦が言った。
「そういえば、れいんちゃん学校は?」
「え?」
「お兄ちゃんが高校一年生でしょう? 中学校は? 行かなくてもいいの?」
 そういえば、雄一は兄という設定になっていたのだと、れいんは思い出した。
「あー……あたし、兄と同い年なんですよ」
「そうなの? 双子とかじゃあ……ないわよね」
「それは……色々と、複雑な事情がありまして」
「…ああ、御免なさいね、つらいでしょうに、穿り返しちゃって」
 何だか分からないが、主婦は勝手に結論を出してくれたので、れいんはほっと一息つい
た。
「じゃあ、高校生なのね」
「はい」
「学校は?」
 事態は、大して変わっていなかった。
「…実は、中退してしまったのです」
「まあ」
 主婦はあからさまに渋い顔をした。
「最近そういう子多いらしいわね。ニュースで見たわ。そりゃあつらいことはあるでしょ
うよ。でもねえ、親が少ない稼ぎを遣り繰りして必死に行かせた高校を簡単に止めちゃう
なんて、私はよくないと思うのよね」
「…………」
「はいお釣り!」
 れいんはお釣りを受け取った瞬間脱兎の如くその場から逃げ出した。
「いかんなー……もっと自分の立場を明確にしとかないと……」
 そう言いながらも、頭の中はさっき聞いたバット男のことで一杯だった。
「…夜か」
 そう、呟いた。

 午後七時ちょっと過ぎ。雄一は二人の友達と夜の街にいた。
「よおユーイチぃ、いいのかよまだ帰んなくて」
「いいんだよぉ、今日はれ……妹がメシ作ってるから」
「おめー自炊だもんなあ。俺なんて帰ればメシ用意してあってよ、邪魔でしょうがねえ」
「大体外で食っちまうもんなー」
 雄一以外の二人の高笑いが夜空に響く。
「あー……でも、俺そろそろ帰っかな」
「なんだあ? 妹が心配か?」
「雄一シスコン?」
 そう言って、二人はまた笑った。
「お前ら酒入ってるみたいなテンションだな……」
「おーよ! 脳からアルコールが分泌されてんだよ」
「てんだよ!」
「…じゃーな」
 あいつらとは合わないかな――と思いながら帰り道を歩む雄一だった。

 同じころ。雄一のアパート。
「ふふふ……」
 れいんは自信満々の表情で手に持つものを見た。
「狙われやすい場所は、肩……このまな板を改造したショルダーガードで対策は万全だ!」
 れいんの手に握られたのは、真っ二つにされたまな板だった。
「首洗って待っていやがれバット男ー!!!!」
 まな板を両肩に入れて固定し、れいんは部屋を出て行った。雄一が帰ってきたのはそれか
ら数分後のことだった。
「ただいまー……あれ?」
 てっきりカレーの匂いが部屋に充満していると思い込んでいたので、雄一はすぐにれいん
が一日一善を果たしていないことに気付いた。
「あいつ、作ってないのかよ……うわ、米すら炊いてねえ」
 ついでにまな板もなくなっていたのだが、女ではないのでさすがにそれには気付かなかっ
た。
「…腹減ってるんだけど……でも……」
 雄一は、己が内から湧き上がってくる衝動を逃さなかった。それからの行動は素早く、す
ぐに机の奥から『ムツゴロウ動物王国』と書かれたラベルの貼ってあるビデオテープを取り
出した。勿論アダルトビデオである。
「急に来るんだよなー、こういうの。今の内に処理しとかないと……」
 トイレットペーパーを厚めに巻き取りながら、雄一は呟いた。
「間違いが起こるかもしれんしな」

 街灯で仄かに照らされた通りをれいんは呟きながら歩いた。
「来るなら来いバット男……あたしが成敗してやるぜ」
 その時、強い風が吹いた。十二月の寒風である。れいんは手袋をはめた両手で顔を覆った。
「さむっ……あ」
 今年最初の雪が、この夜降った。
「…綺麗だな――」
 言った次の瞬間、肩に鈍い衝撃が走った。まな板と金属が衝突したのを、れいんは把握して
いた。
「…あんたもこの夜空を見たらどう? 星と月と雪――この三つが同時に見れる日、この街じ
ゃあそうはないだろ? ねえ……バット男さん?」
 身を翻したれいんは、正面にバット男を捉えていた。
 でかいな。バット「巨人」の方がしっくりくる感じ。
 ――足元だ。
 れいんは音もなくバット男の足元に入り込んだ。そして地面に手を着きブレイクダンスのよ
うに体を回転させる。バレイダンサー並の柔らかさで足を回し、見事巨人を地面に転がした。
 よし!
 れいんはすぐに体勢を元に戻し、仰向けになった男に馬乗りになろうとした。
「!」
 しかし、バット男の体の力はれいんの華奢な体など問題としなかった。バットを手放し、そ
の空いた手で払い除けると、れいんは壁に叩きつけられていた。
「くっ!」
「…なんだあ、おめえ、女かあ……」
「そうだよ、悪いか!」
「…女にゃ、興味ねえなあ……」
 バット男はそう言いながらゆっくりと立ち上がった。立ち上がり、そしてれいんに背を向け
た。
「帰るわ……じゃあな……」
「ちょっ……お前それでいいの!?」
「おら……男の子殴るのだけが楽しみなんだあ……女の子じゃあただの弱い者いじめじゃねえ
か……」
 バット男は金属バットを拾い、のしのしと歩き出した。
 れいんは、暫くそこで立ち尽くしていた。

『はっ、はっ……んっ、そこ、駄目、ああっ……!』
 雄一は暖かい部屋で存分にエレクチオンしていた。
「この子可愛い……こういう子で童貞捨てたいな……」
 雄一は、冬なのに額に汗を浮かべて揺れていた。
「ただいまー!」
 家のドアの方から声がした。それを脳が認識するより早く雄一は神の如きスピードでビデオ
を停止させ、未使用のトイレットペーパーをポケットに詰め、持ち上がった息子を無理矢理ズ
ボンに押し込み、チャックを閉めた。本当はテレビデオの中に入っている『ムツゴロウ動物王
国』を机に戻したかったが、雄一はそこをグッと堪えてそのままにしておいた。しまうには圧
倒的に時間が不足しているのが分かっていたからだ。
「…おかえり」
 完璧だ――雄一は、れいんを見ながら心の中でガッツポーズした。
「ああちっくしょう!!」
「何、どうしたの」
「バット男、死ね!!」
 ああ……こいつ、カレーのことなんて頭の片隅にも残ってないんだな――雄一はある種の諦
観を持たざるを得なかった。
「…あのさ……」
 ごとっ、ごと。
 音がした。れいんが投げたのは、真っ二つになったまな板だった。
「何?」
「ああ……いや、いいんだ……もう、どうでもいいんだ」
「?」
「どうでもいいなあ……ちくしょう」

       

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