Neetel Inside 文芸新都
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レインドッグ
第八話 犬と恋敵

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第八話 犬と恋敵

 れいんは歩いていた。
 れいんはとぼとぼと歩いていた。ただでさえ小さい体を折り曲げて、
白い息を吐きながら、コートのポケットに手を深く突っ込みながら、頬
をリスのように膨らませながら、下を向いて歩いていた。
 ゆえに、急に現れた自分より背丈の高い少女にすぐ気付くことが出来
なかった。
『愛してる』『愛してる』『愛してる』
 ――本当だろうか。
「あなたが、れいんさん?」
 雄一は言った。『愛してる』と。
 それは本当なんだろうけど、でも、でも――
「聞いていますか?」
「…愛してる」
 思いが口を突いて出た。
「えっ?」
「…あ」
 少女の一メートル前まで来たところでようやく、れいんは気付き立ち
止まった。
「…あなた、れいんさん、ですよね」
「そうだけど……あなた誰?」
「卑しいあなたに名乗る名はありません」
「卑しいって……」
「単刀直入に言います。あなた、雄一せんぱいの所から出て行きなさい」
 少女――相沢美貴は、笑顔で次々と厳しい言葉を並び立てた。
「せんぱいは、あなたのことなんて性処理人形くらいにしか思っていな
いんですから」
 れいんは、何故自分がそのように口汚く言われなければならないのか
理解出来なかった。しかし、段々と湧き出てくる理不尽に向かい合う怒
りが、再び彼女の口を開かせた。
「…あなた、名前言いなさいよ」
「だから、あなたみたいな――」
「逃げるの」
「逃げる?」
「自分の名前を、所在を晒さず、言いたい事だけ言って逃げるつもり?」
「挑発してるつもりですか?」
「どうかな。あなたの受け取り方次第だけど」
 二人は笑顔で、言い合っている。
「…いいわよ、名前くらい。私は相沢美貴。中学三年生。せんぱいが去
年までいた野球部のマネージャーをしています」
「ありがとう」
「どう致しまして」
 れいんは初めて雄一が野球をしていたことを知ったが、その事は表に出
さなかった。
「相沢さん」
「なんでしょう」
 れいんは、笑顔から一転殺意さえ込めたような表情となり、美貴を睨み
付けた。
「なんであたしがそんなこと言われなきゃいけないんだよ」
「あなたがせんぱいの肉便器にしか過ぎないからですよ」
 美貴はそれを嘲笑うかのように笑顔をさらに強めてそう言い放った。れ
いんの怒りは増すばかりだった。
「汚い言葉……あんた、ロクな死に方しないよ」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
「なに?」
「あなたはおよそ人とは思えないほど酷い死に方をするわ。雑種は雑種、
捨て犬は捨て犬――一度捨てられた人は、また捨てられる……」
「…なんで、そのことを」
「調べさせました」
 美貴の笑顔はさらに強まっていて、今にも引き攣りそうなほどだった。
「人一人の出所を調べるのなんて、造作もないことなのよ」
「…あんた、怖い」
 れいんは、素直に言った。
「何、あたしに何か恨みでも? あたし、あんたなんて知らないよ」
「恨み……ですか……恨み、そうですね。そうかも知れませんね。あ、な
たが……あなた、なんかが……」
 美貴は、引き攣りそうな笑顔を保ったまま、目から大粒の涙を流し出し
た。
「…憎らしい……憎らしいあなたが……」
 それを見たれいんは、背筋が凍りつく感覚を覚えていた。憎しみ、殺意
――その他様々な負の感情が自分に向けられているのを、れいんは敏感に
感じ取っていた。
「なんで……なんであたしをそんなに憎めるの?」
「あなたなんかにせんぱいを奪われてしまったこと……そして、それを阻
止出来なかった、あなたなんかに先んじられた自分自身が……憎い……」
「あなたは、雄一が好きなの? だからそんなに、一度も会ったことのな
いあたしに、憎悪をぶつけられるの?」
「好き……いいえ、あの人は、私のものになるんです。私に相応しい存在
だったんです……入学してすぐ、なんとなく野球部の練習を見て、一目で
分かったんです。『この人は、私のものになるべきなんだ』と……」
 ようするに一目惚れしたのか、とれいんは思った。
「何も才能がなければ、お父様の側近に宛がってあげようと思ってました。
しかし、せんぱいには野球の才能がありました。せんぱいは、当時二年生
にして、エースだったんです。周りがカス揃いだったのでそんなに勝ち上
がれませんでしたが、せんぱい自体はどんなに取られても二点までという
素晴らしい成績でした。速いだけでなく打者の手元で伸びるストレート、
中学生離れしたスライダー……高校に入っても、即エースになっておかし
くない素材だったんです」
「…知らなかった、そんなこと」
 れいんは、思わず言った。
「…せんぱいは才能があったんです。光り輝ける、頂点に昇れるだけの才
能が……それなのに……あなたが、それを、摘み取った」
「…待ってよ。話を聞いて」
「あなたを、殺してやりたい……!」
「聞けよ!」
 れいんは鋭く叫んだ。
「…あたしが雄一に拾われたのは、今から大体三ヶ月前……でも、その頃
から、雄一から野球の臭いなんてしてなかったよ。あんた、調べたんでし
ょ? なら、本当は分かってる筈よ。あたしを拾ったのと野球をしてない
のには、何の関係もないことくらい」
「…………!」
「部屋にだって、野球道具らしきものは一切ないよ」
「…よく探してないんじゃないですか」
「いい加減に分かれよ、このガキ! あんたはあたしに全部押し付けたいだけ
だ! あんたは自分が可愛いから、自分のせいなことも全部あたしのせいにし
たいんだろ!」
「そんなことっ……!」
 いつの間にか、美貴の顔から笑顔は消え失せていた。代わりにその顔に浮か
んだのは、子供らしい、誤魔化しの出来ていない焦り顔だった。
「あんた、本当に雄一が好きなの?」
「好きです……」
「ならなんで、雄一に直接思いを伝えず、あたしに攻撃する? 分からないな。
あんたみたいな女、あたし最低だと思う」
「…………」
 美貴は俯いていた。
「あたしがあんたくらい金持ってたら、好きな人を高いホテルに誘うよ。探偵雇
ったりせずに、さ」
「…………!!」
 何かがはち切れたように、美貴は身を翻して走り出した。そして、あっという
間に見えなくなった。
「…怖かった……」
 れいんは、大きく息を吐き出した後、そう呟いた。
「何なのよ、あの子? 帰ったら雄一に問い質さないと……色々と」
 今日、この後もう一つの問題が発生することに、悩み多きれいんはまだ気付い
ていない。

       

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