Neetel Inside ニートノベル
表紙

セミさんこちら手のなるほうへ
後編

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 1

 予備校の授業は静かだ。あまりに静かなので寝てしまう生徒も居る。
講師の話なんか聞かずに漠然と将来について考えてしまう生徒も居る。
ここに。
 息を切らしてテキストの演習問題を解説する講師は滑稽だった。
なにも息を切らさなくてもいいのに。
 そして午前中の講義が総て終わると昼休みだ。そそくさとトイレを
済ましたあと、僕は予備校の近くのコンビニに向かった。いつもの
コンビニだった。目線は合わすつもりもないし、合わす気分でもないので
僕は下を向いてコンビニへと入った。パン。おにぎり。ジュース。
雑誌。化粧品。お菓子。その他、雑品。正午に近かったので食料品の
消費期限は新しかった。パン。おにぎり。僕はカレーパンを手にとった。
目を合わさないように会計を済ましたあと、僕は人気のない路地裏へと
向かった。そこで僕はカレーパンを口いっぱいにほおばった。
味はよくわからなかった。


 2

 コンビニから予備校までの道には、雑踏共の雑多な思惑が入り乱れてい
た。男に媚びへつらうような態度、そんな服装や化粧をした女共。
愛想笑いばかりする憎らしいOL共。
そんな人間ばかり目につく自分はすっかり病んでいるのは自覚していた。
だがしかし、何ひとつとて変えることができないことも自覚していた。
僕は臆病、そして卑怯な奴なのだ……。
 ぬいぐるみに話しかけることでしかアイデンティティーを感じられない
そんな風に僕は過ごしていた。今まで何とか生きてきた。そしてそれが、
これからも続く、そう信じていた。携帯のバイブが振動するまでは。

 
 3

「久しぶりヤスタロウ! 元気してた? 」
昔なじみの、尚人からのメールだった。尚人とは小学校のときからの
付き合いで、小中高学校と総て一緒だった。だからずっと一生一緒だと
思ってた。だがしかし彼は大学に合格し僕は予備校生になってしまった。
――きっと彼もまた大学生活をエンジョイしてるのであろう。
そう考えると、僕は嫉妬で頭がおかしくなりそうになった。
――きっと彼もまた俺を嘲っているに違いない。馬鹿にされ、悪口を
言われ、話のネタになっているに違いない。まったく、どいつもこいつも
嫌な奴だらけだ。だからメールに返信するつもりはなかった。
しかし、メールは一時間おきに届いた。
「最近どう? 」
とか
「元気してる? 」
とか。もういい。ほっといてくれ。大学生の尚人と、ロリコン予備校生の
僕とを比べると余計に悲しくなってしまう。
だから、「ほうっておいてくれ」とメールを返した。
返事は「心配してんだから」だった。
「メールしつこいぞ」と返すと「おまえがなかなかメール返さないから
じゃないか」と返ってきて、「メールしつこいからやめろ」と
返すと「一回会おうぜ」と返ってきた。劣等感まみれになるのはわかって
いたから尚人と会うつもりはなかった。だが会わなければメールは
止まない。いや、別に無視してもよかった。でも、このときの僕は
尚人に少し期待していた。何か自分を変えてくれるんじゃないか、って。


 4

 駅前の喫茶店。挙動不審に店員さんに誘導されて約束の時間より少し早く
席に座る。そして周りの視線に耐えながら数十分、約束の時間をとうに
過ぎたころ、ちょうど、僕が二杯めのアイスコーヒーに口をつけようと
していたその時、後ろから尚人の声が僕の鼓膜に大きく鳴り響いた。
正直どっきりした。心臓が止まるかと思った…。
「よおヤスタロウ! 元気してた? 」
「ああ」
そう小声で僕は呟いた。尚人は相も変わらず元気だった。
髪は少し茶色だ。尚人もリア充の仲間入りを果たしてしまったのか……、
もしかしたら、僕がいつもおかずにしているあの女子中学生のような
かわいくて儚げな女の子たちとも性行為に及んでいるのかもしれない…。
そう思った時、無数の虚無感が僕を襲った。体は急にだるくなり、
目からはぼんやりと精気が落ちてきた気がした…。
「よおヤスタロウ! おまえ予備校生活、楽しい?
俺は大学生活楽しいよ! なんてったって、彼女できたし! 」
頭に血が上っていくのがわかった。
「なんだよおまえ! 尚人! 俺を励ましにきてくれたんじゃ
なかったのか!? いい加減にしろよ! おまえは自慢したいだけかも
しんないけどな、こっちは、苦しいんだよ! 予備校生は辛いんだよ!
察しろよ! 」

 頼んでいたアイスコーヒーを机に叩きつけていた。
アイスコーヒーの中身は尚人に飛び散っていた。
 尚人が口を開いた。
「違うんだ。満たされないんだ」
頭に血が上っていく気がした。
「何が満たされない、だよ! ふざけんなぁ!
おまえ、こっちはなぁ、こっちはなぁ! 」
俺はチャックの空いた鞄の隙間から見える英語のテキストを指差した。
「ふざけんな! おまえがなぁ、セックスとかしてる間に、こっちは
勉強してんだよ! それも、やりたくもないつまんない勉強をな!
何が満たされてない、だよ! ふざけんのも大概にしろ! 」
まだ残ってるアイスコーヒーを尚人の顔面にぶちまけてやろうと
思った。その時だった。尚人が俯きながら口を開いた。
「違うんだ、ヤスタロウ。誤解しないでくれ。満たされないんだ。
いくら彼女とセックスしようも、合コンしようよも、楽しくないんだ。
何をやっても上の空なんだ。何をやっても楽しくないんだ」
「何が楽しくない、だ! 俺から見れば…、性欲も満たせてすっごく
良い生活じゃないか! ふざけんな! 」
「ああ楽しい生活だよ。おまえが大学生になってないことを除けばな」
「は? 意味わかんねーよ、ふざけんな!どうせ今日も、こんな俺を
馬鹿にしに来たんだろ? 帰れ! 」
「違うんだ。俺は…俺はヤスタロウと一緒に、大学生活を謳歌したかった
だけなんだ。おまえともうちょっと、一緒に居たかったんだ。おまえと
もう少し一緒に居たかっただけなんだ」

「は? おまえ何言って…へ? 」
「ともかく、話したいことがたくさんある。おまえ、卒業式の後、すぐ
帰っちゃっただろ? 何ですぐ帰っちゃったんだ? 俺ずっとおまえ、
待ってたんだぞ? 」
「…その件に関しては謝る。ごめん」
「許してやるかわりに、ちょっとついてこいよ。どうせ暇だろ? 」



 5

 落とし穴を作ってよく走りまわった砂場、その横の公園。
ヨレヨレのフェンス。ボールを蹴る時に絶妙な障害となる位置に配置
されているオブジェ。
「よーし、じゃあこいやー! 」
尚人が俺に、目の前にあるサッカーボールを蹴ろと促す。
「でもおまえ、手袋着けてないんじゃないか? 」
「大丈夫、おまえの蹴るボールだし! 」
俺はクスッと笑いながら助走距離をとる。しかしあまり助走をつけすぎても
いけない。ヨレヨレのフェンスを超えてしまうからだ。
「よし蹴るぞー」
と言うと、尚人が会釈をする。少し高く飛ばしてやろうと思ったので、
右足のつま先がボールに当たる。
「よく飛ぶ…トゥキックか! 」
尚人はボールめがけてジャンプする。しかし尚人の手はボールへは
届かない。尚人の頭上を通ったボールは後ろのフェンスに跳ね返る。
「ったくよー、おまえ、もうちょっと手加減しろよな」
跳ね返ったボールは尚人の足もとに転がり落ちる。勢いがないので
尚人のトラップでボールは尚人の足もとに止まる。
それを確認して俺は尚人に話しかける。
「手加減して欲しいんだったら、蹴る側になればいいだろ? 」
「だって蹴るの疲れるじゃん」
「なんだよそれ」
俺はクスッと笑いながら尚人のパスをトラップする。
ボールは足もと。
「小学校の時はさー、よくこうしてヤスタロウとサッカーもどき
したもんだよなー」
「ああそうだな」
「俺らさー、いつ頃からこんなことしなくなったんだろな」
「中学入ってからじゃないのか? 」
「そうかー、中学かー。そうだな。で、気が付けば高校卒業」
「案外時間の流れは早いのかもな」
「そうだな、ヤスタロウともっと一緒に居れると思ったのに」

「ヤスタロウと一緒の大学、行けると思ってた。というか、まだ
おまえと一緒だと思ってた。おまえさー、何で進路変更しちゃうんだよ、
変更しなきゃ一緒に居れたのに…」
「いや普通考えて、大学一緒なのはおかしいだろ? 」
「何で? 」
「いや、何でっていうか、普通一緒じゃないだろ」
「意味わかんねー」

 何故進路変更を、高校三年の夏休みにしたのかと思う。
何故だろう。あの大学だったら、合格率は100%だったのに。
それで尚人と一緒になれて、楽しい大学生活をきっと今頃送っていた
だろうに。

「おまえさー、何で進路変更したの? 」

 ただただ、偏差値の高い大学に入りたかっただけなのかもしれない。
いや、もしくは親への反抗だっただけかもしれない。
でも、何故だかわからないけどあの大学には行きたくなかったのだ。
理由なんて…どこにも…。

 サッカーもどきをしながら、俺はふと考えていた。どうして俺は、
あの時、いや、あの夏、進路変更をしたんだろうと。


 6

 サッカーもどきを一時中断し、尚人が自販機で買ってきてくれた
缶のソーダを飲みながら、よくわからないオブジェにもたれかかりながら
俺と尚人はぼんやりとしていた。夏の雲は本当に動くのが遅いらしい。
秋の雲はあんなに動くのが速かったのに。
汗だくの尚人が口を開く。
「なぁ。おまえさー、何で卒業式のあと、早く帰ったんだ? 」
「…怖かったんだ。入試さ、全然できなくって。落ちたも同然だったし、
それ考えると何だか自室にこもりたくなったんだ」
「そうか…俺なんて、落ちたら落ちたで知るか、つー感じだったし、
そういうの全然わかんないわ。別に落ちたってよくね? おまえん家
小金持ちだし、三浪くらいまでならいけるだろ? 」
「まあそうなんだけどな…」
「あんまり浪人、気にしなくてもいいぞ。俺なんて全然全然、
大学生活楽しくねーし。おまえもいねーし、くそ…何にも楽しく
ねーよ…。おまえ早く大学生なれよ…そしたら…また遊べるし…」
「そうだな…大学生なったら時間もできるし、また遊べるもんな…。
…頑張らないとなぁ。早く大学生ならないと…」
「そうだ、早くおまえ大学生なれよ! 」

 夏の雲を見ながら、俺はぼんやりしていた。
 どうやら一人だと思っていたのは俺だけだったらしい。
 まさか俺が尚人に必要されてるだなんて思わなかった。
とっくに忘れ去られてると思ってたのに。


 7

 尚人が少し溜息をつきながら言った。
「卒業式のあと、何か切なかったよ。これで本当に終わりなの? 
ってさ。おまえとはもうさよならなのか、って。空しかったよ。
だから、今日おまえにどうしても会って言いたかったんだ。
今までありがとうって。じゃあな、ヤスタロウ! バイバイ! 」
そう言うと空っぽのソーダ水を俺に投げつけて、尚人が駅へと急ぐ。
「ひ、一人暮らしなのか…」
「そうだよ。じゃあなヤスタロウ、バイバイ! 」
沈みかけの夕陽がサッカーボールの影を濃くしていた。
少しひんやりとしたそよ風が俺のベットリとはりついたシャツに当たる。
大分肌寒く感じた。
走り去っていく尚人の、後ろ姿に俺は叫んだ。
「待っててよ。俺、絶対大学生なるから。そしたらまた遊んだり
しようぜ」
後ろ姿の尚人が振り向く。
「ああ。待ってるよ。がんばれよ。待ってるから。おまえが居ないと
つまんないことばっかだ、さっさと大学生なれよ! 」
「おう頑張るわ! あと卒業式のあとすぐ帰ってごめん! 」
「あれは結構きつかったなぁ…」
「ごめん! でも終わりじゃないから! 気付いたの今さっきだけど、
今まで本当にありがとう! これからもよろしく! 」

少し照れながら俺は胸の内にある言葉を発してみた。

「ずっと俺は一人で勉強してるんだと思ってた。でも、違うんだな。
尚人がこうも思ってくれてるなんて、思いもしなかった。でも楽しくないとか
俺は尚人に思ってほしくない。し、幸せで居てくれよ! 俺もすぐそっちに
行くから! 」

少し間を空けたあと、尚人が口を開く。若干泣き顔で。
「ったく、青臭いことおまえもよくいうよなー!
よし、じゃあ待ってる! ヤスタロウ、おまえも幸せで居てくれ! 
あと辛くなったら電話してこいよ! 待ってるから! 」
「おうよ! 」


 走り去っていく尚人を見送りながら、俺はぼんやりと思っていた。
どこまでできるかはわからないけど、今日はとりあえず頑張ってみよう、と。
シャカシャカと鳴くセミの声がBGMに聞こえた気がした。そんな夏の話。






 <終わり>

       

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